おキツネさまの秘策②
「そういやお前、前は黒いもやって言ってたが今はアイツがどう見えてるんだ?」
イオリくんがふと何かに気づいたように俺に顔を向けた。
その瞬間俺の頭に浮かんだ最悪のビジュアルに、思い出したようにゾワワッと悪寒が走った。
「もう、もんのすごく気持ち悪いぐちゃぐちゃ妖怪! 人間の手足生えてるし臭いしっ、口でかくて歯も大きさの違う石みたいにデコボコしてるし! そうだ、イオリくん知ってた? アイツ好きなとこに何個も目を出せるんだぜ? もうホントめっちゃくちゃ気持ち悪かった!」
「どうやら完全に見えてるようだな」
気持ち悪いを連呼する俺に、イオリくんはおかしそうに笑った。
けどスッと笑みを消すと、イオリくんは真剣な顔で俺に忠告したんだ。
「覚えておけガキ、お前がアイツを見るならアイツからもお前が見える。お前が見て、聞き、話し、嗅ぎ、触るならアイツもお前に同じことができる。それが理だ」
「ことわり…」
理って、確か決まりごとみたいな意味だったよな…?
つまり俺がオオヌマの姿をハッキリ見えるようになったから、オオヌマからも俺がハッキリ見えるようになったってこと…?
「昔のオオヌマには力があった。俺のように自在に人間に姿を見せられ、身体を捕らえ、肉を食らうことができた。だが今のオオヌマに、封印前のような力はない」
イオリくんは言った。
今のオオヌマにできるのはせいぜい人間に取り憑いて、じわじわと精気を奪うことくらいだって。
そっか…オオヌマが人間に直接触れるなら、ばあちゃんのこともすぐに食べちゃうことだってできたはずだもんな。
でもオオヌマはそうしなかった。ううん、できなかったんだ。
「今の世じゃ、自らの力で実体化・可視化できるあやかしは一握りだろう。そもそも数自体だいぶ減ってるからな、大抵のあやかしは闇に紛れてひっそり生きるだけだ」
あやかしにも色々いるから一概には言えないけどなって、イオリくんは続けた。
俺も妖怪とかあんまり詳しくないけど、イオリくんが言ってることは何となく理解できた。
「だが人間がこちら側を見るなら話は別だ。こちらが見える人間は、俺達からもよく見える」
この時のイオリくんの言葉は、少しあとになって国語の授業で習った偉人の格言に似てるなって思った。
深淵を覗く時、深淵もまたあなたを覗いてるんだっていう言葉に…。
「オオヌマだけじゃねぇ。これから先お前が見るあやかし全てから、お前は他の人間よりもよく見えるようになる。そこんとこ、覚悟しておくんだな」
「…よくって、ハッキリとって意味でいいんだよね?」
「それと“美味そう”、だな」
う、美味そう…。
じゃあさっきオオヌマが家の中で脇目も振らずに俺を追ってきたのも、そのせい…?
これから先、他の悪いあやかしにも狙われる可能性をほのめかされてブルッと背筋が震えた。
でも先のことよりも今どう乗り切るかの方が大事だって思って、俺は気を取り直した。
「これから、どうするの?」
祠に一時避難したのは、そもそも作戦会議のためだった。
イオリくんには何か考えがあるんだって分かったけど、それが何か俺はまだ聞かされてなかった。
イオリくんは学ランの胸ポケットから真っ白な人型の紙を取り出すと、俺に見せた。
「依り代? それってもうアイツに通用しないってイオリくん言ってなかった?」
「ああ、コレで気を引けるのはほんの一瞬だろう。その隙にアイツの背後を取ってお前が矢を射る、それで終わりだ」
そっそれだけ!? それで終わり!?
「俺がさっきまでやってたこととおんなじじゃん、でもそれじゃアイツを倒せなかったんだよ!? それに、矢だってもう残ってないし…!」
弓は持ってきた、でも矢は全部使い果たしてしまった。
家に散らばってるのを拾いにまた戻るのかと思ったけど、その必要はないとイオリくんは首を横に振った。
「俺自身が火矢に変化する、それを放て」
「イオリくんが、火の矢に…?」
これまでイオリくんが化けたのは男子高校生や小さな女の子で、人だけじゃなく物にも変化できるんだってことを初めて知った。
オオヌマはあやかしの火が苦手だから、イオリくんが火矢になって射たれる。
ここで俺一人だけだったら、そんなこともできるんだって感心してきっとイオリくんの言う通りにしてたと思う。
でもみーちゃんとひーくんが驚いたようにハッと顔を上げて、必死に首を横に振り始めたんだ。
「ダメよイオリさま、破魔の弓で射られるなんて。そんなことしたら、イオリさまと言えどただでは済まないわ」
「ダメだイオリさま、そのうえ自身が火矢になるなど。そんなことをすれば、オオヌマと一緒に燃えて滅んでしまうぞ」
おろおろと慌てふためくみーちゃんとひーくんの言葉に、俺はえっ…と息を飲んだ。
ただじゃ済まない…? 一緒に滅びる…?
そっ、それって…!
「…右目左目、お前らも気づいてんだろ? 今の俺のキツネ火じゃ、さっきのあれが限界だってな」
「「……」」
淡々と話し始めたイオリくんに、みーちゃんとひーくんが何も言えずに押し黙る。
ふたりの反応から、イオリくんの言ってることが本当なんだってことが分かった。
今の俺じゃあれが限界、って…。
イオリくんが昔に比べて、弱くなったってこと…?
