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第六話 『薪割と馬』

 「ほう。帝国語を学びたいとな?」


 メアリム老人はライ麦パンを千切る手を止め、目を細める。


 今朝の食卓に並ぶのはライ麦パンと白ソーセージ、そして豆のスープ。意外に庶民的だ。


 メアリム老人の対面に座った俺は、真っ直ぐ老人を見据えて答えた。


 「はい。この国の言葉を知り、文字を読めるようになりたいのです。是非ご教示下さい」


 「……で、話せるようになって何とする?」


 「生きる為に必要な事を学び、一人立ちできるようになりたいと思っています」


 俺の答えに、メアリム老人は小さく頷くと千切ったライ麦パンを口に放って言った。


 「ふむ。成る程な……しかし、生活の為の知識だけではこの世界を上手く(・・・)生きるには不十分じゃ」


 「不十分、ですか」


 眉を顰める俺に、メアリム老人は紅茶を一口飲んで頷く。


 「そうじゃ。歴史、文化、政治、芸術……広く浅くでよい。知識は多いに越したことはない。知識の量は人脈の広さにつながり、人脈の広さは生きる上であらゆる事に恩恵をもたらす」


 確かに知識が多ければ視野も広がるし、人脈が広がればできることも多くなる。成程、もっともだ。


 「まあ、よかろう。ワシがそこら辺も色々と教授してやろう。じゃが、やるからにはこのワシの教え子として恥ずかしくないよう、徹底的に叩き込むから覚悟せよ」


 徹底的に叩き込むって。さっきは『広く浅くでよい』なんて言ってたじゃないか。でも、やるって決めたんだ。厳しくても乗り越えてやるさ。


 「……よろしくお願いします」


 「うむ」


 深々と頭を下げる俺に、メアリム老人は鷹揚に頷いた。


 「しかし、タダでとはいかぬぞ? 教え子は客ではないからな。飯分は働いてもらう。よいな?」


 「勿論、お世話になるのですから、出来ることはさせて下さい」


 俺だって、勉強を教えてもらった上にタダ飯食べようなんて図々しい事は考えてない……何ができるか分からないけど。


 「宜しい。取り合えず朝食にしなさい。食べねば頭が働かぬからの」


 メアリム老人がそう言うと、それを待っていたようにベアトリクスさんが俺に食事を運んでくれた。


 メアリム老人と同じ、白ソーセージとライ麦パンと豆スープ。美味しそうな匂いに思わず腹の虫が鳴る。


 「いただきます」


 そう言ってパンに手を伸ばそうとした俺を、ベアトリクスさんが優しく制した。


 「カズマさま、食事の前には感謝の祈りを捧げるんですよ」


 『いただきます』も命への感謝を込めた言葉だけどね。それはよしとして。


 「どんな祈りなんですか?」


 「では、やって見せますから真似してみてください」


  ベアトリクスさんはそう言うと、胸の前に手を組んで目を閉じた。


 「『主よ、わたしたちを祝福し、また、御恵みによって今いただくこの食事を祝福してください。この恵みに感謝を』」


 成程、外国のドラマとかでよく見る、キリスト教のお祈りみたいなやつか。


 俺はベアトリクスさんの真似をして胸の前で手を組み、目を閉じた。


 「ーー主よ、わたしたちを祝福し、また、御恵みによって今いただくこの食事を祝福してください。この恵みに感謝を」


 「はい。良くできました」


 ベアトリクスさんはそう言ってにっこり笑った。面と向かって言われると、何だか気恥ずかしいな。


 「そういえば、メアリム様はお祈りしないんですか?」


 さっきから朝食の様子を見ていたが、老人はお祈りどころか何も言ってなかった。


 俺の問いに、老人は『ふん』と鼻を鳴らす。


 「ワシは聖マリナ教徒ではないから、神に祈る必要はない。じゃが、口には出さぬとも、命をいただく事への日々の感謝を忘れたことはない。それでいいんじゃよ」


 もっともらしいことを言ってはいるが、要は面倒なだけじゃないか。


 「それはそうと……お屋敷の仕事は私とクリフトで事足りています。カズマさまにお願いするお仕事は特にありませんが?」


 食事を終えたメアリム老人の食器を片付けなら、ベアトリクスさんが問い掛ける。


