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第三話 『老人と青年貴族』

 「暫く! いや、そこの御方々、暫く待たれよっ!」


 野次馬を掻き分けて、白い髭の老人が何事か叫びながら俺と男達の間に割って入ってきた。


 ゆったりとした灰色のローブに身を包み、髪は絹糸のように白く、顔には深い皺が刻まれ、高い鷲鼻と鋭い目付きをしている。


 警察……じゃないな。手に節くれだった木の杖を持ったその風貌は絵本に出てくる魔法使いといった感じだ。


 と、突然下から腹を蹴り上げられ、俺は咳き込みながら石畳に倒れ込んだ。


 老人の闖入に気を取られた隙を突かれ、優男に逃げられたのだ。


 「……これはイスターリ宮中伯、何用ですかな」


 優男は乱れた襟を整えながら老人に声をかける。老人は優男を一瞥すると、真っ直ぐ俺の方に歩いてきた。


 「……この愚か者がっ!! 何をしておるかっ!」


 老人は凄い剣幕で叫ぶと、いきなり手にした杖で俺の頭を殴り付けた。突然の事で躱す余裕すらない。


 「な、何するんですかっ! 痛いじゃないですかっ!」


 抗議の声を上げる俺に、老人は目を見開きさらに杖を振り上げる。


 「口応えするでないっ! この恥晒しめがっ!」


 老人は吐き捨てるように叫ぶと、俺の膝を(したた)かに打ち据えた。たまらず膝をつく俺の肩を杖で押さえつけ、老人は俺にだけ聞こえるように低く囁く。


 「堪えよ……この場はワシがうまく収めてやる。お前は黙ってワシに従っておれ」


 「……え? 」


 不意に聞こえた日本語(・・・)に俺は思わず聞き返す。


 「何じゃ! その目はっ!」


 するとまた頭を杖で殴られた。『上手く収めてやる』って……そう言いながら本気で殴らないでほしい。事が収まる前に死んじまう。


 「許して……許してくださいっ!」


 「ワシの使いをほったらかして、酒を飲んだ挙げ句、公爵閣下の御子息に喧嘩を売るとは、ワシを殺す気か?!」


 老人は俺を叱るように叫びながら杖の石突きで腹を突いてくる。反射的に体を庇うが、杖で脇腹を突かれて激しくむせた。


 爺さん、手加減って知ってますか?


 マジで許してくれ。演技抜きで冗談じゃなく痛いから……!


 俺が折檻に疲れてぐったりすると、老人は漸く杖を下ろした。肩で息をし、額の汗を拭った老人は、後ろの方で所在無げにしている色男とその取り巻きを振り向く。


 「ああ、お見苦しいところをお見せしましたな。この男、我が家の家人なのですが、仕事をサボるのでほとほと困っておるのです……異国よりの流れ者で行き倒れていたところを拾ってやったのですが……とんだ恩知らずで」


 爺さんの言葉は分からない。しかし、その口調や俺を見下ろす表情から碌でもない事を言っているのは分かった。


 「それで、目の前でその夷人を痛め付けて見せた? それで私がその男の無礼を許すと思ったか? 宮中伯」


 「そのような……ただ、ウラハ公の御子息ハンス様は丸腰の男に剣を向けた挙げ句に打ち負かされ、逆恨みで徒党を組んでなぶり殺そうとする程短慮でもなければ、目の前で罰を受けた者にさらに剣を振るうような狭量な方では無い……そう聞いておりますが?」


