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第三十四話 『魔法使い入門と少女の理不尽』

 「『(スルト)の炎』……ですか?」


 屋敷の居間。


 日が傾き、茜色の夕陽が部屋を染めている。


 模擬戦での汗と土埃を行水で流した俺は、少ししてメアリム爺に呼ばれた。


 『これから話すことは絶対に他言無用じゃ』


 そう言って、居間のソファーに座った俺に、老人は先の夏祭りで魔狼像を吹き飛ばした『もの』の話を始めたのだ。


 「左様。それがあの夜、魔狼(ヴァナルガンド)の像に仕掛けられたものの正体じゃ……規模は小型じゃがな」


 メアリム爺は、ベアトリクスさんが淹れた紅茶を一口飲んで頷いた。


 「小型? あれで?」


 あの日、巨大な魔狼像を吹き飛ばし、多くの人の命を奪った爆発が『小型』だと?


 じゃあ、完全版の威力ってどんなだ。想像できないな。


 「伝承によれば、『(スルト)の炎』が発動したとき、巨大な炎の塊が空と大地を焼き付くした後、天を覆う雲の巨人が立ち上がり、黒き雨と黒き霧にて大地を呪うと言われておる……ここでそれが使われれば、確実に帝都は蒸発して更地になるじゃろう。シュテルハイムの沃土は呪われた死の大地に逆戻りじゃ」


 そう、神妙な表情で語るメアリム爺。


 一発でこの広い帝都を更地にするほどの巨大な火の玉と天を突く巨大な雲、そして呪われた黒い雨。


 それって……?


 「まるで原爆ですね」


 「原爆な。原理は違うが、禁忌の力という点では似たようなものか」


 メアリム爺はティーカップをソーサーに置くと深く溜め息をつく。


 「いずれにせよ、小型ではあるが『(スルト)の炎』を(テロリスト)が帝都の真ん中で使用した……これは前代未聞の緊急事態じゃ」


 つまり、あの事件はただの爆弾テロじゃなく、核テロリズムだったと……


 そりゃ、皇帝陛下から調査の勅命が下るだろう。国家の一大事だ。


 と、俺の脳裏にある不安が過った。


 「あの……被曝とか大丈夫なんでしょうか」


 「魔崩線の計測値は人体に影響のないレベルじゃ。心配せずともよい」


 恐る恐る問う俺にメアリム爺はそう答え、苦笑いを浮かべた。


 いや、確かに俺が被曝してないかも心配だが、あの場にはシャルやステラも居たのだ。


 被曝の影響で、将来母親になるであろう少女の体に障害が残ったら悔やんでも悔やみきれない。でも、爺さんの言う通りなら大丈夫だろう。


 ……大丈夫、だよな?


 「しかし……メアリム様はなぜその話を俺に?」


 さっきの『(スルト)の炎』といい、核テロリズムの話といい、国家機密級の話じゃないか。


 例え他言無用と前置きしても、弟子に雑談でする話じゃない。


 「まあ、そう焦るな。話のキモはここからじゃ」


 ……別に話を急かしてる訳じゃないんだけどな。


 老人は軽く咳払いすると、スッと表情を厳しくした。


 「『(スルト)の炎』は魔具、しかも一流の魔法使いしか作れぬ代物じゃ。それに、事件当日に発生した霧は魔法(マギア)によるもの。奴等の構成員か協力者に魔法使いがおるのは間違いない……が、騎士団は魔法使いに対抗できぬ」


 魔法の霧(ネプラ)……?


 そうだ。あの夜、ゲルルフとの戦いを魔法使いに邪魔されたんだ。


 「……来栖」


 俺が呟いた名前に、メアリム爺は眉を顰めた。


 「カズマ、今何と言った?」


 「クルス……あの時、霧を呼んでゲルルフ達を逃がした魔法使いがそう呼ばれていたんです」


 俺は奴を知っている。奴も俺を知っている……でも、俺は奴とあの日初めて(・・・)会った。


 ……じゃあ、何故俺は奴を知っているんだ?


