第五十四話 『愛と剣』
「シャルロットは俺の妻だ。馬の骨風情が身の程を知れ!」
広場にザムゾンの吠えるような怒声が響く。
……ザムゾン・フォン・ホルシュタイン。
憲兵隊に囚われ、大隊を追われたロベルトの後釜として第十一騎士大隊長に据えられた男。
ロベルト達を嵌めたのは彼ではない……が、彼がロベルトの復帰を阻んでいるのは確かだ。
そして今、彼はシャルロットの婚約者として俺の前に立っている……随分出来すぎた話じゃないか。
「身の程知らずは承知の上だ。ザムゾン・フォン・ホルシュタイン卿、シャルロットの愛を賭けて、貴方に決闘を申し込む!」
俺は怒れる新郎、ザムゾンを真っ直ぐ見詰めてそう言った。だが、彼は小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「黙っていれば、全く笑わせる。シャルロットの愛を賭けて俺と決闘? お前のような下郎にそんな資格はない!」
「それを決める権利が貴方にあるのか?!」
「あるさ。俺とシャルロットは神の御前で誓いを交わした。この場にいる全ての方々がその証人。お前はこの全てを向こうに回して俺に刃を向けているんだぞ?」
両手を広げ、勝ち誇った表情で俺を見下ろすザムゾン。
その光景に俺は違和感を覚えた。何処かで同じ光景を見たことがある感覚……既視感か。
……その瞬間、眉間に鋭い痛みが走った。
ーー私と……は、……によって将来が決まっているのだ。お前はそれを……
頭に響く声。雑音が激しく不愉快なノイズが頭をかき乱す。
ーー……に相応しいのは私の筈なんだ! 何でお前のような男に彼女は心奪われた?
俺にロングソードを突き付けて悲痛の叫びをあげる銀髪の男。
ーーカズマ……私を拐って逃げて……誰も知らない遠くの場所まで……!
俺の胸で咽び泣く亜麻色の髪の少女。その顔はノイズと逆光で見えない。だが、ひどく懐かしく、いとおしい。
ーーカズマ……を、幸せに……お前なら……
胸から血を流し、死の苦悶のなか必死に微笑む男。それを哀しげに見下ろす少女……
脳裏で次々にイメージが激しいノイズと共に歪み、入れ替わっていく。
捩じ切るような頭痛に絶叫し……俺の意識は途切れた。
「……貴様、何を震えている。今更自らの過ちに気付いて後悔しても遅いぞ!」
鼓膜を叩く不愉快な声に、俺はハッと意識を取り戻した。どうやら一瞬意識を飛ばしていたらしい。
くそっ! ……まただ。何なんだ? あのイメージは。
俺は軽く頭を振って僅かに残る不快感を振り払うと、サーベルを正眼に構え直す。
「過ちならもうとっくに後悔してるよ。何で彼女が望まぬ花嫁衣装を着る前に奪い去らなかったのか、とね……私はここにいる全員を向こうに回すのは覚悟の上だ。でなければ神前の誓いに異議なんて唱えない」
「ちっ……いけしゃあしゃあと。どんなに貴様が吠えようと、誓いは覆らない。貴様は負け犬なんだよ」
確かに二人は誓いの言葉を口にしている。
でも、それが契約の誓いになるのは、教会が二人の結婚に誰も異議がないと認めた時……の筈だ。
俺はちらと扉の隅で小さくなっている司祭を睨んだ。
裏を返せば、教会さえ認めてしまえば、例え誓いの言葉を口にしなくても二人を契約で縛ることができる……今日のこの場はただのセレモニーに過ぎないって事か。
公爵の権力なら、教会に圧力を掛けることもできる。それが分かっているから、ザムゾンも強気なんだ。
全く、形振り構わないな……
騎士団の槍衾がジリジリと俺を取り囲む。公爵か、ホルシュタイン伯の指示と同時に、一気に取り押さえるつもりだろう。
今の状況では、ザムゾンを引きずり出して決闘に持ち込むのは不可能だ。
このままじゃ、本当に負け犬……か。
こうなったら、一か八か、騎士団を切り抜けてシャルロットを……!
