2 <依頼人>
ソナタは妙な男を後ろに従え、人通りのほとんどない、狭い路地に入って行った。
ほんの二本ほど大通りを逸れただけなのに、同じ繁華街とは思えないほどガラが悪そう
な通りだ。所々で目付きの悪い男達がたむろしているが、ちらりとこっちを見ているだけ
で近寄って来たりはしなかった。ソナタは全くそれを気にする様子もなく歩いている。後
ろの男も、そんなことには考えが及んでいないような無表情で、ただソナタからはぐれな
いようにしていた。
「そういえば、あなたの名前を聞いていませんでしたね?」
ソナタがふと肩越しに尋ねると、男はうつむいていた顔を上げ、
「ああ…、僕の名前は、カエサル」
と答えた。
「私はソナタです。ではカエサルさん、一応聞きますけど、あなた『人間』ですか?」
カエサルは一瞬ギクッとしたようだったが、急に怒りをあらわにして言う。
「と、当然人間です!決まってるじゃないですか!」
「そうですか」
ソナタはそれをそのまま信じたわけではないが、それ以上は聞かなかった。
しばらくホコリっぽい路地を歩いて、彼らはとある扉の前で止まった。よく見なければ
見落としてしまうような扉だ。ソナタは知り尽くしている体で扉の脇にある小さなボタン
を押しながら名乗る。
「アクロードのソナタです。ちょっと電脳室を貸してもらいたいんですけど」
少し待った後、カチリとロックが外れたような音がして、扉が横に開いた。
「入って下さい」
ソナタがカエサルに促し、二人は中へと足を踏み入れた。中は薄暗く、狭い待合室のよ
うだった。
「いらっしゃいませ。陰陽門へようこそ、ソナタ様」
レトロなメイド服に身を包んだオートマタンが出迎えてくれた。額のチャクラはない。
背はソナタの肩くらいだが巨乳で少女顔、長い三つ編みがいかにもな感じで、製作者の
趣味がうかがえる。もちろんこれは市販されているモデルではなく、オーダーメイドデザ
インだ。さらに言えば、正規の会社なりアーティストなりに特注して作ったのではなく、
ここで作られた物だ。
『陰陽門』は表向きは電脳ソフトを扱う店だが、裏では違法オートマタンを制作したり、
腕利きのハッカーがあらゆる情報を収集する情報屋だったりする。そしてソナタも仕事上
彼らと深い付き合いがあり、ゆえに顔パスでここに入れたのだった。
メイドの後ろの扉から、痩せぎすで迷彩のツナギを着た男が入って来た。ゴーグルを着
け、無精ヒゲの口元は皮肉っぽく笑っている。ゴーグルはお洒落で着けているのではなく、
オートマタンの修理や製造をするにあたって、どんな細かい部分でもズームして見ること
ができたりする、義身躯なのだった。
「よーお、ここに来るのは久しぶりじゃないか、ソナタ」
「そうですね、ゴッセン。ちょっと急用ができまして、ここが一番近かったので寄らせて
いただきました。相変わらず愛想のない人形を置いてますね」
世間に出回っている接客用のオートマタンはたいていにこやかな笑みを浮かべているが、
ここのメイドは言葉こそやわらかいものの、顔は笑っていない。
「人形の愛想なんてこんなもんでいいんだよ。愛想良すぎるからおかしくなるんだ。そう
いうアンタだって辛気臭い人形連れてるじゃねえか」
ゴッセンはカエサルを指して言った。カエサルは弾かれたようにその言葉に反応し、
「僕は人形じゃない!人間だ!」
と反論する。
「ん?ああそうかい。で、電脳室だって?いいよ、好きに使いな。マリオン、案内してや
りな。んじゃな」
ゴッセンはカエサルの怒りを無視して、戻って行った。
「ありがとう、ゴッセン」
「ではこちらへどうぞ」
ソナタとカエサルは電脳室に通され、ようやく本題に入る。
電脳室は完全防音、盗聴もされないようになっており、電脳の他には何もない部屋だっ
た。電脳も特別で、ハッキングプログラムや防壁も高いレベルで展開されている電脳だ。
マリオンに椅子をもう一脚持って来てもらい、二人は向かい合って座っていた。
「…で、あなたはどうして欲しいんですか?」
ソナタは話を切り出した。
「僕をあいつらから助けて下さい!あいつらは人体実験して僕を勝手にサイバーロイドに
してしまったんだ!あのままあそこにいたら、僕は殺されていたはずだ!」
「…あいつら、つまりあなたを追いかけていたのは誰なんです?」
「山京重工の技術研究所の奴ら、だと思う…。僕は気が付いたらそこにいて…、脳をいじ
られていたみたいなんだ。それでスキを見て必死になって逃げてきたんです!」
「山京重工?オートマタンメーカーの?なぜそんな企業があなたを人体実験に?」
「そんなの僕が知りたい!ともかく僕は死にたくないんです!あなたはあいつらを撃退し
てくれたから、僕を助けてくれるかもって思ったんです。お願いします!」
カエサルの訴えている様子はウソには見えない。確かに、彼は物騒な連中に追われても
いた。だが、いまいちその話が本当だと思いにくかった。
「……ちょっと失礼」
ソナタはすっと立ち上がり、カエサルの背後に回った。ちょっとカエサルの服の襟元を
引き、首の付け根を見る。何もない。
オートマタンにしろサイバーロイドにしろ、企業が造った機体なら機体のどこかに社名
やナンバーを入れるのが常識で、大概は今ソナタが見た首の付け根にあるのだ。しかしカ
エサルにはそれがない。
「…何です?」
カエサルが不思議そうに尋ねる。
「いえ…」
ソナタは電脳に向き直り、ネットで山京重工について調べてみることにした。山京重工
はオートマタン製造メーカーの大手で、主に量産型の侍従タイプや業務用のオートマタン
を製造している。そんな企業がなぜ人体実験などするのか。
高性能の電脳のおかげで楽にプロテクトを突破し機密事項にまで入り込んでみたが、人
体実験のデータはなかった。
「山京重工に人体実験の事実はありません。あなたは一体何のことを言っているんです?」
「でも、現に僕がいるじゃないですか!あいつらが追いかけてくるのが証拠だ!僕に逃げ
られるのが困るから!」
「うーん…、それが本当として、私に助けを求めるならそれなりに金銭は要求しますよ?
