第六十一話 『大賢者とかつての弟子』
「……サミュエル殿をこちらに渡してもらいませんか、先生」
来栖は外套の裾を捲って腰に帯びた刀を見せながら薄い笑みを浮かべる。
――『渡さねば斬る』。その意思表示。
メアリムはサミュエルを庇うように立つと、鼻を鳴らして来栖を睨み付けた。
「儂もこの男に用があるのじゃ。諦めよ」
「それは残念――穏便に済ませたかったのですが……ね!」
来栖は刀の鯉口を切り、床を蹴ってメアリムに肉薄する。
が、そこにサーベルを抜いたアブラハムが割り込み、来栖に斬り付けた。
「ガキがっ!」
「……ええい! 邪魔をっ!!」
来栖は激しく舌打ち、アブラハムを払い除けるように腕を振るう。その瞬間、見えない壁に弾かれたようにアブラハムの体が吹き飛んだ。
「『衝撃』っ!!」
弾き飛ぶアブラハムを掻い潜ったメアリムが印を組んだ手を来栖に突き付けて『ことば』を叫ぶ。
「ぐっ」
「つぅっ――!!」
来栖に飛ばされたアブラハムが壁に激突してくぐもった呻きをあげ、その来栖も魔法の衝撃波を至近で受け吹き飛び、床に叩き付けられる。
「馬鹿弟子が、詰めがまだ甘いわ」
「あんたも甘い……今のタイミングなら俺を殺せたぞ?」
来栖はゆっくりと起き上がり、自分の胸元を指差して笑った。
だが、メアリムは杖を構え直すと鼻を鳴らして頭を振る。
「死人を叱り飛ばして何になる。悪事の言い訳も聞けぬではないか」
「あんたはいつもそうやって……どこまで師匠面する!」
「儂にとって貴様は死ぬまで弟子よ――例え愚か者でもな」
「っ! メアリム・イスターリぃっ!」
「むっ!!」
メアリムの言葉に激高した来栖が抜き打ちで刀を抜き放った。太刀筋にマナの揺らぎを感じたメアリムは咄嗟に『盾』の『ことば』を紡ぐ。
その瞬間、魔法で作られた不可視の盾が不愉快な軋みをあげて弾けた。
メアリムは杖を来栖に突き付け、厳しい表現で唸る。
「……その力……それほどのモノを得るのに、貴様は何を差し出した?」
「――何を今更。力が無ければ異世界人も只人と変わらない……それを示したのはあんただろう?」
「身の程を知れと言っておるのよ。溺れて身を滅ぼすぞっ!」
メアリムはそう叫ぶと、印を組んだ手を振るった。
「『疾風よ、破壊せよ』っ!」
「嘗めるなっ!」
圧縮された空気の砲弾が来栖を襲う。だが、来栖は避ける事なく裂帛の気合いと共に刀でそれ切り裂いた。
断たれた空気が弾け、嵐となって居間に吹き荒れる。
「しゃっ! 」
「――ふんっ! 」
来栖が爆風を突っ切ってメアリムに斬り掛かり、メアリムはその刃を杖で受け止めた。
「老人は大人しく斬られろ!」
「早々、お主なんぞに殺られはせん! 」
「ならっ――!!」
来栖はメアリムの杖を切り払う。メアリムは大きくよろめくと見せかけ、印を組んだ右手を来栖の眼前に突き出した。
「『爆ぜよ 』っ!」
刹那、来栖の目の前で炎が爆ぜる。
直前で体を捻って爆発の直撃を避けた来栖だったが、外套が炎に包まれ堪らず飛び退った。
「もらったっ!」
燃える外套を脱ぎ捨てようとする来栖。その隙を突いてアブラハムが突進、鋭い刺突を放つ。
「冗談ではない!」
来栖は突進してくるアブラハム目掛けて燃える外套を投げ付けると、大きく後ろに跳んだ。
アブラハムは投げ付けられた外套を斬り落とし、なおも来栖に斬り掛かる。
が、来栖は刀の切っ先をアブラハムに突き付け、牽制しながら薄い笑いを浮かべた。
「時間か……今回はここまでにしてやろう」
「負け惜しみを!」
「負けたわけではないさ。今の戦いに勝てなくても、最終的に勝っていればいい――そうでしょう? 大賢者様――さて、サミュエル殿……『オーナーからの伝言を伝えます。もう仕事は終わりです』。」
呆けたようにソファに座り込むサミュエルにちら、と視線を向けた来栖は、そのまま窓を破って屋敷の外に消える。
「……ちっ!」
「追うなアブラハム。逃げに徹されては儂でも追えぬ……無駄足になるぞ」
舌打ちをして後を追おうとするアブラハムを、メアリムが止める。
と、その時。
「……っ? サミュエル殿、如何なされた!?」
マルクスの焦った声に振り向いたメアリムは、サミュエルの様子に目を剥いた。
サミュエルは喉を親指と人差し指で掴み、顔を真っ青にしてもがき苦しんでいる。喉になにか詰まったように呼吸が出来ないのだ。
