雨音チェイサー
明けましておめでとうございます。
マイペースな更新が続きますが今年も俺様ギツネと小5男子を宜しくお願いします。
通学路に青いアジサイの花が咲き誇る、梅雨真っ只中の6月下旬。
ニュースで美人の女子アナウンサーが今年の梅雨明けは例年より早いでしょうって言ってたのを思わず疑っちゃうくらい、ここ連日やむことなくずっと雨の日が続いていた。
色とりどり、柄の種類もさまざまな傘が道を行き交う。
クルクル、クルクル。
同じ小学校の子たちが自分のお気に入りの傘を回しながら友達と楽しそうに下校する中、俺はひとり必死の形相で全力疾走していた。
(ひいいいいいっ!)
バシャバシャバシャ!
スニーカーが濡れて中がぐじゅぐじゅになるのもいとわず水溜まりを突っ切って歩く人の脇を駆け抜け、最短距離で帰り道を走り続ける。
顔面にも雨が当たる。
片手で差してる傘はただもう持ってるだけで、その役割をほとんど果たしていなかった。
息も絶え絶え、チラッと後ろを振り返った俺は再び心の中で悲鳴を上げた。
(なっ何で付いて来るんだよおおお!?)
ほんの10メートル後ろ。
雨で視界が悪い中でも俺の目はハッキリとその姿を捉えていた。
頭があって2本足で歩くシルエットは一見すると普通の人の形。
けど身長は周りに居る大人達よりずっと高い…異様なほどに。
その上腕に当たる部分は見当たらず、まるで肩辺りでバッサリと切られたみたいな姿をしていた。
服も着てない。上から下まで全身鈍色の肌。
何よりそいつには…顔がなかった。
目も鼻も耳も。
唯一ポッカリ開いた口らしき部分から不明瞭な声を零し、上半身を左右に揺らしながら俺のあとを追ってくる。
『お、お、お、お…』
~っ、怖すぎるってえええ!
走ってる俺と歩いてるそいつじゃスピードが違うはずなのに、どうしてだか差が開かない恐怖。
なりそこないののっぺらぼうみたいな奇妙な生き物を前に、俺以外の道を行き交う人達は誰も何の反応もしていない異常。
間違いなくあれは人じゃない、あやかしだ。
「ぜえ、ぜえ、ぜえ…!」
マンションのエントランスを突っ切って、エレベーターが来るのを待ってる時間も惜しくて一気に6階まで駆け上がった。
乳酸が溜まった膝をガクガクさせながら廊下の一番奥、角部屋に当たる自分ちの玄関の前にたどり着く。
けどズボンのポケットに手を入れたところで、俺はザッと顔を青ざめることになった。
「うっうそ、鍵がない!?」
いくらポケットを探してもどこにもうちの鍵がない!
父さんは朝から仕事、母さんもママさんバレーの定例会で出掛けてるのは知っていた。
その時ベシャッ!という音が聞こえ、恐る恐る階段の方を見ればそこにはさっきまではなかった大きな水溜まりが広がっていて…
『お、お、お、お…』
きっ来たああああ!
「~っイオリくん! 居るんでしょイオリくんお願いだから鍵開けて!」
ピンポンピンポンピンポンピンポン!
傘を放り投げ涙目になりながらインターホンを高速で連打。
近所迷惑も考えずドンドン玄関のドアを叩く。
お願いだから留守じゃありませんように!
むしろ居留守を使われませんように!
お願いだからイオリくんここ開けてえええ!
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!
――バンッ!
「! イオリく…うぐっ!?」
ようやく開いたドアにパッと目を輝かせた次の瞬間、ガッ!と大きな手に口が塞がれた。
同時に耳の下のツボから顎にかけて激痛が走る。
ギリギリと増す握力。
そのまま上に持ち上げられて、軽くつま先立ちになった。
「――…圧死か窒息死か、選べクソガキ」
「!!!」
どうやら寝起きでこの上なく不機嫌モード全開のイオリくんに“die or die”の二択を突きつけられ、今度は別の意味で心の中で悲鳴を上げた。
わざとじゃない! わざとじゃないって!
