第五十話 『カズマとラファエル』
「申し訳御座いません。ラファエル様は御多忙の身。約束のない方と面会はお断り致します」
帝都、貴族街にあるブルヒアルト家の屋敷の玄関先。
ラファエルに会うため屋敷を訪ねた俺に、執事を名乗った老人は丁寧に頭を下げた。
「そこを何とか……数分でいいんです。会わせてもらえませんか」
俺が食い下がると、執事服をきっちりと着こなした老執事の上品な表情が鋭く険のあるものに変わる。
「お引き取り下さい……手荒な真似はしたくありませぬ故」
「ぐ……」
これはただの脅しって雰囲気じゃない。
仕方ないか。無理を通してラファエルやシャルロットに迷惑をかけるわけにはいかない。
俺は『失礼します』と頭を下げると、踵を返して屋敷を後にした。
「何やってんだ俺は……」
ブルヒアルトの屋敷を後にした俺は貴族街の一角にある広場の噴水に座り、肩を落として溜め息をついた。
冷静に考えれば、相手は伯爵家の嫡男。いくら本人や妹と親しくしていたって、アポなしで簡単に会ってもらえる訳がない。
見知らぬ男が突然『おたくの息子に会わせろ』と押し掛けてきたら、俺だって追い返す。
……如何に俺が聴牌って自分を見失っていたかって事だ。
ルーファスが憲兵隊に逮捕され、銀狼団追撃部隊の本部が騎士団中央本庁によって接収されたのが三日前。
第十一騎士大隊の騎士達は身柄を拘束されたが、俺とアレクシアは魔法省からの出向、ステラはイスターリ宮中伯家の使用人という事で身柄の確保は免れた。
翌日、追撃部隊が解散したことで俺とアレクシアは出向任を解かれた。その時、解任辞令を手渡す副総帥から小声で忠告を受けたのだ。
『彼処で見聞きしたことは全て忘れろ。お前の為だ』
故郷には、公務中に知り得た情報を辞めた後も口外する事を禁じる『公務員の守秘義務』とか言うのがあるが、あの時のおっさんの言い方はそんな生易しい感じではなかった。
『口外するな』じゃなくて『忘れろ』だ。
その言葉で、疑問が確信になった。
……ロベルトとルーファスは嵌められたんだ。
陰謀とか政治闘争とか今までドラマや小説の中の話だったし、自分の安全を考えればブロンナーのおっさんが言う通り、折角見逃してもらえたんだから素直に忘れて大人しくするのが一番だろう。
しかしロベルトもルーファスも、見知らぬ赤の他人じゃないし、何処の誰かも分からない奴の都合で仕事を潰されるのは正直むかつく。
こんなモヤモヤを抱えたまま終わらせるのは嫌だった。後悔したくなかった。
そんな焦りとか、今までの疲れとか色んな事で頭がぐちゃぐちゃになって、気が付いたらラファエルの屋敷に押し掛けていたのだ。
しかし……ラファエルの伝は無理か。
となると、イスターリ宮中伯が頼みだけど、爺さんは魔法学院から帰っていない。
ロベルト達の査問委員会までの日にちを考えると、魔法学院まで行って爺さんの協力を取り付けるなんて暇は無かった。
何としてでもロベルトとルーファスの冤罪を晴らす。そう心に決めたものの、最初から手詰まりとか。
こんなとき、何の力もない平民の身が恨めしい。
と、馬蹄の響きと木の軋む音が近付いてきた。
馬車は貴族街では珍しくないが……貴族街を往く馬車にしては、車体や車軸がやけに軋んだ音を立てている。
馬車はさらに近付き、そして俺の前で停まった。ふと何気無く顔を上げた俺はその馬車に眉を顰める。
車体は塗装が所々剥げていて手入れが行き届いていないように見える。貴族街を走る馬車には必ず描かれている紋章も無かった。
窓は分厚い布で覆われていて、中の様子を伺うことができない……かなり、いや、すごく怪しい。
「……カズマ・アジム殿でよろしいか」
帽子を目深に被り、灰色の外套を身に付けた御者が、御者台から俺を見下ろして尋ねてきた。低く、抑揚の乏しい声だ。
俺はさっと周りに視線を走らせる。昼下がりの広場には人影が殆ど無い。
そもそも貴族街自体、昼間でも外を出歩く人が少ないのだ。
「……そうですが、何か」
俺は何時でも逃げられるように身構え、御者の問いに答えた。御者は俺に値踏みするような目線を送ると、親指で馬車を指差す。
「旦那様が貴殿に用があると仰っている。乗ってもらおう」
いやいや、それで素直に『はい、分かりました』と乗るわけないだろ。馬車の雰囲気とかヤバイし。
でも、拉致とか暗殺とか狙っていれば、俺が名前を答えたときに何かしらのアクションがある筈
。この御者のおっさんは相当腕がたつ。その気になれば一瞬で俺を殺せると、勘が訴えていた。
しかし、御者のおっさんからは殺気というか俺に対する害意は感じられない。
「旦那様とは、どちら様でしょうか」