あなた行き当たりばったりで逃げ出して来たんでしょう?お金はあるんですか?」
「あ、あります、たぶん…!あそこに行くまでは普通に働いていたんですから!じゃあ、
助けてくれるんですね!?」
金の話を出せばあきらめるかと思ったら、逆に期待されてしまったようだ。
これ以上この奇妙さを解消しようと踏み込むなら依頼を受けるしかないし、手を引くな
ら今のうちだ。
ソナタは腕組みをしてうなるようにしばらく考えてから、スーツの内ポケットからナビ
を取り出した。
「そうですねえ…、相棒を呼んで、彼の意見も聞いてみることにします」
そこは地下にある小さな道場だった。片側の壁際にはマットだの砂袋だの、ちょっと古
めかしいトレーニング用品が置いてある。室内の中央には三人の男が互いに離れて立って
いた。
一人はガタイの大きい男で、レスラーのような筋骨隆々の男だ。両手を前に出し、いつ
でも飛びかかれるような体勢を取っている。その対面には道着を着た中年の男が、長い棒
を構えていた。レスラー男のように見るからに強そうという訳ではないが、その構えや鋭
い目からうかがえる覇気は、棒術の達人だろうということが解る。その二人の間にいるの
が、黒い豹を思わせるような男、ディーだった。
浅黒い肌に短い銀髪。歳を取っているわけではない。歳は二十代前半だが、子供の頃の
辛い体験で銀髪になってしまったのだ。切れ長の目に紫色の瞳が印象的で、彫りの深い顔
立ちだった。クールな美形と言えるだろう。タンクトップのシャツにスウェットパンツを
はいている。体つきは無駄な肉が全くなく引き締まり均整が取れていて、しなやかな獣の
ようだ。そのせいか、余計に背が高く見える。
今は肩幅ほどに足を開き、両手は無理なく脇に下げていた。どちらの男の方を見るわけ
でもなく、目の前の中空を見ているようだった。
レスラー男と棒男が、同時にディーに向かって動いた!
上からつかみかかろうとするレスラー男をディーはわずかに左に動いて避け、そのコン
マ数秒後の棒の突きを身を低くしてかわし、左足を回して棒男の足を払う。流れるような
動きで次は軸足を伸び上げ、床に付いた両手と共に自分の身体を持ち上げる勢いで背を向
けたままレスラー男のあごを蹴り上げた。
ディーが飛び跳ねるように起きると、足を払ったくらいでは棒男は倒れるはずはないの
で、すぐさま棒の攻撃ラッシュがディーを襲う。ディーはその全てを紙一重のところでか
わしていて、棒男の懐に一瞬にして迫り、腹に渾身の一発を叩き込む――――寸前で、止めた。
「……まいった」
棒男が恐怖に揺れる目でそう告げると、その場の緊張がふっと解けた。
それらは全部、ほんの5秒ほどのできごとだった。
「やれやれ、二人がかりでもアンタには敵わないとはな」
棒男がぼやいて、レスラー男に歩み寄る。気絶しているだけで、あごの方も大丈夫そう
だ。ディーはちゃんと手加減してくれていたらしい。
「ま、伊達にオートマタンと戦ってねーからな」
ディーは薄く笑って、自分のバッグの所へ行く。彼は職業上、よく物騒なオートマタン
やサイバーズ達と戦うはめになるので、こうして時々武術の強者と手合わせをして、戦い
のカンを鈍らせないようにしているのだ。
バッグを開くと、ちょうど彼のナビが鳴った。ナビとはカードサイズの小型電脳端末で、
それはソナタからの着信だった。ボタンを押して出ると、画面にソナタが映る。
「何だ、どうした?」
『ディー、今から陰陽門まで来れますか?ちょっと変なのに捕まってしまいましてね、私
一人の判断では決めかねるんですよ…』
と珍しく困っている様子だ。仕事のことだろう。と言ってもだいたいはソナタの独断で
決めることも多いのにわざわざ自分を呼びつけるとは、よっぽど変なケースなのだろう、
とディーは推測し、
「分かった、すぐ行く」
『あ、当然裏門ですよ?』
「ああ、分かってるよ」
『じゃ、待ってますね』
ソナタの映像が消え、ディーも通話を切ると、タオルを取り出し素早く身体を拭く。
「相棒からかい?」
棒男が聞いた。
「ああ。悪いけど今日はこれで帰るよ」
「そうか。今度は美人さんと一緒に来いよ!こっちもヤル気が出る」
「ハハ、あいつはこういうの、やりたがらないからなあ。ま、オレはまた来るから、相手
頼むな」
ディーは黒いハイネックのノースリーブと黒い革パンに着替え、道場を後にした。