第三十七話 『騎士の苦悩と舞い散る火花』
さて、どうしたものか。
俺は切り株に据えた玉……玉切りになった丸太を眺めながら唸った。
薪を割る時のコツは、一番効率的に、労力少なく割ることのできる『目』を読むことだ。
天地の方向や乾燥して割れが入っている部分を読み取る事でスムーズに丸太を薪にする事ができる。
初めの頃は読みが甘く、何回も斧が弾かれたが、最近は丸太の『目』が分かるようになってきた。
何事も経験だ。
「よし……やるか」
丸太を割る大体の手順を決めると、斧を手に取って狙いを定める。
俺はそのまま木刀を素振りする要領で斧を狙った筋に降り下ろした。
撃ち込まれた鉄の楔は丸太の繊維を引き剥がし、乾いた音を立てる。
しかし……あれで良かったのか。
次に斧を撃ち込む筋に狙いを定めながら、俺は昨日の事を思い出していた。
……
……
……
……
「俺の同僚が変なことを言ったな。カズマ」
オリヴィア卿が去った後、ロベルトが俺の側に来て苦笑いを浮かべた。
どうやら彼女と俺のやり取りを聞いていたらしい。
「……俺が銀狼団討伐に協力するのは騎士団の要請だと思っていましたが」
「それは間違いないさ。しかし、今回の事はオリヴィア卿の矜持に反するのだろう」
「オリヴィア卿の矜持ですか」
「『騎士は楯持たぬ民の楯。剣持たぬ民の剣たるべし』。オリヴィア卿は厳格にそうあろうとしている。例え魔法使いでも、民を戦場に立たせるのは騎士の名折れだと、そう思っているんだ。あいつは……まあ、間違っちゃいないがな」
成程……だから『仕事をさせるつもりはない』か。
会議の最後に『騎士の本分は帝国の安寧を維持すること』とも言っていたしな。騎士のあり方に強い誇りというか、拘りがある人なのだろう。
彼女の騎士道は立派だが、いつも正しいわけじゃない。守られる事も時には必要だ。
適材適所って言葉があるしな。
「それにな、今回の件に政治が入り込んでいるのも気に入らないようでな……俺もそこは気に入らない所なんだが」
「政治?」
周囲に軽く目配せして、声を落とすロベルトに、俺も小声で問い返す。
「何だ、お前はそのつもりでここにいるんじゃないのか」
少し驚いた表情のロベルトに俺は顔を顰めた。
どういう事だ?
「今回の討伐軍、発案がウラハ公で総大将にマルコルフ公だ……つまり、討伐軍は四公ーー『公爵派』の意志が強く反映されている」
討伐軍は先の御前会議で四公が強硬に派遣を認めさせたと聞いている。
メアリム爺とブロンナー副総帥、二人とも『討伐軍編成前に、騎士団の手で事件を解決させよ』と俺に言ってきたな。
「対して俺達追跡部隊を主導しているのは、騎士団中央本庁の禿鼠……もといブロンナー副総帥だ。彼の政治思想は宰相に近い」
つまり、ブロンナー副総帥は爺さんと同じ『宰相派』か。
そして、苦戦する追跡部隊にテコ入れとして派遣されてきたのは、メアリム爺が管轄する魔法省の魔法使いで爺さんの助手と直弟子の俺……
「追跡部隊がなにも成果が挙げられないまま討伐軍に事件を引き継ぐってことは?」
「『宰相派』の尻拭いを『公爵派』がやるってことさ。結果的に、な」
だから爺さんは『時間がない』と……あんな強引な手段で俺を試し、手続きをすっ飛ばして俺の弟子入りを急いだのか。
「……本来、これは帝都の民の安寧を奪った賊を捕らえ、罰するという単純な話なんだ。そこに派閥の権力争いや政治の思惑が入り込むから面倒になる……全く、現場の人間には迷惑な話だ」
ロベルトは髪を掻きながら苛立ち気味に吐き捨てた。
「悪いな。こんなことをお前に言ってもしょうがないのは分かっているんだが」
そう言って済まなそうに笑うロベルトに、俺は頭を振って笑い返した。
「いえ……俺も色々納得できました。話してくれてありがとうございます」
しかし、やっぱり俺を利用してたんじゃないか。あの大賢者。
「どちらにしても、今の調子じゃ暫く貴様の出番は無さそうだ。わざわざ来てもらったが……だが、俺達は必ずヤツの尻尾を掴む。その時は力を貸してくれ」
ロベルトは力強くそう言って、思いきり俺の肩を叩いた。
……
……
……
……
結局、あれからやることも無く、俺はアルを魔法省に送って屋敷に帰った。
爺さんは王城に泊まり込みで屋敷には帰らず、なんとも言えない気持ちのまま悶々と夜を明かして……取り合えずいつもの日課をこなしている。
周りを割り落とし、随分小さくなった丸太だったモノが切り株に起立している。
あとはこいつを二つに割れば取り合えず薪割りは終わりだ。
「……カズマ」
汗を拭い、斧を手に取った俺は、不意に声を掛けられ振り向いた。
そこに居たのは、銀髪に洋紅色の瞳、ふさふさの犬耳を持つ少女。
「ん? どうしたステラ」
俺が首を傾げて問うと、少女は何も言わずに近付いて手を差し伸べてきた。
「私にもやらせてよ」
「何を?」
「……薪割り」
何を言ってんだと言いたげに俺を睨むステラ。
「いや、ステラは女の子だろ? 薪割りは無理なんじゃないかな」
「元々はベアト姉の仕事でしょ? 暇なのよ。いいじゃない」
無理と決めつけられてムッとしたのか、憮然とした表情でステラは俺から斧を取り上げた。
「……っ?!」
だが、構えようとしてふらつき、俺は慌てて彼女の肩を支える。
「ステラ、危ないから」
「ちょっと油断しただけよ。馬鹿にしないで。狼人は見掛けより力があるんだから」
ステラは頬を真っ赤に染め、俺を上目遣いで睨むと斧を構えた。
……構えがなんか危なっかしい。しかも最後に残ったのは丸太の芯。一番繊維が密な部分だ。
弾かれて怪我をしたりしないだろうか……?
