vs.オオヌマ②
「…弓矢、蔵に置いてこないとなー」
ふと目に入ったのは、壁に立て掛けた破魔の弓矢。
持ち歩くのは目立つからいつもはイオリくんの祠の傍に置いて帰るんだけど、今日はみーちゃんひーくん同様思わず家まで持って帰ってきてしまった。
すぐに自分の部屋に隠したから母さんには見られてない。
けどこのまま部屋に置いておくと、掃除にきた母さんに見つかってびっくりして騒がれるかもしれない。
蔵に隠しに行こうっと、俺は立ち上がった。
けどその時、何かにピクンと反応したみーちゃんとひーくんが天井を見上げて呟いたんだ。
「コータ。来る、来るわ」
「コータ。来た、来たぞ」
「…? 来る、来たって一体何…が……」
ハッとした俺は窓に駆け寄って空を見上げた。
今夜は月が明るくて雲一つない夜空が広がっていた。
そんな中、真っ黒な何かがうちの屋根の方にスッと消えていくのが見えた。
「オオヌマ…!?」
まさか、もう戻って来たのか!?
そんな、はっ早くないか!?
いや、確かにイオリくんはよくて五日って言ってたけど! 五日より早く戻ってくる可能性もあるって分かってたけど!
まさか今夜やって来るなんて、イオリくんもまだ帰ってきてないのに…! こっ心の準備が…!
「弓矢…! 破魔の弓矢…!」
俺は長袖半ズボンの部屋着のまま、慌てて弓を手に取って矢の入った筒を斜めに背負った。
けどふすまに手をかけたところで、部屋から出るのを一瞬ためらう。
イオリくんも居ない中、たった一人で化け物に立ち向かうなんて俺にできるのか…自信がない。
(…っ、しっかりしろ俺! 俺がばあちゃんを、守るんだ!)
俺は勇気を振り絞ると、部屋を飛び出し玄関に向かって駆け出した。
――ブツンッ!
「…え?」
けど廊下の途中で、何かの大きな音と共に家の明かりが全部消えちゃったんだ。
こっこんな時に、停電!?
「入ったわ、中に入った」
「入ったな、中に入った」
「な、中って…」
いいい家の中ってことおおお!?
「っ…」
ドッドッドッドッと心臓が早鐘を打つ。
真っ暗な廊下が不気味にシン…と静まり返って、暮らし慣れるはずのばあちゃん家が急にリアルなお化け屋敷になってゴクリとツバを飲む。
肩にみーちゃんとひーくんを乗せたまま、破魔の弓矢を手に恐る恐る廊下を進み始めた…その時だった。
「孝太ー! 孝太聞こえるー!?」
「ひょわ!?」
突然聞こえた大声に、俺はその場でびゃっ!と飛び上がった。
「お母さん今お風呂に入ってるからブレーカー上げてきてくれなーい!? お母さんのスマホ、リビングのテーブルの上にあるからー!」
「わ、分かったー!」
なっ何だ、母さんか。びっくりした。
風呂場から距離あるのに、相変わらず母さんの声ってすごくよく通るよな。
気を取り直した俺は、ドキドキと高鳴る心臓を落ち着けるように深呼吸を一つ。
うん、まずは家の明かりを取り戻さないと。オオヌマを見つけるのはそのあとだ。
ええっと、確かブレーカーがあるのって台所だったよな。
っと、その前に…
「あった、スマホスマホ」
手探りで家の中を進んでリビングにたどり着いた俺は、テーブルの上で充電してあった母さんのスマホを手に取った。
ライトをつけて懐中電灯の代わりにするんだ。
これで少しは安心できるやとホッと息をついたその時、ふと鼻をかすめる変な臭いに気がついた。
「…? 何だろ、何かクサい…?」
微かだけど何か…灯油の臭いに下水道の臭いが混ざったような、いやーな臭い。
何か食べ物でも腐ってるのかなと思いながらスマホを操作してパッとライトをつけた俺は、リビングの壁にはり付く…それを見た。
「ア゛ア゛ァ゛、ァア゛…!」
最初に見えたのは、黒くてグロテスクな塊だった。
それは天井まで届きそうなくらい大きくて、まるで何万匹ものニシキヘビがぐちゃぐちゃに絡み合って一つになったみたいな身体をしていた。
大きくて真っ赤な口が一つ。
何十本ものイビツな形の歯が生えていて、意味のなさない不気味な声を上げていた。
「~~~っ!!??」
絶叫しそうになる口をとっさに塞ぐ。
慌ててスマホのライトを消すと、俺はすぐ近くにあった一人がけソファーの背の陰にしゃがんで隠れた。
化け物は気味の悪い声を出しながら、身体を引きずるようにズルズルと移動していく。
ズルズル、ズルズル。
音が近づいてくる、臭いがキツくなっていく。
気づかれないよう必死に息を殺す。
一人がけソファーの背に隠れる俺の、すぐ横。
床の上に、それは現れた。
――ヒタ…
「――っ!?」
人間の手、腕だ。
真っ黒な人間の手が、床を這っていた。
指先から二の腕くらいまで、ぐちゃぐちゃな塊から生えてるのが見えた。
よく見れば手だけじゃない、足もある。
何本もの人間の手足がまるでムカデみたいに動いて、グロテスクな身体を引きずっていた。
(ひっひいいいい!)
