第三十六話 『カズマと氷結の女騎士』
「本当にいいんですか?」
「何がですか~?」
俺の問いに、アルは小首を傾げてのんびりと問い返した。
小柄で細身のアルは竜巻号に跨がる俺の前に横乗りで座っている。
手綱を握るために彼女の体に腕を回しているが……腕に感じる彼女の感触は思ったより女性らしい。
……案外、着痩せするタイプなのかもしれない。
って、んなことはどうでもいい。
魔法省で魔法使いアレクシア女史……アルと合流した俺は、彼女と共に銀狼団追撃部隊が本部を置いている帝都西区警邏隊基地に向かっていた。
警邏隊基地と大層な名前がついているが、メアリム爺が言うには俺の故郷でいう警察署のようなものらしい。
「何がって……いくら宮中伯様の指示とはいえ、この仕事を受けちゃっていいんですかって事です。騎士団に加わって賊の魔法使いと戦う事になるんですよ?」
「はい。そうなるでしょうね~」
アルは『それがどうした』と言う風にきょとんとした表情で俺を見る。
いや、あんたはさっきまで仕事の内容を曖昧にしか理解してなかったろ。
俺は肩を落として魔法使いの顔を見た。
体が密着しているせいで互いの顔が近い。その為分厚いグリグリ眼鏡の奥に隠れた円らな淡褐色の瞳がよく見えた。
眼鏡っ子のお約束って奴だが……この子、髪をほどいて眼鏡を外したら別人ってくらい可愛いんじゃないか?
「……? 私の顔に何か付いてますか?」
「い、いえ。でも、アルって研究員なんですよね? 魔法で戦うって怖くないんですか? 間違いなく怪我するでしょうし、下手したら……んぐっ?!」
動揺を隠す為に早口になる言葉を、アルは人差し指を俺の唇に押し当てて止めた。
「私は魔法が大好きなんです」
「ふぁ?」
唇を指で押さえられているので変な声になってしまう。
……俺は子供か?!
「それに、私は魔法は人を幸せにする力だって信じています。だから魔法で罪のない人を傷付けたり、命を奪ったりする人を許せないんです」
グリグリ眼鏡の奥の淡褐色の瞳が揺れた。
世の中のために魔法を研究する彼女にとって、今回の事件は許せることではないのだろう。
「そんな人にはキツーイお仕置きをしなきゃ……ですよね?」
にっこり笑って子供に言い聞かせるような言い方をするアル。
……って、もしかして。
「……最初から分かってましたね? アル」
「ん~? 銀狼団の魔法使いさんを捕まえて、お仕置きするお仕事でしょう?」
ジト目で睨む俺に、アルは眼鏡をずり上げて笑顔を向ける。
いや、さっきは『捕まえて魔法の秘訣を聞き出す』って言ってたろ?
素なのか、分かって俺をからかっているのか、よくわからないぞ。
まあ、いいや。もう。
「……そうですね。間違いないです」
「ふふふ……心配してくれたんですね? 私の事。カズって、本当に優しいんですね~」
アルはまるで子供を誉めるような口調でのんびりとそう言って笑った。
まったく。何で年下に子供扱いされなきゃならんのだ。
まあ……悪い気はしないけどね。
……
……
……
……
「おう、よく来たな! カズマ」
「ロベルト卿……!」
西区警邏隊基地。
急拵えの執務室で窮屈そうに座っていた偉丈夫が、部屋に入った俺に笑顔で手を差し伸べてきた。
俺はそのゴツい手を握り、笑顔を返す。
彼はいつもの黒い詰め襟の軍服姿に肩章や飾緒を着けている。貴族騎士のような派手さはないが、華やかな感じだ。
「何だか物々しいですね。上級士官って感じで」
「これでも一応、第十二騎士大隊の指揮官だからな……しかし、飾りが多いとどうも動きにくくていかん」
ロベルトは飾緒の先に付いている飾りを指で弾いて苦笑いを浮かべた。
動きにくいって。指揮官は率先して動かないと思うが。
「……で、そちらの女性は?」
ロベルトに問われ、後ろに控えていたアルはグリグリ眼鏡をずり上げてにっこりと笑みを浮かべる。
「申し遅れました。私は魔法省魔法技術研究所のアレクシア・ハイネと申します。かの名高い『騎士の中の騎士』、ワイツゼッカー子爵に御目にかかれて光栄ですわ」
「その渾名はよして下さい、御婦人。小官には過ぎた名だ。しかし、魔法省から……では、貴女が?」
ロベルトは気恥ずかしそうに笑って机に座ると彼女を見上げる。だが、彼の問いにアルはゆっくり頭を振った。
「いえいえ~私はただの助手ですよ~大賢者様のお弟子はカズマ様です」
