café PHANTOM
七月に入って日差しの強さが急に変わったように感じる。
ジリジリと肌を焼くような暑さが増して、チラホラ聞こえてた蝉の鳴き声が大合唱に変わった。
家のカレンダーに“孝太終業式、夏休み突入!”って書かれてるのを目にする度にわくわく、日に日に来る夏休みへの期待が増していく。
ただあいにくと今日は朝からパラパラと小雨模様。
西から大きな雨雲が流れてきていて午後からドッと雨が降るらしい。
それを越えればもう梅雨も明けて本格的な夏が始まる。そんな週末のこと。
「いらっしゃいませ」
カランコロンと扉のベルが音を立てる。
足を踏み入れれば身体を包み込んだのは涼しいクーラーの風と、香ばしいコーヒーとパンの香り。
俺が訪れたのはいつもの通学路から少し外れた路地にある、小さな喫茶店『café PHANTOM』だった。
昭和テイストのレトロな店内。
カウンター席とテーブル席があって、数人のお客さんでちらほら埋まってた。
カウンター内の壁の棚にはガラス瓶に種類ごとに保管されたコーヒー豆と、おしゃれなティーカップセットが等間隔にきれいに並べられて飾られてる。
丸いフラスコ瓶を逆さにしたようなコーヒーメーカーや店内に流れる音楽が、どこかノスタルジックな気持ちにさせる。
入り口の傘立てに傘を預けて落ち着いた店内を見回せば、カウンターの中からバリスタの制服を着た店員のお兄さんが声をかけてくれた。
「お客さま、お一人ですか?」
「あっ、えっとその、待ち合わせしてて…!」
柔らかな笑顔と子供扱いじゃない丁寧な接客。
何だか自分が一人前の大人になったような気がしてそわそわドキドキ、思わずぴんっと背筋がのびる。
けどすぐに一番奥のテーブルからひらひらと手が振られてるのが見えて、あっと小さく声をこぼすと俺は気持ち早足でそのヒトに近づいた。
「ちょっと孝太クンおっそいんだけどー、俺を待たせるなんて良い度胸してんねー」
「ごっごめん、出る時に母さんに捕まってゴミ出し手伝わされて…」
俺をここに呼び出した張本人、チャラ天狗こと個性派イケメンな弥勒くんがアイスコーヒーを啜りながらサングラス越しにこちらをジロリ。
約束の時間までまだあったけど短い付き合いの中でも弥勒くんの性格はバッチリ把握、素直に謝りながら向かいの席に腰かけた。
肩に斜めがけしてたショルダーバッグを隣に下ろす。
それなりの年月の経った茶色い合皮のソファーは座り心地はよかったけど、賑やかなファミレスやファストフード店くらいでしかテーブル席に座ったことのない俺は大人な店内にやっぱりそわそわしてしまう。
(キャラ物のTシャツにハーパンっていういつもの格好で来ちゃったけど、もうちょっとちゃんとした服着てくればよかったかな…。せめて襟つきのシャツとか…)
十歳、小学五年生。
実年齢よりちょっぴり大人に見られたい、そんなお年頃の俺です。なんて。
「俺ん家わりと近所なのに、こんなところに喫茶店があるなんて全然知らなかったや。あんな優しそうなイケメンお兄さんがバリスタしてる喫茶店とか、母さん達のママ友情報網に引っ掛かっててもおかしくないのに」
「そりゃーね。場所を選ぶから、この店」
「?」
どういう意味だろ?
テーブルに立て掛けてあったメニュー表を開きながら弥勒くんの不思議な表現に首を傾げれば、カランと涼しげな音と共に氷の入ったお冷やが俺の前に置かれた。
たった今話題に出した穏やか系イケメン店員なお兄さんと目が合い、微笑まれる。
「ご注文はお決まりですか?」
「ホットのブレンド、ブラックで」
「えっ、ちょっ弥勒くん…!」
俺への質問を弥勒くんが横取り。
明らかに意地悪でしかない注文、蒸し暑い中来た今の俺にホットもブラックも酷でしかないんだけど…!
