花は土へ、人は彼方へ
五月に入ってからも、キヨばあちゃんの病気が治ることはなかった。
ただオオヌマが消えたあの日から少しだけ体調のいい日が続いて、ゴールデンウィーク中に一度だけばあちゃんを連れて、母さんや父さんみんなで市内の植物園に出かけることができた。
ばあちゃんは車椅子に座って、母さんがそれを後ろからゆっくりと押して。俺はばあちゃんの隣に並んで、一緒におしゃべりしながら植物園を回った。父さんは車の運転と荷物持ち係だ。
お気に入りの帽子を被ったばあちゃんはずっとニコニコして、とても嬉しそうにツツジや鈴蘭、薔薇の花を眺めて楽しんだ。
けどその日以来また体調が少しずつ悪くなっていって、ばあちゃんはまた寝たきりの生活に戻ってしまった――…。
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――ガララララ…
「ただいまー。母さん学校からのプリント、先生が親に渡してくださいって」
「おかえり孝太、あとで読むから分かるようにリビングの机の上に置いておいてー」
「はーい」
いつも通り、学校から帰ってランドセルを自分の部屋に放り投げた俺は、廊下の奥のばあちゃんの部屋に向かった。
最近のばあちゃんは寝てるか、起きてても少しぼうっとしてることが多かった。
でも俺が話しかけると優しい笑顔で微笑んでくれて、それが見たくて俺もついついばあちゃんの部屋に入り浸ってしまっていた。
「ばあちゃん、はいこれ。俺の友達が、ばあちゃんにって」
「あらまあ、きれいねぇ。ありがとうねぇ」
俺がばあちゃんに見せたのは、折り紙で作った小さな花束だった。
雄大と春が俺のばあちゃんへのお見舞いにって言って、渡してくれたんだ。
春は器用だけど雄大は不器用で、きれいな花に混じって何個かグチャッて潰れた花が混じってた。
けど何より二人の気持ちが、俺は嬉しかった。
紙の花を目を細めて見ていたばあちゃんは、ふと何かを思い出したように窓の外に顔を向けた。
「そういえば…裏の庭に、小さな蔵があるでしょう? その脇にねぇ、椿が植えてあるの。前見た時はまだ咲いてなかったけど、もうすぐ五月になるし。今はもう、咲いてるのかしらねぇ」
「……」
ぼうっとしながら外を見るばあちゃんに、俺は胸がキュッと苦しくなった。
今はもう五月だよって、その一言を言う代わりに俺は前回と同じセリフを口にした。
「俺が取ってきて見せてあげるよ、一輪でいい?」
「あら、ありがとう孝ちゃん。孝ちゃんは優しいわねぇ」
前見た時、椿は満開だった。
だからもう花は全部落ちて、枯れてしまってるかもしれない。
その時は、別の花を持って来よう。
ばあちゃんならどんな花でも、きっと喜んでくれるだろうから…。
「よいしょっと」
俺には少し大きいサンダルを履いて、勝手口から外に出た。
空は青くて葉の緑色も日に日に濃くなっていって、春から夏に向かって季節が変わりつつあった。
そう言えばもうすぐ遠足があるなー。
去年は雨だったから、今年は晴れるといいんだけど。
「……ん?」
あれ、誰か居る…?
