~勇者と聖女、絶望仕立て~
あけまして、おめでとうございます。
「なん、じゃと……。」
かすれた声で反応したのは、心がポッキリ折れたはずの国王だった。しかし聖女はお構いなしに続ける。
「聖女の力がなくなった王様がこの国を治めてたら他の国が攻め込んできちゃうらしいから、それなら、宗教国家だっけ、そんなのにしちゃえば今まで通りこの国に手が出しにくくなるんじゃないかなって思ったの。亜人さんの差別への対応はおいおいになっちゃうかもしれないけど、一般の人たちが戦争に巻き込まれるのは、アキも……やだよね?」
「うんうん、ハルの言うとおりだね。」
「根絶やしとか物騒なこと言い始めるから、どうしようかと思ったよ。でもこれなら一件落着だよね。」
「うんうん、ハルは優しいいい子だね。」
アキと呼ばれた――神罰で消滅したと聞いていたはずの勇者は、満面の笑みで頷きながら聖女を撫でていた。
テレジアは混乱と恐怖で真っ白になりそうな頭を必死に働かせて、考える。
実際、神人教の神官の中の誰かを選び聖女の加護を与えてこの国の王とすれば、それはもう王権神授と同義である。聖女の血の消えたらしい元王族たちなどは抵抗すら許されず、この国の王権は神人教に移るだろう。それに、周辺の国々の中で、あらためて聖女に加護を与えられたこの国に攻め入るような愚かな国はない。
それと同時に、周辺諸国……主に帝国や神人教などに聖女の子孫だからと何百年も不遜な態度を取り続けてきた元王族たちがどういう扱いになっていくのか、聖女にはわからないかもしれないが、テレジアは容易に想像がついた。
しかし、そんなことは口には出さない。いや、出せなかった。なぜならば、勇者は聖女には笑っているが、その張り詰めた殺気が聖女以外が言葉を発することを拒絶していたから。――きっと勇者にとって大切なのは愛しい聖女様だけであって、元王族がこれから皆殺しのほうがまだましだろう立場になるなど、どうでもいいのだろう。
テレジアはぞっとした思いで、無邪気に勇者に話し続ける聖女に視線を向けた。
聖女はきっと心からこの国の未来を憂慮してくれている。異世界から突然呼ばれて、聖女を召喚した王族やこの世界に怒ってもおかしくないというのに、こんなにも国民を救うことを考えてくれているのだ。それはとても素晴らしいことである。
しかし――
この国の王族を総取っ替えして神官が治める国にするなど、そんな簡単に決めてしまっていい話ではない。そもそもこの国には国教に指定されている神人教以外の信仰もあるのに、なんの相談もなくいきなり神人教が国を治めることになれば、たとえ聖女が言い出したことだといっても他信仰からの反発は避けられないだろう。
それに宗教というものは、あくまでも“善意の寄付”によって運営されるものだ。しかし、国を治めるということは税金を徴収しなければならない立場になるということで、それはひどく矛盾している行いである。
各領地を治めている領主たち、つまり貴族たちからの反発も大きいはずだ。この国の頭がまるごとすげ替えられるということだし、これから辛い立場に落とされるだろう元王族の中には自分たちの血縁だっているはずだ。
そう、これは普通ならば一笑に付される類の話のはずなのだ。……普通、ならば。
しかし今、目の前で朗らかに話す聖女にはそれが出来てしまう力がある。テレジアはそれがひどく恐ろしいことだ思った。
「せ、聖女、様……」
そっと部屋に入り、決死の覚悟でテレジアは声を上げた。
誰かが聖女を止めなければ、このまま聖女の言うとおりになってしまう。きっと聖女を止めたときに一番神罰が下りづらいのは、聖女の加護をもらえた自分、だけだ。声をあげられるのは、自分しか、いない。
じろりと勇者の視線に貫かれた気がして、テレジアはぶるりと体を震わせた。
「テレジアさん!だ、大丈夫ですか?顔、真っ青ですよ!?」
「大丈夫です、聖女様……聖女様のご加護のお陰で、心身ともに異常はございません。」
「あ、そうでしたそうでした。じゃあどうされたんですか、誰かにいじめられました?」
