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後編

17.

凛香【それで、それから先輩に強く当たられるようになって。特に人前で大きな声で怒られるようになったんです】

Metre【かわいそうなのじぇ…】


 卯月率いる、チーム『敬老会』は、リアルであった悩みは相談し合うという特色を持っていた。

 ちなみに『敬老会』というチーム名には、リアル都合で一時的にゲームを去ろうとも、年金をもらえる年になったらまた集まろうね、という思いが込められている。


みょん【みょんはそういうとき、盗撮するみょん!】

ぷらずま【盗撮?なんで?】

みょん【後で盗撮した姿を見るみょん。ぷっくっく、盗撮されてることも知らずアホ面晒しておるわい、とか言って楽しむみょん】

さらしぼ【く、暗いな】

猫屋敷【ある意味、それで済むのなら健全です】

焼肉定食【私は、すれ違いざまに悪口行ってくる奴に『泥棒』って呟いたら言われなくなった】

ノエル【なんで泥棒?】

焼肉定食【一線超えちゃってる奴は、他のことでも一線超えちゃってるかなーって思って】

ノエル【ははあ】

Metre【多分、そいつ嘘もつくし、約束も破るのじぇ】

レム【変態って可能性も微レ存】

凛香【盗撮、勇気がいります】

プリウス【肖像権もあるし無理はするな】

どみによん【なかなか難しい問題だねえ】

凛香【夢を見るんです。先輩の。飛び起きて、泣いてて】

トモくん【つらいねー】

凛香【あと下の話で申し訳ないんですが、ショックなことがあると生理が来ちゃうんです。お腹の調子もずっと悪くて、職場でトイレにばっかり行ってます】

ゴンザレス【先輩もはや訴えてもいいね】

猫屋敷【難しいでしょう】

粉みかん【そうだ、労災もらって退職しよう】

Yuri【簡単に言ったけど、労災ってけっこう難しいよ。まさに上へ下への大騒ぎ】

高橋【そのストレスで凛香さんが潰れちゃいそう】



18.

 卯月はパジャマからジャージに着替えた。

 上にジャンパーを羽織ると暖かかった。

 いつもより少し早めの朝食である。

 冷蔵庫からタッパーをいくつも持ち出してきてテーブルに並べていく。

 なめ茸、鶏ハム、ナスの揚げびたし、無限キャベツ、もやしのナムル…。それぞれを少量ずつグリーンのプレートに盛り付けていく。

 最後にスープとホイップを添えた全粒粉パンを載せて朝食が完成した。

 卯月はそれをテレビの前に運んで食べた。

 テレビは朝の番組を放送している。

 やがて外がわさわさしてくるのを感じた。

 卯月は朝食を口に押し込んでさっさと片づけると、マスクをつけて玄関へ向かった。

 そっと玄関を開けてみると、大勢の人がわらわらとあちこちへ歩いているのが見える。

 皆青っぽい作業着を着ていて、帽子をかぶっている。

 そんな人たちが大きな青いビニールシートを広げてパン屋の駐車場を隠していた。

 卯月宅へ入る私道の入り口あたりで腕を組んでそれを見物している、私服の近所のものらしき人が立っているのを見つけた。

 それを見て卯月も外に出ることを決意した。


 外に出てきた卯月に気づいた近所のものらしき人は、黙って会釈し、卯月も会釈を返した。

 パトカーや救急車、消防車までもが何台もずらりと道に縦列駐車している。

 右手のほうを見る。

 同じように花屋はビニールシートですっかり覆われていた。

 ビニールシートに作業着の人たちが忙しそうに出入りしている。

 ずっと向こうにバリケードがあり、その向こうに卯月と同じように厚着をした人たちが何人か見物しているのが見える。

 左手の方を見る。

 八百屋もビニールシートを張られている最中だった。

 その先にあるY字路をバリケードが完全に封鎖している。

 その向こうにも、野次馬らしきものたちがぽつぽつと佇んでいるのが見えた。

 突然、左手のビニールシートの中から悲鳴のような叫び声が上がった。

「娘と孫が出かけたまま帰ってないんです!探してください!お願いします!探してください」

 最後は嗚咽と混ざって言葉を成していなかった。

 ビニールシートから出てきたスーツの男が、険しい顔をしてこちらを見る。

「危険ですので、家に戻ってください!」

 強い口調で言われ、同じようにバリケードの向こうの野次馬たちも追い払われ始めた。

 気が済んだ卯月は大人しく指示に従い、家に戻った。


 

19.

わさび【こんばんわー】

Metre【あ!わさびさん来たのじぇ】

どみによん【聞いてよ!凛香さんの先輩が酷いんだよ!】

凛香【わさびさん…】



20.