 爺さんが意味ありげな笑みを浮かべて優男に話しかける。顔は笑っているが目は笑っていない……笑顔の恫喝、そんな雰囲気だ。


 「聞いておれば! 宮中伯様とは言え、御曹司への侮辱は許せませんぞ!」


 「控えよっ! よい」


 サーベルに手を掛けて老人を怒鳴りつける取り巻きを、優男が一喝して止めた。


 「……イスターリ宮中伯、卿に免じてここは収めてやる……しかし、次は無い。家人の教育は良くしておくことだ」


 優男は爺さんと俺を睨むと、踵を返して野次馬を払い散らしながら立ち去っていく。取り巻きの男達も俺達を威嚇しながら優男の後を追った。


 ……何が何だかさっぱりだが、事は収まったようだ。しかし、全身が痛い。


 「父親も父親なら子も子よな。全く」


 立ち去っていく男達の背中を呆れたように見送りながら、爺さんが日本語で呟く。


 ……何者だ? 何で爺さんだけが日本語を話せるんだ? 分からないことだらけだ。


 「ほら、連中は行ってしまったぞ? いつまで寝ておるか」


 「……身体中が痛くて。お爺さん、手加減しないから」


 俺の答えに老人は溜め息をついて俺の尻を小突いた。


 「情けないのぅ……あれくらい本気で殴らねば疑り深い貴族の目は誤魔化せぬわ」


 「……貴族?」


 何だよ貴族って……でもまあ、爺さんの言う通りなら優男のあの自分に逆らう者は存在しないと言わんばかりの尊大な態度も理解できる。


 「全く、手を焼かせるわい」


 老人はそう愚痴ると、俺の傍に屈み込んで肩に手を触れた。


 「『癒しは満たされるサナーティオ・プレーヌム』」


 まるで詩の一節を吟うように、老人は言葉を紡ぐ。その瞬間、大きくゴツゴツとした手から暖かいものが溢れ、俺の身体を駆け巡った。


 なんだ? この感覚は……!?


 春の陽気にも似た心地よさ。生まれて初めて感じる快感に、俺は思わず変な声を上げてしまう。


 「気持ち悪い声を出すでないわっ! ほれ。済んだぞ。これで動けるじゃろう」


 老人は軽く俺の頭を杖で小突くと立ち上がって立つように促した。確かに痛みはない。言われるままに立ち上がって、吃驚してまた声が出そうになった。


 身体が軽い。快眠から目覚めた後のように全身から疲労が抜けたように感じる。


 「凄い……お爺さん、一体何をしたんです?」


 「簡単な治癒魔法じゃ。ま、ワシ程の使い手になれば初歩の治癒魔法でも効果覿(てき)面じゃがな」


 「……魔法、ですか」


 『魔法』なんてそんな、比喩ならともかく……と思ったが、実際に有り得ない体験をしている。老人の得意面が嘘とも冗談とも思えないし、あれは『魔法』なんだろう。


 「さて、お主……見たところ、この街に来てそう経ってはいないようじゃが……行く宛はあるのか」


 「いえ。行く宛は無いです……なんか、訳が分からなくて。ここが何処かも分からないし。財布もスマホもどっか行ってて」


 俺は老人の問いに正直に答えた。


 曲なりにも危ないところを救ってもらった、今のところまともに話ができる唯一の人に嘘を言ってもしょうがない。右も左も分からず言葉も通じない場所に行く宛などないのは事実なのだから。


 「ほう、財布もスマホもな。それは不安じゃろうが……ま、どちらにしても此処ではそんなものあっても邪魔なだけじゃ」


 「はあ……」


 立派な白髭を撫でながら意味深なことを言う老人に、俺は曖昧に頷いた。


 ふと、老人の反応に妙な違和感を感じる……いや、普通ならなんの問題のないやり取りだ。だが、俺が抱き始めたこの『世界』に対する疑問が正しかったなら、何故爺さんはすんなり俺の言葉に頷いたのか。


