第四話 『エルフのメイドと異世界』
広く、高い夜空にはプラネタリウムのような満天の星空に大きく丸い月が浮かんでいる。
俺の実家はそこそこ田舎だが、それでもこれ程明るい夜空は見たことがない。
見蕩れていると、不意に車体が大きく跳ねた。石か何かに乗り上げたか。馬車にしがみついていなければ放り出されるところだった。
俺はメアリム老人と共にクリフトさんが準備した馬車に乗って、この街の外れにあるという老人の屋敷に向かっている。
往来は人も馬車も一緒の道を通っていて、結構危なっかしい。一応馬車が優先のようだが、それもただ単に人が馬車を避けながら歩いているだけのように見える。
メアリム爺さんの話では、今は夜で人通りも少なく、まだましな方だという。
しかし、『車は左、人は右』のような交通ルールは、この街にはないのだろうか。
「ここは、一体どこなんです?」
『ここは何処なのか?』先ず老人に確認しておきたい事だった。自分の立っている場所が何処なのか分からなければ動きようがない。
「オスデニア帝国の都、帝都シュテルハイムじゃ。ここからでは見えぬが、皇帝陛下の御座所、白亜の王宮ヴェスト城を囲む、エレブリアで最も美しい都よ」
『陽の光の下で見る帝都は特にな』と、メアリム爺さんは、俺の問いに誇らしげにそう語る。
『オスデニア帝国』、『帝都シュテルハイム』……聞いたことの無い国の聞いたことの無い街の名前だ。
かの有名な推理小説の大家は、自身の作品の名探偵にこう言わせている。
『不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる』
今俺が住んでいる街では有り得ないくらい、高く明るい夜空と、頬を撫でる冷たく冴えた空気。それに、『治癒魔法』と名乗る謎の力。そして狼人と言う名の狼男と狼耳娘……
ここに来て今までの短い時間で俺が見聞きした情報を組み上げ、無理筋な可能性を消去して残った答えは……
「ここは……日本とは違う『異世界』なんですね」
「……お主、随分と疑り深いのぅ。その結論に至るまで今までかかったか」
「『真面目で常識人』と言ってください。これでもすごく悩んだんですよ?」
苦笑いを浮かべて横目で俺を見る老人に、俺は憮然として言い返した。
……しかし、異世界か。
ライトノベルの創成期から主な主題になっているもので、俺も暇潰しに通勤電車の中で目を通している小説投稿サイトで最近主流の題材になっている、あれだ。
最近は、人生に鬱屈した引きこもりやニートが気紛れに外に出てトラックに轢かれて飛ばされては、絶対無敵の能力で無双して『世界最強!』と天狗になったり、醜男の引きこもりが都合良く美青年に転生し、美少女にモテまくってハーレム作ったりする、ただの妄想と欲望の掃き溜めになっている。
しかしまさか、自分がその中に身を置くことになろうとは……人生何があるか分かったものじゃない。
……ならば俺にも『女神様の加護』とか特殊な力が与えられていてもいいものだが。現実はケータイ小説のように甘くはないようだ。
俺もあと10年若ければ、よくある異世界転移ものの主人公のように希望や野望に胸踊らせたのだろうか。
等ととりとめのない事を考えていると、もうひとつの疑問を思い出した。
「でも、メアリムさんは日本語を話していらっしゃいますよね? この世界の方なのに。それに、今日初めてお会いしたのに、何で俺が異世界人だって分かるんですか?」
「ふむ……やはりお主は疑り深いのぅ……友人が少ないじゃろう」
「何でそうなるんです? 慎重な性格だと言ってください」
ジト目で俺を睨むメアリム爺に、俺は思わずムッとして言い返した。
「まあ、その話は腰を落ち着けてからじゃ。『焦るな、されば与えられん』と言う言葉もあるじゃろう?」
「……聞いたことありませんよ。そんな言葉は」
俺はメアリム爺さんの冗談めかした物言いに突っ込みを入れ、小さくため息をついた。
老人にとってこの話題は避けたいのだろうか。あからさまに話をはぐらかしに来たな。でも、話さないとは言ってないから屋敷に着いたら話してくれるのだろう。
それからどれくらい走っただろうか。
人通りが少なくなり、周りの建物も平屋が目立ち始めた。どうやら市街地を抜けたようだ。
