表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/100

おキツネさまの秘策





「アアァ゛アア…! キヅネェ、こども゛おぉ、どごだああ゛ぁあ…!?」


 夜のお山の中。

 木の間から斜めに月の光が差し込んでて、時折オオヌマの黒く醜い巨体を浮かび上がらせた。

 人間の手足を使ってズリズリと地面を這って、オオヌマが俺達を探す声が辺りに響いていた。


 それを遠くに聞きながら、俺達は隠れていた。

 イオリくんの住み処である、あの小さな祠の中に…。




「すごい、祠の中ってこんなふうになってたんだ…」


 そこは6畳1間の畳の部屋だった。

 小さな棚があって、低い机があって、火鉢があって、布団が敷きっぱなしになっていた。

 振り返って祠の入り口を見る。

 祠の扉は上半分が格子状になってて外が見えて、夜の山の光景が広がっていた。

 あれ? これって祠の中が広いっていうより、俺達が小さくなった…のか?


「結界を張って空間を曲げて広げてある、雲竜が蔵の2階に使ってたのと同じようなもんだ」

「なるほどー」


 極力オオヌマに気づかれないよう、部屋を照らすのは行灯(あんどん)の明かり一つだけ。

 蔵の2階にあった雲竜さんの秘密の部屋とはまた違ったお香の匂いが、花みたいないい香りがした。

 イオリくんは敷きっぱなしの布団の上にどかっとあぐらをかくと、枕元にあった箱の中をガサゴソ探りながら俺を呼んだ。


「おいガキ、ここに座れ」

「…?」


 ここ、っとイオリくんは自分の膝の上を指差した。

 や、膝なわけないっか。目の前に座れってことだよな?

 けど庭にゴロゴロ転がった俺は汚れまくってて、布団を汚すといけないって思ってその手前で体育座りをした。


「いて、いてて…」


 足を曲げたことで膝の怪我がズキズキと痛んだ。

 上は長袖で下は半ズボンで寝るのがこの時期の俺のスタイル。

 だから肘は無事だったけど、むき出しになってた膝頭は両方とも擦りむいて血が出ていた。


(しかも裸足だし、靴下くらい履いときゃよかったなぁ…)


 あとはもう寝るだけだったから裸足のままだった。さすがに足が冷たいや。

 慌てて部屋を飛び出したから、上着や靴下にまで気を配ってる余裕なかったもんなぁ。

 ただ全身あちこち怪我してて熱を持ってるせいか、そこまで寒さは感じなかった。

 サッカーしてて怪我なんかしょっちゅうだけど、さすがにここまでひどい感じのはなかなかない。

 けどアドレナリンが出てるせいか、これまたそこまで痛みは感じなかった。


 頭の傷から血が垂れて目に入りそうになったのを袖口でグイッと拭う。

 そんな俺を見たイオリくんはチッと舌打ちを零すとグッと俺の腕を引っ張った。


「わ!?」

「ここに座れっつっただろうが」


 あぐらをかいた膝の上に横向きに乗せられる。

 このまま抱き上げられたらお姫様抱っこになる格好にぎょっとする。


「イイイオリくんっ、この体勢は何…!?」

「近くに寄らなきゃ手当てできねぇだろうが」

「えっ、手当て? って、イオリくんがしてくれるの?」


 思わず素で驚いた。

 いや、だって。あのイオリくんが、さ。

 怪我したのは俺が鈍臭いからだって言って、放っておきそうなイメージがあったから…。


「お前にはまだやってもらうことがあるからな。怪我のせいで満足に動けないようじゃ困るんだよ」

「! う、うんっ。俺、頑張るよ!」


 言外に頼りにしてるって言われた気がして、俺は張り切った。

 嬉しいのと同時に照れ臭くて、頬がちょっぴり赤くなる。

 それにやっぱり、さすがに5年生にもなって膝の上に乗せられるのは恥ずかしいかなぁ…なんて。


 そんなことを思ってた俺はあやかしの優しさが人間と違うってことを、思考が斜め上に行くってことを知らなかったんだ。


――ベロッ

「…!?」


 突然俺を襲った、生暖かい感触。

 そして目に飛び込んできた、衝撃の光景。

 何がどうしてそうなったのか、イオリくんが怪我した俺の左膝に顔を寄せて思いっきり舐めていて…


「骨まではイッてねぇようだ、見た目ほどひどくはねぇみたいだな」

「な、ななっ…!」

「次は右だ」


 イオリくんは俺の右足を掴むと、再び膝頭に顔を寄せてそのままベロンと舌を這わせ…て……。


 って、ちょ、ストップ! ストーーーップ!

