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第五十三話 『ロメオとシャルロット』

 「父なる神の名に於いて問う。今この場に二人の誓いに異議のあるものはいるか!」


 「ここにいるぞっ!!」


 広場に響く大音声に、婚約式の会場はざわめきに包まれた。


 新郎新婦の婚約の誓いに異議を唱える……しかも、公爵が仲立ちし、自ら証人になろうという式で。


 それはあってはならない事だった。


 会場にいる誰もが驚き、好奇心や怒りの視線を声の主に向ける。


 会場の入り口であるアーチの下。騎士団兵士の軍装を身に付けた男がそこにいた。


 「神聖なる誓いの秘蹟を穢すとは、貴様何者だっ!」


 ブルヒアルト伯爵家の席からラファエルが飛び出し、誰何の声をあげる。


 それに答えるように、青年は鉄冑を脱ぎ捨てて素顔を晒した。肩まで伸ばした金髪(・・)が陽の光に輝く。


 「私の名はロメオ・フォン・ゲシュペンストっ! 故あってこの婚約に異議を申し立てるっ!」


 ロメオと名乗る青年貴族。


 居合わせた貴族たちは顔を見合わせた。ロメオという名も、ゲシュペンストという家も聞き覚えの無いものだったから。


 「何をしておるかっ! あの狼藉者を捕らえよ!」


 最前列に座っていたマルコルフ公が警備の騎士団を大喝する。


 最初こそ戸惑いを浮かべた騎士団だったが、すぐに青年を捕らえるべく槍を構えて動き出した。


 ロメオは迫る騎士団を一瞥すると、教会の扉の前で呆然とするシャルロットに笑みを向ける。


 「シャルロット!」


 「……っ!!」


 ロメオの叫びにシャルロットのヴェールが揺れた。青年は少女に頷くと、口の中で小さく呟く。


 「……『翔べ(ウォラーレ)』」


 騎士団が青年を取り押さえようとその肩を掴んだ瞬間。彼はまるで翔ぶように駆けた。


 真っ直ぐ教会の扉……新婦(シャルロット)の元へ。


 ……


 ……


 ……


 ……


 一昨日。


 俺は、走り去るシャルロットの背中を黙って見送っていた。


 本当は彼女を受け止めて抱き締めてやりたい。でも、それはできなかった。何故なら……


 「全く、何馬鹿やってるのよ……女を泣かせるなんて最低」


 「聞いてたのか……ステラ」


 屋敷の裏口で腕を組んでこっちをジト目で睨むステラに、俺は苦笑いを浮かべた。


 「馬でいきなり屋敷の庭に乗り込んで、あんな大きな声で喚くんだもの……嫌でも耳に入るわ」


 私は耳も良いんだから、と言いながら、ステラは艶やかな銀髪(シルバーブロンド)を揺らし俺の前に立つ。


 「何かやるつもりなんでしょ? 何で教えてあげないの? あれじゃいくらなんでも可哀想よ」


 「……俺は何も言ってないが」


 「馬鹿ね。あの陰険男の臭いが染み付いてる。最近、二人で何かコソコソしてるのは分かってるのよ」


 ステラはそう言って苦笑いを浮かべ、肩を竦める。


 彼女は聡いし勘もいい。こりゃ、隠し事はできないな。


 「あいつ、すぐ顔に出るからさ。でも、嘘は言ってない」


 「……そう」


 俺の言葉に、ステラは納得したように頷いた。


 ……ラファエルがシャルロットの婚約式で仕掛ける策。そこでの俺の役目は、『ヴェルナーとユリア』最終幕一番の見せ場の再現。


 戯曲の最終幕。


 婚約の儀で、ランベルトとユリアは婚約の誓いを交わす。司祭が『この誓いに異議を唱えるものが居るか』と問い掛けたその時、ヴェルナーが乱入し、叫ぶのだ。


 ーー私はその婚約に異議がある! ランベルト、君の愛は誰にも恥じることない、真実(まこと)の愛か!?