 テレビでは司会者が大きなフリップを持って説明をしている。

 卯月はそれをテレビの前で大きなシュークリームを齧りながら眺めていた。

 司会者がフリップを指して熱い口調で語る。

「ここが、八百屋『富士八』さんの敷地になります。ここの、お客さんが駐車するスペースになりますが、ここ、ここに」

 フリップのシールをめくる。

 そこには青い、手足、首のない人型のシルエットが無数に並んでいる。

「人の胴体。その数なんと1、2…」

 司会者はシルエットを指さして数えている。

「20人分…」

 女性のコメンテイターが口元を覆っている姿が映される。

 司会者は続けてフリップの上部を指す。

「続いてここは、パン屋『クレッシェンド』さん、手前の駐車場になります。ここに…」

 シールをめくる。

 ずらりと40本分の手が並んでいる。ちゃんと右手と左手と分かれていた。

「これ、20人分の手、両手で40本です」

 司会者がこちらの反応を伺うようにカメラを見る。

「そして、ここが花屋『フラワーショップよしいけ』さん。この手前は車が3台程置ける駐車スペースになっています。ここに…」

 司会者はシールをめくろうとするが、なかなかめくれない。

 四苦八苦しながらシールをめくると、そこには丸いものが20個並んでいる。

「これは、人の内臓です」

 観ている人は内臓は内臓でも、どの部位になるのか気になったことだろう。

 年老いたコメンテイターが感情を露にする。

「人の所業ではありませんね。鬼ですよ」

 女性のコメンテイターが大げさな口ぶりで言う。

「犯人の、目的は、なんなんでしょうか」

 ほかに言葉がないといった感じだ。

 それに司会者が言葉を返すが、

「全く想像もつきません」

 答えになっていない。

 その時、チャイムが鳴った。

 いいところだというのに。

「はい」

 返事をして卯月は玄関に向かう。

 カギを外してドアを開けた。

 玄関の外に立っていた人物は、紺色のスーツを着て社員証のようなものを首からぶら下げた若い男性だった。

 男性は一礼してにこやかに言う。

「わたくし、第二テレビと申します。二日前にありました、死体遺棄事件についてお話を伺いたいのですが」

 卯月は静かに返事をする。

「私はなにも知りませんし、お話できることがありません」

 相手に期待を持たせてもいけないので、強く拒絶の態度を出した。

 男性は「失礼いたしました」とまた一礼すると、帰っていった。

 卯月はふと、こんなやりとりが初めてではないような気がした。

 素早くテレビの前に戻る。

「みなさまを笑顔に。ひまわり物流」

 テレビはCMを映していた。



21.

 人は他人の気持ちや考えていることが判るものではない、理解するよう努力したり、想像したりする程度だ、ということを知ったのはかなり大きくなってからだった。

 特に卯月は人の悪意についてとても敏感だった。

 突然大きな音を出されたり、特定の音が苦手だったりもした。

 おそらく人より感覚が開かれていたのだ。

 卯月はそれを普通のことと捉えていた。

 皆も同じような世界で生きているのだと。

 それが実は違うのだと知ったとき、世界がひっくり返るほどの衝撃を受けた。

 人の考えを考慮しない発言や行動をする人には、何か意図があってそのようなことをしているのだと思っていた。

 そんな障害と言って差し支えない特質をもつ卯月が無事成人を迎えられたのは、たった一人の友人や家族達の深い愛情や、周囲の生ぬるい空気に包まれてきたからであった。

 

 卯月が成人式を迎えてしばらくしたころ、卯月宅から少し奥に入った土地に大きな家が建った。

 小さな子供を連れた夫婦が越してきたようだった。名を藤原さんといった。

 お嫁さんは東京から来た人だと、母が言っていた。

 卯月はお嫁さんを見ることがなかったが、南の窓を見ると白くて瀟洒な建物が見えた。

 卯月は若くておしゃれなお嫁さんを想像していた。

 

 不穏な空気が漂い出したのは、それから3年ほどが過ぎた頃だった。

 卯月が家業の店で精算作業をし帰ってくると、いつもは温厚な父が珍しく怒っていた。

 母が昼間家にいたとき、藤原さんの奥さんが訪ねてきたらしい。

 すごい剣幕で、まくしたてることにはなんでも、

「お宅の横の空き地にある水路、深くて大きいのに、お宅から伸びた雑草で隠れていて危ないじゃないですか!うちの子が落ちるところだったんですよ!草を刈って蓋をしてください!」

、母は、「空き地ではなく、うちの私有地になりますので、入らないでください」と穏便に追い返した。

 それについて父が怒っていた。

「うちは奥の土地へ入る道路のために土地を提供してるんだ。やるべきことはやっている!うちの土地にある水路のことまで知らん!」

 父が怒っているので、空気がビリビリしているような、卯月は嫌な雰囲気を感じた。

 と言いながらも父は、日曜日にしっかりと草を刈った。

 話はこれで終わったはずであった。

 しかしこれが何もかもの始まりであった。



22.

 卯月は凛香の話を静かに聞いた。

 どうにもならない会社の体系。それに馴染めない凛香。

 大人に憧れを抱き、裏切られ続けた凛香。

 失望する凛香に、凛香の先輩も戸惑ったのだろう。

 気の毒で、気の毒で、救ってあげたくて。



23.

 終わったはずの話は終わっていなかった。

 藤原家の奥さんは度々家に来るようになった。

 チャイムが鳴り、ドアを開けると険しい顔をした奥さんが立っている。

「水路に蓋をしてください。うちも子供が小さいので心配なんです」

「ですから、私有地ですので入らないでください。お子さんにもよく聞かせてください」

 母はチャイムが鳴ると、ドキッとすると言っていた。

 藤原の奥さんへの対応にほとほと困り果てていたようだった。

 卯月も話を聞いただけで、ピリピリとした嫌な空気を感じた。

 卯月は南の家が見えないように、南側の窓を気づいたときにカーテンを閉めるようにした。

 そんなある日、父がたまたま年休を取り家にいた時、藤原の奥さんがやってきた。

 いい機会と父が対応に出ると、奥さんも一瞬戸惑ったような顔を見せたが、言うことはいつもと同じだった。

「蓋をしてもいいが、費用をお宅で出してください。するにしろ、しないにしろ、私有地なので立ち入ってもらっては困る。今後も一切立ち入り禁止です」

 大きな水路になるので蓋もそれなりのお値段になる。

 奥さんは何も言わずに帰っていったという。

 卯月は奥さんはお金を出して蓋をすればいいのに、と思った。

 父は「これでしばらく来ないだろう」と言っていたが、本当に来なくなった。

 卯月も枕を高くして眠れるようになった。

 