 「そこはクリフトと話し合って決めよ。ワシに聞かれても困る。こやつに任せられると思ったものをやらせればよい。何かあるじゃろ」


 髭についたパンくずを払いながらメアリム老人は渋面を作った。そこは丸投げするんだ、爺さん。


 「分かりました……2つ、3つ考えてみますね」


 そんな老人に、ベアトリクスさんは苦笑を浮かべて肩を竦めるのだった。





 朝食の後、俺はベアトリクスさんから屋敷の裏庭にある小屋の前に呼ばれた。


 鍬などの農具を納める小屋の中にはたくさんの薪が積まれている。


 「薪割り、ですか」


 「ええ。今の時期は、冬に備えてたくさん割らなきゃいけないんです。お願いできますか?」


 薪を焚き物として使うためには、半年間は乾燥させなければならない。冬の厳しい寒さに備えて、今のうちにたくさん薪を割って乾かしておくんだそうだ。


 でも、薪割りって結構な力仕事じゃないか? ベアトリクスさんの細腕では大変だろうに。


 「わかりました。やらせてください」


 「カズマさま、薪割りの経験はございますか?」


 「子供の頃、祖父母の田舎でよく薪割りの手伝いをしていましたから、大丈夫ですよ」


 俺は心配そうな顔をするベアトリクスさんに笑って見せると、切り株に刺さった鉈を抜いて太めの木を切り株に置く。


 少し太いけど、これくらいなら……多分行ける。


 俺は両手で鉈を振り上げ、勢いをつけて木に鉈を振り下ろした。鉈が鈍い音を立てて木に食い込む。そのまま木を切り株に叩き付けて割っていくと、3回程で木は2つに割れた。


 まあ、こんなもんだろう。


 だが、ベアトリクスさんは俺の薪割りを見て苦笑しながら頭を振った。


 「無駄な力が入っていますね、カズマさま。それじゃすぐに疲れてしまいますよ? 私がやってみますから、見ていてください」


 そう言うと、ベアトリクスさんは割った薪の片方を切り株に立て、俺から鉈を受け取る。


 「薪割りで大事なのは、木の根元側から割ることと、木の繊維の向きを見極めることです。根元側から、繊維に沿って鉈を振れば、そんなに力を入れなくても綺麗に割れます」


 ベアトリクスさんはそう言いいながら鉈を片手(・・)で構えると、『ふっ! 』と短く息を吐いて振り下ろした。すると、まるで乾いた竹を割くように、一気に薪が割れる。


 いやいや、いくら何でも『スパッ! 』って軽く割れすぎでしょ……!?


 余りの割れっぷりに驚いて言葉を失う俺に、ベアトリクスさんは肩を竦めながら恥ずかしそうに笑った。


 「メイドの嗜みですから。コツを掴めばカズマ様でも簡単ですよ?」


 メイドの嗜みって……何だろう。





 「慣れない仕事でお疲れでしょう。水をお持ちしました」


 太陽が真上近くに来た頃、薪を何本か割って休憩していた俺に、クリフトさんが水差しとコップを持ってきてくれた。


 言葉は未だに分からなくても、親切に水を持ってきてくれたことは分かる。ちょうど喉が乾いたところだった……有り難い!


 「ありがとうございます」


 俺はクリフトさんに伝わるよう少し大袈裟に感謝のジェスチャーをすると、差し出された水を一気に飲み干した。


 冷たい井戸の水が喉から全身に染み渡る。


 と、クリフトさんが燕尾服の懐から紙束を取り出して俺に見せた。そこにはペン字教材のお手本のような綺麗な日本語で文字が連ねてある。


 『申し訳ございません。私の方もお仕事をお願いしたいのですが』


 成る程、筆談か。考えたな……この字はベアトリクスさんだろうか?


 遠慮がちに微笑むクリフトさんに、俺はにっこり笑って頷き、了解の意思を表した。


 何だろうな、クリフトさんの仕事って。


 クリフトさんに案内されたのは、菜園近くの別の小屋。


 そこは厩で、馬房では芦毛の馬が飼い葉をのんびり食んでいる。


 馬房の前でクリフトさんが手にした紙束を捲って俺に示した。そこにはこう書いてある。


 『お屋敷には『竜巻号(トロンベ)』という名前の馬が1頭おります。この馬の世話と馬小屋の掃除をお願いしたいのです』


 成程、馬の世話か。


 『竜巻号(トロンベ)』……昨夜、軽馬車を牽いてきた芦毛の馬だ。馬と聞いてすぐイメージするサラブレッドに比べ、脚が短く太く、胴がずんぐりしている。『働く馬』の体つきだ。


