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vs.ヤツユビ④(※流血表現有)






――ハア、ハア、ハア…!


 ようやく、攻撃がやむ。

 涙で頬を濡らした雄大の、荒い呼吸の音が静かな廊下に響いた。

 カツ、カツ、と。

 親のヤツユビが一歩ずつゆっくり近づいてくるのが分かったけど、全身が悲鳴を上げて俺は動くことができない。


「我が子のひとりを殺したのがこんな子供だなんて、実物を見ても信じられなかったけど。私の脳糸のうしから自力で逃れるなんて、なかなかどうして見所のある子だこと」

「うっ…、うっ…」


 雄大を操ってるのとは別の手で、右の手首を掴まれた。

 目線の高さに俺の顔がくるよう、腕一本で身体を持ち上げられる。

 右肩に全体重がかかって、ミシッ…と別の痛みが走る。

 床から足が離れて、何の抵抗もできずに俺の身体が宙に浮いた形になった。


「私の糸を切ったのも、お前ね」

「っ、だったら、何だってんだよ…!」


 痛みと恐怖で涙目になりながらも、最後の意地でキッと目の前の顔を睨み付けた。

 でもきれいな顔をした女の人の口から突然べろぉっと異様に長い舌が垂れ出たのを見て、ゾッと鳥肌が立った。

 俺の頬についた血を、長い舌で下からぬろぉっと舐め上げる。


「ヒッ…!」

「ああ、やっぱり人間の子供の血はいいわ。その上この味。友に襲われた悲哀、苦痛に満ちた身体、死への恐怖。極上の、絶望の味がするわ」


 恍惚な笑みを浮かべ、歓喜する白衣の女。

 興奮したせいか、その口角がピキピキと横に裂けはじめた。

 赤く染まった眼球がボコッと外に飛び出て、その横にもう1つずつ蜘蛛の目が生える。

 親ヤツユビの化けの皮が、はがれていく。

 俺の足元では、床に散った血を子供のヤツユビがすすっていた。

 突然宙に浮いた俺に目を見開いていた雄大が、涙のあとを頬につけたまま呆然と呟いた。


「…何だよ、それ。孝太の周りに、モヤモヤした…黒いのが…」

「…!」


 モヤモヤした、黒いの。

 そのフレーズに聞き覚えがあって、俺は身体を強ばらせた。

 俺が初めて妖怪を、オオヌマを見た時と同じだ。

 雄大に、ヤツユビの姿が見えはじめてる…?


「っ、見るな雄大! 見ちゃダメだ!」


 イオリくんに言われてた。

 俺の血を飲めば、ヤツユビは一気に力をつけられるって。

 そして俺以外の人間も、直接襲えるようになるって。

 このままだと、次は雄大が狙われる…!


