表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/67

第四十九話 『一つの終わりと継がれる意志』

 茜色に染まった書斎。


 年代物の高価な調度品に囲まれたその部屋で、小太りの男がひとりイーゼルに置かれたキャンバスに木炭をはしらせ、何かのデッサンを描いている。


 男が描くのは雲を突き抜け空へと伸びる一本の大樹。


 ふと、男は何者かの気配を察したように木炭を握る手を止めた。


 すぐにドアがノックされ、入室の許可を問う声がする。


 男はキャンパスから少し体を離し、絵の出来映えに頷くと『入れ』と短く告げた。


 「報告いたします。追撃部隊本部の接収が完了。捜査資料も全て押収いたしました!」


 入ってきた騎士は、部屋の入り口で敬礼すると、緊張のためか声を上擦らせて報告する。


 今朝早く、騎士団総帥から第十一騎士大隊と第十二騎士大隊の隊長を拘束したという報告を受けた。


 同時に追撃部隊本部に憲兵隊を差し向け、捜査資料を接収する旨報告されたが。


 ……随分と時間が掛かったものだ。


 「処分せよ」


 男……ウラハ公ゲラルトは騎士の方を一瞥もせずに短く告げる。


 「……は、しかし」


 報告した騎士はウラハ公の言葉に戸惑いを覚えた。


 副隊長だった男が素直に投降したお陰で、然したる抵抗もうけず施設と捜査資料の接収ができたが、彼らが残した資料は膨大な数だった。


 恐らく寝る間も惜しみ、足を使って集めた資料を何の検証もせずただ処分するのは同じ騎士として抵抗があったのだ。


 ウラハ公は騎士の困惑を感じたのか、有無を言わせぬ強い口調で騎士に命じる。


 「聞こえなかったか? それは無価値なものだ。全て燃やせ」


 「は、はいっ!」


 主君の勘気に触れたと思ったのか、騎士は一層体を固くし、叫ぶように答えると敬礼して去った。


 ウラハ公は大樹の絵に背を向けると、ソファーに腰を下ろす。


 部屋を満たす茜色の光はいつの間にか濃い闇に変わろうとしていた。


 「……ヘルムート卿も仕事が早いですな。些か強引ではありますが」


 低く、湿り気を帯びた老人の嗄れ声に、ウラハ公は不快そうに表情を歪める。


 いつの間にか壁と壁のまじわる場所、部屋の角にぴったりと背中をつけて、黒いローブの老人……オージンが控えていた。


 「ロベルト、だったか。あの男、何処で嗅ぎ付けたか地下水道(あれ)に探りを入れてきた。下賤の分際で身の程を知らぬ……が、それだけならここまで慌てることもなかった。しかし……」


 ウラハ公はソファーから立ち上がり、窓の外の黄昏に沈んだ貴族街を見下ろした。


 「貴様が策に使った野良犬が何匹か騎士団に狩られた。死人に口はないが、地下水道(あれ)の痕跡が無いとも限らん。今、機密漏洩の件(あのこと)を世に出す訳にはいかぬのだ。お陰で台本(シナリオ)が狂ったわ」


 「いやはや、手厳しい……以後気を付けましょう」


 オージンは床に額が触れるほどに深々と頭を下げ、ふと思い出した風に口を開いた。


 「そう言えば、あの騎士とは別に、イスターリ宮中伯の弟子も大水道(それ)に気付いたようです……この者は如何なさいますか」


 「イスターリの弟子か……貴様に任せる。好きにせよ」


 「御意のままに」


 ウラハ公が動物を追い払うように手を払うと、黒衣の老人はその骸骨のような顔を笑みの形に歪め、そのまま闇に消えた。


 今度こそ独り残ったウラハ公は、小さく溜め息をつき夜の闇に浮かび上がるヴェスト城を眺める。


 「現世(うつしよ)は劇の台本のようには描けぬ。だからこそ面白いが……それを御さねばあの頂には届かぬ」


 ……


 ……


 ……


 ……


 「今、何と言われた?」


 オリヴィアは綺麗な形の眉を顰めて問うた。


 憲兵隊による拘束から二日後。


 騎士団中央本庁(ツェントルム)の一室に軟禁されていたオリヴィアは、唐突に総帥執務室に出頭を命じられた。


 そこで言い渡されたのは、彼女の処分について……であったのだが。


 「今回の件につき、貴官を訓告処分とする。理由は部隊の監督不行き届きである。今後この様なことが起きぬよう、より一層部隊長としての職務を全うせよ……分かったか? ラウエンシュタイン卿」


