~デバフとは何か~
「えっ?」
「そもそも神罰だって、どういうものがあるのか知らないし。ていうか、加護をもったキミにバッスさんは切りかかったわけだけども、なんか攻撃したら即神罰が下るとかそんな感じじゃないみたいだね。」
「あ、はい。伝承によると神罰というのは様々で……晴天での落雷死というのが一番多いようですが、それ以外にもベッドの上で水死していたり、悪夢に囚われたまま目が覚めずうなされながら衰弱死したりするそうです。」
「もれなく死ぬんだ、神罰。こわっ。」
「神から与えられる罰は、魂の洗浄だと言われています。ですから、一度神罰によって負の力と罪が全て払われ、魂は新たな体に宿れるようになるのだと、神官様たちがおっしゃっていました。」
「あー、そういう感じなんだ。」
「聖女様は――」
「あ、ハルって呼んでください。昨日も言いましたけど聖女らしいことなんにもしてないし、いい年こいて聖女って言われるのちょっと恥ずかしいんですよ。」
「えっ?」
ハルはなんの気なしに言ったが、“いい年”発言に、アリストスはきょとんとした。アリストスは、ハルは同い年ぐらいだと思っていたのだ。
「この国の王族って、聖女を独り占めしてたんですよね。でももう聖女はこの世界に生まれることになるから、今までみたいにお城の中に召喚してそのまま監禁なんてできないじゃないですか。それって、だいぶ痛手だと思うんですよね。他の国との関係とかは私はわかんないですけど、聖女をこういうふうに閉じ込めて恩恵を一切外に出していなかったのに、周りの国は何も言ってこなかったんですか?」
「えと、その……僕が聞いた話だと、王族は聖女様の血を受け継いでいるからこそ聖女様の召喚ができるそうです。そしてこの王都にはこの世界で一番大きな神人教の本拠地もあるということで、周辺諸国は手を出せないようになっている、みたいです。」
「でもこの国の王族は神に見放されて聖女の召喚も出来ないし、聖女を独り占めもできなくなった。……前の聖女様がつけた聖女の加護って、まだ残ってます?」
「国王様には、聖女様の加護がついていると聞いています。」
「ふーん……私、他人のスキルも見れるんですよ。それを知っていて、王様は私と会いたくなかったのかもしれませんね。ほんと罰当たりだなあ、テレジアさんたち神官さんのほうがよっぽどマトモで……そういう人たちがこの国を治めればいいのに。」
「……え?」
「そっか、ここには神人教の本拠地もあるし、教会が国を治めることになれば、他の国だって攻めてきにくくなるか……なんだっけ、宗教国家っていうんだっけ……」
「ハ、ハル、様、何、を……?」
ハルがぶつぶつ言うのにつれて、アリストスの顔色が青くなっていく。
「あ、うん、別に今の王族は皆殺しとか物騒なこと言ってるわけじゃないからね?」
「皆殺し……っ!?」
アリストスがかすれた悲鳴をあげた。
「いやいや、しないってしないって。でも、二度と聖女の召喚なんてチャレンジしないように、そしてできれば周辺国が攻め込んで来ないようにするためにはどうすればいいか、って考えてるんですよ。だって、戦争が起きたときの一番の被害者は、王族でも神殿でもなく一般人ですからね?」
「……そう、ですね。」
アリストスはうつむき、自分と自分の周囲の人びとのことだけを心配していたことを恥じた。
この国は聖女様の血を引く王族が治めていて、王都には神人教や他宗教の本拠地もあり聖地のひとつに数えられている。そのため、戦争を仕掛けられることはないし、戦争を仕掛けることもなかったのでいかんせん軍が弱かった。
騎士もいるし兵士もいるが主な仕事は見回りと護衛で、たまに盗賊団の討伐に遠征するくらいなのだ。そんな王都に屈強な軍隊が攻め込んでくれば、抵抗する間もなく王都は陥落するだろう。
しかし、そう、アリストスは敵軍が王都に到着するまでのことを考えていなかった。
この国はどちらかと言えば狭い国だ。しかし領地がないわけではないし、隣国に面した領地に住んでいる人々も多くいる。
戦争が始まって一番最初に被害に合うのは、そういう人たちだ。アリストスはそういったところまで考えが及んでいなかった。
ハルはハルで、どうすれば完全に聖女の召喚ができなくなるかを考えていた。
ぶっちゃけ、たぶんハルがなんと言おうと王族の誰かが聖女の召喚を試せば、次の聖女が召喚されてしまうだろう。大見得切って聖女召喚はさせないなどとは言ったが、ハルに召喚を阻止する力などあるわけがないのだから。
ハルは聖女として「この世界から聖女を見い出しなさい」と神官に告げ、その神官に聖女の加護を与えて次の教皇に選んだ。この世界の人々は――少なくとも話は伝わっているだろう王族と神官たちは、今後の聖女のシステムはそうなるのだろうと思い込んでくれているはずだ。
その間に、本当に聖女を召喚することが出来ないように考えなければならないと思った。
そこでふと、さきほどのアリストスの言葉が蘇る。
――王族はみんな聖女様の血を受け継いでいるからこそ聖女様の召喚ができるそうです。
つまり聖女の血さえ受け継いでいなければ、召喚ができなくなるかもしれない……?