「……カズマが?」
ロベルトが胡乱げな表情で俺を見る。そう言えば、ロベルトには魔法の事は言ってなかったな。
「やはりそうか。貴様、バルタザールで魔法の事を伏せたな?」
「すいません……まだ正式に弟子と認められていなかったものですから」
苦笑いを浮かべるロベルトに、俺は素直に詫びて頭を下げる。
あの時は、魔法を使えるようになった過程がややこしくてロベルトに言えなかった。
でも、メアリム爺の弟子になっていなかったのも事実だ。嘘は言っていない。
……まあ、正直に話そうとしても『禁忌』の影響で話せなかっただろうけど。
ロベルトは真顔で俺の目をじっと見据えた。
心の奥まで射抜くような彼の強い眼光を、俺は真っ直ぐ受け止める。
絶対に目を逸らしてはいけない……そんな気がした。
長い一瞬の沈黙のあと、ロベルトは表情を緩めて肩を竦める。
「……まあ、いいさ。俺としても、貴様が協力してくれるなら助かる。頼りにしてるぞ! カズマ」
「ありがとうございます。頑張ります」
……どうやら信頼してくれたようだ。
和らいだ場の雰囲気に俺はホッとして笑みを浮かべる。
と、ロベルトは机に肘を突いて身を乗り出し、ニヤリと口許を歪めた。
「しかし、貴様は会うたびに違う美人を侍らせているな……モテる方法を教えてもらいたいものだ」
「あら~? そうなんですか? それは聞き捨てならないです~」
彼の言葉に、アルが『信じていたのに~』等と言いながら、頬に手を当てて頭を振る。
「なっ!? 何言ってるんです? そんなんじゃないですよ!」
慌てて否定するが……みるとロベルトは愉しげにニヤニヤしているし、アルも口許に悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
……アルは兎も角、ロベルトに揶揄われるなんて。真面目な雰囲気を前触れなしに崩すのはやめてほしいな。
ロベルトに挨拶してすぐ。
俺とアルは基地の会議室の隅に並んで座っていた。
銀狼を追う追撃隊の部隊長が一同に会する定例の報告会議に参加させてもらい、捜査の現状を確認するためだ。
だが……状況は芳しくないらしい。
部隊長達の報告が進む程に、会議室の空気が重くなっていくのが分かる。
「……つまり、進展なしか」
追撃部隊の報告が終わり、会議室の上座に座る女性が腕を組んで小さく溜め息をついた。
……彼女は確か、第十一騎士大隊の大隊長、オリヴィア・フォン・ラウエンシュタインだったな。
帝国でも公爵家に次ぐ名門貴族の子女で、唯一の女性の貴族騎士。
そして帝国史上初めての女性士官。
腰まで伸びた豊かな金髪と弓なりの形のよい眉、切れ長で意思の強そうな蒼い瞳は前髪で左半分が隠されているが、露になっている右目がまるで氷河のように固く冷たい光を放っている。
豪奢な外見と武骨な軍服という相反する要素は、集まった軍人たちの中でひときは輝いて見えた。
「討伐軍の編成が整うまで時間が余り無いと言うのに、未だ噂ひとつ掴めないとは……」
「賊が人間であればいざ知らず、狼人だぞ。それが徒党を組んでいれば嫌でも目立つ筈だ」
ロベルトは椅子に身を預け、腕を組んで唸る。
追撃部隊の必死の追跡にも関わらず、事件から五日間が過ぎた今も、その行方は杳として知れなかった。
……二百人を超える狼人は、まるで朝霧が溶けるように姿を消したのだ。
「ルーファス」
「はっ!」
不意に名を呼ばれたルーファスが勢いよく席を立つ。どうやらこの場で指名されるとは思っていなかったようだ。
ロベルトはそんな彼を一瞬咎めるように睨むと、何事もなかったように問うた。
「事件当夜までの連中の足取りは追えたか」
「いえ。未だ不明です……事件前一週間の、全ての門の入門記録を調べましたが、バルバ狼人居住地に籍のある狼人の他は帝都に入っていませんでした」
「記録に改竄の形跡は?」
「ありません……念のため長老ヨルクにも照会しましたが、記録は正確でした」
ルーファスの報告に、ロベルトは厳めしい顔つきをさらに厳しく顰めた。
つまり、現状連中がどうやって帝都に侵入し、どうやって脱出したかってことすら分からないと言うことか。
それって……
「要するに、捜索はなぁんにも進んでないって事ですね~?」
俺の隣でアルがいつもののんびりとした口調で言う。
いや、そうなんだけど、口に出して言うなよ!
