1 <街角で>
彼女は今、幸せの絶頂にいた。
なぜなら、あこがれの超美形青年と一緒に、お洒落なオープンテラスの喫茶店で、向か
い合ってお茶を飲んでいるのだから。
彼とは知り合いになるのだって難しい。回りの女性達の間ではちょっとした有名人なの
だ。
うっとりと彼女は目の前に座っている彼を見つめた。いや、鑑賞したと言う方が正確か
もしれない。
彼の名はソナタ。フル・ネームは誰も知らないが、とにかくそう呼ばれている。歳は二
十歳を過ぎたばかりくらいだろうか。
肩まであるサラサラの赤い髪。髪の色に合わせるかのように、ワインレッドのブランド
物の細身のスーツを嫌味なく着こなしていた。細いあごに通った鼻筋、長いまつ毛と緑の
瞳、形のいい眉、全てが完璧に配置されている。
その顔の右半分を、前髪が隠してしまっているのが残念に思う者もいるだろう。しかし、
それは少しも彼の美しさを損なうことはなく、むしろミステリアスな雰囲気さえかもし出
しているのだった。
スタイルも抜群で、手足はスラリとしていて長く、女性よりも肌がキレイにさえ見える。
それでいて細すぎるという訳ではなく、ちゃんと男性らしい頼れる強さもあるのだ。これ
でボディを特注したサイバーロイドなどではなく、生まれ付きのままだというのだから、
全く奇蹟としか言いようがない。
彼はその外見により、女性に間違われることも多い。男にナンパされることなど日常茶
飯事らしい。誰もが振り返るほどの美形なのだから、無理もない。振り返らないのは人の
美醜に関心のないオートマタンだけだ。
今も店中の誰もが彼に視線を注いでいるのが彼女にも分かるほどで、それは優越感に変
わるのだった。
彼は外見が美しいだけではない。仕草も立ち居振る舞いも優雅で、言葉遣いもていねい
だ。女性の扱いも心得ているし、そこらのホストなど足元にも及ばないのだが、意外にも
数多くの女性と遊んでいて―――、というような噂は聞かないのだった。
「どうしました?」
ソナタが、ちょっと首をかしげるように、彼女の顔を見た。少しハスキーめのヴォイス
も彼に合っていて堪らない。
「ううん、何でもない!こうしてあなたとお茶を飲めるなんて、夢みたいだなあって思っ
て!」
「大げさですね。今日はヒマでしたし、貴女にはいつもオマケしていただいてますからね。
お茶をお付き合いするくらいでしたら、お安い物ですよ」
にこっとソナタは微笑み、その微笑みにまた彼女はうっとりするのだった。
店長にも内緒でオマケしていて良かった!と彼女は心から思った。このままいつまでで
も彼を眺めていたい。
と彼女が幸せを満喫している時、ソナタの背後、向こうの路地から誰かが転がるように
出て来た。彼女は特に気にも留めていなかったのだが、その人は慌てて、何かから逃げて
いるかのようにこっちに走って来る。何だろう、とちょっとそちらに視線を向けると、そ
れにソナタも気付いたようで、振り返った。
路地の向こう側を塞ぐように、ワゴン車が乱暴に止まった。
咄嗟にソナタは立ち上がり、
「店の中へ!」
と誰にともなく大声で言う。
「え?ええ!?」
彼女は驚いたが、あまりにもソナタの声が緊迫していたのと、それを聞いていた周りの
客が一斉に立ち上がり我先にと店内やら他の場所やらに逃げ出したので、彼女も急いでそ
れに倣った。
車の中から顔を覆うヘルメットをし、TVでよく見る特殊部隊のような格好をした男が
数人現れ、銃を構える。見た感じだとそれなりにプロらしい。狙いはこっちに駆けて来る
者のようだ。
こんな町中で事を起こすつもりか!?とソナタは思う。
ソナタはテーブルの影に身を隠し、いつでも懐の愛銃、コルトガバメントM33を抜ける
ようにしながら様子をうかがった。ちなみにここ新香港は銃の所持は禁止である。
「止まれ!止まらなければ撃つぞ!」
銃を構えた男の一人がお決まりのセリフで脅すが、逃げている方はそんなことに従うは
ずはない。そんな言うことを聞くのなら、初めから逃げてなどいないのだ。だから元々撃
つ気でいた彼らは、ためらわず発砲した!
