馬鹿馬鹿しい法律
『全ての女子、及び女性は、二月十四日のバレンタインデーに、必ず男子、男性へチョコを渡さなければならない』
それは、無能だと揶揄されていた首相によって考え出された政策だった。
首相は、男女の仲を半強制的に接近させることで、結婚率を増やし、ひいては、進み続ける深刻な少子化に歯止めをかけようとしたのである。
これには、「安直だ」と、女子たちからの大ブーイングが起きたが、モテない男子たちは大喜びをした。
それもそうであろう。バレンタインに興味の無い女子たちは至極面倒くさいだろうが、男子としては、堂々とチョコが貰えるようになるわけだから、反対する理由などない。
かくして、賛否両論の中、20××年のバレンタインデーに、この新しい法律が初めて施行された。
……だが、思ったような効果は上がらなかった。理由は、ルールが穴だらけだったからである。
まず、非協力的な立場を取る大半の女子、女性が、家族の男子――つまり、弟や兄、ひいては父やおじいちゃんにあげてしまったのだ。これでは意味がないと、身内は無効のルールが追加された。
すると今度は、自分の好きな有名アーティストや、タレントなどにチョコを贈り出したことで、これも効果が出なかった。
政府は更にルールを改良し、
『チョコは直接渡さなければならない』
『一人の男子が手渡しで貰えるチョコは、十個まで』
という文言を追加した。
しかし女子も黙ってはいない。そっちがそう来るのならと、バレンタインデーの日に体調不良を訴え、会社や学校を休む女子が続出した。
ドロドロに溶けたチョコレートのごとく泥沼化した争いは、その後、首相の退陣を切っ掛けに存在感が無くなり、法律も形骸化していった。結局、チョコを渡さなかったとしても、その人物を取り締まることなど到底出来なかったからだ。
テレビ局なども取り上げていたのは最初だけ。白けたブームのように、雑多なニュースに流されて、人々の記憶から消えていった。
それでも、極僅かではあるが、その馬鹿馬鹿しい法律を律儀に守っている女子もいた。
「全く、面倒くさいルールだわ。毎年毎年、いったい誰にあげたらいいのよ」
学園でマドンナと持て囃されていた女子が、渡り廊下を歩きながら、ため息をつく。手にはコンビニで買ったバレンタインのチョコレート。
「好きでもないのに、同じ男子に渡し続けたら、周りから変な誤解をもたれるし……」
そうでなくとも、チョコを渡すせいで、その相手から要らぬ告白を受けるはめにもなるのだ。
再びため息をついたその時。向かいから、ひょろりとした細身の男子が一人、歩いてきた。
「あれは確か……」
同じクラスにいたような気もするが、存在感がなかったので、名前すらよく覚えていない。
周りを窺うと、好都合なことに、他は誰もいない状況だった。彼女はすれ違いざまに、その男子を呼び止める。
「ちょっと」
「……え?」
突然声を掛けられて驚いたのか、ビクリと肩を竦めた男子に、
「これあげるわ」
彼女は、手に持っていたチョコを無造作に差し出した。
「これって、もしかして、バレンタインの……?」
「ええ。でも変な想像しないでよね。私は、法律を破りたくないだけだから」
「う、うん。ありがとうっ」
こちらが冷たい口調で言い放ったにも関わらず、男子は礼儀正しくお礼を言い、あどけない笑顔を見せた。
その表情に、彼女は意表を突かれ、ドキリとする。
普段は教室の片隅でじっと本を読んでいるような人物のはず。笑う印象など微塵もなかったのに、こんな顔もするんだと心を揺さぶられた。思春期を言い訳に、不調法な態度を取る男子が多い中で、しっかりとこちらを見てお礼を言えるところも悪くない。
――これからは、もう少し話をしてみようかしら。
馬鹿馬鹿しい法律が、少しは役に立った瞬間であった。
終。




