~戦慄する監禁聖女~
「聖女様、お初にお目にかかります。神人教の高位神官、テレジア・アスクリットと申します。」
ハルに深々と頭を下げ、高位神官だというその女はそう名乗った。その白を貴重としている服装があまりにもゲームの装備でよく見るザ・神官みたいなローブだったので、ハルは……ああ、異世界なんだなあ。とよくわからない感想を抱いた。
「ハルです。」
「ああ、ハル様のおかげで、ようやくお会いすることができました……!」
テレジアは涙を浮かべてハルに近づき、片膝を床につける騎士とはまた別の、両膝を床につけるような形でハルに跪いた。そうして手をあわせて頭を下げ、まるで懺悔をするかのような声で続ける。
「わたくしどもの力不足のせいで聖女様をあのような森へといざなってしまい、誠にもうしわけありませんでした。本来ならば森への捜索に加わり、聖女様がお城に戻られたという連絡を受ければすぐ、召喚の儀式に立ち会った神人教教皇である父が謝罪に伺わなければならないところでしたのに、国王の許可がおりず……このような遅い謝罪になってしまい、本当に……まことに申し訳ありません……。」
「遅くなったのは王様の判断なので、神官様のせいじゃないですよ。そんなことよりも、神官様に聞きたいことがあるんです。」
ハルはしゃがみこんでうつむくテレジアの手をそっと取り、ゆっくりと立ち上がらせた。
「せ、聖女様、恐れ多い……」
テレジアは恐縮しきっているようで、ハルのされるがままに手を引かれ、庭に連れ出された。そうしてさきほどミティルナが紅茶セットを片付けたまま何も乗っていないテーブルへといざなわれ、椅子に座らされる。
ハルは紅茶の用意をしようとしたミティルナを手で制し、「飲まないので、いりません。」と口でも断った。
「さて神官様、私は、なんのために召喚されたのか、ご存知ですか?
私はそれを知りたいがために、聖騎士に頼み、神官様を呼んできてもらったのです。」
「はい、聞いております。」
テレジアはこくりとうなずいた。
「ひとつ。聖女様はこの世界の平和の象徴です。聖女様が存在するというだけで人々は明日への活力を見出すことができます。怪我や病気になったものは神殿で聖女様にお祈りを捧げることで、普段よりも治りが早くなります。後ろめたいことをしていた者も、聖女様の御威光によって心を入れ替え犯罪が抑制されます。」
完全にプラシーボじゃねーか!とハルは叫びたくなった。しかしぐっと我慢する。
テレジアは“ひとつ”と言ったのだ。つまりは次があるということだ。
「……ふたつめは?」
「ふたつめは、この世界に聖女様が存在することによって世界が浄化されています。この世界には、わたくしたち以外にも魔族を筆頭に獣人などの悪しき亜人たちがのさばっています。それらは負の力を持ち、世界を破滅へと導いているのです。その負の力を打ち破り、聖なる力でこの世界を安定させているのが聖女様なのです。
聖女様はこの庭の聖なる祈りの泉で、毎日祈ってくださっていますね。その祈りが聖なる力となってこの世界の負の力を浄化してくださっているのです。」
確認のしようがないことを言われるとどうしようもないので、ハルは素直にうなずいた。
「他にはありますか?」
「もちろんです、聖女様。みっつめは、勇者と対をなすための力です。勇者とは、聖女様のいらっしゃった世界から魂だけの状態でこの世界へと来てくださった神の使徒です。ですが聖女様とは違い生まれも育ちもこの世界ですから、悪しき者に染められてしまえば最後、その恐ろしい力はわたくしたちへと向けられてしまうのです。」
「ああ、大罪人の勇者ってそういうことだったんですね。」
「聞いていらっしゃったのですか。……そう、ほんの10年前まで、この世界は悪しき勇者によって亜人たちの力が増し、わたくしたちは苦しめられていました。ですが、神を裏切った勇者は神罰によって消滅いたしました。次の勇者が生まれるのは100年後ですので、今の聖女様が相対しなければならないということにはなりませんので、ご安心くださいね。」
「なるほどなるほど。」
その神罰によって消滅したはずの勇者の加護が、私についてるんだよなあ?
ハルはその事実を言うか言うまいかちょっと悩んで、やっぱり秘密にしておくことにした。奥の手、というやつである。まあ、役に立つかはわからないけれども。
「よっつめもございますよ。歴代の聖女様は、見渡す限りのけが人や病人を一瞬で治してしまうという奇跡をお持ちだと聞いています。」
「え、ああ、はい、たぶんできると思います。」
「そのお力は、ほんの一部ですが、聖女様のお子様に受け継がれます。」
「……えっ?」
子ども?