 「そいつは黒髪の澄ました色男か?」


 「……ええ。詳しく見えた訳じゃないですが、綺麗な顔の、冷たい感じがする嫌なやつでしたよ」


 「……そうか。もしワシの知っておる奴であれば、厄介じゃな」


 俺の答えに、メアリム爺は暗い表情で溜め息をついた。


 爺さんが厄介者扱いする魔法使いって、どんな奴だ。


 「メアリム様の知る男……とは?」


 「『来栖 仁』。三年前までワシの元におった男よ。お主やワシと同じ異世界人(まれびと)じゃ」


 成る程、同じ日本人か……ベアトリクスさんが言っていた、俺の部屋の前の主は。


 道理で初めて部屋に入った時妙に覚えのある匂いを感じたわけだ。


 「しかし、奴め。『現代日本の知識を駆使して成り上がってみせる』と抜かして旅に出たっきり音沙汰なかったが……まさかな」


 なんだそりゃ。


 一瞬冗談かと思ったが、老人の表情を見ると本気らしい。


 言っちゃ悪いが頭悪すぎだろ。文化も歴史も違う外国で生かせる日本の知識なんてたかが知れてるだろうに。


 しかし、爺さんの話を聞くに、あの時対峙した来栖は爺さんが言う来栖に間違いない。


 内政チート志向のラノベ脳が賊に協力してテロリストの真似事なんて……何があったんだか。


 もしかして、今回の話は……


 「メアリム様は、俺にその魔法使いを止めろと仰有るのですか」


 さっきの模擬戦、爺さんは俺の魔法使いとしての能力と剣士としての実力の両方を試していたし、無免許の俺を弟子にして、法に触れないようにすると言った。


 ただの興味本意や気紛れではないと思ったが、そう言うことなら突然の模擬戦も納得できる。


 銀狼団の追跡は騎士団が行っているが、彼等は普通の軍人であって魔法に対抗する術を持たない。


 「そうじゃ。現在、騎士団の追跡部隊が銀狼団を追っておる。我々は討伐軍の編成までに奴等を捕らえねばならぬ。だが、賊に魔法使いが居るとなれば騎士団だけでは制圧は無理じゃ。そこでお主を、という訳よ」


 討伐軍……御前会議で派兵が決まったんだっけ。かなりの大軍が動くらしいし、事が大袈裟になる前に解決したいというメアリム爺の気持ちは分かる。


 分かるけどさ。


 「……帝都には俺なんかより優秀な魔法使いが居るのでは?」


 「確かに魔法省にも優秀な魔法使いはおる。じゃが、皆学者じゃ。喧嘩には向いとらん。それに、もし賊の魔法使いが来栖なら、対抗できるのはワシを除けばお主しかおらぬ。そして、ワシは陛下より『(スルト)の炎』の出所を突き止めるよう勅命を受けておる」


 つまり、来栖が神の加護を得た契約者(テスタメント)である可能性が高い……と。


 もしそうなら、並の魔法使いでは相手にならないか。何せ法則無視で魔法が使える卑怯(チート)なんだから。


 「……でも、剣の腕はともかくとして、魔法に関しては直感で何とか使えてる程度の初心者ですよ?」


 「基礎は魔法学院(シューレ)の教本を貸すからそれで学べ。後は実践で経験を積めばいい」


 師匠とは思えない台詞を真面目な表情で言うメアリム爺。


 マジで弟子ってのは俺が合法的に魔法を使うための方便に過ぎないのか。


 「そんな顔をするでない。事が落ち着いた後でしっかり扱いてやる。我流では限界があるからな」


 俺の考えを見抜いたのか、メアリム爺はそう言って苦笑いを浮かべた。


 「まあ、一人では流石に不安じゃろうから、魔法省から魔法使いを付けてやる。優秀な奴じゃから安心せい」


 って、もう俺が銀狼団追跡部隊に加わる前提で話してますね? 師匠。


 「……俺の意思は尊重してくれないんですか」


 「師が弟子に命じておるのだ。拒否権などあるものか」


 何を今更、といった風にジト目で俺を睨むメアリム爺。


 「そうなりますよね……どうせそんな事だろうと思ってましたよ」


 俺には『イエス』か『はい』しか選択肢は無いのか?


 俺が肩を落として溜め息をつくと、メアリム爺は真面目な表情で口を開いた。


 「カズマ、師としてひとつ教えてやる」


 「……はい」


 「魔法(マギア)とは世界の理を歪め操る術。それ故に魔法使いは自然を支配したと錯覚する。しかし所詮はヒトじゃ。自然には勝てぬ。それを忘れて慢心すれば手痛いしっぺ返しを食らうぞ」


 老人の言葉に俺は黙って頷いた。


 何でも調子に乗ると痛い目を見るって事だ。慣れと慢心は失敗のもと。常に初心を忘れるな……当たり前の事だが、これがなかなか難しいのだ。


 「それと……これはお主なら大丈夫だとは思うが、念のため言っておく」


 老人はそう言って俺の目を真っ直ぐ見据え、声を低くした。


 「『神の加護』に依存するな。あれは所詮借り物に過ぎん。それを自らの力だと勘違いし、与えられるまま力を受け入れれば『神』の影響が強くなり、いずれは魂を支配される。人は自らの足で立ち、歩むのじゃ。それを忘れるな」


 「神の支配……か」


 爺さんの言葉は、俺が漠然と抱いていた不安そのものだ。


 力は麻薬だ。そして人の欲望は際限がない。


 力の快楽に溺れ、与えられるまま力を受け入れ続ければどうなるか?


 『魂を神に支配される』という事がどういう事か想像できないが、碌なことにはならないだろう。


 (ヴォーダン)は魔法の力を『契約したことで開花した才能』だと言った。俺の才能なら、確実に自分のものにして鍛えなければ。


 このまま、何かピンチになる度に奴の力をずるずると受け入れ続ける……なんて事にならないように。


 しかし……爺さんの言葉は妙に実感が籠っていた。昔何かあったのか、それとも今も(・・)そうなのか……? 