 子供たちが夏休みに入った頃だろうか。

 暑い日曜日、父は伸びてきた水路脇の草を刈った。

 卯月はダイエットになるからと、朝から風呂に入っていた。

 弟は漫画喫茶に遊びに行き、母は伯母からもらったたくさんの梨を剥いていた。

 何事もない普段通りの日曜日。

 たしかに日曜日は何事もなく経過したのだ。

 ことが起きたのは月曜日だった。

 朝早くに救急車が家の近くで止まった。

 卯月はもう少し寝ていられるのに、とサイレンで起こされ眠い目をこすった。

 父はすでに仕事に出かけていて、遅くまで遊んでいた弟は夢の中だった。

 卯月より早く起きていた母が血相を変えて卯月の寝室に飛び込んできた。

「隣に救急車が停まってる」

 卯月は貴重な朝の時間を救急車ごときで起こさないで欲しかった。

「隣ってどの隣?」

「隣よ。うちの土地」

 卯月も目が覚めた。

 母と一緒に二階の南の窓のカーテンを開け外を見てみた。

 確かに救急車が停まっている。

 しかし救急隊員の姿は見えない。

 数人の話し声、掛け声が聞こえる。

「うちの水路に誰か落ちたんじゃないかしら…」

 母の言葉に卯月は、

「まさか」

 と返すが、動悸が徐々に早くなるのを感じた。

 やがて救急車のドアが閉められる音がし、誰かが運び込まれたのだろうが、垣根が邪魔をして結局見えなかった。



24.

 不安がる母と寝たまま起きてこない弟を家に残して、卯月は家業の店の開店作業に向かった。

 一人でレジの準備をしていると、ぽつりぽつりといつものお客さんがタバコを買いにやってくる。

 そんな常連客に混ざって、見慣れない腰の曲がった婦人が買い物に来た。

 わりと身なりに気を遣っているといった感じの上品そうな人だった。

 ビーズを編んで作られた手提げから小さながま口を取り出すと、

「おすすめをくださる?」

 と言った。

 口ぶりから、普段こういった店を利用しない人だとわかった。

 卯月は丁寧に発売期間中のものを説明した。

 個人的に売りたいものを、おすすめと言って推すと、婦人はそれを、とがま口からお金を出した。

 商品を袋に入れて渡すと、婦人は受け取り、それからしげしげと卯月の顔を見た。

 じっと金魚のような目で、卯月の顔を見る婦人。

 卯月はビリビリ、と空気が騒めくのを感じた。

 こちらに不手際があったとかいうレベルではない、もっとずっと昏い気持ちが伝わってくるのを感じたのだ。

 婦人は手提げに商品を納めると、その後は卯月と目を合わせることなくさっさと店を後にした。



25.

 卯月は清算作業をして、一緒に働いている従妹を家に送り、家に帰ってきた。

 玄関のドアを開けると、重たい空気があふれてきて卯月を襲った。

 卯月は戸惑ったが、意を決して玄関に踏み込む。

 玄関を上がってダイニングへの扉を開けると、テーブルには父と母が着いていた。

 母はうつむいており、父は腕組みをして不機嫌そうにしていた。

 卯月は、それを見ただけで「あ、誰か死んだ」と確信した。

 真っ先にその場にいない弟の身を案じた。

「ふーくんは?」

 卯月が訪ねる。

 母が答えた。

「二階にいるわよ」

 卯月の方を見ずにかすれた声で答える。憔悴しきった、疲れた声だった。

 卯月は恐る恐る尋ねる。

「人が死んだの?」

 母が顔を上げた。

「バカ言うんじゃないよ」

 涙声だった。

 卯月は続けて尋ねる。

「じゃあどうして泣いてるの?」

 その問いに今まで黙って腕組みしていた父が答えた。

「藤原さんところの子供が、うちの水路に落ちたそうだ」

「そう、怪我したの?」

 水路は深いが、死ぬような深さではない。

 父が言う。

「ラジオ体操のあとに子供たち何人かで水路の縁を歩く遊びをしたらしい。藤原さんの子供が頭から落ちて、水路の底で動かなくなってたそうだ」

「それは誰に聞いたの?」

「増山さんの奥さんだ」

 口が軽いで有名な増山さんの奥さんか、と卯月は思った。

 卯月は気になっていたことを聞いた。

「藤原さんは家に来て何か言った?」

 母がつぶやくように答える。

「来てないよ…」

 母はエプロンの裾で涙をぬぐって涙声で続けた。

「可哀想なことをしたね…蓋をしてればよかった…」

 父が大声を出した。

「蓋をしないと決めたのは向こうの家だ!わざわざ落ちるような遊びをして、うちには責任はない!」

 法律上は確かに責任は無いだろう。うちの水路、と言っているが厳密には市のものである。

 確かに、法律上は。

 

 

26.