 総帥の補佐官が先程よりゆっくりとオリヴィアに告げた処分の内容を繰り返した。


 その、いかにも選良(エリート)ぶった神経質らしい細面をオリヴィアは鋭い目線で睨む。


 「それは『お咎めなし』という事で宜しいか?」


 「全く咎めが無いわけではない……が、そう考えてよい」


 補佐官は少々ムッとしてオリヴィアを見下ろすように胸を張り、恩着せがましく言う。


 「納得できかねます。どう言うことか説明願いたい」


 鋭利な氷の刃物のような鋭い視線に睨まれ、部屋の主、騎士団中央本庁(ツェントルム)総帥ヘルムート宮中伯は彫りの深い、厳つい顔に引き吊った笑みを浮かべた。


 「信賞必罰は世の習い。何が不服なのだ。ラウエンシュタイン卿?」


 「信賞必罰は公平公正であってこそ尊ばれるのです……ですが、この処罰はとても公正とは思えません。私が訓告処分なら、ワイツゼッカー卿の処罰も同じにすべきではないですか?」


 部下に言葉を返された総帥は、不快感を飲み込むように低く唸ると、威厳付けに伸ばしているカイゼル髭を撫でた。


 「ワイツゼッカーは自らの職務を放棄した。常に職務に忠実であった卿とは違う」


 「……安全な場所で椅子にふんぞり返るのが大隊長の職務だと言うなら、それこそ騎士の職務の放棄ではないですか?」


 オリヴィアはスッと目を細め、声を落として言った。


 夏祭り襲撃の時も、先の商人街襲撃の時も、ロベルトは常に最前線に立ち、時に自らの剣を振るって戦い、騎士や兵を指揮し、鼓舞した。


 オリヴィアもまた、彼と並んで剣を振るい、共に臣民の楯と為るべく戦ったのだ。


 それで大隊長としての職務を放棄したと言われるのなら……そのような職務など願い下げだ。


 ヘルムート総帥は我が儘を言う子供を見るようにオリヴィアを見上げ、溜め息混じりに口を開く。


 「オリヴィア卿。これは決定事項だ。どのような正論を並べても覆らぬ。だが、卿については御尊父(ラウエンシュタイン侯)から侯爵家の名に傷をつけてくれるなと言われてな……卿ならその意味がよくわかるだろう?」


