~聖騎士と聖女と聖女のスキル~
一体何事だよ……。
ハルはげんなりとしながら、目の前で跪いたまま動かない聖騎士だとかいうその男に視線を向けていた。
そのなんかきらびやかな白い鎧をまとった男はすごい勢いで馬を走らせて向かってきたかと思うとハルを見るなり馬から飛び降り、「大変申し訳ありませんでした聖女様ご無事ですかッ!」とイノシシもびっくりの突進力で近づいてきてそのまま流れるように目の前に跪いた。ハルがジャンピング土下座と見間違えるほど、見事な跪き具合であった。
「申し遅れました、聖女様。わたくしは、聖騎士ベルジュ。貴女様のための騎士でございます。」
怖ッ!
ハルは声は出さなかったものの、思わず顔をしかめてしまった。
あなたさまのためのきしって。初対面なのに何を言い出すんだこいつは。
そんなハルの表情を、幸いベルジュは顔を下げていたので見ずに済んだ。周囲の騎士たちはばっちり見ていたが。
「お名前をお聞かせください。」
「あ、はい。ハルです。」
「……ハル様。わたくしのことは、ベルジュとお呼びください。――まずは、謝罪を。いきなり聖女様であられるハル様をこのような森の中に置き去りにしてしまい、大変申し訳ありませんでした。」
頭を下げたまま、ベルジュが言う。
「聖女様たるハル様を狙った邪悪なるものが邪魔をしたようですが……言い訳はいたしません。何なりと、我々に罰をお与えください……ッ!」
いやいやいやいやしっかり言い訳してるし。邪悪なるものって何だよ、存在がふんわりしすぎてるよ。もっとこう、魔王とか、屍竜とか、邪神とか、そういうさあ?いやまあ実際にいるかもわかんないし、別になんだっていいんだけど。
ハルはしかめた顔をどうにかこうにか元に戻すことに成功し、ふう、と小さく息を吐いた。
「驚きましたが、特に何事もありませんでしたし、すぐに騎士様が来てくださったので、大丈夫です。」
「お、おおおおなんとお心の広い……ッ!」
ハルはしかめっ面に戻ろうとする表情筋を必死になだめながら、「顔を上げてください。」とベルジュに言った。
「ありがたき幸せ……!」
半ば感動したように声を震わせながら見上げたベルジュは、金髪碧眼の非常に整った王子様のような顔をしていた。なかなかのイケメンである。
しかし、ハルの心にはこれっぽっちも響かない。
「はい。」
それだけ言って無言になったハルに、ベルジュは焦った。
ベルジュはこれでも、己の顔が良いことを自覚している。婚約は出来なかったのではなく、8年前と4年前に聖女の召喚を失敗したためにいつ聖女が召喚されてもいいように作ることが出来なかっただけだ。けして、もてなかったわけではない。
しかし、ハルのこの感じは……脈が一切なさそうであった。ベルジュの顔面に興味がないと、ハルの無表情な顔に書いてさえあるようだった。
「そ、それでは聖女様、聖女様のためのお部屋を、城に用意しております。馬車も用意しておりますので、どうぞお乗りください。」
微妙になってしまった空気を変えようと、ベルジュは立ち上がり聖女様をエスコートすべく手を差し出す。
しかし、ハルはその手を取ることなく営業スマイルを浮かべて「嫌です。」と言った。
「は、ハル様?なぜ……?」
ベルジュが、そして周囲の騎士たちがざわめく。
「やはり、怒っていらっしゃるのですね……もちろん、そのお気持ちは当然です。ですが、この森には何もございません。肉食獣もおります。異世界からいらっしゃった聖女様が一人でお過ごしになられるには、この森はあまりにも危険です。
城には、聖女様のためのお部屋と、聖女様のための花の咲き乱れるお庭、そして聖女様のための料理人など、聖女様のために様々なものをご用意しております。もちろん、お気に召されませんでしたら全て、別のものをご用意いたします。
国王も聖女様の無事を心から望んでいますし、聖女様とお会いすることをとても楽しみにしているのです。それは聖騎士であるわたくしも、周りの騎士たちもです。
救世の聖女様、どうか我々をお助けください。」
『お助けください!』
ベルジュが跪いたまま頭を下げると、周囲の騎士たちも一糸乱れぬ動きで跪いた。
お城に用意されているという、聖女のための広いだろう庭付きの部屋。それだけ聞けば聖女様だともてはやされた年頃の少女たちは、ふらふらとついていってしまうだろう。