 母は藤原の奥さんが家に来るのではと毎日怯えていた。

 弟はいつものように学校へ通学していた。

 父もいつものように仕事へ行き、卯月もいつものように家業の店へ通った。

 しかし、藤原の奥さんはいつまで経っても家へ来なかった。

 卯月にはそれが意外であった。

 あの奥さんのことなのだ。法律上無理でも、賠償を求めたり、責任の追及をしてくるに違いない、と思っていた。

 卯月はネットで法律のことを調べ、うちに責任が無いことや、考えられる相手の出方を毎日母に言い含めた。

 だが母が笑顔になることはなかった。


 それはある日突然起きた。

 まだまだ暑さが残る夜だった。

 音に敏感な卯月は夜は防音カーテンを閉め、クーラーをつけて寝る。

 家に帰ってきてからゲームに張り付き、今日もよく働き、よく遊んだ。

 電気を消して横になる。

 卯月は寝付くのが遅く、いつも一時間くらいはこの状態で起きている。

 目を閉じて寝返りを打っていると、そとから話し声が聞こえてきた。

 男性数人が話しているのが聞こえる。

 笑い声が時折混ざるが、何を話しているのかは聞き取れない。

 距離と方角から八百屋の庭から聞こえてくるようだった。

 突然、

「おい!」

 怒鳴り声が聞こえてきた。

 喧嘩でもしているのだろうか。

 その声は防音カーテンを突き抜けてきて、卯月はとても不愉快になった。

 苛立たし気に、寝返りを打ったその時だった。

「おい!卯月!」

 卯月は目を開けた。

 確かにそう聞こえた。

 八百屋の庭から小さく笑い声が聞こえ、その後、まるで誰もそこにいなかったように静まり返った。



27.

 午後になると家業の店を手伝いに従妹がやってくる。

 卯月は従妹が来るやいなや、昨夜の出来事を話した。

 従妹は驚いて、にわかに信じがたい、といった顔をした。

 卯月はひとしきり、自分がどんなに気持ちの悪い思いをしたかを語ると、午後の仕事に就くためレジ前に座った。

 従妹も気の毒だということ以外言いようがなかった。


 この店は夕方になると、仕事帰りの人たちなどで客足が速くなる。

 従妹と手分けして次々とやってくる客を捌いていた。

 その時だった。

「卯月!」

 とても遠くからだった。

 男の声だった。

 卯月は思わずそちらを見る。

 そこには従妹が担当している窓口があり、せわしなく行き来している車が見えるだけだった。



28.

 客が途切れた時を見計らって従妹に、今聞こえたのだと卯月は訴えたが、従妹は「外から声は聞こえたが『卯月』と言っているかはわからなかった」と言うだけだった。

 いつになく取り乱している卯月を見て、従妹は心配そうにしていた。

 「気にしすぎないほうがいいよ」と月並みな慰めをいただいて、もやもやした気持ちのまま卯月は清算作業をし帰宅した。

 

 帰宅して、台所にいた母に昨夜と今日のことを話した。

 母はそれを聞くと過剰に反応した。

「あんたまで気持ち悪いこと言わないで!」

 何かあったのかと聞くと、日中何度も電話が鳴ったのだという。

 一度だけ鳴る、いわゆるワン切りというやつだ。

 それから庭にタバコの吸い殻が落ちていたという。うちに喫煙者はいない。

 重苦しい空気が充ちた。

 何かが起きている。

 それが良いことでないことだけは確かだった。


 

29.

 それから卯月は朝家を出るたびに、

「ブス!」

 と言う声を聞くようになった。

 方角は八百屋の方向から、若い女の声だった。

 八百屋とは親しくしているわけではないので、家族構成などは知らない。

 だから若い女が誰なのかわからず、卯月は正体の知れなさに怯えた。

 「人殺し!」という声で驚いて飛び起きたこともある。

 庭には毎日なにかがあった。

 それは吸い殻であったり、ジュースの空き缶であったりした。

 庭に出たとき小鳥の死骸が落ちているのを見つけたことがある。

 卯月にはそれが、偶然ここへ来て力尽きたようには思えなかった。

 毎日夜になると、男が卯月の名を呼ぶ。

 なにもかもが、偶然ではなく意図されて行われているのだと卯月は気づき始めていた。


 卯月はICレコーダーを持つようになったが、うまく音が取れなかった。

 「う!」と聞こえる人の声が取れたことがあったのだが、それが悪口や卯月の名前に聞こえるかと言ったら難しかった。

 卯月はネットを参考にして、日記をつけ始めた。 


 その頃、伯母を通して藤原さんの噂を聞いた。

 水路に落ちたのは藤原さんの一人息子で、水路に落ちたときの怪我で植物状態となったらしい。

 藤原さんは卯月の家を訴えると言い、次に市を訴えると言い始め、やがてそれも言わなくなったらしい。

 母はそれをとても気に病んだ。

 卯月は諸々のことを母と父の前で報告した。

 それでどんなに自分が気分の悪い思いをしたか訴え、その日あったことや気持ちを記した日記も見せた。

 母は心配していたが、父は渋い顔をした。

「警察沙汰だけは勘弁してほしい。叔父さんがここに住めなくなる」

 卯月は驚いて聞いた。

「なんで!?」

「奥の家を建てるとき、増山さんに道路を通す許可をもらってるんだ」

 増山さんとは八百屋のことである。

 奥の家を建てたのはずいぶん昔のこと、戦後くらいのことだ。

 卯月は当然の疑問を口にする。

「うちの土地なのに?!」

「色々あるんだ」

 卯月は愕然とした。

 

 藤原さんの奥さんは介護の仕事をしているという。

 趣味で洋服のお直しなどをしており、近所の人の依頼を無料で受けているということだった。

 そんな噂が耳に届いたころ、八百屋の庭には卯月が出入りする勝手口に向いた庭木に、謎の奇妙な面が飾られるようになった。



30.