 ヴェルナーとランベルトはそのあと決闘でユリアへの愛を競ったが……こちらの段取りはラファエルの頭の中だ。


 聞いても『状況に応じて柔軟かつ臨機に対応するさ』とはぐらかされてしまった。


 それよりも……


 「珍しいな。ステラが何も言わないなんて。いつもなら文句のひとつありそうだけど」


 「は? 馬鹿じゃない? 勢いで先越された位で嫉妬とか、そんなわけ無いでしょ」


 ステラは少し苛立ち混じりにそんなことを口走る。


 いや、話噛み合ってないし、大体誰もそんなこと聞いてない。


 先越されたとか嫉妬とか、何言ってんだか。


 ステラも自分が何を言ったか気付いたらしく、みるみる頬を染めてそっぽを向いてしまった。


 「……私が同じ立場だったら死ぬほど嫌だし、事情が事情だから今回は彼女に譲るわ。それだけよ」


 「そうか」


 譲るって、何をさ……という突っ込みは胸の中に押し込んで。


 俺が短く相槌を打つと、ステラは真剣な表情で俺を見上げた。


 「何をやるつもりか分からないけど、必ず帰ってきて……まだ、あんたにこの前の厩舎掃除の埋め合わせ、してもらってないんだから」


 「ああ……大丈夫だ」


 やると決めた。どんな結果になったとしても、後悔だけはしたくない。


 ……


 ……


 ……


 ……


 「……っ!!」


 突然目の前に立ち塞がった気配。そして鋭い殺気。俺は身を投げ出すようにしてそれを躱した。


 「ロメオ君……何故ここに来た! 君は追放された筈だ!」


 サーベルを抜き放ち、苦悶の表情を浮かべ叫ぶラファエル。


 ちぃっ! こんな台本(シナリオ)があるとは聞いていないぞっ!


 「……もう後悔はしないと心に誓ったんです! 義兄(にい)さん! そこを通してください!」


 「君に義兄(あに)などと呼ばれる筋合いは無いな! 通りたければ俺を倒して見せろ!」


 素早く身を起こした俺を狙い済ましたかのように放たれる斬撃。


 何とか身を捻って躱し、腰に佩いたサーベルを抜く。サーベルといっても刃を潰した訓練用だ。


 「疾っ!」


 「くぅっ?!」


 気を吐いて一気に間合いを詰め、サーベルを振るうラファエル。そのサーベルは勿論真剣……って、冗談ではないっ!