「クソッ、離せよこの…!」


 全身が痛んでろくに力が入らなかった。

 それでも何とかヤツユビから逃れようと、手首を掴む4本指の手を引き剥がそうともがいた。

 …けど事態はもっと最悪な方向に転がっていくことになったんだ。




「――…雄くん? 孝くん?」




 その声が聞こえた瞬間、ヒヤッと冷たいものが背筋を走り抜けるのを感じた。

 声のした方に目を向ければ、廊下の先に階段を上がってきた春の姿があった。

 春はホッと安心したように笑みを浮かべると、小走りでこっちに近づいてきた。


「やっぱり、雄くんと孝くんの声だった。3階の渡り廊下歩いてたら2人の声が聞こえた気がして、引き返してきたんだ」


 4階のこの場所から3階の渡り廊下までは階段も下りなきゃいけないし結構な距離があるから、普段なら絶対ありえなかった。

 けどみんな帰ってしまって、いつもよりずっと静かな校内。

 俺と雄大の声が反響して渡り廊下の方まで届いたとしても、おかしくはなかった。

 最初に雄大を見てタタッと駆け寄った春だったけど、すぐその向こうにいる俺に気づいてギクッと足を止めた。

 ピカッと雷が光って、不自然な俺の姿を浮かび上がらせる。


「孝、くん? どっどうしたのその怪我、…え、あれ? 孝くん、浮いて…?」

「――っ、来るな春!」


 片腕を大きく振って、春を遠ざけようとする。

 けどそれも無駄な抵抗で、春を見た親ヤツユビがうっそりと目を細めた。


「ああ、ああ、何と愛らしい子だこと。子供達が言っていた美童はこの子ね。いったいどんな血の味がするのかしら、楽しみだわ」


 クンッと、動いた右手の中指。

 それと共に雄大の身体が動き出す。

 春に向かって、歩き出す。


「いっいやだっ…! やめろ…!」


 ふるふると頭を横に振りながら、必死に抗おうとする雄大。

 何で身体が言うこと聞かないのか、何が原因でこうなってるのかは分からなくても、これから自分が何をするのかは…分かってしまった。

 顔は真っ青で、全身びっしょり汗をかいて、モップを手に近づいてくる雄大に春は目を瞬かせた。


「雄くん?」

「春っ、逃げろ! 俺から逃げろ!」


 春はまさか雄大が自分を傷つけるなんて思いもしてなくて、おろおろしながらもその場から動こうとしなかった。

 雄大の両手がモップを振り上げる。

 目を見開いて自分を見つめる春に、雄大の目から再びボロッと涙が零れる。


「いやだ、もうやりたくねぇ! とまれっ、とまれよおおお!!!」


 雄大の絶望の悲鳴に、うっとりと聞き惚れるように親ヤツユビは笑みを深めた。

 そうして俺から注意がそれたのを、俺は見逃さなかった。


(…っ、今しかない…!)


 全身が痛かったけどそんなこと言ってられなかった。

 俺は気付かれないよう軽く足を後ろに振って反動をつけると、腹にグッと力を入れて勢いよく両足を振り上げた。

 俺の親友にっ、これ以上手ぇ出すんじゃねぇ蜘蛛ヤロウ!!!


――ガッ!!!

「グギャッ!?」

「――っ」


 両足が親ヤツユビの顔面にクリーンヒット。

 それと同時に肩に負担がかかってグキッと嫌な音がした。

 それでもヤツユビの油断をつくには充分で、俺を捕まえてた手がパッと離れた。

 俺はすぐに雄大を操ってるヤツユビの右手に飛び付くと、全部の糸を根本から纏めて断ち切った。


「――ジョキン!!!」


 ブツンッ!と、太い音と共に糸が切れる。

 1発で全部の糸を切ることに成功して、糸から解放された雄大の手からモップが床に落ちる。

 その場に崩れるように雄大が床に両手両膝をついたのが見えた。


「ハア、ハア、ハア…!」

「ゆっ雄くん、大丈夫…!?」


 よかった、間に合った。二人とも無事だ。

 春が雄大に寄り添う姿を見て、安心した俺の足から力が抜けた。

 そのまま床に、仰向けに倒れこむ。

 身体に力が入らなかった。

 そこからもう…動けなかった。


「…まさか、そんな幼稚な術で私の糸を切ってたなんて。ただの子供ではないとは思っていたけれど、お前…何者かしら」


 俺の身体に、大きな影が覆い被さる。

 俺が顔面を蹴ったせいで面の皮がさらに破けて、女の顔の間から紫色の蜘蛛が俺を覗きこんでいた。

 まだ人型を保っていた両腕両脚が、バキバキと音を立てて異様なほどに長くなる。

 俺を逃がさないよう四方を囲んで、巨大な檻が出来上がる。

 子供のヤツユビでも俺の顔より大きかったのに、コイツはその比じゃなかった。


「久々に外に出たのだから、まだまだお前達遊んでいたかったのだけれど…どうにも嫌な感じがするわ。そろそろ引き上げた方が良さそうね」

「っ、ならっ…さっさとどっか行けよ…! 俺達の前から、消えろよ…!」

「ええ、そうするわ。お前の血全てをいただいて、あの子達も襲ったあとでね」

「くあっ…!」


 突然首が圧迫されて、反射的に両手をやればヤツユビの糸が巻き付いていた。

 クツクツと愉しそうな笑い声が聞こえる。

 牙を伝って親ヤツユビのヨダレがダラッ…と俺の頬に滴り落ちる。


「特別に頭を切り落として、一思いに殺してあげるわ。生き血をゆっくりすするのもいいけれど、首から勢いよく吹き出す血は噴水のようでそれはそれは綺麗なの。お前自身に見せてあげられないのが残念ね」