しかし、相手はハルである。
25才で既婚者、しかも旦那は転生・転移チートモノのラノベが大好物のラノベオタクだ。
酒を飲んでいても飲んでいなくても口からたれ流れてくるのは、2人で異世界に転移してしまったらどうするかとか、僕の考えた最強のチートスキルとかだ。あとは2人でハマっているMMOの攻略とか、どこどこのラーメン屋が美味しかったとか。
ハルはあまりラノベを読まないが、毎日のように読み漁っている旦那は、事あるごとに口を酸っぱくして言っていた。
「聖女を召喚するような奴はみんなクズ。」
旦那に言わせれば、この目の前の聖騎士とかも含めてハルを聖女として召喚したとかいうこの国自体がクズ、つまりハルの敵だというのである。
それを踏まえて考えれば、城に“聖女様のために”と用意されているのは、とても居心地の良い――鳥かごだろう。聖女を囲うためだけに作られた箱庭だ。
当然そんなところに一歩でも入ってしまえば、もう城からは出してはもらえないかもしれない。それは困るなあとハルは思った。
しかし、全てがそんな王道になっているわけではないだろう、と、ハルは軽い調子でベルジュに聞いた。
「そもそも、私は本当に聖女なのですか?」
「えっ?」
そう、旦那は言っていた。聖女は複数召喚される場合もある、と。
巻き込まれ召喚というやつだ。全員が聖女の場合もあるし、聖女ではないと追放されたほうが実は聖女だったということもあるし、そもそも全員聖女ではなかったということもあるらしい。それのどこが王道なのか、ハルにはわけがわからない。
その話を聞いたハルは、異世界からわざわざ召喚したのだから巻き込まれてしまった側もちゃんと手厚く保護しろよ何様だよ、と憤慨した。旦那は「まあクズだしね。」と笑っていた。
「ハル様は聖女様であるはずです。その服装は我が国のものでも近隣諸国のものでもありませんし、この聖騎士の森は一般の者らは侵入できない場所にあります。国民が無断で入れば、罰せられる神聖な場所なのです。」
「そうなんですね。」
やはり管理された森だったのかと、ハルは周囲をあらためて見回した。
「ハル様は、異世界からいらっしゃったのですよね?」
ベルジュが心配そうな表情で聞いてくる。ハルは、「たぶん?」と首を傾げた。まあ、ステータスなんていうゲームのようなものが表示されているのだから、ここはあからさまに元いた世界ではないだろう。そしてこの世界は、とてもファンタジーな異世界であるはずだ。
……なぜ旦那ではなく、ラノベにさして詳しくない自分が召喚されたのか。謎である。
「ステータスオープン、とおっしゃってください。そうすればきっと、聖女様が聖女様であるという証拠が、刻まれているはずです。」
「えっ……」
ハルは固まった。あのこっ恥ずかしいステータス表示を見られてしまうかもしれないからだ。
「あ、あの、私のステータス?って、ベルジュさんからも見れてしまうのですか……?」
「えっ?い、いえ、ステータスというのは、聖女様の固有スキルとして伝わっている特別なものですから、どういったものかはわたくしどもにはなんとも……ただ、聖女様のステータスがどう表示されるかは伝わっておりませんので、た、たぶん不可視ではないのかと。
それと、わたくしのことはどうか、ベルジュ、とお呼びください。ハル様。」
不可視かどうかはわからない、と。
ハルはさっき自分のスキルを見ていなかったことを多少後悔しながらも、まあ、見られてしまったらしまったでハルが専業主婦、つまり既婚者だと伝わればこいつらの対応が変わるかもしれないと、隠すことをあっさりと諦めた。
「ステータスオープン。」
そして再び展開する、ハルのステータス。
名 前 片陸 春渡
称 号 勇者の加護をもつ類稀なる美しい聖女
職 業 愛らしい専業主婦の聖女
レベル 8(+99)
年 齢 25(固定)
H P 15(+9999)
M P 30(+9999)
STR 5(+999)
VIT 5(+999)
INT 38(+999)
AGI 5(+999)
DEX 25(+999)
LUC 80(+999)
スキル ステータス表示
ステータス開示
異世界語自動翻訳(意訳)
慈愛の微笑み
可憐な後光
聖女の庇護
勇者召喚
勇者の拒絶
勇者への帰還
??????