「……口では言えぬ。乗れば分かる」
違和感を抱きながら警戒心を隠さずに問えば、御者はぶっきらぼうにそう答えた。
まあ、言えないから紋章の無い馬車を横付けして来るんだろう。
俺はおっさんから馬車に視線を戻し……そして気付いた。さっきまで感じなかったものだ。
唐突に露になった気配。彼がおっさんのいう『旦那様』だろうが、この気配は……
「分かりました」
そう答えて立ち上がり、馬車のドアに手を伸ばす俺に、御者のおっさんは一瞬驚いた表情を見せる。
素直に乗ると言ったことが意外だったようだ。
馬車の扉を開け中を覗き込むと、そこには思った通り、みすぼらしい馬車に不釣り合いな金髪の美丈夫が座っていた。
「バレたか……つまらんな」
「わざとバラしたんでしょう?」
言葉とは裏腹に愉しげな笑顔を浮かべる『旦那様』……ラファエルに俺は苦笑いを返した。
……
……
……
……
小石でも踏んだのか馬車が大きく揺れ、俺は思わず椅子に手をついた。
宮中伯家の軽馬車もそうだが、サスの無い安馬車はよく揺れる。
……それにしても。
「ラファエル……何でわざわざこんな事を? 話ならお屋敷でもいいでしょうに」
俺は、ゆったりと足を組んで座るラファエルに問うた。
「屋敷では何処に耳があるかわからないからな。込み入った話が出来ないのさ。それに、お互いの為でもある」
お互いの為?
俺が怪訝な表情をすると、ラファエルは足を組み直して前髪を弄りながら苦笑した。
「ブルヒアルト伯家はどの閥にも属さない中立の立場にある。そこに『宰相派』の重鎮イスターリ宮中伯の弟子が出入りすると、要らぬ勘繰りをする連中がいるのさ」
「あ……」
言われて思い出した。
普段は全く意識していないが、この国の貴族は『宰相派』と『公爵派』に分かれて対立している。そして、彼は伯爵家の嫡男として宮廷闘争の直中に居るのだ。
一方の俺はただの平民だが、大賢者メアリムの弟子、イスターリ宮中伯家の家人でもある。
ちょっとした噂でも、尾ひれの付き方次第では大きなリスクに成りかねない貴族社会。中立のブルヒアルト伯家の嫡男が『宰相派』のイスターリ宮中伯の家人を屋敷に招き入れれば、どんな噂が立てられるか。
……迂闊だったな。
「まあ、今までは俺の個人的な付き合いで通せたが、状況が変わってね」
「どういう事ですか?」
「それは追々な。それより珍しく、君から俺に話があるんだろう?」
ラファエルは肩を竦め、頬杖をついて流し目をくれるラファエル。
彼の表情から、もう全部分かっているけど敢えて聞いてやる的な雰囲気を感じる……実際そうかもしれない。でなければ、わざわざこんな回りくどいことをしないだろう。
なら、前置きや言葉選びは必要ない。俺は小さく深呼吸して、真っ直ぐラファエルを見据えた。
「先日、ロベルトとルーファスが辱職罪に問われて憲兵隊に捕まったんだ。追撃部隊も解散させられ、捜査資料とかも全部処分された」
「知っている。決して小さくはない事件だからね」
ラファエルの表情が曇る。ラファエルはロベルトと友人、ルーファスとも顔見知りだ。彼等の事が心配なのだろう。
「……敵前の職務放棄は処刑だって聞いた。でも、二人は絶対に罪を犯していない。これは冤罪だ」
俺はそこで言葉を切る。膝の上に置いた拳を無意識に握り締めていたらしい。
ラファエルは真面目な表情で俺を見詰め、無言で頷き話の先を促した。
「これは勘だけど……多分二人は誰かに嵌められたんだ……だから、何とかして助けたい。二人の査問まであまり時間がないんだ。ラファエルの力を貸して欲しい」
「……」
頭を下げて頼む俺を、ラファエルは無言のまま難しい表情で見詰める。
何となく気まずい沈黙が馬車を流れ、車軸が軋みと車輪が転がる音がやけに大きく響いた。
やがて、ラファエルは小さく溜め息を付くと厳しい表情で口を開く。
「話は分かった。だが、俺では君の希望に沿うことはできない……残念だがな」
「そんな……っ!」
てっきり協力してもらえると思っていた俺は、思わず大きな声を上げた。
詰め寄る俺を、ラファエルは手を上げて制した。
「話は最後まで聞け。俺はまだ家督を継いでいない。ブルヒアルト伯家として動くには親父を説得しなきゃならんが、親父はホルシュタイン伯家と正面から対立するのを避けている。だからロベルトの件でブルヒアルト伯家を動かすのは難しい」
「……ホルシュタイン伯って、シャルロットとの結婚話が出ている家ですよね? ロベルトの査問に関係あるんですか」
ラファエルがブルヒアルト伯家の名で動くには当主である父親の同意が必要なのは分かるが、何故ホルシュタイン伯爵の名前が出てくる?