 ぺしっとイオリくんの頭を掴んで必死に止める。

 眉を寄せて不思議そうな顔をするイオリくんに、口をパクパクさせていた俺はようやく声を発した。


「ハ、ハ、ハレンチだよイオリくん!」

「何アホなこと言ってんだ」


 俺の精一杯の抗議にも、イオリくんは呆れた目を返すだけだった。

 えっ、俺が変なの!? いやいや普通しないよねこんなこと!?

 怪我はツバ付けときゃ治るって聞いたことあるけど、あれって昔の荒療治みたいなもんだよね!?

 俺現代っ子! ツバよりアルコール消毒派です!

 って、いやいや! 俺の言いたいのはそういうことじゃなくて!


「砂利を取って止血してやってんだ、じっとしてろ。このままじゃ膿んであとが残るぞ」

「じゃ、砂利って…。そんなっ、汚いよイオリくん!」

「ああん? 俺様の舌のどこが汚ぇって?」


 そっそうじゃなくて!

 俺の傷口についた汚れを、舌で舐め取ってるってことでしょ!?

 そんなことしたらイオリくんの方がお腹壊しちゃうよ!


「コータ、イオリさまの言う通りになさいな。いつまでも痛いままは嫌でしょう?」

「コータ、イオリさまに身を任せろ。手当てをするのに早いに越したことはあるまい」

「そっそういう問題じゃ…ひょわあ!」


 血と土で汚れた膝を、イオリくんの赤く長い舌で舐め取られる。

 みーちゃんとひーくんもなぜかイオリくんの味方で、俺は人間とあやかしの常識の違いってのを文字通り体験するはめになってしまった。

 そもそもイオリくんはキツネのあやかしなわけだから、キツネ基準じゃ怪我をしたら舐めるっていうのはごく普通のことなのかもしれない。

 でも俺にとっちゃ視界の暴力! やっぱりビジュアルって大事だと思う!

 真っ白なおキツネさまの姿ならまだしも、年上の男子高校生に舐められるのはアウトだよおおお!


 もはや直視できなくて両手で顔を覆う。

 そんな俺に構うことなく今度は俺の前髪をかき上げたイオリくんは、髪の生え際にある額の傷口を見た。


「頭の傷はここだけか」

「たっ多分、自分じゃ見えないから分かんないけどズキズキすんのはそこだけ…って、あっ舐めるのもう無し! 舐めるのもう無しで!」


 膝同様額にも顔を寄せようとしたイオリくんに慌てて先手を打った。

 膝と違ってそこそんな汚れてないしっ、なかなか血止まんないけど舐める必要ないし普通に布かなんかくれたら自分で押さえとくからっ!

 必死に止める俺に面倒臭そうに顔をしかめながらも、イオリくんは俺の傷口を舐めることなく間近でマジマジと観察。

 ちょっ痛い痛い! 見えにくいからって髪引っ張んのも無しで!


「そこまで深くはねぇようだが血管が切れて傷口もパックリ開いてやがんな……チッ、仕方ねぇ」


 怪我の具合を確認し終えたイオリくんの顔がスッと離れた。

 それにホッと安堵の息をついたのもつかの間だった、俺の顔にすぐ陰がかかったのは。

 ふと見ればイケメン男子高校生なイオリくんの顔が、なぜか目の前にあっ…て…。

 って、え?


――チュッ…


 直後、唇に感じたのは柔らかな感触。

 それとほぼ同時に膝頭に感じたのと同じ、生暖かくぬめったモノが口の中に入ってきて…。


「~~~っ!?」


 何が起こってるのか理解できずガチッと固まる。

 フリーズする俺の口の中を厚く熱い何かが動き回った。

 くちゅっ…という音が内側から鼓膜を震わせる。

 時間にしてほんの数秒。

 弾力のある何かに上顎をなぞられたあと口の中にあった熱がスッと離れ、イオリくんが自分の上唇をペロッと舐めたのが目に入った。


「これでちったぁマシになったろ」

「なっ、なっ…!」


 パクパクと金魚みたいに口を開閉させた俺はようやく自分の身に何が起こったのか把握。

 かああ!っと赤面、バッと両手で口元を隠した。


「何すんのさイオリくん!?」

「ああん? お前が舐めるなっつったんだろうが。仕方ねぇから一時的に傷口を内側から(・・・・)塞いだ。生憎と治癒術は専門外だからな、治りはしねぇが止血だけならこれで充分だろ。ほら終わりだ、さっさと退け」


 用は済んだとばかりにぺいっと乱雑に膝から退かされ、俺は両手をついてその場に打ちひしがれた。

 なっ何今の何今の何今の!?