蔵の脇、椿の木の前に立つ人の後ろ姿を見つけて立ち止まった。
けどそれが誰か分かった瞬間、俺は走り出していた。
「――っ、イオリくん!!!」
俺の声に振り返ったのは、この数週間まったく姿を見せなかったイオリくんだった。
イオリくんは白いYシャツと白いズボンを穿いていて、一瞬誰だか分からなかった。
いつもの黒い学ラン姿じゃないことに驚きつつ、俺は勢いよくイオリくんに詰め寄った。
「いっ今までいったいどこに居たんだよ!? 探しても全然見つからないし、祠は無くなっちゃうし、俺すっごく心配したんだからな!?」
「……」
ようやく再会できた嬉しさや、イオリくんが無事だったことへの安心。
これまでの寂しさや心配してた気持ちがごちゃ交ぜになって、少し涙目になる。
そんな俺をイオリくんはただジッと見下ろしていた。
真っ直ぐ見つめてくる瞳に、俺は自分がまず言わなきゃいけないことがあったのを思い出して、少し口ごもったあとガバッと頭を下げた。
「こっ、この間はごめんなさい! イオリくんのことウソつきだなんて言って、イオリくんは全然悪くないのに。イオリくんは命懸けでばあちゃんを助けてくれたのに、なのに俺…俺…」
謝りながらしゅんとうなだれる。
そんな俺をやっぱりジッと見下ろしながら、イオリくんはようやく口を開いた。
「ああ、そうだな。庵山のおキツネさまには、感謝してもしきれないな」
「うっ…」
この時俺はイオリくんがわざと自分のことを“庵山のおキツネさま”って言って、いつもの俺様節で俺をいじめるつもりなんだって思って身構えた。
けどイオリくんは片手を上げると、そのまま優しく俺の頭をポンッと撫でたんだ。
「しかし孝太、お前もよく戦った。その小さな身体で祖母を、母を、よく守ってくれたな。偉いぞ」
「え…?」
思わずぽかんと口を開く。
からかってるのかと思ったけどイオリくんは穏やかな顔で俺を見ていて、俺の従兄を演じてた時とはまた違った優しい雰囲気を纏っていた。
「まだ十歳の身で、さぞ怖かったろうによく立ち向かった。そのうえ見事敵を打ち破るとは立派だったな、すごいぞ孝太」
「あっあれはイオリくんが手伝ってくれたからじゃん、俺はただもう言われる通りにやっただけだし…」
オオヌマを倒せたのは、イオリくんが憑依の術で力を貸してくれたからだ。
俺は何も考えずイオリくんを信じて、もう無我夢中で錫杖を手に突っ込んでっただけだったし。
むしろその前。
破魔矢を無駄射ちして全部使い果たしたり、途中で気絶したりして足を引っ張ったんじゃないかって反省してる。
「それでもお前が勇敢だったことに変わりはないさ、お前のことをとても誇らしく思うぞ孝太」
「!」
オオヌマに矢を当てた時も“上出来かもな”とか“よくやった方だ”って言われはした。
けどこんなふうにストレートに褒められるなんて今までなくって、照れて頬が赤くなってしまう。
「なっ何か変だよ、イオリく…ん……」
自分で言いながら気づいた。
そう変だ、こんなの全然イオリくんらしくない。
そして引っかかる、小さな違和感。
俺を見下ろす顔は確かにイオリくんの顔をしてたけど、何だか少し…違うように見えて。
服装が違うせいかと思ったけど、よくよく見ると少し背が高いような気がして。
顔も少し…大人びて見えて。
「イオリくん…?」
違、う…?
イオリくんじゃ、ない…?
呆然と見つめる俺にその人は優しく俺の頭を撫でながら、そっと優しい言葉をつむいだ。
「これからも父と、そして母を大事にな」
違う。
この人は、イオリくんじゃない。
イオリくんじゃ、ないなら…。
まさか、まさか――…
「じ、じいちゃん…?」
「――…」
その人はただ穏やかな表情を浮かべるだけで、俺の質問には答えなかった。
そして何かに気づいたようにふっと俺の後ろに顔を向けると、とても愛しそうなものを見る目で微笑んだんだ。
「まあ嬉しい、迎えに来てくれたのねタツオさん」
え…?
背後から聞こえたのは、ここにはいるはずのない人の声。
寝たきりで、一人じゃ出歩くこともできないキヨばあちゃんの声で。
「ばあちゃん…?」
不思議に思いながら後ろを振り返る。
けどそこにはただ裏庭の光景が広がってるだけで、誰も居なかった。
そしてほんの少し目を離した隙に男の人の姿も、幻のように消えてしまっていたんだ…。
「お母さん…? いやあお母さん! しっかりしてぇ!」
少しして家の中から母さんの悲痛な叫び声が聞こえてきたけど、俺はしばらくその場から動くことができなかった。
目尻に浮かんだ涙を拳で拭う。
見上げた空は青く晴れ渡っていて、とてもとても…きれいだった。