「!!」
逃げていた人には当たらなかったが、足元を何発かかすめ、その拍子で転び、ソナタの
側のテーブルにぶつかった。
「こんなところで撃つ輩にロクなヤツはいないですね」
ソナタが彼の中の基準に従って心を決め、体勢を整えるために動くと、前髪の奥の右目
がちらりと見えた。それは赤い瞳で、左の緑の瞳とは違う。その赤い目は義身躯の証だっ
た。
すっと銃を構え、男達に向かって二発撃った。一発は発砲した男の銃に当たり、もう一
発は車に当たる。
「!?」
男は驚いた。ソナタの存在には気付いていたが、ただの一般人だとばかり思っていた。
その間に逃げていた者がソナタの後ろに這って行くのが見えた。
これ以上騒ぎを大きくできないと判断した男は、他の男達に命令する。
「…仕方ない、撤収だ」
男達は即座にワゴン車に戻り、唐突に現れた時のように唐突に走り去って行った。
「………」
ソナタは何事もなかったかのように銃を懐にしまい、立ち上がって服の汚れをはたき、
辺りを見回した。店の中に逃げ込んでいた人達の目がこっちを見ている。きっと誰かが警
察にでも通報しているだろう。まあさっきの彼女にも義理は果たしたし、これ以上面倒に
巻き込まれるのはごめんなので、ソナタはテーブルの上にお茶の代金を置いて、そのまま
店から立ち去った。
十メートルほど歩いて、くるりと振り返る。後ろに、さっき逃げていた人が付いて来て
いた。あんなに派手に転んでテーブルに突っ込んだのに、どこにも怪我はなさそうで、ど
こか痛そうにしているわけでもなかった。
見た目は男に見える。背はソナタより少し低く、髪は黒で瞳は明るい茶色。醜いわけで
はないが美形というほどでもない。体格も中肉中背。つまり普通。服も地味で、グレーの
作業着みたいな服だ。どこを取っても普通の男なのだった。
肌質を見るとオートマタンか完全義身躯のサイバーロイドのようだ。オートマタンは額
に青いほくろのような印、チャクラを付けることが法律で義務付けられているので、それ
がないということはサイバーロイドだと思われるが、しかし違法のオートマタンというこ
とも充分考えられる。
手には持ち手の付いた、大きめのホールケーキでも入っていそうな金属の箱のような物
を持っているが、ソナタはその中身に特に興味はなかった。妙な男共に追われていたこと
といい、今までの経験から言って、色々怪しげなこういうのには関わらない方がいい。
「…何か用ですか?」
ソナタは愛想のかけらもなく尋ねた。元々男に対しての愛想など持ち合わせていない。
男はおずおずと答えた。
「あ、あの、助けてくれて、ありがとう…」
その時ふと、ソナタは彼に何となく違和感を感じた。表情が薄いのもあるが、セリフの
感情と表情が合っていないような、奇妙な感覚だ。だがそれには気付かないフリをした。
「別に、助けたわけじゃありませんから。たまたまです。気にしないでいいですよ。それ
じゃ」
ソナタは早々に話を切り上げて行こうとしたが、男は
「ま、待って下さい!僕を、助けて下さい!」
と言い出した。
「はい?そういうことは、警察に言った方がいいんじゃないですか?大通りに出ればポリ
スステーション、ありますから」
ソナタは完全に呆れ顔だったが、男はあきらめなかった。
「警察に言ったって無理に決まってる!あいつらは僕を人体実験するような奴らなんだ!
警察にだって手を回してるはずだし、今度見つかったら殺される!!」
「ちょ、ちょっと、そんなこと大声で言わないで下さい!分かりました、話だけは聞きま
すから!」
ソナタは慌てて彼をなだめると、大きくため息をついた。すれ違う一般人が何人か、胡
散臭げに彼らを見て行く。その視線を受けて男も気持ちが若干冷めたのか、元のおずおず
とした感じに戻った。
「す、すみません…。でも、本当なんです!」
「あーはい、分かりました。じゃ、ちょっと付いて来て下さい。そーゆー話ができる所へ
行きましょう」
まだソナタは半ば『厄介なのを相手にしちゃったな』くらいにしか思っておらず、適当
に話を聞いたら適当にあしらっておこう、と考えていたのだった……。