「雲竜の封印で痩せ細ったあのオオヌマですら、今の俺には燃やし尽くせるだけのキツネ火を作り出せない。だが俺自身が火となり、さらに破魔弓の力が加わるなら…あるいは」
そこで言葉を止めたイオリくんが、真剣な眼差しで俺を見た。
「ガキ、やれるな」
「やれるな、って…」
三人の会話を聞いて、イオリくんが俺に何をさせようとしてるのかようやく悟ってザッと顔を青ざめた。
イオリくんは文字通り自分の命を燃やして、オオヌマを倒そうとしてるんだって。
俺にその、手伝いをさせようとしてるんだって…!
「そんなっ、でっできるわけないだろ!?」
じっ自殺行為じゃんかそんなの!
俺が矢を射ったら、イオリくんもオオヌマと一緒に死んじゃってことだろ!? できないよそんなこと!
ぶんぶん首を振る俺を半目で見下ろしたイオリくんはガッ!と俺の頭を片手で掴むと、ギリギリと指先に力を込めた。
「言い方を間違えたな。できるできないじゃねぇ、やるしかねぇんだよ」
「いっ痛い痛い! 痛いよイオリくん!」
そこちょうど怪我したとこ! さっきイオリくんが手当てしてくれたとこ! また傷口開いちゃうよ!
びっくりするくらいの激痛が走って一瞬で涙目になる。
それでも俺は首を縦に振らなかった。
「嫌だっ、オオヌマを倒すのに何でイオリくんが犠牲になんなきゃいけないんだよ! そんなことしなくても、もっと他にいい方法があるかも…!」
「…これしか方法がねぇんだよ」
いらだたしげに舌打ちを零したイオリくんを見て、不意に数日前の記憶がよみがえった。
蔵の二階、雲竜さんの秘密の部屋。
あぐらをかいて、たくさんのノートを読み漁るイオリくん。
『――…チッ、やっぱりこれしかねぇか』
あの時の言葉と、今聞いたセリフ。
苦々しげな顔と今のイオリくんの顔が、重なって見えたんだ。
「イオリくん、まさか最初からそのつもりだったの…?」
「……」
最初っから、ずっと。
俺に弓矢のスパルタ指導をしたのも、俺が破魔の弓矢でオオヌマを倒せるようにってわけじゃなくて。
俺に弓矢の射ち方を教えて、最後に自分が火の矢になって俺に射られるため…?
初めから、自分が犠牲になる道を考えてたってこと…?
イオリくんは、答えない。それが答えだった。
「なっ何で…? イオリくん言ってたじゃないかっ、自分は人間の便利屋なんかじゃないんだって。俺達がどうなろうが、自分には関係ないって…! なのに、何で…!?」
今までずっと俺達人間のことなんか知らないってスタンスだったのに、最初から自分を犠牲にしようとしてたっていうおキツネさまに一気に混乱した。
訳が分からなくて俺はイオリくんに詰め寄ったけど、イオリくんはふいっとそっぽを向いてしまう。
「それこそお前には関係ねぇ話だ」
イオリくんの態度に、何か俺に言ってないことがあるんだって、何か大事なことを隠してるって感じた。
けどこれ以上問い詰めても、イオリくんが素直には答えてくれないってことも分かってた。
ううん、どんな理由があるにせよこのままイオリくんの案を受け入れるなんて、できるわけない。
何か他に、オオヌマを倒す方法を考えなきゃっ。
他に、何か他に案は…!
「……あっ」
その時俺はピンッ!とあることを思い出したんだ。
「そうだ、憑依の術!」
「お前それをどこで…、こいつらから聞いたのか」
イオリくんにジロッと睨まれたみーちゃんとひーくんが、慌ててピャッと俺の背中に隠れる。
反対に俺はぐぐっと身を乗り出してイオリくんに詰め寄った。
「憑依の術なら、イオリくんの炎を大きくできるんだろ!? だったら俺っ、俺に憑依すれば…!」
「ありゃ雲竜くらい力のある術者が宿主となって、初めて成立するんだ。ただの人間のガキが同じことをしても、自我が崩壊するだけだ」
「じがが、ほうかい…?」
「気が狂って頭がおかしくなるっつってんだよ」
憑依とは本来そういうものだと、イオリくんは言った。
基本的にあやかしより術者の力が上じゃないと、あやかしの能力をコントロールできないのだと。
術者が弱いと、あやかしに精神を食われてしまうのだと。
そっそんな、いい案だと思ったのに…。
「つべこべ言ってねぇで、死にたくなかったら俺様の言う通りにしろバカガキ。さっきも言ったがここを出て真っ先に狙われるのは、よく見えるお前だぞ」
「でもっ、でもっ…!」
自分が助かるためにイオリくんを犠牲にするなんて、そんなのできるはずないっ。
でも他にいい案なんて思いつかなくて、どうしたらいいのか分からなくて、ぐっと胸に悔しさがこみ上げてきた。
くそ、くそぉっ…!
俺にもっと、力があったら…!
――シャラン…
「……?」
その時、耳元でどこかで聞いたことがあるような音がした。
不思議に思って振り返る。
けどそこには何もなくて、ただ六畳一間の部屋が広がってるだけだった。
「イオリくん、今何か…鈴みたいな音が聞こえなかった…?」
「鈴?」
イオリくんが怪訝そうに眉を寄せる中、またシャラン…と同じ音が聞こえた。
一体どこから聞こえてくるんだろうって不思議に思って外に目を向けた俺は、格子戸のすぐ向こうにいびつな形の歯が並んでるのを見たんだ。
「みみ゛み見つげだあ゛あああ゛ぁ!!!」
次の瞬間、オオヌマによってイオリくんの祠が粉々に破壊された。