卯月は駐車場の位置の関係で八百屋に面した道、例の問題の道をを愛車で通る。

 そこを通るとき、ボン、と何かが愛車にあたる音がするようになった。

 また、帰宅時を狙って待ち伏せるかのように、車から降りるのと同時に怒鳴り声を上げる者があったり、また別の日には爆竹が鳴ったりもした。

 あまりの気味の悪さに卯月は、奥の屋根付き駐車場へ愛車を停めることをあきらめ、自宅の庭に野ざらしで停めることにした。

 これで例の道を通らなくてもすむ。家を出るときの姿を八百屋に見られることもない。

 ほっとしたのもたった一日だった。

 車で庭を出るとき、丁度垣根沿いに建てられた八百屋の納屋の窓が見えるのだが、先日まで閉じていたその納屋の窓がほんの少しだけ開いていた。

 卯月は背筋が凍った。


 夜や、土日の日中に男が卯月の名を呼ぶ。それが女だったりすることもあった。

 方角は八百屋だけでなく、花屋の方からも聞こえた。

 3時や4時の静かだった時間に、突然名前を呼ばれ、卯月は飛び起きた。

 雨戸を閉めても、声は卯月の耳に届いた。

 風呂に入ると必ず一回以上名前を呼ばれる。

 監視されているようで、卯月は気が狂いそうだった。

 母は勝手口から生ごみを出すとき、かなりの頻度で怒鳴り声が聞こえると怯えていた。

 庭には生き物の死骸が良く投げ込まれるようになり、洗濯物がなくなるようになった。

 さすがに父がわかりやすい場所に監視カメラを設置した。

 すると庭への不審物の投げ込みや盗難はぴたりとやんだ。


 ある日卯月が風呂に入ろうとしていた時だった。

 いつもなら風呂の明かりを点けると、外から名前を呼ぶ声が聞こえてくるのだが、その日は何故か明かりを点けず浴室のドアを開けた。

 なのでよく見えた。

 風呂のすりガラス窓すぐ外側で、ちょうど真っ暗な中携帯の画面を開いている者がそこにかがんでいるような、光の帯が伸びているのを。

 卯月は更衣室の明かりも消し、真っ暗な中手探りで風呂に入った。

 遠くから怒鳴り声が聞こえてきた。

 その日から卯月は浴室に明かりをつけることができなくなった。


 父は、

「うちのことで色々と言う人はいるが、本当のことを知ってる人はちゃんといる。堂々としていればいい」

 それで平気のようだった。

 母はうつ病の様相を呈し始め、卯月は何もしなくとも体重が減り始めた。



31.

 秋祭りは酔っぱらった男たちが家の外で騒いだ。

 数々の罵詈雑言が自分に向けられているようで、卯月は耳をふさいで二階で丸くなっていた。

 

 卯月の弟が卒業し、就職の時期を迎えたが、近所は軒並み落ちてしまい、都市部で就職するため住居を変更することになった。

 卯月は心細さを感じた。


 ある日卯月は遠出するためにバスを待っていた。

 運転に少し自信がなかったので、電車を使うことにしたのだ。

 家のすぐ前にあるバス停で卯月はバスを待っていた。

 いつ怒鳴り声が上がるか、名前を呼ばれるか、卯月はびくびくしていた。

 しかし、見通しの良い場所にいるにも関わらず、珍しく静かだった。

 卯月はつかの間の静寂を堪能した。

 気が付くと、自分の足元におぼつかない足取りでよちよちと寄ってくる小さな子供がいる。

 とても小さな女の子だ。

 女の子が卯月を見上げた。

 もしかするとかわいい男の子かもしれない。

 柔らかそうな頬に卯月は癒された。将来美人になるであろうと思わせる顔立ちだった。

 そういえばこの子の親はどこに居るのだろう。こんな小さい子が一人で出歩くとは思えない。

 卯月がそんな風に思った時だった。

 女の子がサクランボのような唇を開き、たどたどしい口調で卯月に言った。


「はやく!でてけー!」


 物陰から母親らしい女性がさっと出てきて女の子を抱え上げた。

「だめでしょお!そんなこと言ったら!」

 そしてにやけた顔で、

「すみませーん」

 卯月にそう言うと、女の子を抱えてさっさとどこかへ消えた。


 卯月は呼吸が速くなるのを感じた。

 なんだろう、息が、入ってこない。

 こんなに激しく息を吸ったり吐いたりしているのに、肺はちっとも酸素で満たされる感じがしない。

 卯月はうずくまって転がった。

 力を振り絞って、携帯の119番を押した。



32.

 病院での診断は過呼吸だった。

 入院を要するまでもなく、卯月は家に帰された。

 母が心配して何があったのか聞いたが、卯月はそれを話せなかった。

 母が自分以上に気に病むのではないかと思ったからだ。


 次の日家業の店に向かうため玄関から外に出ると、パン屋の方から若い女たちが話すのが聞こえた。

「何あいつ、死んだんじゃなかったの」

「うっざ」

「妹も死んであいつも死んだらやばくない?」

「ウケるー!」

 笑い声が響いていた。



33.

 卯月は開かれた感覚は閉ざすことができない。

 卯月にとって状況は生き地獄であった。

 そんな中で、卯月はある日突然爆発した。

 みんなが寝静まった中突然、悲鳴を上げて卯月は飛び起きた。

 父母がそれを聞きつけ慌てて卯月の部屋に駆け付けた。

 卯月は悲鳴を上げ暴れた。

 それを卯月は覚えていない。

 

 気が付いたら鉄格子の部屋に卯月はいた。

 便器と布団以外何もない独房のような部屋だった。


 日が昇って昼近くになった頃、母が鉄格子の向こうにやってきた。

 母は泣いていた。



34.

 時間は沢山あった。

 何もすることのない冷たい部屋で、卯月は考えて、考えて、考えた。

 このままでは殺されてしまう。生き残る方法を考えた。

 卯月の脳は高速回転した。

 自分の体が溶けて周りの大気と一体になるのを感じた。

 意識がずっとずっと広がり、宇宙の端まで充たされていくのを感じた。

 その中で卯月が出した答えは、


 自分を取り巻く悪意と戦わず、かと言って逃げることもなく、ただひたすらそれを見つめることに徹することだった。



35.