聖女の血さえ消してしまえば……血を消す?……どうやって取り除く?……取り除く?
聖女の血は取り除かれなければならないもの、として考えれば。そう――
聖女の血がデバフだと考えればあるいは……?
天啓のようなひらめきだった。いや、天啓だったのかもしれない。
異世界の聖女の血は、この世界の人びとには異物のはず。つまり、デバフと言え……なくも、ないはずだ。ハルは迷いを断ち切るために、声に出した。
「聖女の血は、デバフ。……聖女である私がそう言っているのだから絶対にデバフ!デバフならば、聖女である私が解除できないはずは、ない!」
カッと目を見開き、ハルは神に祈るように全力で可憐な後光を使った。その眩しいを通り越して目が痛いほどの光は聖女の庭を真っ白に漂白し周囲の壁に当たって反射し空へと突き抜けた。
可憐な後光のスキル説明欄には、“聖女が癒やしたい者ら全てのデバフが完全除去”と書いてあった。そこに、触った相手だとか見える範囲だとかそういったくくりはない。つまり可憐な後光の効果範囲はMPが尽きるまでどこまでも広がるということ、のはずだ。
そしてハルの基礎MPは30だが、勇者の加護により+9999されて限界を突破している。加えてINTも限界突破しているため、可憐な後光の効果範囲は国を超え大陸を超え、世界全てを包み込んでなおMPが枯渇するようなことはなかった。
世界に、キラキラと輝く暖かな聖女の癒やしの光が降り注ぐ。
可憐な後光が解除するデバフは、何も聖女の血だけではない。全てのデバフの完全解除である。
世界中の人びとを蝕んでいた病という病は突然完治し、怪我の後遺症も痛みが消え動くようになり、寝たきりだった者は起き上がり、意識が戻らなかった者は意識が戻り――世界中が混乱に陥った。
なぜならばハルは何も考えていなかったために聖人も悪人も関係なくデバフを解除していたし、スキルの効果は亜人にも及んでいたからだ。
このハルがやらかした聖女の奇跡は、後に“聖女様の赦しの日”とされ語り継がれていくことになる。
しかしそんなことになるとはこれっぽっちも考えが及ばないハルは、目の前のアリストスのスキル欄から魅了スキルが消えていることを確認し、聖女の血はデバフとして解除されたのだと確信してとても満足していた。
アリストスはハルのスキルによって目がくらんでいたが、聖女がスキルを使った瞬間、自分の中から何かが消えることをはっきりと自覚していた。そしてそれが聖女の血だろうということも、ハルの言葉で予測できていた。
「ハル様……我々王族……いえ、僕たちの一族に受け継がれていた聖女様の血は……」
「私がさっきのスキルでできることは、デバフの解除だけです。つまり解毒とか、解呪とか専用のスキルを使ったんです。それで聖女の血が消えたのなら、異世界人の血は毒とか呪いとかそのへんとおんなじだったということです!つまり聖女の血は、デバフだったのです!」
「聖女様の血が……毒や呪いと同じ……?」
ほろり、とアリストスの目から涙が一粒だけこぼれた。
聖女様本人にはとても言えないが、アリストスにとって聖女の血は呪いのようなものであったからだ。
魅了スキル。
聖女の血を受け継いだ王族には様々な聖女の奇跡が発現するが、魅了スキルはそのなかでも特殊なスキルである。幼い頃はスキルを無自覚に使ってしまうこともあるのだ。回復や解毒ならば問題はないが、魅了スキルは問題しかない。
王家の血を引く子どもが生まれたその日には教皇が登城し、すぐさまスキルを調べる。そうして魅了スキル持ちだとわかると、実母は年老いた侍女と従僕だけを連れて専用の離宮へとこもらなければならなくなり、その子どもが魅了スキルをきちんと自分の意志で使えるようになるまでは出てこられなくなる。
アリストスは王と側妃の間に生まれた王子で、一応、王位継承権も与えられていた。魅了スキルという、聖女の血が受け継がれているという証拠があるからだ。しかし、それは形だけの継承権であり魅了持ちが国王になることは絶対にできなかった。
そしてアリストスがスキルを完全に使いこなせるようになると、今度はいつ聖女が召喚されても良いように、聖騎士の修行が始まった。修行といっても聖女がどれだけ素晴らしいかを説かれ、どう城にとどまらせるかというようなものだったけれども。
教師は誰も居ないところで、アリストスに「お前は国王になれないかもしれないが、お前が聖女と子をなせば、お前は王の父親になれる。うまく使えよ。」と手を握って言ってきた。
うまく使えよ、というのは今思えば魅了スキルのことだったのだろう。アリストスは聖女を敬愛するあまり、魅了スキルを聖女に使うなんて思いつきもしなかったのだが。
