第七話 『令嬢と決闘』
「誰かこの者に剣をっ!」
青年の声が華やかな夜会の会場に響く。
誰かの従者と思しき男性が、鞘に納められた細剣とフェンシンググローブを俺に差し出す。俺はそれを受け取りながら、相対する青年に声を掛けた。
「もう止めにしませんか。少しお酒が過ぎておられるようですし、宴席の余興にしては度が過ぎます」
できればこのまま、酒席での戯れで済ませませんか? と暗に提案してみたのだが。
「なんだ、臆したのか? さっきの威勢はどうした」
だが、青年は自分の細剣を抜き放つと好戦的な笑みを浮かべて鼻を鳴らす。
明るい琥珀色の癖っ髪と青い瞳を持った、人懐こそうな若者。でもどうやら見掛けに依らず、一回火が付くと突っ走る熱血漢らしい。
なんでこんな事をする羽目に……
俺はグローブを嵌めて小さくため息を付くと、騒動の当事者である少女ーー確か、名をシャルロットと言ったかーーを一瞥した。
彼女は腕を組んで俺達をまっすぐ見ている。動揺も困惑もしていないようだ。まあ、『私のために争わないで!』とかあたふたされても困るか。
一歩間違えば命のやり取りになる状況に目を逸らさず、事の結末を見届けようとしている……そんな風に見える。だとしたら随分胆の据わった女の子だ。
決闘を止める素振りも見せないのは男の誇りを傷付けない為か? それとも青年の性格を知っているからか。
「ルーファス・フォン・アッカーマン……名誉と剣にかけて」
青年が細剣の切っ先を天に向けたまま、柄や護拳の部位を顔の前に持ってきて、礼の仕草を取る。
騎士が決闘を行うときにとる礼の作法だ。
これをされたら受けるしかない。
断れば俺だけでなく、申し込んだ相手、俺の主である爺さんの家の不名誉になる。
俺は失う名誉なんて無いが、多くの貴人が集まる夜会の場でイスターリ宮中伯家の名誉とルーファスの面子に傷をつけるのは不味い。
「……カズマ・アジム。誇りにかけてその剣、お受けします」
俺も同様に護拳を顔の前に持ってきて、礼を返した。
覚悟は決めた。やるからには勝つ。
細身の両刃剣。だが、繊細な外見に反して意外に重い。俺は軽く素振りをして感覚を確かめると、足を肩幅に開きつつ、剣を右手で構え、左手は腰に添える。
決闘の礼儀として互いの剣の切っ先を軽くぶつける。金属が僅かに触れる音。
……その、刹那!
「疾っ!」
鋭い気合いと共にルーファスが伸びのある猛烈な突きを放つ!
くっ!? 思ったより早いっ!
俺は体を捻って突きを躱すと、手首を反してルーファスの剣を弾く。
なおも攻め立てるルーファス。
再度の突きからの斬り下ろし、手首を返しての斬り上げ……細剣特有の早くて鋭い斬撃が執拗に繰り出される。
剣風の唸りと鋼同士が弾きあう澄んだ金属音が断続的にホールに響く。
動きが早いだけでなく正確。ひとつも無駄な動きがない。
この人は……強いっ!
少なくとも酔って女性に絡んでいた人の剣ではない……まさか素面か?
「ほらほらっ! どうしたっ! 逃げてばかりじゃ勝てんぞ!」
「ちぃっ!」
防戦一方の俺にルーファスが発破をかけるように叫ぶと、突進から肩口目掛けて剣を振り降ろす。
それを正面から受け止め、さらにルーファスを押し込むように鍔迫り合いに持ち込んだ。
そのまま相手を押し出す反動で後ろに下がりつつ、相手の軸足である右腿を狙って薙ぎ、続けざまに手首を返して突きを放つ。
だが、ルーファスはすべて跳ね退けた。
やはり小手先の斬り込みは通用しないかっ!