ビッ!ビッ!と廊下の先を指差して精一杯主張すれば、ようやくイオリくんの注意が俺からそれる。
『お、お、お…』
「んあ?」
鈍色のっぺらぼうはもう俺達の目の前まで来ていて、イオリくんの前で立ち止まるとまるで覗き込むように上半身をグッと屈めた。
パッと、イオリくんの手が離れる。
痛みを引きずりながらも俺はすぐさまその背中に隠れた。
近くで見るとコンクリートをブヨブヨにふやかしたような独特な肌をしていて、その気味悪さにゾゾゾッと背中に悪寒が走る。
けどイオリくんは特に慌てるでも敵対するでもなく、『お、お、お…』と意味のない言葉を出し続ける鈍色のっぺらぼうをジッと見上げたあと呆れたように息を吐いたんだ。
「“落とされましたよ”、だとよ」
「…へ?」
背中の俺を振り向きながら唐突に振られた言葉に思わずキョトンとしてしまう。
落とされましたって、なっ何のこと…?
「“そこの坊っちゃんが横断歩道を渡る時に、鈴のついた鍵を落とされましたのでお渡ししたく思い追いかけた次第でございまして…”…って、おいお前、こんなガキにそんな畏まらんでいい。ただ見えるってだけでどっかの神主の家系ってわけでも高貴な血筋ってわけでもねぇ、ただの普通のクソガキだ」
『…お、お、お』
鈍色のっぺらぼうと会話らしいものをしてるイオリくんにボケッと呆気に取られてた俺は、そこでようやくハッとする。
いっ家の鍵…!
ポケットにないのはてっきり朝家を出る時に持っていくのを忘れたからだって思ってたけど、さっき落としちゃったからってこと…!?
んでもってこのあやかしは、わざわざそれを渡そうと追いかけてきてくれたってこと…?
イオリくんの通訳の口調からすると、どうやらこの鈍色のっぺらぼうは思ってたのと違ってすごく紳士的なあやかしみたいだった。
「な、なんだ…。てっきり俺、もっと怖いあやかしかと…」
「チッ、つまんねぇことで大騒ぎしやがって。おいお前、ちょっと待ってろ。某か包んでやる、駄賃だ」
『お、おお、お』
鈍色のっぺらぼうにそう言いつけると、寝起きで乱れた髪をガシガシかきながらイオリくんはひとり部屋の中に戻っていった。
玄関口に残された俺と鈍色のっぺらぼう。
廊下の外じゃ変わらずしとしと雨が降り注いでいた。
無害なあやかしなんだって分かったけど近くで見るとやっぱり怖くて、肩の力は抜けないまま。
それでも俺は拾ってもらった鍵を受け取ろうと、意を決してそろそろと手を差し出した。
「え、えっと、拾ってくれてありがとう…ございます」
『お、お、お』
お礼の言葉に対して、どこか嬉しそうに腕のない身体を左右に揺らした鈍色のっぺらぼう。
それからさらにグググッと前のめりになると、なぜか俺の手に顔らしき部分を近づけてきて…?
ていうか、あれ…?
拾ったって言ってもこのあやかし、手がないのにどうやって…?
――ベシャッ!
「~っ!?」
突然手のひらを襲ったのは、冷たくて粘ついた触感。
目に映ったのは、ぬらぬらと鈍色に光るスライムのような塊が手のひらにぶちまけられた光景。
重力のおもむくまま指の隙間からぬと~っと零れ落ちる粘液の気持ち悪さに、ついに俺は我慢できず甲高い悲鳴を上げたのだった。
「ひっ、ひやああああ!!!」
鈍色のっぺらぼうの口らしき部分から吐き出された鈍色スライムの中には、俺んちの鍵がキラリと光っていた。