ハルは首を傾げた。
そんなハルには気づかず、テレジアはうっとりしながら続ける。
「お子様のお子様、そのお子様にも、強かれ弱かれ癒やしの御力は授けられます。そうして脈々とその奇跡は聖女様の御血を受け継ぐ王族の証として、永遠にこの国で受け継がれていくのです。」
城に監禁されている聖女と、回復スキルや解毒スキルを持っている聖騎士たち。そしてその回復スキルや解毒スキルを持っているのは、聖女の血を受け継ぐ王族の証だという。
ハルは今後のストーリー展開が手にとるように予想できた。
――うわ。
ハルは思わず無表情になった。激しい嫌悪感で肌が泡立ち、すっと背筋が冷たくなる。
……どおりで聖騎士たちの好感度がMAXなわけである。聖騎士たちが攻略対象ではなく、ハル自身が攻略対象だったのだ。
そうしてハルを攻略できた聖騎士が晴れて聖女との子をもうけて、王族に聖女の血を入れることができて王家が繁栄するとかなんとかだろう。異世界から召喚された――既婚者であるハルにとっては、身の毛のよだつような話であった。
「神官様……」
ハルはおもむろに立ち上がり、テレジアに近寄った。そしてテレジアに跪いて顔を見上げ、微笑みかける。
「聖女様!?」
テレジアは小さく悲鳴を上げたが、ハルは構わず口を開いた。
「聖女について教えてくださり、本当にありがとうございます。」
そもそも既婚者だし枯れ専であるハルが聖騎士になびくことは未来永劫ないだろうが、相手がどういった考えで近づいてきているのか分かっただけでも十分に有益な情報である。ハルは深く深くテレジアに感謝していた。教えてもらえなければ、ちょっと抜けているハルは何かしらの罠とかにはまっていた可能性もあったのだ。
「私は道を間違えずに済みそうです。私が何を為すべきか、理解することが出来ました。全ては神官様のおかげです。」
聖騎士の、いや、この国の王族の言いなりには絶対にならないと、いるかどうかもわからない神に固く誓う。スキルを得るために異世界から女性を誘拐してくるようなクズどもにやる奇跡など、あるわけがない。
今さらながら、旦那の言葉がいかに正しかったのか、理解する。
聖女を召喚するようなやつは、クズ。たしかにこの国の王族はクズだった。
しかしだ。このテレジアとかいう神官には――まあうっかり口が滑ったのかもしれないが――それでも感謝しても感謝してもしきれないと思ったハルは、初めてスキルを使うことにした。というかすでに無意識に使っていた。
――慈愛の微笑み、可憐な後光、そして、聖女の庇護。
ハルの体から暖かな光が溢れ、テレジアを包み込む。
テレジアはわけもわからないまま光に包まれて――HPとMPが完全回復して、なおかつ長年苦しんでいた便秘と吹き出物が完全に解消され、毒にも病気にも侵されることのない超健康体になるパッシブスキル“聖女の加護”を得た。
ただし、自覚は一切なかったが。
しかしテレジアは感動に打ち震え、涙をぽろぽろとこぼしはじめた。テレジアにとって聖女という存在は生ける神といっても過言ではなく、その聖女様から2度も触れてもらえた上に直接奇跡の御力をその体に受けたのだ。これで感動の極地に至らない聖職者はいないだろう。
それを微笑みの奥に冷めた気持ちで見据えつつ、ハルは今後どう動くかを考えた。
たぶん、この部屋は監視されているし、会話も筒抜けかもしれない。聖騎士すらもハルに漏らしていないことを言ってしまったテレジアには罰が与えられるかもしれない。
しかしふと見ればテレジアのステータスに見覚えのないパッシブスキルが追加されており、その説明文を見たハルはたぶんいるのだろう神に感謝した。
特殊スキル “聖女の加護”
毒や病に侵されることがなくなる。
このスキルを持つものを傷つけたものには神罰が下る。
このスキルは血に関係なく、相応しきものに受け継がれる。
ただし、相応しき者が現れない場合このスキルは失われる。
なるほどこれが聖騎士の言っていた加護というやつか、なるほどこれは王族が欲しがるのもわかる。
ハルは立ち上がり、座ったままはらはらと涙をこぼしているテレジアへと声をかけた。
「感謝の気持ちに、聖女の祝福を貴女に与えました。未来の教皇様、どうか正しい道へお進みください。できれば、もう二度と……聖女を召喚など、しないように。勇者も、聖女も、この世界の人びとの中から、選ぶようにしてください。」
「……え、……えっ!?」
枯れること無く大粒の涙が流れ続けている目を見開き、テレジアは混乱したようにハルを見上げた。意味がわからなかったからだ。
テレジアは教皇の娘ではあるが、けして次の教皇というわけではない。
宗教というものにはお金がかかるのだ。だから、高い寄付金を払ってくれる貴族と繋がりの深い神官の発言力が一番強いのである。次の教皇には、複数人いる枢機卿の中からいちばん寄付をもぎ取ってくる者が選ばれるはずだった。
それがいきなり聖女様から次の教皇に指名されたのだ。神人教内は混乱するだろう、なにせテレジアはまだ若いし後ろ盾もおらず発言力も弱いのだ。
そしてそれに続いた、“勇者も聖女もこの世界の人々から選びなさい”という言葉も、混乱に拍車をかける。そんなことができるはずがない、だって、異世界から来た者だからこそ特別な奇跡が使えるはずなのだから。
テレジアは混乱のるつぼにいたが、ハルは、もう聖女という名の被害者が増えないことが一番だと思っていた。ハルは聖女としての役目を終えれば元の世界に戻れると本気で思っていたが、元の世界に戻れない可能性のほうが大きいと悟りつつあった。
だが、なんとかしなくてはならないだろう。枯れ専のハルだが、同い年の旦那のことは大好きだし、もう二度と会えないなんてごめんだとも思っていた。
ハルは混乱から抜けきらないテレジアを立たせてミティルナを呼び、泣き止む気配のない彼女を任せた。
もちろん、聖女の祝福を与えたことや、そのスキルの詳細もしっかり伝えておく。まかり間違っても、重要な情報をもたらしてくれたテレジアを誰かが傷つけないように、だ。
それからハルは、ひとりっきりになりたいと言って部屋に閉じこもった。ふっかふかのベッドに倒れ込み、目をつぶる。
明日。そう明日、この城から逃げ出そう。そのためにはとりあえずゆっくり眠って英気を養わなければならない。