 「父上が……?」


 オリヴィアはヘルムートの言葉の意味に愕然とした。


 ……


 ……


 ……


 ……


 オリヴィアは腰のサーベルを鞘ごと外して抜くと、目の前に刀身をかざし刃に映る自分の顔を睨み付ける。


 手入れが行き届いた曇り無い刃。だが、そこに映る双眸はひどく歪んで見えた。


 帝都、ラウエンシュタイン邸。


 騎士団中央本庁(ツェントルム)から帰還した彼女は、家人の迎えもそこそこに、一人自室に籠っていた。


 ヘルムート総帥の言葉から、はるか上の大きな力が働いた事は、貴族社会の事情に疎いオリヴィアにも理解できる。


 その力がロベルトに理不尽な罪を着せ、追撃部隊を解散に追い込んだ。


 では、何故自分は罪を逃れたのか。侯爵家の娘だからか? それとも……


 「……無力だな。私は。やはりただの飾りか」


 「卿は飾りではないし、無力でもないよ。もっと自分に自信を持ちたまえ」


 思わず漏れた自嘲の独り言に答える男の声。


 オリヴィアは反射的にサーベルの切っ先を声の方に向けた。


 「流石の身のこなし。『稲妻のオリヴィアオリヴィア・デ・ブリッツ』は伊達ではないな」


 鼻先に切っ先を突き付けれて悠然と笑みを浮かべる男に、オリヴィアは胡乱な表情で問うた。


 「……何故、何時からここにいるのだ? ブルヒアルト卿。事と次第によっては卿とて容赦はしないぞ」


 「つい先程来たばかりさ。乙女の部屋に忍び込むのは気が引けたが、耳は壁を伝うというからね。まあ、流石に侯爵令嬢の部屋に聞き耳を立てる不粋者はいないだろうが」


 男……ラファエル・フォン・ブルヒアルトはそう言って肩を竦めると、突き付けられた切っ先から体を逃がした。


 「……淑女の部屋に忍び込むような不粋者がよく言う。そうまでして何用か」


 オリヴィアはサーベルを鞘に納めながら警戒心を顕にラファエルを睨む。


 「なに……ちょっとした野暮用さ」


 ラファエルは苦笑いを浮かべ、懐から金属の筒を取り出すと、オリヴィアに投げ渡す。反射的に受け取ったオリヴィアは顔を顰めた。


 「……? これは」


 「我が友から預かった。自分に何かあったら卿に渡して欲しいと頼まれてね」


 「ロベ……彼から?」


 オリヴィアは彼の名を慌てて言い直した。ラファエルの言った『耳は壁を伝う』という言葉を思い出したのだ。


 震える手で筒を開け、中に入っていた手紙に目を通したオリヴィア。だが、その表情がみるみる厳しいものに変わっていく。


 筒に入っていた帝都の見取図には、シュテルハイム大水道の水路と立坑の位置。そして夏祭りから今まで銀狼団による襲撃があった場所が記されていた。


 そして、手紙にはロベルトの字で短く『押し付けるような真似をして済まない』と一言。


 「何なのだ……これは?」


 「俺が答える必要は無いと思うがな」


 ラファエルの答えに、オリヴィアは全てを理解した。


 何故、ロベルトが謂れ無き罪を着せられ、追撃部隊の今までの努力が無残に踏みにじられたのか。


 あのとき彼が理不尽な命令に素直に従ったのは、ああなる事を覚悟していたからか。


 「本当に意地が悪い……私に言ってくれれば」


 「卿を巻き込みたくなかったのだろう。それをどうしようと卿の自由だ。荷が勝ちすぎて迷惑なら忘れてくれ。俺も奴も恨みはせんよ」


 真剣な表情でオリヴィアを見詰めるラファエル。オリヴィアは微笑みを浮かべて頭を振った。


 そして手紙と地図を筒に戻すと、大事そうに懐に仕舞い込む。


 「彼に会ったら伝えて欲しい。『押し付けられた荷は必ず返す。待っていろ』と」


 「……気が向いたら伝えよう」


 ラファエルは胸に手を当てて紳士の礼をすると、踵を返してバルコニーからふわりと身を踊らせた。


 一人部屋に残ったオリヴィアは、晴れ渡った帝都の空に輝く王城を見詰める。その表情は曇り無く、弓形の美しい眉には決意の色が浮かんでいた。


 (ロベルト……貴方が私にこれを託した思い、決して無駄にはしない。だから、貴方も安心して戦って、そして帰ってきて……)





 ……時に、帝国歴二六七七年乙女月(ユングフラウ)の五日。


 この日、騎士団中央本庁(ツェントルム)は第十一騎士大隊大隊長にザムゾン・フォン・ホルシュタインを任命。同部隊は貴族騎士(パラディン)を中心とした再編が行われる。


 同日午後、討伐軍総司令官マルコルフ公は銀狼団の占拠するワルト城を奪還すべく、討伐軍に出陣命令を下した。


 風は、様々な思惑を飲み込んで嵐になろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