「逃げるの? ザムゾン」
その時、ザムゾンの背後から冷めた声が投げ掛けられた。
まさか、シャルロットか?
シャルロットは、いつも彼女がそうしているように胸の下で腕組をしてザムゾンを睨み付けている。
「……なに?」
「彼は、私を賭けて貴方に正面から決闘を申し込んでいるのよ? ……私の愛している人は、相手の覚悟を踏みにじる真似はしないわ」
「シャルロット……今なんと言った?」
シャルロットの言葉に、ザムゾンは目を剥いて彼女に詰め寄った。
だが、シャルロットはザムゾンの怒気を真正面で受け止め、真っ直ぐ彼を睨み返す。
「私が欲しいんでしょう? なら、勝ち取って見せて」
「ふん。なら見ていろ……お前は誰のものか確り分からせてやる」
ザムゾンはシャルロットを強引に抱き寄せると、彼女に噛みつくような勢いで吐き捨てる。
シャルロットはザムゾンの腕を振りほどくようにして彼から離れ、ザムゾンは舌打ちをすると少女に背を向けた。
「……ええ。待ってるわ」
シャルロットのその言葉は、ザムゾンにではなく二人の成り行きを見守る俺に向けられたものだろう。
なぜなら俺と目が合ったとき、彼女は待ち遠しくて堪らないといった表情で頷いたから。
……ラファエルの妹ってのは伊達じゃないか。怖いな。
「道を空けよっ!」
「はっ……しかし、この者は」
「身の程知らずを体に教えてやらなきゃならんのだ。決闘を受けると言ってるんだよ!」
騎士団の囲みを掻き分けるザムゾンは戸惑いの声をあげる部隊長を怒鳴り付ける。
部隊長は肩を竦めると部下に道を開けるよう指示した。
騎士団の槍衾が開け、俺の前に仁王立ちしたザムゾンが現れる。
間近で見るザムゾンは、頑丈で意思の強そうな目鼻立ちの野性味に溢れた顔をしている。貴族というより戦士の顔だ。
「ザムゾン! 教会の門前を血で汚すな。控えろ!」
未だ自席に留まっていたホルシュタイン伯爵が息子に叱責を飛ばす。だが、ザムゾンは父親の叱責に首を振った。
「父上、名も知れぬ下郎にホルシュタインの家名が侮辱されたのです。このままでは胸を張ってシャルロットを抱けません。身の程知らずを成敗すること、お許しください」
ザムゾンはそう言うと、サーベルの切っ先を天に向けたまま、柄や護拳の部位を顔の前に持ってきて、礼の仕草を取る。
「貴様は俺の寛容を無にした。その罪、貴様の命で贖わせてやる」
「……寛容、か。まあいい。決闘を受けていただき感謝する」
俺とザムゾンは互いにサーベルの切っ先が重なる位置まで近付き、剣を構えた。
……周囲の緊張が高まっていくのを肌に感じる。この感じ……久し振りだ。
「貴様の剣はラファエル卿との勝負で見切った。俺には通用しないぞ」
闘志剥き出しの笑みを見せるザムゾン。
全く、よく舌が回る。
俺は心の中で舌打ちした。まあ、口も滑らかだがそれ以上に剣が舞い疾るルーファスみたいな奴もいるから油断は禁物だ。
……揺れる剣先が僅かに触れ、微かな金属音が静寂に響く。
刹那、空気が一気に動いた。
「しゃぁぁぁっ!」
ザムゾンのサーベルが俺の顔面目掛けて降り下ろされる。
こいつはっ……!
