vs.転校生②
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玄関から最初に目に入った襖に手をかける。
そっと開けて窺うように中を覗き込めば、そこは広い板の間に繋がっていた。
円卓のテーブルを挟むように大きなソファーが対になって置かれ、天井には鈴蘭みたいな形のレトロな照明が吊るされてる。
どうやら客間みたい。
飾り気がなくて質素だけど、きちんと整えられた落ち着いた空間。
部屋を横切れば反対側は、天井の高い長い廊下が続いていた。
「ご、ごめんくださーい…」
自分でもか細いって分かる声を出しながら、恐る恐る家の奥へと入っていく。
電気はついてなかったけど所々に窓があって外の明かりがぼんやり入ってきてたから、暗くて行く先が見えないってことはなかった。
廊下に面した部屋は障子やドアが開け放たれたままの所が多くて、天井が吹き抜けになってる畳の居間だったり一昔前の土間の台所だったりと、どこか懐かしさを感じる光景が続く。
ただ人の気配はなく、俺の声だけがむなしく響いた。
(外から見た時も思ったけど…空気が停滞してるっていうか、時が止まってる感じ…)
ただ外から見たのとは違って明らかに家の中が広く感じた。
お山のイオリくんの祠や、弥勒くんの箱庭で体験したのと同じ既知感。
窓から外の景色はよく見えなかったけど大粒の雨が打ち付けてるのが分かって、天気予報の通りどしゃ降りになったみたい。
けど不思議なことに、家の中に雨音は聞こえてこなかった。
これも結界の効果なのかな…?
『あらコータ、荷はそれだけ?』
『おやコータ、破魔矢は持って行かぬのか?』
いくつかの部屋を通りすぎる中、ふと家を出る前のみーちゃんとひーくんの言葉が不意に頭を過った。
そう、俺が今持ってるのは肩から斜めがけしたショルダーバッグ一つだけで矢筒はなし。
バッグの中身もあやかしとは全然関係ない私物が入ってたりする。
何が起こるか分からないからお守り代わりに持っていってもいいんじゃないかって、ひとつ目の小さな友達ふたりは言ってくれた。
確かに破魔矢は子供の俺でも使える武器で、実際オオヌマやヤツユビの時もすごく助けてもらった。
けど…
『戦いに行くわけじゃないし、俺一人なら身軽な方がいいかなって。矢筒って普通に目立つし、敵意があるって転校生にこれ以上誤解されちゃ話すことすらできなくなりそうだもん』
イオリくんやみーちゃんひーくんが傍に居ない今回、破魔矢があったら確かに俺は心強い。
けど自分が安心するより転校生を刺激しないことの方が一番かなって思った。
何の武器も持ってない俺単体にあれだけ警戒してたんだもん。
怪しくないよ危害加えるつもりないよっていくら笑顔で言ったところで、ゴリゴリに破魔矢を装備してちゃ説得力の欠片もないよな。
(襲いかかられて泥だらけになったけど、俺自身怪我の一つしてなかったし。それにもし悪いヤツが近くに居たとしても、俺の破魔矢がどこまで通用するか分かんないもんな…)
家を出る時は転校生が誰かに追われてるかもしれないとか思いもしてなかったけど、分かってたとしても結局俺の選択は変わらなかったと思う。
これまで俺の破魔矢がある程度通用したのは、イオリくんや他の助けがあったからだって重々自覚してる。
だからみーちゃんとひーくんも言ったんだ、“お守り代わりに”って。
ビビりな俺は自分の力を過信しない。
だからもし藍村さんや加賀美さんの話が本当で転校生がどちらかの子供で、近くに誘拐の犯人が潜んでたとしても、そんな怖いヒトの相手は普通に他の大人達に任せます。
俺は俺で転校生の手を引いて即行で逃げて、そのまま弥勒くんに助けを求める。その方が確実。
オオヌマやヤツユビみたいに明確な敵が分かってるならまだしも、正体不明で力の強さも分からない相手に小学生の自分が敵うなんて未来を夢見るほど俺はヒーロー思考になれなかった。
(これでもし弥勒くんも居なくて完全に俺一人って状態だったら、心細すぎて“お守り”が必要だったかもしんないけど…)
自分の身の安全と心の平穏、それと引き換えに転校生に与えてしまう悪印象、イオリくん曰く最低限命の保証はしてくれるだろう天狗さまの存在。
それらを俺なりに足し算引き算して考えた末の決断だった。
そんな俺の選択に、イオリくんは特に何も言わなかった。
“無謀だバカガキが”って罵倒もとい反対することも“いいんじゃねぇか別に”って放置もとい賛成することもなく、ただチラッと俺を一瞥したあといつも通り窓際のクッションの上で横になってた。
一人きりの現状に、恐怖や心細さは消えない。
親候補が三人っていう予想外の展開に、不安や心配は尽きない。
けど俺のスタンスっていうか、目的は変わらない。
戦いに来たわけじゃない。
ワケアリな転校生のワケアリをどうにかできるならどうにかしたい、ただそれだけだった。