「やあっ!」
そんな心配をしているうちに、甲高い気合いと共に斧が振り下ろされた。
ガッという鈍い音がして刃先が芯に食い込む。
「くぅ……っ! このぉっ!」
衝撃に手が痺れたのか、ステラは一瞬顔を顰める。が、斧を芯ごと切り株に叩き付け、四回目で薪を割ることに成功した。
「おお……凄いな、ステラ。上出来だ」
「……ベアト姉はもっと簡単に割ってたのに」
「ま、あの人は色々と段違いだからなぁ」
悔しそうに唇をかむステラの頭を、俺は慰めるように優しく撫でてやる。
確かに最初にベアトリクスさんの薪割りを見せてもらったときは俺も驚いた。
そして魔法の力に目覚めて、改めて思う。あの人は俺達とは次元が違う。言葉にできないが、時折感じる圧迫感が。
「それにしても、何で急に薪割りなんか」
「言ったでしょ? 暇だからよ……だからあんたの手伝いでもしようかと思って来たの」
斧を仕舞いながら問う俺に、ステラは薪を拾いながら答えた。
「俺よりベアトリクスさんを手伝った方がいいと思うがなぁ……ベアトリクスさん、この屋敷の炊事、洗濯、掃除を全部一人でやってるから手伝ったら喜ぶと思うぞ?」
「ベアト姉にも言ったわよ。でも、『私は大丈夫ですから、カズマ様を手伝って下さい』って断られたわ」
そっか……ベアトリクスさんの方が仕事多いし、ステラの将来に役に立つと思うけどな。
「……じゃあ、手伝うなら薪割りじゃなくて竜巻号の世話の方がありがたいな。一人より二人の方が早く済む」
薪割りは斧や鉈を使うから危ない。でも、馬の世話なら鼻水さえ気を付ければステラも出来るだろう。
「ん……考えといてあげる」
俺の言葉に、ステラは小さく頷いて微笑んだ。
「まあ、随分と仲のお宜しいこと」
慇懃な言い方が鼻につく嫌みの籠った声。
顔をあげると、声の主……赤い癖っ毛をアップに纏めた乗馬服の少女が何時ものように豊かな胸を突き出し、仁王立ちで俺を睨んでいた。
「シャルロットお嬢様……いつ此方に?」
「ついさっきよ。そんな事よりカズマ、その言葉遣いをやめるって約束、忘れたの?」
シャルロットお嬢様……もといシャルが拗ねたように唇を尖らせる。
「忘れてませんけど……そんな急には無理ですよ」
それに、それは『二人でいるとき』って話だろ?
お嬢様が考えるほど簡単なことじゃないんだ。平民が上級貴族のご令嬢にタメ口きくっていうのは。
「しょうがないわね……分かったわよ。で、『数日前に知り合ったばかり』なんて言う割に随分親しげなのね? ステラと」
シャルはそう言ってジロリと俺とステラを睨む。と、ステラはシャルがするように腕を組んで胸を張った。
「一緒に住んでるんだもの……仲良くするのは当然じゃない?」
ステラが澄まし顔で俺の腕を取って引き寄せ、シャルは上気した顔でそんなステラを睨む。
「アンタはただの同居人でしょ?」
「貴女は部外者でしょ?」
「むっ! 何よっ!」
「……なに?」
俺を挟んで火花を散らす二人……って、何でいきなり険悪なムードになるかな?
誰と誰が仲良くしてどうとか……子供かっての。
「おいおい……二人とも、つまらないことで喧嘩するなよ」
「何よ。つまらないことじゃないわよ!」
「そう。大事なことなのよ!」
俺が二人を宥めようと間に入ると、シャルとステラが今度は俺に噛み付いてきた。
そしてお互いに顔を見合わせ、何かを確認するように無言で頷きあう。
睨み合ったと思ったら、突然意気投合するとか……年頃の女の子はわからないな。
俺は髪を掻きながら溜め息をつくと、シャルに問い掛けた。
「それで、シャルは何しにウチに来たんだ? ってか、よく帝都の城門をくぐれたな。いま、あそこは人の出入りが厳しく制限されてるんじゃないのか」
今はあの事件の後で騎士団も城門の衛兵もピリピリしている。
平時ならいざ知らず……いや、平時でも問題だが、一見して貴種の娘だとわかる少女が供も連れず城門の外に出るのを見逃してくれるだろうか?
「ふふん。私くらい身元がハッキリしていれば城門の出入りも自在なのよ」
「……そうですか」
得意気に鼻を鳴らすシャル。
つまり、衛兵に顔と名前を覚えられるくらい門を行き来してるって事だろ?
貴族の令嬢としてどうなんだ? それは。
「せっかく来てもらって悪いが、宮中伯様は仕事でしばらく留守だぞ」
「宮中伯様に用は無いわよ。今日はカズマ、貴方にお願いがあって来たの」
「……俺に?」
「うん」
不意に表情を暗くするシャル。
何だよ、供も連れず屋敷を抜け出して俺にお願いすることって……気になるじゃないか。
シャルはちらとステラを一瞥すると、小さく溜め息をついて上目遣いで俺を見上げた。
「結婚を……申し込まれたの。私」
「……は?」
思いもしなかった彼女の告白に、俺は素っ頓狂な声を上げた。
シャルが? 結婚?