剣身の軌跡は蝋燭の灯火に一瞬映るのみ。刃が空を切る風音と鋼がぶつかり爆ぜる火花が続けざまに飛ぶ。
集まった観衆が誰も予想だにしなかった激しい剣撃の応酬に、大きなどよめきが起こる。
しかし、派手な剣撃の応酬とは裏腹に俺は内心冷や汗をかいていた。
そもそも、俺のスタイルは競技剣道だ。反射神経の限界に挑むような高速の剣撃を旨とする細剣術はほぼ初めて。
対するルーファスは多分細剣術では相当な手練れだろう。それでもほぼ互角にやり合えているのは、剣道で鍛えた動体視力と反射神経、それと『先読み』があるからだ。
だが、相手のペースに付いていくのがやっとで反撃の糸口すら掴めきれない。
おまけに、相手の体に少しでも傷を付ければ勝ちという繊細なルール。しかも一本勝負。このままでは押しきられる。
……さて、どうしたものか。
俺はルーファスの細剣を強く弾いて一旦間合いを開ける。視界の隅に難しい表情のメアリム老人が入った。
師……先生か。
ふと、中学の時に通った道場の師範の言葉が脳裏を過る。
『剣の道とは『心技体』だ。即ち、相手を恐れぬ度胸と、相手を翻弄する技術、そして相手を捩じ伏せる体力と腕力だ。これが高いレベルで備われば負けることはない』
当時はなかなかの暴論だと思ったが……度胸と技能は負けていない。あとは腕力で捩じ伏せるのみ!
「はぁっ!」
「……っ!」
俺は大きく踏み込むと、ルーファスの斬り下ろしを強引に薙ぎ払う。今までとは違う濁った金属音と激しい火花。
ルーファスは大きく流された刃を引き戻そうとするが、体勢を整える隙を与えずさらに速度と力を加えた一撃を加える。
「ぐっ!」
大きく体勢を崩して動揺を見せるルーファス。
真剣勝負での気持ちの揺らぎは致命傷だっ!
俺は一気にルーファスの懐に飛び込んだ。ルーファスは苦し紛れに突きを放つが、その動きは既に『視えている』。
間合いを潰され一気に劣勢になるルーファスを鍔迫り合いから突き放す。
よろめくルーファスに追い討ちの刺突。体勢を崩しつつ横飛びにかわした所に更に横凪ぎの一撃。受け止めた所に手首を返して肩口への斬り下ろしからの額を狙っての一撃。
刃が風を切る鋭い音に、金属が軋むような剣撃音が重なる。
攻防が逆転し、ルーファスの顔に焦りが滲んだ。何とか防いでいるが、一度乱れたリズムを取り戻せずにいる。
「っそぉっ!」
「ふっ!」
反撃に突き出されたルーファスの細剣を力ずくで跳ね上げる。
細剣が流され、腕を上げて万歳の格好になるルーファス。俺はその懐に突っ込み、肩で体を押しながら軸足を引っ掻けて彼を転倒させる。
「ぐぅっ!?」
「……っと!」
ホールに仰向けに倒れた彼を避けるふりをして、俺はレイピアの切っ先でルーファスの肩を浅く斬った。
ルーファスのシャツに朱の筋が走る。
これで一応は勝利条件を満たしたことになる……筈だ。
「っと、危なかった……慣れない事はするもんじゃないですね」
俺は素早く彼から離れると、わざと大きめの声で言いなぎら、剣を鞘に収めた。
「足がもつれてしまったようですね……大丈夫ですか? やはりお酒を飲みすぎですよ」
周りのギャラリーに向けて、わざと大きめに言いながら、倒れたままのルーファスに手を差し出す。
青年貴族は驚いたように目を見開いていたが、ハッとすると複雑な表情で俺の手を取った。
「……紳士だな、卿は」
起き上がりざま、ルーファスは俺の耳元でボソリと呟いた。俺は何も言わず彼から離れ、胸に手を当てて貴族の礼をする。
と、事態をようやく理解した見物人の貴族達からざわめきが起こり始めた。
『何としたこと……』
『身の程知らずな……』
見物人の間から小さく漏れる囁き。
勝負が微妙な結末だった上に、無位無冠の従者が下級とはいえ貴族に傷を負わせてしまったのだ。これが貴族の側が吹っ掛けた決闘だとしても、やはり気持ちの良いものでは無いらしい。
不味いな……
