~たぐいまれなるうつくしいせいじょ~
出落ち。
目覚めると、そこは森の中でした――
「不親切。」
ハルはむっくりと起き上がって目の前に広がる現実をばっさりと斬り捨てると、後ろ頭に違和感を感じて眉をひそめた。手をやると、ややしっとりした落ち葉が何枚も髪に引っかかっている。マダニとかも一緒にひっついている気がして、ハルは嫌そうに顔をしかめた。
枯れ葉を落としつつ立ち上がって自らを見れば、服装は今朝家を出たときのままだ。白いまるい襟のついた七分袖の薄水色のワンピースと、申し訳程度にレースの付いた灰色のレギンスに履きなれた茶色のサンダル。
どう見ても森に行くような格好ではない。強いていうなら近くのコンビニにゲームカードを買いに行くときの格好である。
お気に入りの肩掛け鞄は見当たらないが、家を出た直後以降の記憶がないのでたぶん扉の前に落ちているのだと思いたい。
あたりを見回すが、木と茂みと雑草しか見えない。日当たりがいいので管理されている森なのかもしれないが、だからといってクマとかが出ないとは限らないのだ。あとはイノシシとか、マムシとか、ムカデとか、ハチとか、毒クモとか、ヒルとか。
ハルはものすごく嫌そうな顔で背中やお尻にもついていた葉を落としながら、とりあえずこういう場合に言わなければならないという言葉を――教えられていたとおりに、一言一句間違えないようしっかりと紡いだ。
「…………すてーたすおーぷん。」
途端に、さも当然のように目の前に展開したのは、ハルのステータスだった。
名 前 片陸 春渡
称 号 勇者の加護をもつ類稀なる美しい聖女
職 業 愛らしい専業主婦の聖女
レベル 8(+99)
年 齢 25(固定)
H P 15(+9999)
M P 30(+9999)
STR 5(+999)
VIT 5(+999)
INT 38(+999)
AGI 5(+999)
DEX 25(+999)
LUC 80(+999)
「たぐい、まれなる、うつくしい、せい、じょ……?」
ひどくゆっくりとした仕草で片手で目を覆いつつ自らのステータスから視線を外して、ハルはとぎれとぎれにそうつぶやいた。
「これは、ひどい。罰ゲーム、かな……」
つぶやきながらも、確信する。
ステータスが出てきたということはつまり、ここは……異世界。
ステータスなんてものがあるのだから、たぶん何かしらのゲームっぽい世界なのではないだろうか。ハルは実にたくさんのVRMMOをしてきたのでどれかはわからないが、とにもかくにもハルがいた世界とは全く違う世界だろう。俗に言う、異世界転移というやつである。
「異世界のマダニ……」
ハルはもう何も付いていないはずの自らの後頭部を、無心に手でぱたぱたとはたき続けた。
――――俺の聖女♡
毎朝仕事に行く前にそう言いながら満面の笑みでキスしてくる旦那の声がありありと思い出される。
この【勇者の加護をもつ類稀なる美しい聖女】などという長ったらしい称号は、どう考えても旦那の影響なのではないだろうか。聖女ならただの聖女でいいだろ。勇者の加護?勇者って誰だよ知らねーよ。ハルは心からそう思った。
ただ、異世界基準ではたぶんぼろっぼろに弱いのだろうステータスをあほみたいな数字が底上げしているのはこの称号のおかげだと、ハルはなんとなく理解していた。これがなければ異世界で生きていけないのかもしれないので、まあ、しょうがない。目をつぶるしかない。他人にさえ、称号を見られなければ問題ないのだ。ハルは自分に言い訳をした。
【愛らしい専業主婦の聖女】というのも、旦那の悪影響だと考えられる。なんで私の異世界転移に旦那の思考が反映されているのだろうかと、ハルは頭が痛くなった。
専業主婦の聖女というのがまずおかしい。専業主婦か聖女かはっきりしろよ。っていうか聖女って清らかな乙女とかがするもんじゃないの?25才の既婚者で聖女とか恥ずかしいんですけど?
内心で山ほどつっこみまくるが、しかしこれも就いていないと困る類のものだとハルはなぜか悟っていた。これのおかげでハルの年齢は25で“固定”されているようなのである。そう、固定だ。さっすがファンタジー年老いないとかすごい、と、がらにもなく少しハルのテンションはあがった。
ハルは気を取り直してステータスの下に続いたスキルに視線を向け――ようとしたところで、ザクザクと枯れ葉を踏む足音が聞こえて、視線を上げた。クマっぽくはない、というか野生生物っぽくない規則的な足音。つまり、人間の足音だ。それも複数。あと、たぶん、馬?