メアリム邸があるのは、シュテルハイムの北東、大河ラーヌに通じる運河の畔だという。
言われても、地理がわからないからさっぱりだ。
「……着いたぞ。ここがワシの屋敷じゃ」
メアリム老人が指差した先にあったのは、絵画の中から抜け出たような、牧歌的な雰囲気の家だった。
藁葺きの2階屋で、雑木林を背に柵に囲まれた敷地はかなり広く、運河を利用した水車小屋や厩舎らしき建物が見える。小さいながら菜園もあるようだ。
「魔法使いのお屋敷はもっと塔みたいな建物か、ごつい洋館かと思っていましたけど、なかなか牧歌的なお屋敷ですね。嫌いじゃないです」
「誰が魔法使いじゃ。そんな窮屈な建物は仕事場か研究室で十分じゃよ」
さっきまでのお返しとばかりに言った俺の冗談に、老人は憮然と鼻を鳴らした。
「お帰りなさいませ、旦那様」
老人が馬車を降りたとき、屋敷の玄関が開いて一人の女性が出迎えに現れた。
萌黄色を基調にしたロングのワンピースと肩の部分にフリルをあしらったピナフォア(エプロンドレス)を身に付けた、腰まで伸びた栗色の髪と切れ長の深い緑の瞳が印象的な美人だ。
だが、一番目を引くのは栗色の髪から覗く、長く尖った耳ーー世間一般に言うところの『エルフ耳』。
……まさかと思うが、エルフの、しかも家政婦か? やっぱり異世界なんだな。
狼男の執事といい、ご老人、ずいぶんいい趣味をしている。
「うむ。客人がおる。茶の準備をしてくれ」
「……承知いたしました」
メアリム老人が俺を杖で指すと、女性は俺の方をちらと見て、一瞬形の良い眉を顰める。だが、すぐに微笑みを浮かべた。
なんだ? いやらしい目付きはしてなかったと思うが……多分。
……
……
……
……
「さて……漸く落ち着いたわ。まあ、掛けよ。そなたも色々あって疲れたであろう」
館の一室。よく使い込まれた品のいいテーブルやソファが並ぶ明るい雰囲気の応接間で、メアリム老人は俺に座るように勧めながら奥に据えられた安楽椅子に腰を下ろした。
勧められるままにソファに腰を下ろした俺は、どうしても気になったことを聞いてみる。
「メアリムさん、なんでさっきの女性は俺を睨んだんですか? また失礼な態度をしてしまったんでしょうか」
「ん? ああ、ベアトリクスな。あれはなかなか綺麗好きじゃからな。お主が汚れた格好をしておるから気になったのじゃろ」
汚れた格好……言われて改めて自分の姿を見る。
暗かったせいで気付かなかったが、ワイシャツやスラックスはシワだらけで、あちこち土で汚れている。路地裏で踞って寝ていればそりゃ汚れるな。
こんな格好の男が突然客として来たら、そりゃ嫌な顔もするか……
「服はクリフトに新しく用意させる。その服装はこの世界では目立つからの」
「ありがとうございます。それで……」
「なぜワシがお主の世界の言葉を喋れるか、なぜお主が異世界人だと分かったのか、もうひとつ言えばなぜ初対面の、見ず知らずのお主を屋敷に招いたのか? 聞きたいのはそんなところか?」
「ええ……まあ」
老人の言葉に、俺は曖昧に頷いた。
メアリム爺は安楽椅子に深く身体を預けると、『ふむ』と溜め息をついて笑みを浮かべる。
「簡単に言えばな……ワシもお主と同じだからじゃ」
「……それは、つまり」
「お主と同じ世界からこの世界に喚ばれた『異世界人』じゃ」
老人の告白に俺は言葉を失った。流暢な日本語を話すし、『日本とは違う異世界』という言葉にも特に反応が無かったから、同じ転移者かもとは感じていたが。
実際に告白されると衝撃だ。しかし、これで大体の疑問に答えが出る。
「じゃから、久し振りに日本の言葉を聞いたとき、嬉しくてな……教えてくれぬか。お主が如何にしてここに喚ばれたか」
「それが……あまり覚えてないんです。コンビニの深夜バイトから家に帰りついて……」
そう。それから地震があったんだ。そのあと意識を無くして、気が付いたら彼処にいた。
俺は、ボヤけた記憶を掘り返しながら、この世界に来る直前の事を老人に語った。
「ほう、それは随分と派手な喚ばれ方じゃな。しかし、ワシもなかなか波瀾に富んでおるぞ?」
メアリム老人は安楽椅子の肘掛けに頬杖をついて語り始めた。っていうか、いつから転移の状況自慢みたいな話になったんだ?