 勤め先に馴染めなかった弟が、ネトゲ仲間の誘いで中国へ出稼ぎに行くことになった。

 弟の思い切った決意に卯月は驚いた。


 隣の空き地は、以前買いたいと申し出たことがあったリサイクル業者に売ることになった。


 父母は、あの晩以来卯月も落ち着いていることだし、比較的暮らしやすいバリへ引っ越しを考えていると卯月に告げた。

 しかし卯月は日本に残ると言い張った。

 理由は、今住んでいる家にあった。

 この家を売るとしたら、買いたたかれて土地も込みで500万といったところだろう。

 しかし人が住んでさえいれば、この家は2000万程度の価値がある。

 無人なら500万、有人なら2000万。

 なので自分はここに残ると卯月は主張した。

 両親は何かがあったら困る、卯月を連れていくと言った。

 しかし、卯月は謎の主張を盾に断固として譲らなかった。

 結局両親は卯月を連れていくことを諦めた。



36.

 そして今に至る。



37.

 卯月のチーム『敬老会』は、普通のチームと少しだけ違った。

 皆が卯月と同じ趣味を持ち、皆が卯月と同じ本を読み、皆が卯月と同じ神を信じていた。

 普通のチームとほんの少し違うのだ。



38.

どうにもならない悩みを聞くときに効果的なのは、まずは同意すること。

 次に否定しないこと。

 最後に理解していると、味方であると相手に伝えることである。

 それからもう一つ。

 同じような悩みを持っていたら、それを打ち明けてみるのもいい。

 相手の痛みが和らぐこともある。

 だから卯月は語ってあげた。

 自分を取り巻く世界の話を。


 話が進むにつれ、皆が無言になっていった。

 胸糞の悪い話に、皆辟易して退席したのかもしれないと卯月は少し思った。

 しかし、今はこの話をすることが凛香に必要だと感じた。

 なので卯月は構わず話を続けた。

 自分が受けた仕打ちの一切合切を詳らかに。


 話が全て終わったあと、卯月が、

「終わりです」

 と宣言しても、皆無言だった。

 肝心の凛香まで一言も喋らない。

 と思っていたら、喋った。


凛香【ひどい…。卯月さんなにも悪くないのに】


 話したついでに、卯月が期待した言葉でもあった。

 ついでに卯月も癒されたのだ。


凛香【何だか、バカみたい。こんなことで私、うじうじ悩んでて】


 そんな軽い話でもなかったが、凛香の気分が少しでも良くなったのなら、卯月にとってそれはうれしいことだった。


Metre【ひどすぎるのじぇー!そいつらの血は何色なのじぇー!】

 

 続けてメートルが声を上げた。

 それをきっかけに皆が次々に声を上げた。


さらしぼ【何様なんだ!】

レン【卯月さん可哀想!】

おひげがファンタジー【なんで卯月さんがそんな目に】

恋色パンツ【許せない!】

Ryuka【滅べばいいのに!】


 元気づけられるのはありがたかった。

 しかし全然凛香の話ではなくなってしまっている。

 凛香がそれを気にするのではないかと、卯月は心配になった。


みょん【みょーん!みんなー!このままでいいのかみょん!?】


アルミ【いいわけない!】


味玉【我々の卯月さんだぞ!】


冷凍イカ【罰を与えろ!】


Metre【処刑なのじぇー!】


かおりん【処刑!】

片方だけの靴下【処刑!】

aru【処刑!】

北極【処刑!】


【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】【処刑!】


猫屋敷【まあまあ、皆さん】


 猫屋敷が口を挟んだ。

 年長者として熱くなった皆を制そうとしたのだと思った。


猫屋敷【金銭面は全面的にバックアップさせてもらおうと思います。皆さんには力仕事をお願いしたいと思うのですが、それでいかがでしょうか?】



39.

 バスの中はにぎやかな雰囲気で溢れていた。

 女性たちがおしゃべりを楽しみ、子供は子供同士で奇声を上げてはしゃいでいる。

「これ、作ってきたんですけど皆さんよかったら」

 上品そうな女性が大きなお弁当箱のようなものを後ろの席に回す。

 中にはきれいに作られたアイスボックスクッキーが並んでいる。

 後ろの席の婦人はそれを見て歓声を上げた。

「やだあ、藤原さん、なにやってもお上手!」

 別の婦人は我が子に怒鳴り声を上げていた。

「裕也!あんたいいかげんにしなさい!」

「だから靴で乗らないでって言ってるでしょ!」

 別の子供は父親のスマホを夢中で弄っている。

 その隣でその子の父親はいびきをかいていた。

 和気あいあいとした空気に満ちたバスは、高速道路へと入っていった。



40.

 男の子がぐずっている。

 その父親が苛立たし気に言う。

「繋がらないんだからしょうがないだろう!もう寝ろ!」

 どうやらスマホがつながらずゲームができないらしい。

 周りは眠っている者が多く、小さないびきがあちこちから聞こえてくる。

 父親は窓の外を見る。

 バスはいつの間にか高速を降りていたようだった。

 しかしなにやら様子がおかしい。

 バスは木々が鬱蒼と茂る細い道を走ってゆく。

 ぐねぐねと曲がり、まるで山道だ。

 渋滞でもあって、抜け道を走っているのであろうか。

 やがてバスは少し開けた場所で停まる。

 ここも周りは木だらけだ。

 あきらかに終点某夢の国ではない。

 父親はいびきをかいている前の婦人を起こそうかと迷った時だった。

 バスの入り口が開く音がした。

 その入り口からどかどかと足音を立てて入ってくる者たちがいる。

 その数10人程か。

 一番最初に目に入ったのは髪を奇抜なピンク色に染めたボブヘアの華奢な若い女性だった。

 女性は華奢な体に似合わないものを抱えている。

 大きな黒いライフルだった。

 その者たちは皆、軍服を身にまとい、軍靴を履いている。

 そして皆ライフルを抱えていた。

 丁度サバイバルゲームの最中の連中がなだれ込んできたといった感じだった。

 ピンクの髪の女性が天井にむけて威嚇発砲する。

 父親はそれがエアガンでないことを知った。

「え、何?」

 発砲音で寝ていたものが起き始める。

 女性の上げた声が車内に響いた。

「オラオラみんな起きるのじぇ!パーティーの始まりなのじぇ!」



41.