 「行く宛がないなら、ワシの屋敷に来い。茶くらいは出そう」


 言われて俺は一瞬迷った。老人の誘いを受けるべきか? 見ず知らずの土地で、会って間もない人の誘いを。


 考えるまでもないな。誘いを受ける以外に選択肢はない。このまま何も分からない夜の街を一人で彷徨うのはリスクが高すぎる。


 多分この爺さんもそれが分かってて誘っているのだ。


 「ありがとうございます……ええっと」


 「メアリムじゃ。メアリム・イスターリ。まあ、この帝都でもそれなりに名の知れた爺じゃよ」


 「はあ……あ、俺は一馬。安心院(あじむ) 一馬(かずま)って言います」


 俺が名乗ると、メアリム老人は物珍しそうに俺を見て笑った。


 「安心院か。地味な面構えの割りに変わった名字だな」


 「……よく言われます」


 爺さん、『地味な』は余計だ。結構気にしてるんだから。


 ……


 ……


 ……


 ……


 老人に連れられ、道行く金髪碧眼の男女を掻き分けるように歩く。


 すれ違う人々は、皆俺を奇妙な者を見るような目で見ていく。日本人が珍しいのだろう。


 そうだ。この場所では俺が外国人なんだ。


 こんな場所で一人夜を明かすことになっていたら……考えただけでもゾッとする。


 「あの……さっきは助けていただきありがとうございました。あのとき止めていただかなければ、どうなっていたか」


 俺がメアリム爺さんにお礼を言うと、老人はふと足を止めて俺を振り向いた。


 「なに、お主の腕前なら、あの連中を叩きのめすのに十分じゃったろう」


 「いえ……流石に真剣を構えたあの人数は……」


 「謙遜するでない。こう見えてもワシの人を見る目は確かでな」


 顎髭を撫でながら呵呵と笑うメアリム爺。


 そう言うことを自分で言うか? まあ、でも、形振り構わずやり合えば……って、何言ってんだ。そんなこと出来る訳無いじゃないか。


 「しかし、あの場はそれで片付いたとしても、連中のしつこさは尋常ではないからの……無理やり罪人に仕立てあげられ、明後日には城門に首を晒しておったやも知れぬ」


 冗談めかして冗談じゃ済まないことをさらりと言う老人。


 「彼等は……何者なんですか?」


 「ウラハ公爵家の嫡男、ハンス・フォン・ウラハ。若手貴族では一番の実力者じゃな……まあ、親の七光りで目立っておるだけじゃが、だからこそ面倒臭い」


 「あの……『こうしゃく』って、どっちです?」


 俺の問いに、メアリム爺は一瞬妙な顔をして、納得したように頷いた。


 「公爵(デューク)の方じゃ」


 「……ああ」


 公爵(デューク)侯爵(マーキス)では読みは同じでも意味合いが全く違うからな。


 それにしても、ガチのセレブ、公爵家の嫡男坊を投げ飛ばしたのか。俺は……本当に助けてもらって良かったよ。


 「あの……メアリムさん、他にも色々伺いたいことがあるんですが」


 老人には聞きたい事が山ほどある。この場所、この世界(・・)の事、メアリム爺さんの事、俺の身に起こったこと……折角話ができる相手が現れたのだ。少しでも情報が欲しい。


 だが、老人はゆっくり頭を振ると宥めるように言った。


 「先ずは身体を落ち着いてからじゃ。この道の先にワシの馬車を停めてある。帝都都心からワシの屋敷に着くまでの間にでも話そう」






 通りを抜けて暫く。道端に小さな馬車が停められていた。


 その馬車に繋がれた芦毛(あしげ)の馬にブラシをあてていた人物がメアリム爺に気付いて早足でやって来ると、胸に手を当て頭を下げた。


 「待たせたな、クリフト」


 「お戻りなさいませ。旦那様」


 クリフトと呼ばれた人物を見た俺は、思わずあっと声をあげそうになる。


 燕尾服(えんびふく)に似た服装の、声色からして男性……だろう。前に突き出た鼻筋、大きくて三角の耳、鋭く、金色に光る瞳。顔全体を覆う灰色の毛。


 体は人間の形をしていたが、顔は狼のそれ。彼はホラー映画に出てくる狼男(ライカンスロープ )その物の姿をしていた。これが被り物や特殊メイクの類いでないのは、その自然な佇まいからして明らかだ。


 犬耳娘の次は狼男か。魔法使いに貴族もいる。街の様子は日本とはかけ離れているし、話す言葉も文字も見たことも聞いたことも無いものだ。


 やはりここは……信じたくはないが、そうなんだろうか。


 「旦那様、この方は?」


 クリフトと呼ばれた狼男の執事……というのもなかなか凄いが……兎に角、彼が俺を鋭く一瞥してメアリム爺さんに何か問う。


 「客じゃ。少しばかり訳ありでな……屋敷に連れていく」


 「……御意」


 クリフトさんは短く答えると、サッと馬車に戻って行った。


 「カズマ。さっさと馬車に乗れ。ちと狭いが我慢せよ」


 老人に促されるまま、老人の軽馬車(バギー)に乗り込む。


 「お主、この帝都に来たばかりなら、狼人族(ハウド)を見るのは初めてじゃろう」


 俺はメアリム老人の問いに黙って頷いた。


 ハウド……あのヒトはそう呼ばれているのか。


 「珍しいのも分かるし、お主に他意はないのも分かるが、あまり不躾に眺め回さんでくれよ? あれの種族は、この国で根強い差別を受けておる。あの外見のせいでな……」


 「そうでしたか……すいません。気を付けます」


 少し寂しそうにそう語る老人。外見が異なる為に周囲から奇異の視線を向けられる辛さはさっきまで自分が経験していた筈だ。


 知らなかったとはいえ、クリフトさんには気を悪くさせてしまったな。


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