 ……


 ……


 ……


 ……


 「これを読んでおけ……とは言われたけど」


 夕食を済ませ、自分の部屋に戻った俺は机に座って独り言ちる。


 『マナの基礎と魔法の原理~メアリム・イスターリ著~』


 老人から手渡された魔法学院(シューレ)の教本にはそう書かれていた。


 あれだ。大学教授が授業の教科書に自分の著書を使って生徒に本を買わせるヤツ。


 爺さん曰く、『魔法の基礎学習に必須の良著』だそうだが。


 日はすっかり落ちて、部屋は暗くなっている。俺は蝋燭に火を付けると、教本の表紙を開いた。


 ページを読み進めて、老人の言ったことが何となく分かった。マナとは何か、魔法とは何かを平易な言葉や図解で分かりやすく解説している。


 きっと、塾の講師や家庭教師のアルバイトなんかでテキストを作った経験があるのだろう。


 T大法学部を目指して苦学を重ねていたのは伊達じゃないって事か。


 人間、どこで苦労が報われるか分からないものだ。





 ……どれくらい時間が過ぎただろうか。


 引き込まれるように教本を読んでいた俺は、部屋のドアが遠慮がちにノックする音にハッと顔をあげた。


 ん? こんな時間に誰だ?


 「……カズマ、起きてる?」


 「ステラか? どうした」


 「……」


 俺の問いに彼女は黙ったままだ。が、ドアの向こうに少女の気配がする。


 全く……突っ立っているだけじゃ分からないぞ?


 俺は教本を閉じて席を立つと、部屋のドアを開けた。


 突然開いたドアに、ステラが驚いたように体をビクつかせる。


 彼女はいつもの白いワンピースではなく、ゆったりとしたネグリジェを纏っていた。


 「突然開けないでよ。ビックリするじゃない」


 「ああ、ごめん」


 驚いた表情を見られたのが恥ずかしかったのか、ステラは頬を膨らませて俺を睨んだ。


 シャルの剝れた表情もなかなか可愛いが、ステラの怒った表情も可愛らしい……などとしょうもないことが脳裏に浮かぶ。


 「で、こんな時間に何の用だ?」


 「……えっと」


 ステラは口ごもると、すっと視線を逸らした。


 もしかして……眠れないのだろうか。


 まあ、屋敷に帰ってすぐ爆睡してたからな。俺と爺さんの模擬戦の音でも起きないくらい。


 少しの沈黙のあと、ステラは意を決したように真っ直ぐ俺を見て問うた。


 「お祖父ちゃん(オーパ)から聞いたわ。カズマ、騎士団とゲルルフを追うんでしょ?」


 「ああ」


 嘘を言ったり誤魔化したりしてもしょうがないので、俺は素直に頷く。


 『お祖父ちゃん(オーパ)から聞いた』とステラは言ったが、恐らく嘘だろう。


 爺さんがステラを実の孫みたいに可愛がっていると言っても、仕事の話ーーしかもゲルルフに関係する話を簡単にするとは思えない。


 もしかしたら何処かで聞き耳を立てていたのかもな。


 「私も連れていって欲しいの」


 「……何だって?」


 ステラの言葉に、俺は思わず聞き返した。


 『連れていって欲しい』って……ステラの奴、本当に分かって言ってるのか。


 「ゲルルフとは何度も帝都に出入りしているから、居そうな場所も分かるし、一味(ファミリー)の何人かの臭いも覚えてる……だから決して邪魔にはならない」


 「あのな、遊びに行くんじゃないんだ。ゲルルフと戦って捕らえるために行くんだぞ? ……お前、あいつの敵になれるのか」


 俺はステラの目線に合わせるように屈むと、少女の洋紅色(カーマイン)の瞳を見詰めた。


 ステラは憮然として俺を睨み返す。


 「馬鹿にしないで。昨日までの私とは違うの」


 「……なんだそりゃ」


 何がどう違うのか分からないが……兎に角。


 彼女を危険に晒すわけにはいかない。絶対にだ。


 「駄目だ。お前は屋敷で大人しくしてろ……いいな?」


 ステラの頭を軽く撫で、優しく言い聞かせる。だが、少女は眉をつり上げてその手を乱暴に払い除けると、踵を返して俺に背を向けた。


 「カズマの馬鹿っ! 変態っ! 女の敵っ!」


 「はぁっ!? 馬鹿はともかく、変態とか女の敵って何だよ」


 鋭い罵声に俺は思わず言い返した。


 いや、馬鹿と言われる筋合いも無いけど、ステラから変態呼ばわりされる謂れはない。


 だが、ステラはその細い腰に白い手を当て、俺を上目遣いで睨む。


 「シャルロットを押し倒したでしょ。真っ昼間のしかも外でっ! 破廉恥!」


 「……?! あ、あれは事故だっ! っていうか見てたのか」


 そう言えば、ステラの部屋は屋敷の裏側、つまり、厩側に窓があったな。


 だったら、わざとじゃないことくらい……


 「ふんっ! 知らない!」


 ステラはそう言ってプイッとそっぽを向くと、廊下を駆けていった。


 一人残された俺は、彼女が消えた廊下を照らす月明かりを見詰め、溜め息をつく。


 くそぅ……理不尽だ。


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