何が起きた? 何かの呪術か? そのような力の流れは感じなかったが……
サミュエルの背中を叩き、咳を促そうとしているマルクス。サミュエルの唇が青紫色に変色し、体が激しく痙攣しはじめる。
明らかに危険な状態だ。
「いかん……!」
このままでは折角掴んだ密売の証拠が消えてしまう。
メアリムはサミュエルの両肩を掴むと、限界まで見開かれた彼の目を睨み付けた。
「儂の目を見ろ! サミュエル!」
「がっ……あっ! ぅぅっ!……」
サミュエルはメアリムの呼び掛けに小さく頷き……何回か呼吸をしようともがいたあと白目を剥き、そのまま崩れ落ちる。
「サミュエル殿っ!!」
マルクスが倒れたサミュエルに駆け寄り、首筋の脈に手を当て……やがてため息をついて頭を振った。
「くたばりおったか……クソがっ」
この世界の医術では、心肺停止まで至った人間を蘇生させる術はない。勿論、蘇生魔法などというご都合主義の奇跡も存在しない。
死はどう足掻いても覆せないのだ。
「しかし……暗示で呼吸を止めるとは、えげつない事を」
メアリムの脳裏に、立ち去り際の来栖の不気味な笑みが過る。
役目を終えたり事が露見したりしたとき、自分達の手を汚さずサミュエルを始末するため、特定の言葉に反応して窒息死するように暗示を仕組んだのだろう。
わざわざ来栖が姿を見せたのはこの為だったか。
「――旦那様」
「ベアトか。どうした」
と、居間に切羽詰まった様子の女性――ベアトリクスが飛び込んでくる。
彼女には『帝都龍脈図写本』を魔法学園の機密品管理室に戻すよう命じていたが……萌黄色のメイド服を煤と泥でボロボロに汚したエルフの姿に、メアリムは眉を顰めた。
「『象牙の塔』が契約者の襲撃を受けました。損害は不明ですが、沢山の死傷者が出ています」
「なんじゃと……?」
「申し訳ございません。応戦したのですが、相手に機密品管理室の侵入を許し、『帝都龍脈図写本』を奪取されました――私のミスです」
そう悔しげな表情を浮かべて告げるベアト。
「……もう一人の契約者か。その可能性は盲点じゃった。まんまとしてやられたわ」
「……メアリム様」
部屋に立ち込める重苦しい空気。メアリムはベアトリクスやマルクスを見渡すと、その空気を振り払うように力強く言った。
「まだじゃ。まだ終わってはおらん――我々がやるべき事はまだある。なに、最後に勝てばよいのじゃ」
「そうですね……先ず魔法学園の状況を確認しなくては。サミュエル殿が亡くなった事による混乱も収拾しなければなりません」
マルクスはいつもの口調でそう言うと、眼鏡をずり上げ立ち上がる。
切り替えの早い部下を頼もしく思いながら苦笑いを浮かべるメアリム。彼は断末魔の呻きを絞り出した表情のまま事切れたサミュエルの目を閉じてやり、来栖が破った窓に目を移した。
(――それにしても、ここまで形振り構わぬやり方をしてくるとは……契約者どもめ、『帝都龍脈図写本』なぞ手に入れて一体何をするつもりじゃ……まさか)
――帝国歴二六七七年乙女月の十日。
魔法学園副学長、サミュエル・ヴュストが急死した。
魔具の密売を初めとした不正や汚職への関与を疑われ、追い詰められた末の自殺とされたが、その死については不明な点も多く、真相は謎となっている。
また、同日、正体不明の賊が学園を襲撃。この襲撃により魔法学園の生徒、教官に多くの死傷者が出た。
生存者の一人が、獅子の鬣のような髪をした大男が一人、巨大な戦鎚を振り回して暴れたと証言しているが、被害状況から単独犯の可能性は低く、この証言は信憑性に欠けるため、公式の記録に残されることはなかった。
学園長と副学長を相次いで失い、さらに賊の襲撃に見舞われて混乱した魔法学園であったが、偶然滞在していたメアリム・フォン・イスターリが学園長代行として教授会による臨時の運営組織を立ち上げた事により学園の機能停止と言う最悪の事態は避けられることとなった。
魔法学園の混乱を鎮めたメアリムは『帝都龍脈図写本』を奪った契約者の狙いを探り、予想される最悪の事態を防ぐため、新たな学園長を選ぶ学長選挙で身動きがとれない自身の代わりに部下のマルクスを帝都に帰還させる。
そして傭兵アブラハムもまた、新たな戦場を求めて帝都を目指すのだった。
帝都に動乱をもたらそうとする者と、その動乱の芽を摘もうとする者――狼人の叛乱の影で事態は新たな段階に入ろうとしていた……