俺は上体を剃らして切っ先を躱すと、彼の懐に踏み込んで額を狙った一撃を打ち込む。
「ぐっ!」
鈍い金属音。
ザムゾンが俺のサーベルを捌いて間合いを開け、俺も一歩引いてサーベルを下段に構え直す。
成程、彼は決して弱くはない……
「おらっ!」
その時、ザムゾンが大きく踏み込んでしなるような切り下ろしを放つ。
その力任せの一撃を打ち払うと、直ぐに胴への横凪ぎから股を狙った斬り下ろしが来た。
「おらっ! おらぁっ!」
気合いと共に放たれるザムゾンのサーベルを後ろに跳んで躱し、払い落とす。悪くないが、視るまでもない。
弱くないが……それだけだ。
「どうだ! 手も足も出まい! 次で終わりにしてやる」
「……そうかいっ!」
奇遇だな。俺もそう思っていた。
「しゅっ……!」
俺はザムゾンの間合いに一気に飛び込む。そして鍔元近くを狙って、剣先を弧を描くようにして彼のサーベルに絡めそのまま一気に巻き落とした。
「な……」
ザムゾンは俺の剣の動きに対応できず、構えを崩して無防備な上体を晒してしまう。
……これで、ダウンだ!
「イヤァァァァアっ!!」
唖然とするその顔面目掛け、俺は裂帛の気合いと共に最上段から『面』を叩き込んだ。
勿論、インパクトの瞬間、手の内を緩めて威力を殺すのを忘れない。
重く鈍い音が響き、ザムゾンは額から血を噴いて昏倒した。
鋼の塊で殴り付けたのだ。加減はしたから死にはしないだろうが、ただではすまないだろう。
「おお! 何と言うこと……ザムゾンっ!」
ホルシュタイン伯爵が大の字に倒れた巨漢に駆け寄り、その体を抱き起こす。
その途端、白目を剥いていたザムゾンが意識を取り戻し叫んだ。
「うおおっ! まだだ……! 俺はまだ終わってない!」
「ザムゾン! 待て!」
だが、ザムゾンは父親の制止を振り切ると、頭を強く振ってサーベルを構える。結構本気で打ち込んだ筈だが、外見に違わずタフな奴だ。
「構えろ……! 俺はまだ戦える!」
ザムゾンは足元がふらつき、顔面は額の傷から流れた血で真っ赤に染まっている。口は勇ましいが誰が見ても戦える状態ではなかった。
これ以上やっても意味がない。それでも来ると言うなら受けて立つが……
「いい加減にせんかっ! 馬鹿者が!」
その時、老人の大喝が空気を震わせ、ザムゾンが肩をビクつかせる。
この気迫、この声は……
俺とザムゾンの間に割って入ったのは、猛禽を思わせる眼光鋭い老人。
この人が『鉄血公爵』エトムント=ドナ・フォン・マルコルフ公か。
「勝負は既についた。これ以上ホルシュタイン伯家に泥を塗る気か!」
「まだです。さっきは油断しただけ。次は勝てます!」
マルコルフ公は言い訳がましく訴えるザムゾンを睨むと、烈火のように一喝した。
「愚か者がっ! ここが死合いの場であれば、お主は死んでおるわ。死人に『もう一戦』はない……お主も騎士ならそれくらいはわかるであろう」
「ぐぅ……」
公爵の怒りを買い、ザムゾンはサーベルを落とすと力なく膝をついた。
そんな甥を一瞥し、短くため息をついたマルコルフ公は、俺の方に目を向ける。
「ロメオと言ったか? 幽霊とは奇妙な家名よな……それに、珍しい剣技を使う」
何だ? この人……何が言いたい?
俺を探るように不気味な笑みを浮かべるマルコルフ公。嫌なプレッシャーだ。まさか、何か感付かれたか?
「カ……ロメオーっ!!」
だが、公爵のプレッシャーは純白の花嫁の歓喜の叫びと猛烈なダイブによって吹き飛ばされる。
「しゃ……!?」
慌てて抱き止めると、シャルロットは人目も気にせず武者振り付いてきた。
「危ないだろ? いきなり飛び付いてくるやつがあるか」
「だって……だってぇ……っ!!」
俺の胸に顔を埋め、声を震わせて咽ぶシャルロット。気持ちは分かるが……
公爵やホルシュタイン伯爵が何とも言えない複雑な表情をしている。周囲の視線が痛い。
ラファエル、早く何とかしてくれっ!