 夜更けのとある山奥。

 バスが一台。

 10tトラックが20台。

 ハイエースが12台。

 集まって停まっていた。

 見ているのは山に住む獣たちだけ。



42.

 床と四方の壁をぐるりと青いビニールに覆われている部屋の中、5人の男女が立っていた。

 ゆかに寝そべる男を囲んでいる。

 男の顔色は紫色で、首にはくっきりと絞められたような跡が残っており、一目で無事でないことが判る。

 どこかの家の一室に見えるが、ここは10tトラックのコンテナの中だ。

 一人は先ほどのピンクのボブカットの女性。

 一人は体格のいいスキンヘッドの男性。

 一人は背が高めでスリムな体型をした女性。長い髪をシュシュで束ねている。

 一人は少し長めの髪を茶色に染めた、まだあどけなさの残る顔立ちの男性。

 一人は壮年の男性。彼だけは他のものと違い、軍服ではなく一人だけ仕立ての良さそうなスーツを着ている。

 ピンクの髪の女性がつまらなそうに言う。

「どうせなら生きたまま殺したかったのじぇ」

 茶髪の男性が笑う。

「え、生きたまま殺したよ。てかメートルさん、リアルでもその喋り方なんだね」

 長い髪の女性が言う。

「まあ、何が言いたいかは解る」

 メートルが訂正する。

「間違えたのじぇ。生きたままバラしたかったのじぇ」

 壮年の男性が穏やかな声で言う。

「生きたままバラすと血が飛び散りますからね。しかたありません」

 男性はそれからコンテナの隅に置かれたパイプ椅子の前に移動する。

 パイプ椅子に乗ったタブレットを操作すると、コンテナの中の様子が映った。

 このタブレットで他のコンテナと通信を取るのだ。

 さらに操作をすると音楽が流れ始めた。

 男性はタブレットの前で両手を広げて言った。

「さあ皆さん。始めましょう。どうせなら楽しんでやりましょう。全部終わったら温泉が待ってますから、どうか頑張ってください」

 

 壮年の男性は長いナイフを持って、裸に剥かれた寝かされている男の腕の関節にナイフを入れ、丁寧にナイフの入れ方や注意点を解説していく。

「切るというより外すという感覚です。外れると腱だけになりますからそこを切ってください。女の子は無理せずに、できないことは男の子に頼みましょう。どうしてもできなかったら私を呼んでください。皆さんくれぐれも自分の手指を切らないように、それだけは気を付けてくださいね」

 メートルはその様子をカメラで撮影している。

「猫屋敷さんわかりやすいのじぇー。匠の技なのじぇ」

 あっという間に腕が胴体から外れた。

 茶髪の男性が言う。

「結構血が出るんですね」

 猫屋敷が答える。

「大体4000mlの血が人間の中には流れています、オポッサムさん。死んだからといってその血がどこかに行くわけではありませんからね。では皆さんでやってみましょうか。男性が足を担当しましょう」