 袈裟懸けの一撃を受け止め、そのまま鍔迫り合いに持ち込む。


 「……何するんです?! 聞いてないですよ! こんなの」


 「俺も『妹の婚約式を台無しにされた怒れる兄』を演じなければならんのさ。あとで言い訳が立つ程度には」


 小声で抗議する俺に、ラファエルはニヤリと笑みを浮かべて囁き返す。


 「……そうですかっ!」


 俺はラファエルを突き放すと、間合いを取ってサーベルを正眼に構え直した。


 仕切り直しがてら素早く周囲を見渡して状況を確認する。


 来賓の貴族たちは席から離れ、遠巻きに俺達を囲んでいる。見たところ逃げ出した貴族は居ないようだ。


 自分達に危害が及ばないと知って、見世物よろしく高見の見物を決め込んでいるんだろう。


 俺はラファエルに向き直ると、ジリジリと間合いを詰めながら叫ぶ。


 「では……押し通ります!」


 「来たまえよっ!」


 俺は間合いを一気に詰めてラファエルのサーベルの腹を軽く打つと、刀を絡めながら一気に巻き上げた。


 ラファエルのサーベルが宙を舞う。実戦で巻き技を使うのは久し振りだが、思った以上に派手に決まった。


 彼は一瞬驚いたように目を見開き、微かに苦笑いを浮かべる。その脇を、俺は駆け抜けた。


 ラファエルの追撃はない……どうやらもう十分らしい。


 が、今度は騎士団に行く手を阻まれた。


 彼等は新郎新婦を囲むように教会の扉の前に陣取り、槍衾を作って待ち構えている。流石プロ。展開が早い。


 しかし、たった一人に大袈裟だな。


 「そこまでだ! 剣を納め、投降しろ!」


 騎士団部隊長の野太い警告。


 確かに……この槍衾をサーベル一本で食い破るのはちと骨だが、降参するにはまだ早い。


 俺は構えたサーベルを降ろして、シャルロットを庇うように立つザムゾンを睨み据えた。


 体格に負けないくらい傲岸不遜な面構えだ。シャルロットが毛嫌いするのも分かる気がする。


 さて……ここから政治とか策とか関係ない。気持ちの勝負だ。


 ……


 ……


 ……


 ……


 「最後にひとつ、答えてくれ。大事なことだ。正直にな」


 数日前。


 メアリム邸の前で停まった馬車の中で、ラファエルが俺を真っ直ぐ見据えて問うた。


 「……? 何ですか」


 俺はラファエルの真剣な眼差しに気圧される。彼のこんな表情は初めてだった。


 「以前にも聞いたが……君はシャルロットの事をどう思っている? 伯爵令嬢ではなく、一人の女として」


 『女として』か。また答えにくい質問をストレートに聞いてくる。


 シャルロットは嫌いじゃない。(むし)ろ好きだ。でも、彼女とは歳の差も身分差もある。そんな彼女に女性として好意を抱くことは許されるのか?


 ラファエルは黙ってしまった俺に小さく溜め息をつくと、ゆっくり口を開いた。


 「質問を変えよう。カズマ、シャルロットが他の男のモノになるのはイヤか?」


 「……その質問、ズルいですよ。イヤに決まってるじゃないですか」


 シャルロットが他の男のモノになる……それを考えたときの嫌悪感は嘘ではない。


 「ならいい。カズマ。何も演技する必要はない。今の君の正直な気持ちを妹にぶつけてやれ。後の事は俺が責任を持つ」


 ……


 ……


 ……


 ……


 ……俺の正直な気持ちをぶつけてやれ、か。


 俺は深呼吸をすると、純白の花嫁衣装を着たシャルロットに語りかけた。


 「シャルロット……!」


 「……何しに来たの? こんなことをして。馬鹿じゃない?」


 一昨日とは立場が逆だ。シャルロットの表情はヴェールに隠れて見えない。口では憎まれ口を叩いているが、声が浮わついている……全く、嘘をつくのが下手だ。


 「ああ。()も馬鹿をやっていると思うよ。でも、俺はもう、自分の気持ちに目を背けたくない。だから来た」


 「……! そんなこと……っ! 何故、何故今になって現れたの?!」


 「本当、今更だよな。でも、お前が他の誰かのモノになって二度と会えなくなると思ったら、もうお前の事しか考えられなくなった。思い知ったんだ。俺にとってお前が、シャルロットが……」


 「言わないでっ! あんたの来るのが遅すぎたのよ! もう、私は……」


 シャルロットは悲鳴のような言葉が俺を遮る。だが、もう拒絶の振りをする必要はないんだ。お互いに。


 俺は首を振ると、彼女に優しく微笑んだ。


 「遅すぎるなんて事はないっ! 俺とお前の気持ちが同じなら。だから!」


 「私は……!」


 シャルロットは俺から目を逸らして目を伏せた。


 ……もっとうまい言葉が言えたらと思うが、偽りない正直な気持ちは遠回しじゃ伝わらない。


 「シャルロット……好きだ。愛してる。もう、離したりしない!」


 シャルロットはハッとした表情で俺を見、頬を真っ赤に染めて瞳を潤ませる。


 司祭、騎士団、見物客となった貴族達、ブルヒアルト、ホルシュタイン両家の者、その場にいる全員が無言で俺達の成り行きを見守っていた。


 シャルロットはスッと顔を上げ、花嫁のヴェールを脱ぎ捨てると、感極まった笑顔を涙に濡らし、声を詰まらせながら言う。


 「私も……あんたの事が……」


 「シャルロット! 奴との戯れ言はやめろっ!」


 だが、シャルロットの言葉は、苛立った憤りと殺気の籠ったザムゾンの怒声に遮られた。


 「シャルロットは俺の妻だ。馬の骨風情が身の程を知れ!」


 ザムゾンはシャルロットを押し退けるように前に出ると、抜剣して吠えた。


 来たな……ザムゾン!

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