 しかし、馬を飼うのは結構お金と手間が掛かるって聞いたことがあるけど、メアリム爺さんはそれができる身分って事か。


 そういや、昨夜爺さんの昔話は聞いたけど、今の爺さんの事はまだ知らないな。


 夕食時にでも聞いてみるか。


 考え事をしている俺を見て、クリフトさんが少し心配そうな顔をしている。馬の世話と聞いて困惑していると感じたのだろうか。


 大型の馬に触れたことは無いが、ポニーなら牧場でバイトしたときに世話をしたことがある。あれは結構大変だった。執事の仕事をしながら馬の世話をするのは大変だろう。


 ポニーも馬には違いないから、あの経験が生かせる筈だ。俺はにっこり笑って頷き、了解の意思を体で示した。


 近くに行っていいか身ぶりで聞くと、頷いてくれたので近付いて首を撫でてやる。トロンベは気持ち良さそうに目を細めた。


 おとなしい性格みたいだ。可愛いな。


 俺が笑顔で頷いて見せると、クリフトさんはホッとした顔をした。そして徐に紙束を捲って俺に示す。


 『竜巻号(トロンベ)は穏和な性格で手も掛からないいい馬ですが、ちょっとした問題があります』


 ん? 問題って何だろう。


 俺がクリフトさんの手元に注意を向けた、その時。背中に重い衝撃を受けた。


 ……嫌な予感がする。


 恐る恐るトロンベを振り向くと、奴の鼻から粘着質の液体が出て、俺の背中に糸を引いている。


 ……野郎、鼻水擦り付けやがったな!?


 クリフトさんが『やっちまったな』みたいな表情をして紙束を捲った。


 『竜巻号(トロンベ)は鼻がよく出るんですが、それを人の背中で拭く癖があります。ですから不用意に背中を見せないでください』


 クリフトさん、もう遅いです。くそっ! こいつ、癖じゃなくて確信犯だろ。


 申し訳なさそうにハンカチを差し出すクリフトさんに、俺はジェスチャーで『大丈夫ですよ』と伝えた。


 こいつに背中を見せないように気を付けなきゃ。





 「そう言えば、メアリムさんは今何をされてるんですか? 帝都でも顔が利くと仰ってましたし、何か特別なお仕事を?」


 「……なに。昔、魔法学園の学長などやっておってな。その伝で皇帝陛下の相談役などやっておる。巷では宮中伯や大賢者などと呼ばれておるな」


 夕食時。


 メアリム爺さんは鶏の香草焼きをナイフで切り分けながら、俺の問いに答えた。


 爺さんはさらりと言ったが、宮中伯は皇帝の側近で日本で言えば大臣のようなものだ。


 個人の所領はあまり持たず宮廷からの俸給を受ける身分だが、政務に携わる上級貴族には違いない。


 しかも元魔法学園の学長で大賢者? おまけにエルフのメイドと郊外の屋敷で悠々自適とか。


 大学三浪の苦学生が出世したな。


 「何だかんだで勝ち組じゃないですか」


 「人生に勝ち負けなどないわ。大地に還るその瞬間に満足できるか否か。それが一番じゃ。お主もしっかり学び、よい経験を重ねて悔いのない人生を送れ。この歳になって後悔しても遅いからの」


 ワインを飲みながらそう語る老人の顔は、心なしか寂しげに見えた。


 後悔、か。


 ーー汝、己の思いを裏切る事なく、自ら選択し、力を尽くして生き、その生の結果を受け入れるべしーー


 ふと、あの日黒髪の少年と交わした『契約』の言葉が脳裏を過る。途端に胸が軋むように痛んだ。


 そうだ。もう(・・)後悔はしたくない。そう、決めたんだ。


 ……


 ……


 ……


 ……


 ーーこうしてメアリム邸での俺の暮らしが始まった。


 日中は薪割りの手伝いと馬の世話をし、夜はメアリム老人から帝国語やこの世界の事を学ぶという日々。


 メアリム老人の授業は思った以上に厳しかった。進行は早いし、詰め込み型で、復習の時にミスするとすぐ杖が飛んでくる……今時流行らないスパルタ教育ってやつだ。


 でも教え方が上手いからよく頭に入ったし、興味深い話も多かった。大学の学長は伊達じゃない。


 言葉の勉強は特に頑張った。学生時代、英語の授業は上の空だったけど、ここでは生活がかかっているからな。


 メアリム老人の授業以外でも、『これは何と言いますか』という言葉を覚えて日中の仕事のなかでベアトリクスさんやクリフトさんに単語や話し言葉を教わった。


 「ベアトリクスさん、この『(かご)』は何て言いますか?」


 「この籠だとKorb(コルプ)、同じ籠でも鳥籠みたいなものはKäfig(ケーフィヒ)といいます」


 そうやって新しく覚えた言葉や綴りはメモを取って、メアリム老人の授業の分と一緒に夜寝る前復習する……


 その努力の甲斐あって、2ヶ月くらいでクリフトさんと簡単な会話ができるようになり、3ヶ月を過ぎた頃には日常生活に支障がないくらい話せるようになった。読み書きも専門書でない限りは問題ない。


 俺って意外に語学の才能が有るのかも。


 まあ、メアリム老人の詰め込み型スパルタ教育と、俺の質問に嫌な顔ひとつせず答えてくれたクリフトさんやベアトリクスさんの協力の賜物だろう。


 特に、2人には足を向けて寝られないな。


 そして季節は巡り……


 あっという間に一年が過ぎ去った。

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