「緊張するのじぇー」

 男女はそれぞれ箱からナイフを一本ずつ取る。箱の中には大分予備があった。


「ミニ四駆さん」

 メートルが腕にナイフを入れながら、隣で足を外す作業をしているスキンヘッドの男性に声をかける。

「何?メートルさん」

「100均でお菓子買ったりするのじぇ?」

「うん、まあ時々」

 突然の質問にミニ四駆は笑いながら答える。

 メートルは手を動かしながら続ける。

「あれ、ドラッグストアで買った方が安いこともあるのじぇ。注意なのじぇ」

「うん、そうだね」

「メートルのおすすめはでっかい板チョコですのじぇ」

「へえー」

「100円であの量はお得すぎるのじぇ。でもそのまま食べるとくっそ不味いのじぇ」

 ミニ四駆が笑う。

「だめじゃん」

「あれは、一回溶かすのじぇ。ドライヤーで簡単に溶けますのじぇ。一欠けらだけとっといて、細かく刻みますのじぇ。それから溶けたものにパラパラーと混ぜますのじぇ」

「そうするとどうなるの?」

「すっごく美味しくなりますのじぇ。テレビでやってたのじぇ。オレンジ買ってきてオランジェットを作るともう絶品ですのじぇ」

「いいねえ。食べたいな」

 メートルがミニ四駆の目をじっと見つめて言う。

「今度ミニ四駆さんに作ってあげますのじぇ」

「え!まじで!」

 オポッサムがからかう。

「メートルさんぐいぐいいくねー」

 ミニ四駆は照れくさそうに言う。

「いやでも、メートルさんが作ると、何か毒とか入れてきそう」

 その言葉に首を切り離す作業にかかっていた長い髪の女性が噴き出す。

 メートルは膨れる。

「失礼なのじぇ!メートルそんな悪人じゃないのじぇ!」

 こんな作業に参加しているあなたは悪人ではないのか。

 そんな至極真っ当な疑問を呈する者はここには誰もいないのであろうか。

 違う。

 我こそは善人であると、全員が信じていた。

「外れたのじぇー!」

 メートルが外れた腕を掲げる。

「早!」

 足を外すのに四苦八苦しているオポッサムが感嘆の声を上げる。

 猫屋敷が拍手をする。

「グッド。なかなか手際が良いですよメートルさん。足は慣れないと時間がかかります。力も要りますし男性が適任なんですよ」

「頑張ります」

 メートルは長い髪の女性に話しかける。

「プリウスさん、手伝いますのじぇ」

「ありがと。じゃあ反対側からお願い」

 メートルは首にナイフを入れながら言う。

「メートルの案よかったのじぇ?芸術的なのじぇ」

 プリウスが答える。

「ああ、内臓が整列してるってのね。ホラーでいいね」

 猫屋敷が言う。

「人の内臓はきれいに整列させるのは難しいですね。腸などは溢れてきてしまいますので持ち運びが大変にもなります」

「がっかりなのじぇー」

 オポッサムが笑う。

「いいじゃん。メートルさん開幕の挨拶できたんだし」

 ミニ四駆が、

「しかしなんで挨拶決定戦がカジノ勝負なんだよー。TAのタイムなら自信あったのになー」

 メートルはほくほくとしている。

「毎日アークマスロットやっててよかったのじぇ。当然当たり台も確保してたのじぇ」

 そしてはっとしたようにプリウスを見る。

「プリウスさん」

「何?」

「プリウスさんって、乗ってる車がプリウスだからプリウスさんなのじぇ?」

「急だね。そうだよ。プリウス乗ってるからプリウス」

「色はなんなのじぇ?」

「黒だよ」

「白は運転が下手、黒はDQNカーですのじぇ…」

 プリウスは笑った。

「悪かったね」

「プリウスさん髪きれいなのじぇ」

「いきなり何」

 オポッサムが言う。

「メートルさんってなんていうか独特だよね」

 ミニ四駆が言う。

「マイペースなんだな」

「メートルも髪伸ばそうかのじぇ」

「やってごらん。大変だよ」

 メートルはミニ四駆の方を振り返る。

「ミニ四駆さんは髪が長い子は好きなのじぇ?」

「え、うん、まあ」

 オポッサムが笑う。

「ミニ四駆さん、すごく気に入られてる」

 4人は笑い合った。

 まるで調理実習か何かのような、実に和やかなムードだった。



43.

 連絡を受けてみょんがコンテナを訪れた。

「みょーん。手足回収しにきましたみょん」

 背の低い可愛らしい女性が立っていた。

 オポッサムが言う。

「みょんさんもその喋り方なんだ…」

 ミニ四駆が袋につまった手足を渡す。

「重いよ」

「大丈夫ですみょん。ありがとみょーん」

 みょんが去ると隅で座っていた猫屋敷が立ち上がった。

「さて、メートルさん。またカメラをお願いします。今度は中身を傷つけないように慎重にやらないといけません」

 そう言って、箱から丸鋸を取り出した。



44.

 「14日午前、H海岸に釣りに来た男性が、『テトラポットの隙間に人の顔のようなものがある』と110番通報しました。現場を捜索したところ、20の人の頭部が見つかり、X県警はA市で起きたバラバラ殺人との関連性を調べています」



45.

 皆が一致団結して暴徒化する可能性を、卯月は少しも予見しなかったわけではなかった。

 実際にその例を卯月はその目で見ているのだ。

 

 だから卯月はそれをただひたすら見守ったのだ。

 いつものように。


 目の前でおぞましい計画が練り上げられていくのを、ずっと見つめ続けた。

 身の毛もよだつような計画書が読み上げられた時も卯月は、


「テレビ、家にあったんですが壊れてしまって、今持ってないんです。きっと特集が組まれますよね。おすすめのメーカーってどこでしょうか」


 とだけ言った。



46.

 露天風呂から上半身を出し、淵の岩へメートルが寝そべって海を眺めている。

 その隣には少々湯あたりしたプリウスが、岩の上に腰かけ足を組んでいた。

 モデルのようなスタイルの女性と、ピンクの髪の女性という組み合わせは珍しいようで、他の客の視線を惹いている。

 メートルがうっとりとした声を出す。

「カニ、美味しかったのじぇー」

 プリウスが答える。

「うん。美味しかったね」

「メートルたちばっかり贅沢して申し訳ないのじぇ。わさびさんも一緒ならよかったのにじぇ」

 プリウスも振り返って海を見た。

「今度はきっと、わさびさんも一緒だよ」



47.

 猫屋敷【いかがでしたか?いわば、私たち全員の共同作業による芸術、といったところです。これで少しでもわさびさんが心安らかに過ごすことができ、又、わさびさんの創作活動の刺激になれば、と思います】

 

 彼らの作品を肉眼で見たことを伝えると、猫屋敷はそう言った。

 卯月は、

 

 わさび【いい絵が描けそうです】


 と答えた。

 その時、突然家のチャイムが鳴った。

 時刻は夜に差し掛かろうという頃だ。

 警察でもない。テレビ局でもないだろう。

 玄関へ向かい、恐る恐るドアのカギを開けてみると、ぐいっと外側に引っ張られた。

「卯月!」

 ジャスパーだった。

 ジャスパーは玄関に踏み込み卯月の体を引き寄せ、強く抱きしめた。

「よかった…無事で。今日まで仕事で来れなかったんだ。ニュースを聞いて気が気じゃなかった。無事だって信じてた」

 卯月はジャスパーの背中に手を回そうとして、少し躊躇った。

 そしてそっと抱きしめたのだった。



サブタイトル、史上最悪のHimechan。

Himechanやですし、おすし、ゲーム内のチャットなどゲームをやってない人にはわからない単語をたくさん使って誠に申し訳ないです。

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