ハルは逃げるべきか隠れるべきか一瞬思案したが、隠れる場所もなければ木にも登れないし走って逃げても足音だだ聞こえだろうと諦め、移動はせず足音の主を待ち構えることにした。
§§§§§§§§§§
「何ッ!?聖女様が見つかった!?」
「はっ!聖騎士の森の中ほどで保護いたしました!」
聖騎士ベルジュが勢いよく立ち上がったので、座っていた粗末な軽い木の椅子がカタンと軽い音をたてて後ろに倒れた。しかしそんなことにすら気づかず、ベルジュはそばに繋いでいた月毛の愛馬にさっとまたがる。
「案内しろ!」
「はっ!」
――大失態であった。
救世の聖女を召喚するのは、城内の一番高い――国王の寝室よりも高い位置にある、召喚の儀を行うためだけに設えられた広間のはずだった。厳かで、しかし女性が好みそうなステンドグラスが随所にはめ込まれた幻想的な作りの、聖女のためだけの礼拝堂だ。
召喚した直後に案内するはずだった城の中に聖女のために設えられている部屋には、異世界から呼び寄せてしまった聖女の心を癒やすための宝石やらドレスやらが揃えられている。威圧感のない落ち着いた当たりの良い壮年の従僕と、甲斐甲斐しく世話を焼き話を聞くのがうまい年のいった優しい侍女が1人ずつ用意され、厨房にはどんな味付けにも対応できるよう複数人の料理人が集められて待機していた。
聖女の部屋から直接出ることのできる中庭は美しい花々で彩られ、季節ごとに聖女の名を冠した実を生らせる果樹がそれぞれ植えられていて、その果実は国王でさえ聖女の許しがなければ食べることはできない。
聖女が、自分たちとこの国を嫌わないように。そのためだけに、美しく優しいものだけを集めて聖女だけのための楽園を作った。そして10人いる王子のうち4人が聖女に侍る聖騎士として、聖女の召喚を待っていたのだ。
此度の聖女召喚の儀式は、いつもならば国王だけで行う聖女への祈りを聖騎士も含めて5人で行い、神への祈りは枢機卿を使うところを教皇にし、万全の体制で滞りなく終わる、はずだった。
勝手知ったる森を馬で駆けながら、聖騎士ベルジュは舌打ちする。
事の起こりは8年前――ベルジュが12歳のときだ。
ベルジュはまだ幼いということで、聖騎士の修行はこなしてはいたが選ばれなかった。そもそも聖女についてもよくわかっていなかった。
おおよそ100年ぶりだという聖女を召喚する儀式は盛大に行われ……しかし、失敗した。
城に保管されていた聖女関連の記述には、召喚が失敗するなどどこにも書いてはいなかった。当時聖女の召喚に関わった者たちは大混乱に陥り、神への祈りを捧げていた枢機卿は地方の高位神官へと職を追いやられた。
それから4年後、つまりは今から4年前に再び聖女召喚の儀式が行われた。しかし、またもや失敗。そのときも枢機卿が高位神官に落とされたらしい。
そうして三度、聖女の召喚の儀式が行われた。
救世の聖女を召喚できるこの小さな国は、広大な領土と軍事力を誇っている帝国からも一目置かれている。それはつまり聖女を召喚をしなければ――攻め込まれる可能性もあるということだ。諦めるわけにはいかなかった。
結果は、見てのとおりである。
国王もベルジュを含めた聖騎士らも最初はまた失敗かと落胆していたが、神への祈りを捧げていた教皇はひどく慌てた様子で国王にひれ伏して言った。
「召喚は成功いたしました。ただ、その……やはり何者かの邪魔が入り、聖女様を城内に召喚することは叶いませんでした。」
次に慌てたのは国王と国の重鎮たち、そして聖騎士たちだ。
聖女として召喚されるのは10代半ばの少女であるという。
そんなうら若き乙女が前触れも何もなくいきなり知らない土地に落とされてしまったとする。そのとき、もし肉食獣に出会ってしまったら――?
聖女の体は聖なる加護で護られているというが、いきなり殺意を向けられ襲われるという体験は聖女の心に影を落とすだろう。最悪、自分を召喚したものたちによくない感情を抱くかもしれない。そうなるわけには、いかないのだ。せめてもの救いは、この聖騎士の森には追い剥ぎや魔獣がいないことだろうか。
聖騎士でありこの国の第五王子であるベルジュは、ぎりりと奥歯を噛み締めながら聖女の元へ風のように疾走った。