「ワシはな、近畿のある小さな町に住んでおった。当時ワシはその町の高校で一番の秀才と言われておってな……卒業後、法律家を目指してT大学の法学部を目指したのじゃ」
「はあ……」
どこまで本当の話かどれが尾鰭か分からないが、取り敢えず相槌を打っておく。
メアリム老人は昔を懐かしむ遠い目をして昔話を続けた。
「ワシは故郷の期待を一身に背負い、最難関のT大学に挑んだが、壁は思った以上に厚くての。3回試験に落ち、4回目の挑戦を挑もうとしていた夏の事じゃ。重圧を撥ね除ける為に朝まで酒を飲んだその帰り道、突然トラックに撥ねられての。あの日の事は今でも昨日のように思い出されるわい」
しんみり語った割りに随分とテンプレートな転移のされ方ですね。御老人……まあ、それは言わないでおこう。
「そうなんですね……でも、『メアリム・イスターリ』ってこちらの名前ですよね? ……それに、今のお年からして、メアリムさんがこちらに来た当時はスマホなんてまだ無かった筈じゃ……」
俺の疑問に、メアリム老人は顎髭を撫でながら頷いた。
「メアリムという名はこの世界に来て名乗った名前じゃ。新しい世界で新しい人生を生きる決意としてな。スマホはワシが向こうに居ったときも生活の必需品じゃったよ。ここに転移したときに液晶が割れて使い物にはならなくなってしまったが」
つまり、俺とメアリム爺さんはもともと同じ時代……多分歳はそこまで変わらないくらいで、同じ時代を生きていたが転移した先の時代に大きな差があったって事か?
「何でそんな……」
「分からぬ。ワシらをこの世界に呼んだ神様か誰かが仕組んだのか、それともただの気まぐれか。じゃが、ワシがお主とこのような形で出会ったのは偶然ではない」
「『この世に偶然は存在しない。あるのは必然のみ。一見偶然に見える物事も、数ある必然が絡み合って導いたひとつの必然である』……か」
ふと、脳裏を過った言葉。いつ、誰に聞いたか覚えていないが、老人の話に反応するように浮かんできたその言葉を俺は呟いた。
メアリム老人はその言葉に一瞬驚いた表情を見せるが、難しい表情で深く頷く。
「左様。この世界の理じゃ。お主、向こうで運命学でも習ったか?」
「……いえ」
俺はメアリム老人から目を逸らして言葉を濁した。自分でもなぜそんな言葉を知っているのか分からない。
「失礼致します。お茶をお持ちしました」
場の雰囲気が妙に重くなったその時、応接間の扉がノックされてエルフの家政婦ーーベアトリクスさんがカートを押して入ってくる。
彼女は手慣れた仕種で琥珀色のお茶をティーカップに注ぐと、俺の前とメアリム老人の前に並べた。
この香り……紅茶かな?
「飲んでみよ。ベアトの茶は逸品じゃ」
「いただきます」
メアリム老に促されて、俺はカップを手に取ると紅茶に口をつけた。口のなかに広がる程好い渋味と仄かな甘味。元の世界でいえばアッサムかな? 紅茶にはそこまで詳しくないが、とても美味しい。
「美味しいです。とても……」
「ありがとうございます。お口に合ってよかった」
そういって微笑むベアトリクスさん。ん? この人も日本語が話せるのか。爺さんに仕えて覚えたのかもしれない。
異世界の片隅でエルフのメイドと優雅な生活……やっぱりいい趣味してるな、爺さん。
いや、感心するのはそこじゃないか。何だろう、この世界に少し希望が見えた気がする。