「っ…、っ…」


 この糸で手がスパッと切れた時のことを思い出して、ゾッと背筋が凍る。

 けど俺にはもう抵抗するだけの力は残されてなかった。

 痛くて、苦しくて、怖くて、そしてそれ以上に悔しくてたまらなかった。


「安心おし、すぐに友達も一緒に血の海に沈めてあげるから」

「っ…! っ…!」


 頭をのけ反らせて、廊下の奥に目をやる。

 雄大と春の姿が逆さまに映って見えた。

 首を押さえて苦しむ俺に気づいて、二人がこっちに向かって駆け出すのが見えた。


(ダメだ、にげて、雄大…! 春…!)


 悔し涙で視界が滲んで、酸欠でクラッと意識がもうろうとなる。

 首の両端に痛みが走って、プツッと肉が切れる音が聞こえた気がした。

 もう、ダメ…だ…。


――ダダダン!!!

「ギャア!」


 その時だった。

 何かが当たる音と共に、親ヤツユビが悲鳴を上げて身体をのけ反らせたのは。

 首の拘束が緩んで、肺に一気に酸素が入ってきた。


「ゲホゲホッ、ゴホッ…!」


 身体をくの字に折り曲げてヒューヒューと呼吸を繰り返しながら、首を押さえる。

 きっ切れてない。大丈夫、まだ繋がってる。

 少しだけヌルッと血が出てる感触がしたけど、それよりも俺は目の前の床に転がった物に気を取られた。

 コロン、と。

 ツヤツヤした表面の、茶色の実が…。

 ドン、グリ…?


(いったい、何が…?)


 ふわり、と。

 誰かが俺の前に降り立った。

 滲む視界、俺を守るように親ヤツユビに立ちはだかる背中が見えた。

 イオリ、くん…?


「コータに手を出すな!!!」


 けど耳をついたのはイオリくんじゃなく、別人の怒号。

 目に入ったのは、少し汚れた服に細い身体。

 そして無造作にボサッと乱れた、赤茶色の髪だった。


「ヤマ、ト…?」


 目を見開く俺の前で、ヤマトはパンッ!と胸の前で手を合わせるとバッ!と左右に腕を開いた。

 その動線上に、まるで手の平から出てきたみたいに無数のドングリが現れて宙に浮かんでいた。

 ビュビュビュンッ!

 ドングリが弾丸のように飛び出して、さらに親ヤツユビを追撃する。


「グアッ! おっおのれっ、猪口才な! お前ごとき小物が、この私に歯向かうつもりか!」

「……」


 ヤマトは何も答えずにまたパンッ!と両手を合わせて無数のドングリを出すとシャーッとこっちに向かって飛びかかろうとしてた子供のヤツユビに弾丸ドングリを発射、直撃した3匹が吹き飛ばされる。

 すっすごい、あのヤツユビをしてる。

 ヤマト、ヤマトはいったい…?


「孝太! 無事か!?」

「孝くん! 大丈夫!?」

「っ、うん。何とか…」


 駆けつけた雄大と春が手を貸してくれて、俺は何とか起き上がることができた。

 その間もヤマトがヤツユビを牽制してくれてたけど、実質1対4じゃ分が悪いのが目に見えていた。

 何か、何かヤマトを援護できる物があれば…!

 ――っ! あっあれだ!


「雄大っ、消火器を黒モヤの方に…!」

「! おう任せろ!」


 目に入ったのは、廊下の隅に置かれた真っ赤な消火器。

 阿吽の呼吸で俺の伝えたいことが分かった雄大は消火器を手に取ると、栓を抜いてノズルをヤツユビの方に向かって構えた。


「ヤマト! 避けて!」

「!」


 俺の声にヤマトがバッとその場から飛び退く。

 ブシャアアアア!!!

 ノズルから消火剤が勢いよく吹き出し、一面が真っ白な煙に包まれた。





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