 いや分かる、分かるけど認めたくない何今の!?

 舐めないでって言ったら何でその上をいくの!?

 てか何でそんな平然としてんのイオリくん!?

 いや分かる、傷口を舐めたのと同じ感覚でイオリくんにとっちゃ大した意味持たない行為なんだってこと!

 けどっ、けど俺にとっちゃ重大問題だよ!


(おっ、おっ、俺のファーストキスウウゥゥ!!!)


 言葉にならない悲鳴が脳内で木霊する。

 初めてが男! 学ランの男子高校生! しかも実際の正体はモフモフなおキツネさま! ファーストキスの相手が人外!

 初めては甘酸っぱいイチゴ味とか噂に聞いて実際どんな感じなんだろって思ってたけど、何か想像してたのと全然違ったし! 味とか分かんなかったしヌメヌメしてたし!

 初恋もまだな俺だけど人並みに憧れはあったのに!


「せめて前見た女の子の姿がよかったよおおお!」

「どっちがハレンチだ、このマセガキが」


 いっいやらしい意味じゃないよ! 精神的ダメージの問題だよ!

 中身が同じ俺様ギツネだとしても、俺の繊細なメンタルを園芸スコップで削るかショベルカーで削るかくらい選ばせてほしかったってことだよ!

 お嫁に行けないってこういう気持ちを言うんだって体感。

 額を触れば傷口がキュッと一本の線みたいに塞がってるのが分かったけど、こんなことできるんだあやかしって凄いなって素直に受け入れるには払った代償が大きすぎた。うううっ。


「あとはこれでも塗っとけ」

「? 何これ?」


 ショックで落ち込む俺を尻目に立ち上がったイオリくんが投げて寄越したのは、蓋のついた小さな容器だった。

 くるっと蓋を開けて中を見れば、ハッカみたいな匂いがする白い軟膏が入ってた。


「天狗の妙薬、傷薬だ。擦り傷にも打ち身にも効く、人間が作るもんより治りも早い」

「てっ天狗? って、あの天狗?」


 目尻に浮かんでいた涙が思わず引っ込む。

 妖怪にあまり詳しくない俺でもさすがに知ってる。

 赤い顔に長い鼻、確か翼も生えてるんだっけ?


(イオリくん、天狗に知り合いとかいるんだ。すげー…)


 おキツネさまの意外な交流関係に感心しながら、俺は言われるがまま頭や膝にヌリヌリと軟膏を塗っていった。

 微妙に見えなくて塗りづらい脇腹の打ち身には、机の上に乗ったみーちゃんとひーくんが小さな手でせっせと塗ってくれた。

 ふたりにありがとうとお礼を言って捲っていた服の裾を戻すと、格子戸の近くに立って外の様子をうかがっていたイオリくんに近づいた。


「…オオヌマのやつ、居る?」

「いや」


 イオリくんにならって俺も格子戸越しに外を見る。

 遠くからオオヌマのうなり声が聞こえてきたけど姿は見えなかった。

 少しの沈黙。

 行灯の淡い明かりが柔らかに揺れる。

 意味もなく服の袖をいじりながら、俺は自分より背の高いイオリくんをチラッと見上げた。

 けど形のいい赤い唇に思わず目がいってすぐにサッと顔を背ける。


(…てかイオリくん、マジで全然フツーすぎんだけど。気にしてる俺が馬鹿みたいじゃん)


 まだ感触の残ってる唇をムニムニ動かす。

 頬の熱はまだ引かない。

 けどイオリくんがイオリくんすぎて気まずくなる暇もないっていうか。

 不思議と気持ち悪いとかはなかったけど、衝撃が大きすぎて未だに俺の純情ハートはブロークン。

 けどさっきのに応急処置以上の意味なんてないんだって分かるから、俺もこれ以上騒ぎ立てることができなくなって…。


(ファーストキスだったんだけどって言ったら、何か鼻で笑われそうだし…)


 女子じゃないんだから“責任取って”ってのも違うもんな。

 そもそもおキツネさまのイオリくんにキスって概念あんのかな?

 …よく考えたらキツネ相手に騒いでる俺がおかしい気がしてきた。

 めっちゃショックだけど、しばらく引きずりそうだけど。

 犬に…じゃないキツネに噛まれたと思って忘れるしかないか、はああ。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