ハルの頭の中ははてなでいっぱいになった。
ステータス表示・開示と異世界語自動翻訳はまあいいとして、それ以外は内容がさっぱりわからない。スキル名はもっとわかりやすいものにすべきである。ハルがそう思った瞬間、ステータス表示が増えた。
名 前 片陸 春渡
称 号 勇者の加護をもつ類稀なる美しい聖女
職 業 愛らしい専業主婦の聖女
レベル 8(+99)
年 齢 25(固定)
H P 15(+9999)
M P 30(+9999)
STR 5(+999)
VIT 5(+999)
INT 38(+999)
AGI 5(+999)
DEX 25(+999)
LUC 80(+999)
スキル
ステータス表示
(聖女のステータスを表示する)
ステータス開示
(他人のステータスを表示する)
異世界語自動翻訳
(異世界で使われている全ての言語を意訳で翻訳)
慈愛の微笑み
(聖女が癒やしたい者らすべてのHPが完全回復)
可憐な後光
(聖女が癒やしたい者らすべてのデバフが完全除去)
聖女の庇護
(聖女の加護を与える)
勇者召喚
(勇者を召喚する)
勇者の拒絶
(勇者が防ぐことのできる全ての攻撃を自動で完全防御)
????????
やはりハルの頭の中はハテナでいっぱいだった。
聖女なのに勇者と名のついたスキルもあるし、デバフ解除て。ゲームかよ。
色々ツッコミどこはあるものの、いや、これ、この国の人たちに見られたら困りそうだな、と思いつつハルがベルジュに視線を向けると、ベルジュは頭を下げたままだった。周囲の騎士も一切動いていない。
……見るつもりもない、ということだろうか。まあ、見てないならいいや、とハルは展開させていたステータスを消した。
「は、ハル様……それで、いかがでしたでしょうか。」
「聖女、とは書いてありました。」
嘘は言っていない。
ハルの言葉に、ベルジュは心から安堵したような息を吐いた。しかし続くハルの言葉で再び体をかたくする。
「わたしはなぜ、召喚されたのですか?教えて下さい。」
「それは、国王より直々にお話がありますので、わたくしの口からは……。」
「うーん……では、勇者というのは何か、教えてもらってもいいですか?」
「……勇者、ですと……?」
びくりとベルジュが震えたのを感じ、ハルは首を傾げた。
震えてしまったベルジュはしまったと思い、ひどく焦った。
勇者とは、10年ほど前までこの世界で暴れていた、同じ人とは思えないほど恐ろしい力を持っていた者のことである。
ベルジュ本人が会ったのは8才のときで、それは勇者が神に消される2年前であった。
勇者は、恐ろしく強かった。魔王など、一人で倒してしまうほどに。
しかし魔王を倒した勇者は何を思ったのか、残っていた魔族の中から新たな魔王を立て、自らが破壊し尽くした魔族の国を勇者の指揮で再建させた。
これに驚いたのは、神の名のもとに勇者を見定め支援していた神人教である。
魔族は完膚なきまでに滅ぼし尽くして全滅させるべき相手なのだ。
しかし勇者は「魔王は倒したし、もう悪さはしない。勇者は用済みだろう?」と、これまで様々なところで支援していた神人教の声には一切耳を貸さなくなった。
その結果、魔族の国相手に侵略戦争を起こそうとしていた帝国が逆に領土を減らしたり、死霊王と恐れられていたダンジョンの主が実はダンジョンの地下に死霊の国を作っていて獣人の国と交易を始めたりと、神人教にとって都合の悪いことばかりが起こった。
人こそ神に許された唯一の種族という教えである神人教にとって、魔族もエルフもドワーフも獣人もドラゴニュートもピクシーも死霊も全て悪だ。死霊など亜人ですらない魔獣の類である。
しかし勇者はそのことごとくと連携を取り、亜人の国々は結び付きを強め、栄え始めていた。
人々は慄いた。
亜人を救うような勇者の行いのせいで、自分たちに神罰が下るのではないかと。
そういったものらを完全に無視して、勇者は勇者のしたいことだけをして数年が過ぎ、僻地にあるような小さな人の国々が亜人の国と通商条約を結び始めた頃。
唐突に勇者が消えた。
それと同時に神人教は人々に「ようやく我々の願いが聞き届けられ、神罰が下り、神を裏切った勇者は消滅した」と宣言し、勇者は大罪人として歴史書に残されることになったのだった。
ベルジュは、どう伝えるか悩んだ末、静かに口を開いた。
「勇者とは、神を裏切った大罪人でございます。救いを求めた人々ではなく悪しきものたちを助け、神罰によって消滅いたしました。」
その大罪人の加護が、私についてるんですけど!?