悲鳴を上げそうになるのを必死に堪える。
化け物は俺に気づくことなくソファーを横切ると、そのままリビングから出ていった。
カチ…カチ…、と。
時計の音だけが静かにリビングに響く。
気配が完全になくなったことを確かめた俺は大きく息を吸うと、小声で叫び声を上げた。
「何あれ何あれ何あれ!? 気持ち悪っ、気持ち悪うううっ!」
「まあコータ、知らなかったの? あれがオオヌマよ」
「何だコータ、はじめて見たのか? あれがオオヌマだ」
あれがオオヌマ!?
最初に見たやつと見た目が全然違うんだけど!?
前は黒いモヤモヤだったのに、今は何あれ!? めちゃくちゃグロいんだけど生理的な悪寒が止まらないんだけど鳥肌すごいんだけど!
ハッ、もしかしてこれって…!
(これがイオリくんの言ってた、“あやかしに目のピントが合う”ってこと…?)
最初はぼやけてた姿が、今は目のピントが合ってハッキリと見えるようになったんだと気がつく。
みっ見たくなかった!
あんなグロテスクな見た目してるなら黒モヤのままがよかった!
ていうかさっきみーちゃんとひーくんが描いた絵、黒いぐちゃぐちゃにめちゃくちゃそっくりだった!
下手くそだなんて思ってゴメンめちゃくちゃそっくりだった!
「元々オオヌマは、一つの場所から動くことのできないあやかしだったと聞いたわ。獲物がかかるのをひたすら待つことしかできなかったけれど、取り込んだ人間の手足を自分の身体に生やすことで移動できるようになったそうよ」
「元々オオヌマは、大きな身体に口だけのあやかしだったと聞いた。獲物を丸飲みしてから消化するまで時間がかかったが、吸収した他のあやかしの歯を口に生やしたことで多くの獲物を食らえるようになったらしい」
じゃ、じゃあさっき見た何本もの手足は…。
口から生えてた、イビツな歯は…。
あれ全部、オオヌマの犠牲になったひと達のものってこと…?
もっもし捕まったら、俺も同じような目に…?
大きな口で噛み砕かれて血だらけになる自分を想像して、ブルッと背筋に悪寒が走った。
涙がこみ上げて、早くも心が折れそうになる。
あっあんなのを相手にするなんて、俺には…!
やっぱり俺には…!
「でも何だか、すごく小さくなってたわねオオヌマのやつ」
「ああどうやら、ずいぶんと痩せたようだなオオヌマのやつ」
「え…?」
ふたりの言葉に、俺は目を瞬かせた。
みーちゃんとひーくんは両手を大きく広げながら、俺に教えてくれたんだ。
「昔はもっともーっと大きかったのよ。そして一度捕らえたら底なし沼のように人間やあやかしを取り込んでしまうから、“大沼”って呼ばれるようになったの」
「かつてはもっともーっとでかかったぞ。そして一度捕まえたら底なし沼のように人間やあやかしを飲み込んでまうから、“大沼”と呼ばれるようになったのだ」
なっなるほど、大きい沼みたいなやつだからオオヌマって呼ばれてたのか。
「でも、あれじゃ大沼ではなく小沼ね」
「ああ、あれじゃ大沼ではなくちび沼だな」
「あのデカさで…!?」
最初の黒モヤの時はぼんやりと見えてたせいか普通乗用車くらいの印象だったけど、今日はワゴン車くらい大きく見えた。
あれでちび沼って、昔のオオヌマどんだけデカかったんだよ!?