一見関係ないように見えるが。
俺の疑問に、ラファエルは憮然とした表情をする。
「あそこの嫡男……シャルロットを嫁に欲しがっている男がロベルトの後任の大隊長に決まったからさ。ホルシュタイン伯爵がマルコルフ公の権威を傘に捩じ込んだらしい……息子に箔をつけてやりたいんだろう」
……何だと。
つまり騎士団はロベルト達を第十一騎士大隊に復帰させるつもりは無いということか。
「査問でロベルトの処分取り消しを訴えることは、ホルシュタインの息子を大隊長に据えることに反対すること。シャルロットの事や我が家のこともあってホルシュタインと対立したくない親父は及び腰なのさ……全く面倒なことだ」
確か、ブルヒアルト伯爵はホルシュタイン伯家にシャルロットを嫁がせることには乗り気でなかった筈だ。
なら、ロベルトの事はホルシュタイン伯と距離をおくチャンスじゃないか。
その結果シャルロットへの婚約申込は無かったことになるかもしれないが、ブルヒアルト伯爵の不利益にはならないはず……
いや、状況が変わったと言ったな。もしかしてシャルロットにも何かあったのか。
「しかし、だからと言って手を拱いている訳にもいかん。尻尾を捕まれるようなへまをやらかしたのは奴だが、情報を振ったのは俺だからな……尻は拭ってやらんと寝覚めが悪い」
渋面を作って仕方なさげに頭を振るラファエル。
うん……?
つまり、ラファエルが提供した情報を元にロベルトが何かを探り、それが発覚して逮捕された……って事か。何かの陰謀に巻き込まれ、身に覚えの無い罪を着せられている訳じゃない……と?
俺の戸惑いを読み取ったか、ラファエルは口の端を歪めて意味ありげな笑みを浮かべる。
「シュテルハイム大水道……知られる筈の無い大水道の構造を銀狼団が知っていた可能性」
「……なっ?!」
「別に驚くことじゃないさ。家柄上、あらゆる情報に網を張っているからな。この手の話は嫌でも耳に入る……君がその一端に触れたこともね」
……あの朝、俺がその事に気づく前に既にラファエルがその可能性に気付いてロベルトに伝えていた。
そしてロベルトは独自に調査を始めて……その事を知った黒幕の誰かによって逮捕されたのだ。
では、誰がロベルトに罪を……?
「まあ、その話は今はいい。既に別の手を打った。ロベルトの方は親父が首を縦に振れば、無罪放免は無理だが情状減軽をもぎ取る位は雑作もない」
余裕の表情でそんなことを言うラファエル。別の手を打ったとか言い方が気になるが、要は大水道の件は信頼できる誰かに引き継いだって事だろう。多分。
しかし、ブルヒアルト伯爵が了承すれば何とかなると言うけど、肝心の伯爵は動かないんじゃなかったか。
「その為には、ホルシュタインとシャルロットとの婚約話を潰して、親父の腹を決めさせる必要がある。そこでお前の出番というわけだ。カズマ」
「……え? 俺?」
ラファエルの言葉に、俺は思わず聞き返した。今までの流れで俺が出来ることってあったか?
「シャルロットの恋人役の話だ。まさか忘れたか?」
……いえ。忘れてませんとも。