「いえ!とんでもございません!」
テレジアは慌てて否定した。
聖女の侍女として付けられていたミティルナは、“聖女の加護は御心や御身体を害した者には神罰が下る”と言っていた。つまり、嫌味でさえも神罰の対象になる可能性があるのだ。心のなかでどう思っていようが、テレジアの前でテレジアを貶めるような者などいるはずがなかった。
「えっと……あ、アキ。この人はテレジアさんっていって、次の神人教の教皇様なんだよ。」
「ああ、だから加護を付けてあげたんだね。」
「うんー。」
にこっと聖女が笑い、それを見た勇者も微笑む。それだけ見れば、ただの仲睦まじい実に平和そうな若い夫婦に見える。
テレジアは勇者の視線から逃れられ、詰まっていた息を小さく吐くことできた。そして、自分が言わなければならないのだと、必死に言葉を紡ぐ。
「聖女様……この国、ひいてはこの世界のために、お心を砕いてくださり、ありがとうございます。」
神に祈るように両膝をつき、手を組み、深く、床につきそうなほど頭を下げる。
聖女は慌てた。
「えっ、テレジアさん、頭を上げてください!」
「いえ、いえ、わたくしは、これから、聖女様に……おね、お願いを、したく、思います。どうか、聞いてくだ、くださいませんで、しょうか……。」
「へ、お願い?……どうぞどうぞ、言ってください!」
頭をあげないテレジアに、わたわたと対応する聖女。勇者はそんな聖女を微笑ましく見守っている。
「せ、聖女様……聖女様の、おっしゃっていることは、全て、正しい、です。ですが、この国の王がいきなり変わってしまえば、他国から攻め入られることはないかもしれませんが、貴族たちや、神人教と同じくこの国に本拠地を置く他の信仰をもつ宗教の者たちは、納得いたしません。なぜならば、この国、そして、この世界の者たちのなかで、他人のスキルを見ることのできるものは数人、しかおらず、わたくしに授けてくださった加護も、この国では父……いえ、神人教の教皇しか確認できないのです。」
「えっ、そうなんですか!」
「はい。王族から聖女様の尊い血が消えたことは……人の口には戸は立てられませんので、きっとすぐに諸外国も知ることとなりましょう。聖女様が神罰としてそれを行われたことも、伝わるでしょう。それにより、他の国がこの国を攻めづらくなることは、確かです。ですが、内乱が起こる可能性は、高いと思われます。そして内乱が起これば、内政の立て直しをする前に、この国は滅びてしまいます。」
「あー、内乱かあ。そっかあ。」
「ですから、今すぐに王国から、聖女様の言われていた宗教国家というものに移行するのは、危険が伴うのです。内乱が起これば国民も混乱し、暴動が起きるかもしれません……。」
「なるほどなるほど。うんうん、じゃあ丁度いいね、さっき王族の一人に聖女の加護つけちゃったから、その人が当面の王様になればいいのかな?」
「……え?」
テレジアはあまりのことに目を見開いて、無意識に聖女を見上げてしまった。
聖女はにこにこしてテレジアを見ていた。
「アリストスさんが王様になって、なんだっけ、王様を補佐する感じの人に今の教皇様がなって、テレジアさんが教皇様になれば一件落着じゃない?」
「ぼ、僕!?」
テレジアの頭は今度こそ真っ白になった。直ぐ側にいた聖騎士の格好をした少年の素っ頓狂な声も耳に入らなかった。
意味がわからない。聖女は今の今まで、この国を神人教に治めさせようとしていたはずだ。
それなのに聖女の血を消したはずの王族の一人に、聖女の加護を与えていた。その加護を与えられたアリストスという王族である彼の存在は、どう考えてもこの国にくすぶる火種になってしまっただろう。
しかし聖女は満足気に頷いている。
「聖女の加護をもったアリストスさんが最後の王様で、その次から神人教に王権が渡れば、ゆるやか~に政権交代ができるよね。どうかな、アキ。」
「うんうん、ハルちゃんの言うとおりだと思うよ。」
問題しかないのだが、もう、誰も聖女と勇者に声をかけるものはいなかった。