けどそんな弥勒くんの返答に店員のお兄さんは困る様子もなく慣れたように微笑みで受け流すと、俺の手元にあるメニュー表をそっと指差してくれた。
「こちら、今の時期ですとクリームソーダがオススメですよ」
「! おっお願いします」
白いソフトクリームと赤いチェリーの載ったクリームソーダのイラストが涼しげに描かれてて、俺はお兄さんに勧められるがまま一も二もなく頷いた。
やった、実はメニュー開いた瞬間から気になってたんだよな。わーい。
俺だって一応コーヒーくらい飲めるけど……ミルクと砂糖たっぷりなら、でも鮮やかな緑色の誘惑に勝てるわけがない。
「俺もコーヒーお代わり、上にアイスも載っけてー」
「かしこまりました」
追加注文を伝票に書き込んだお兄さんがカウンターの奧の調理場に消えていくのを見送ると、ひとまず目の前のお冷やをごくり。
そして正面の弥勒くんをチラリ。
他のお客さん…って言ってもカウンターで新聞を読んでるロマンスグレーなおじいさんと、離れた別のテーブル席でパソコン開いてる女の人しか居なかったけど。
それでも周りの迷惑にならないよう声をおさえながら、俺は本題に入るよりも先にさっきからずっと気になりっぱなしだった事に突っ込んだ。
「弥勒くん髪黒っ、どうしたのそれ」
そう、あの目に痛いくらい真っピンクな弥勒くんの髪が今日はなぜか真っ黒に。
長さは変わらず後ろでくるっとお団子にしてて、服装もダボッとした白のシャツに黒のハーパンと今日はシンプルめな格好。
サングラスは相変わらずつけてたけど、超個性派イケメンからちょっとおしゃれな正統派イケメンに変貌していた。
小さな店内でお客さんも数人しか居ないのに、すぐに弥勒くんに気づけなかった理由がこれ。
髪の色が黒ってだけでマトモに見えるから不思議、イメチェンで染めたのかな?
…ん? でも、あれ?
「なんか、たまに戻って…る…?」
何回かに一回、瞬きすると弥勒くんの姿が元のピンク頭に戻って見えるのに気がついた。
え、なにこれ。目がサブリミなって変な感じするんだけど。
「…ホント、目だけはいいみたいだね。目だけは」
ズズッとアイスコーヒーの残りを飲み終えた弥勒くんが意味ありげにクッと口の端を上げる。
「べっつにー? 初めましての相手と会うのに場所を選んで格好を選んで態度を変えるなんて、人間社会じゃ珍しくもないことっしょ。特に今回は“口縫いの子供”なんていういかにもワケアリな、とりわけ見えない人間にとっちゃ怪しげでオカルトめいた非現実的な話の内容になるのは避けらんないんだから。来るのがどんな奴にせよ、最初から変に警戒心持たれちゃ話進まないからねー」
「…えっと、つまり髪を染め直したわけじゃなく化けてるってこと?」
「一時的に、ね。市販のスプレーで染めんのもいいけど数時間くらいならこの方が楽で早いし」
へええ、便利だなー。
ゲームのアバターを着替えさせるみたいな手軽さで髪の色変えられるとか。
警戒心、かぁ。
確かにネット経由で知り合った初対面の人と会うってだけでも緊張するのに、待ち合わせ場所に真っピンクなチャラ男が居たら尻込みするかもしんないけど。
ただ、ちょっと意外。
人目とか気にせず我が道を行く感じなのに弥勒くんって。
相手が自分にどんな印象を抱こうが自分のペースに話を持っていけるだけの話術持ってるし、相手に合わせて外見を取り繕うとかしないタイプだと思ってた。
そんな少しの違和感を抱きつつも一応疑問が解消されて納得した俺は、もう一度お冷やで喉を潤すとようやく本題へ。
「それで、その“初めましての相手”って、転校生のこと知ってるってヒトが今からここに来るってことでいいんだよね…?」
SNSで転校生の情報を募ったのが今週初めのこと。
わりとすぐに連絡があったからてっきり弥勒くんの知り合いくらいのヒトが来るのかと思ってたけど、弥勒くんの口振りからするとどうやら違うみたい。
“来るのがどんな奴にせよ”ってことは相手がどんな人間なのか…いや、あやかしか人間なのかも知らないのかもしれない。
それでも他に何か少しでも情報がないかと思って、無意識に居ずまいを正しながら弥勒くんからの答えを待つ。
「最初に連絡を寄越した奴は噂を知ってるって程度だったけど、そこから伝って伝って一応自称“完全な関係者”まで辿り着いたよ。ただ最近になって別口からも連絡があってさー」
自称関係者? 別口?
全然話が見えなくて眉を寄せる。
テーブルに肘をつきながらスマホをいじってた弥勒くんが、ピッと指を上げて見せた。
「なんと転校生クンの親を名乗る人物が、三人」
「さ、三人…!?」
「そっ、なんだか面白くなってきたよねー。個別にアポ取るのも面倒だから纏めて呼びつけちゃった」
「纏めてって、それってつまり…」
カランコロン。
その時背後で扉のベルが鳴り、新たな来客を告げた。