小声だったが、会議中の静寂の中でその声ははっきりと周りに聞こえたようだ。
近くの騎士がこっちを睨んでる。
ったく、思ったことを軽々しく口にするんじゃない。
「……すいません。本当に」
俺は騎士に詫び、アルをジト目で睨んだ。彼女は『ぶー』と不満そうに唇を尖らせているが無視する。
そうこうしているうちに、会議は終わりに近付いたようだ。
「ルーファスの隊は、引き続き賊の侵入路と撤退路の調査。他の隊は銀狼団の拠点の捜索を続行! 討伐軍の編成が終わるまでに連中の首根っこを押さえるぞ!」
ロベルトが部隊長を見渡して檄を飛ばす。
討伐軍が編成されれば、彼等は任を解かれる。何の成果も挙げられないまま討伐軍に引き継ぐわけには行かないのだ。
「討伐軍の事もあるが、我等騎士団の本分は帝国の安寧を維持する事にある。一日も早く帝都の臣民が安心して暮らせるよう、卿らの更なる奮起を期待する。以上である……解散っ!」
オリヴィア卿の澄んだ声が会議室に響く。
部隊長達が席を立ち、ロベルトとオリヴィアに敬礼。二人がそれに返礼して会議は終わった。
「もし、お二人は魔法省から出向された方々か?」
「そうですが……って、貴女は」
席を立とうとした俺とアルを呼び止めた女性に、俺は思わず声をあげた。
そこにいたのは、金色に染められた絹糸を思わせる美しい髪と切れ長の蒼い瞳の美女……オリヴィア卿だ。
「失礼した。私は聖鉄鎖騎士団の指揮を任されているオリヴィア・フォン・ラウエンシュタインという」
オリヴィア卿は姿勢を正すと、胸に手を当てて名乗る。
背中に棒でも入っているんじゃないかというくらい、真っ直ぐで絵に描いたような騎士の礼……俺も釣られて背筋を伸ばすと、名乗ろうと口を開いた。
が、そこにアルが割って入る。
「ご丁寧にどうも~私は魔技研のアレクシア・ハイネと申します。此方は大賢者様のお弟子のカズマ様です」
「大賢者……メアリム宮中伯様のお弟子、か。そうか……成程な」
オリヴィア卿はそう言って俺を上から下まで素早く観察するように見ると、何かを納得したように頷いた。
……なんだ? 美人に見詰められるのは悪い気がしないが、品定めするようにじろじろ見られるのはちょっと。
「卿らの協力は感謝する。だが、銀狼団討伐は我々騎士団の仕事だ。わざわざ来ていただいて申し訳ないが、私は卿らに仕事をさせるつもりはない」
「……それはどういう事ですか」
オリヴィア卿の言葉に、俺は憮然と問うた。
彼女は俺達をありがた迷惑だと言っているのだ。
騎士の中には部外者が中に入るのを快く思わない者が居るだろうとは思っていたが、まさか大隊長がそんなことを言うとは。
「……失礼する」
だが、オリヴィア卿は俺の問いには答えず、会釈をすると踵を返して会議室を去っていく。
……これ以上話すことは無い、か。
「あのオリヴィアって人、感じ悪いです。嫌な感じです」
不意にアルが不機嫌そうな表情を浮かべ、眼鏡を鈍く光らせた。
「……なんですか、突然。あの人にもあの人の考えがあるんでしょう。感じ悪いとか嫌いとかそんなのは」
言わない方が……とたしなめようとした俺に、アルはギラリと眼鏡を光らせて食い付いた。
「あの人、カズの事を舐めるように見てました。初対面なのに馴れ馴れしいです」
「……はあ」
そこか?
ってか、あれの何処に馴れ馴れしさがあったんだ? 随分な塩対応だった気がしたが……
俺は全身から力が抜けていくのを感じて深く溜め息をついた。
「貴女も俺とは今日初めて会いましたよね? 馴れ馴れしさでは御互い様だと思いますが」
「私はいいんです。カズと私が出会ったのは、マナの導きですから」
何を言うかと思えば……
「マナの……ですか」
「はいっ!」
呆れ気味の俺に、アルはどや顔で胸を張る。
……そう言うことにしておいた方がややこしくならずに話が進みそうだ。
それよりも……これからどうしたものかな。