とは口が裂けても言えないハルは、小さくうめいて「そうですか……。」とだけ答えた。
「聖女様のステータスに、何か……」
「ええ、まあ。」
「差し支えなければ、教えていただいてもよろしいでしょうか。」
「それはちょっと。」
苦笑いするハルに、ベルジュは困惑した。
――聖女は、世界を救う力を持っているが、勇者と対をなす存在でもある。
勇者が異世界の魂を持ってこの世界に生まれた力ある転生者であるのに対し、聖女は魂の入れ物ごとこちらに召喚された力なき転移者だ。
勇者は恐ろしく強いが、この世界で生まれているためにこの世界の人々同様、聖女を傷つけることは出来ないとされている。そう、聖女は勇者への切り札でもあった。
ベルジュは、異世界から来たばかりでこの世界のことを何一つ知らないはずの聖女の口から勇者という言葉が出てきたことに、これは王に報告しなければならないだろうと思った。
対してハルは、大罪人とか言われちゃってる勇者を召喚なんてしたら大騒ぎになるのかなーなどと脳天気なことを考えていた。
「さ、ハル様。馬車にお乗りください。」
「嫌です。私、何に乗っても乗り物酔いが酷いので。」
これは本当のことである。
車も、バスも、船も電車も飛行機も、そして人力車やラクダでさえハルを乗り物酔いにさせる敵である。そもそも出不精であるハルは、そういったものに乗る機会も年に3回あれば多いほうであったし、自動車免許も持っていなかった。
「それに、救世の聖女を召喚したということは、世界を救わなければならないようなことが起こっているんですよね。私はお城で休むよりも、救いを求めているところに行かなければならないはずです。今すぐにでも。」
馬車にも乗れないのにどう救いに行くのかはさておき、ハルは堂々と言い切った。城に閉じ込められる(かもしれない)なんてまっぴらごめんである。出不精ではあるハルだが、それは居心地の良い自分の部屋から出たくないだけで、知らない土地どころか知らない世界の知らない部屋の中に軟禁されるのとは全く違うのだ。
ベルジュはというと……非常に焦っていた。
なぜならば、この世界に今すぐ聖女を必要としている土地など、どこにもないのだから。
「い、い、え、その、わたくしのような一介の騎士では、聖女様をどこにお連れすればいいのか、判断しかねるのです。どうか、なにとぞ……聖女様を連れて帰ることができなければ、わたくしの首が飛んでしまいます。お願いいたします、ひと目、ひと目でいいので王と話をしてもらえませんでしょうか……」
「うーん……。」
ハルは悩んだ。
旦那は、聖女召喚モノで出てくる召喚者は聖女を物扱いしている外道だと聞き飽きるほどに言っていたが、それはラノベでの話であってリアルではない。しかも時代の流れとともに好かれるストーリーは変わるものだろうし、いっときの流行だからとそれを当てはめてリアルに持ち込むのはよくないのではないだろうか。
この聖騎士ベルジュとかいう人も、私を連れて帰らないと罰を与えられてしまうかもしれないという。それはそれで、ちょっと寝覚めが悪い。
本当に困りに困って聖女を召喚したのならば、アキは、聖女としてこの世界の人々を救うべく精一杯務めたいと思っていた。そうして、ちゃんと旦那の元に帰らなければならないのだ。
……私が突然消えて、自分で言うのもなんだが私を溺愛している旦那はきっと寂しがっているだろう。私だって、旦那に会えないのは寂しい。旦那からラノベでの聖女召喚の話を聞いていなければ、こんなに落ち着いてはいられなかっただろう。帰ったら感謝を伝えなければ。
ハルはそんなことを考えつつ、口を開く。
「じゃあ、話だけなら……。」
とうとうハルは街頭アンケート詐欺に引っかかったときのような言葉を吐いて、ベルジュの言葉に乗ってしまった。