「何をしているかっ!」
と、その時、ホールに野太い大声が響いた。ざわめきが一瞬静まり、貴族達を掻き分けるように黒の詰め襟を着た大柄な男が俺達の前に現れる。
黒髪を短く刈り上げ、赤銅色に日焼けした顔には太い眉と鳶色の瞳、大きめの鷲鼻がくっついている。肩幅が広く、服の上からも分かるほど筋骨逞しい体をした偉丈夫だ。体から発する威圧感が半端ない。
「ルーファス!」
「……いやぁ、ロベルト隊長」
ルーファスは、大音声で彼の名を呼び、ギロリと睨む偉丈夫ーーロベルトに、まるで悪戯がバレた子供みたいな顔を向ける。
ロベルトは肩で大きくため息を付くと周囲を見渡した。
「通報があったから来てみれば……貴様、また酒でやらかしたか。しかもブルヒアルト伯の御令嬢にちょっかいを出すなど……身の程知らずめ」
「すいません。楽しくてちょっと羽目外しちゃって」
そう言って肩を竦めるルーファス。先程までの気迫はすっかり影を潜めている。
「『すいません』で済んだら騎士団は要らん。指導してやるから来いっ!」
「ちょっ……大隊長殿、自分、今日は非番で」
「騎士団は常に己を律せねばならんのだ! 非番はないっ!」
「そんなぁ」
ロベルトの大きな手に腕を捕まれ、ルーファスは慌てて逃れようとするが、ロベルトに一喝されて項垂れた。
ロベルトはちらと俺を一瞥すると、突然の事に呆気に取られている貴族達を見渡して軽く頭を下げる。
「不肖の部下がご迷惑をお掛けしました……では失礼いたします。ほらっ! きりきり歩け!」
そう言って彼はルーファスを引き摺るようにホールを後にした。その姿に貴族達からは小さな笑い声が漏れる。
俺はその大きな後ろ姿に黙って頭を下げた。あれだけのやり取りで、険悪になりかけた場の雰囲気を吹き飛ばしてしまった。
あのロベルトって人、凄いな。
「あ、あのっ! あんた……じゃなくて、貴方!」
上擦り気味に声を掛けられる。振り向くと騒ぎの原因……赤髪の伯爵令嬢がしかめ面で立っていた。
少女は頬を上気させ、形のよい眉を顰めている。一瞬怒らせたのかと思ったが、気の強そうな明るい翠色の瞳は所在無げにさ迷っていて、あからさまに動揺している。
「ご無事でしたか? お嬢様」
俺は彼女に跪いて剣を置き、胸に手を当てて深く頭を下げる。シャルロット嬢は気を落ち着かせたのか、その豊満な胸を突き出すように俺を見下ろし、小さく頷いた。
「あ、貴方は怪我は無……じゃなくてお怪我はありませんか?」
「はい。幸いに」
「そ、そうですか。良かった。安心いたしましたわ」
何だろう。お嬢様の言葉がぎこちない。顔を上げて窺うと、シャルロット嬢がおしとやかな令嬢スマイルを作って眉を痙攣させている。
ああ……慣れない仕草で必死に取り繕うとしているのか。固すぎる笑顔も、ぎこちないお嬢様言葉も無理しているからこそなんだな。
……貴族のご令嬢も大変だ。
「では、私は主の元に戻ります」
俺は細剣とグローブを貸してくれた従者に返すと、シャルロット嬢に一礼して戻ろうとした。
「待って! あ、あ、あのっ! もう一度、名前を聞いても宜しいかしら!?」
怒ったような表情でそう聞いてくるシャルロット。何を動揺しているのか分からないが、表情が豊かな人だ。
「イスターリ宮中伯様にお仕えしております、カズマ・アジムと申します。お嬢様」
「そ、そう。カズマ……カズマね。その……助けてくれて感謝します。ありがとう」
何故か2回俺の名を口にしたシャルロットは、耳まで顔を赤くするとしかめ面で目を逸らした。
これが少女漫画やベタな恋愛ドラマなら、勝ち気で見目麗しい令嬢が恋に落ちた的な場面なのだろうが……
男にそんな表情を見せたら、周りから変に勘違いされるぞ?
しかし、何でこんな事になったかな……
俺は苦笑いを浮かべながらこちらに歩いてくる主人、イスターリ宮中伯を横目に見ながらこれまでの事に思いを馳せた。