「…あんな顔されちゃ、ほっとけないもんな」
ポツリと。
思わず口からこぼれた独り言は、イオリくんや弥勒くんに聞かれてたらまた呆れた目を向けられてただろう。
けど脳裏に焼き付いて離れない転校生のあの怯えを含んだ切羽詰まった表情は、俺の心の天秤を片方に傾けるには充分だった。
「…ん?」
その時フワッ…と空気の流れを感じた。
どこか窓でも開いてるのかと不思議に思って見回せば、さっき見た時は壁だったはずの場所にぽっかり穴が開くように入り口ができてるのが目に入った。
キラキラと綺麗なビーズでできたカーテンが微かに揺れていて、引き寄せられるように足を向ける。
シャラッと縦に繋がったビーズをかき分ければ、そこは今まで以上に広く明るい空間に繋がっていた。
「わ、すご…」
まず目に入ったのは大量の本と天井まである本棚だった。
木製の棚が規則正しく等間隔に並んでいて、本独特の匂いがふわりと香る。
ばあちゃん家の裏庭にある倉の、雲竜さんの秘密の部屋に似たような雰囲気。
ただあの部屋は本だけじゃなく色んな物が雑多に溢れてたけど、ここは明治や大正時代に建てられた図書館のような印象を受けた。
レトロで、静かで、整然とした落ち着いた空間。
さっきまで感じてたジメジメと湿気た空気は消え、心なしか少し涼しい。
本棚の間を進めば少し開けた場所に出て、そこに大きなアイボリーの机が置かれてるのが目に入る。
どうやらここは書斎みたい。
机の上にも本や書類、万年筆なんかの筆記具が置かれてたけど革張りの椅子には誰もいなかった。
他の場所より部屋が明るく感じるのは、壁一面がガラス張りになっててカーテンも開いてるからかな。
雨がぶつかって滝のように流れていくのを素直にきれいだなって思いながら眺めていた時、奥の窓際に置かれた椅子に誰かが座ってるのに気がついた。
(――…あ、)
背もたれの高い、籐で作られた一人掛けの椅子。
そこにゆったりと座る人物に、思わずぽかんと口が開く。
最初に目を奪われたのは、腰まであるストレートの長い髪。
それは人とは思えないきれいな白銀色をしていて、長い睫毛の先や切れ長の眉まで同じ白銀に輝いていた。
肌も陶器のように白く作り物のようにきれいで、人外めいた中性的な顔立ちに思わず見惚れる。
(すげー、綺麗なヒト…)
まるで一枚の絵画を観てるようっていう表現がぴったり当てはまるくらい、美しいってこういうヒトのことを言うんだって思った。
小さな菊の花が刺繍された鮮やかな羽織を肩にかけてたけど、下にシックな利休鼠の男物の着物を着てるのを見て男のヒトだっていうのが分かった。
そろそろと近づく。
眠ってるらしく、瞼は伏せられたまま。
間近で見た白銀の髪は光の加減で水色や薄紫にも見えて、ほへーっとますます見惚れてしまう。
「す、すみません。あの、お邪魔してます…」
「――…」
寝てるところを起こしちゃ悪いって思ったけど、ようやく出会えた第一住人に話しかけないなんて選択肢あるはずもなく。
明らかに人とは思えない神秘的な容姿はあやかしかもしれないって用心するには充分だったのに、俺が警戒心なさすぎるのか不思議とそういう気持ちはわかなかった。
むしろどうしてだか、ひどく懐かしい気持ちに襲われた。
こんな綺麗なヒト一度見たら絶対覚えてる、けどいくら記憶を遡っても思い当たるふしが見当たらない。
なのに、どうしてだろ。
見てるだけで恋しく、けど少し寂しくなるこの感情は。
(俺…このヒトのこと、知ってる…?)
ただ何度か呼び掛けても起きる気配がなくて、おずおずと遠慮がちに肩を軽く揺すってみる。
けれど依然瞼は伏せられたままで、徐々に不安な気持ちが芽生え始めた。
ざわざわとした違和感、というより予感。
それを振り払うように、手すりに置かれたそのヒトの手にそっと自分の手を重ねた。
「あの…、――っ!?」
驚いて、すぐに手を引っ込める。
手のひらが感じたのは、氷みたいに冷たく固い感触。
それは生きてるヒトじゃあり得ない体温で、手のひらから伝わる情報に心臓が嫌な音をたてる。
そして、ようやく気づく。
感じた違和感の正体は、さっきから一切上下することのない胸元。
近づけば感じるはずの、呼吸の音や空気の流れ。
(このヒト、息…してない)
精巧に作られた人形?
いや、違う。
これは…ううん、このヒト。
もうすでに、死ん――…
「じじさまに触るな」
すぐ耳元で、声が聞こえた。
やっぱり少し驚いてしまったけど、今回は戸惑うことなく落ち着いた気持ちでゆっくり後ろを振り返った。
すぐに本棚の間に佇む存在を見つける。
今日はフードを被ってなくて、豊かな三つ編みの黒髪は背中に垂れたまま。
漆黒の瞳に褐色の肌。
口を交差する、歪な縫い目。
俺から距離を取りつつ、いつでもどうとでも動ける位置からアイツが――転校生が、ジッとこちらを見据えていた。