――そのとき、開けっ放しにしていた扉の外からどたどたという足音と、ぎゃあぎゃあと騒ぐ人の声が近づいてきた。
「聖女ぉおおおおお前があああああああ!」
ハルはいきなり部屋に入ってきた見知らぬ偉そうなおっさんに、目を丸くして驚いた。
おっさんの手にはひどく禍々しいド紫色の剣が握られている。
「えっ、誰ですか?」
見知らぬおっさんの目は血走り、ハルを睨みつけている。
「父上っ!?その剣は……!」
アリストスが短い悲鳴を上げる。
何を隠そう、このおっさんはこの国の王族のトップ、国王であった。その後ろ、部屋の外には幾人かの剣をもった騎士っぽい人たちや神官っぽいおじさんが真っ青な顔をして国王とハルを交互に見ている。
国王がハルに向けているド紫色の剣の切っ先が、興奮のためか怒りのためか小刻みに震えていた。
「許さんッ、許さんぞッ!こッ、このッ、尊き血をッ穢しおったな!!!!!」
「父上……いえ、国王様。それは誤解です!聖女様は――」
「黙れ!尊き血の一族にも関わらず聖女の犬に成り下がりおって!」
「!?」
「私がやったのは、毒や呪いを解く奇跡です。聖女なのに何かを穢すなんてできるはずないじゃないですか。もともとの血が穢れていたから、それを浄化しただけですよ。」
相手が国王でしかも剣を向けられているというのに、ハルは怯えるどころかやや苦笑いを含ませて肩をすくめながら答えた。
「それに、“聖女の加護”はデバフではないので消えませんよ。あれ、でも、国王様の加護は消えてしまったようですね、なんでですかね?」
「黙れ黙れ黙れ!」
ブンと剣を一振りして、国王が叫ぶ。ド紫色の剣から怪しい紫色の靄がじわりとにじみ出てきていた。
「お、王よ、どうかご冷静に……」
「うるさい!冷静にだと!?王族の証である聖女の血と奇跡が、この女のせいで消えたのだぞ!?国外にそれが漏れればどうなるかわからんのか!?これ以上この女が余計なことをする前に、儂は国王として阻止せねばならんのだ!」
部屋の外から聞こえた弱々しい誰かの声に、国王はそう怒鳴った。そしてその顔をいきなり無表情にして、手に持っているド紫色の剣に視線を落とす。
「そのために、これがあるのだ。」
「しかし、それは、王よ……!」
「……聖女よ。これは遠い昔、勇者が聖女とともに封印した邪神の爪の一部が変化したものだ。」
「え、あ、はい。」
「勇者と聖女の力を合わせても封印するしかなかった邪神の力が、この剣には宿っておるのだ。お前を守っている神の加護とやらも、斬り捨てられるほどの力がな。」
「はあ。」
これはちょっとまずいかな、とハルは思い始めた。ハルに加護をくれているのは神ではなく、勇者だ。確実にその力は神よりも下だろう。つまり、あれで斬られたらハルは死ぬ可能性が高い。
「聖女よ。お前は回復や浄化は得意でもお前に儂を殺すことはできぬだろう。なにせ“聖女”なのだからな。しかし……お前が自らその力を我々だけに使うと誓うことができるのならば、助けてやらんでもない。仮にも聖女なのだ、お前が助かる方法を教えてやろう。」
「はあ。」
「王族全てに聖女の加護を与え、今までの聖女のように王族との間に子をなすのだ。子をなしたあとは、お前が聖女の加護を与えた神官とそこの出来損ないの聖騎士を殺せ。罪なき者を殺せば、聖女の力は永遠に失われるだろう。そこまでしたのならば、謝意を受け入れ、聖女の力が消えたとしてもお前には死ぬまで聖女として今までの生活を送らせてやる。」
「え、お断りします。」
「何ッ!?」
「いや、だって、神様が私をこの世界に寄越したのは、なんの理由もなく救世の聖女を異世界から召喚するあなた方を罰するためなんですよ。つまり私自身があなた方への神罰だったんです。魂は洗浄されませんでしたけど、変わりに血が洗浄されたんですよ。」
ハルは、ちょっと自分上手いこと言ったな、などと考えながらどや顔でそう言いきった。そうして、目を見開く国王に向かって微笑みかける。
「そして、神様はこうなることを予測しておられたんでしょうね。」
勇者関連のスキルは、そのためのものだったのだろう。ハルはそういう考えに行き着いた。
大罪人だという勇者だが、勇者と聖女が揃えば邪神は封印できるという。スキルに勇者召喚があるのはそういう理由だったのか、神様も無言で森に落とすんじゃなくって先に言ってくれたらよかったのに。ハルはそう愚痴りつつ、国王に切りつけられる前にそのスキルを使った。
「まあ、王様よりはマシな人だといいなあ。」
あまり高くない期待を寄せて。