第三十一話 『悲しみと憎しみ』
「遅いわよっ! カズマ。いつまで待たせるの?!」
ロベルトと別れ、守備隊の騎士と共に監獄要塞の入り口までやって来た俺の耳に、無骨な城塞には似つかわしくない少女の怒り声が飛び込んできた。
声の方を見ると、陽の光に照らされて光る銀髪から灰色の犬耳を覗かせ、ふさふさの尻尾を揺らして腰に手をあて仁王立ちする少女……ステラが俺を睨んでいた。
見た感じ元気なようだ。良かった。
「済まなかった。ちょっと知り合いとの話が盛り上がってね」
苦笑しながら彼女に駆け寄る俺。
監獄の入り口、門番の詰め所の内側はちょっとした広場になっていて、そこでずっと俺が出てくるのを待っていたようだ。
と……
「カズマっ!」
聞き覚えのある声の女性に名を呼ばれ、俺は足を止める。
広場の一角に馬車を停めるスペースがあり、これまた監獄には似合わない白亜の馬車が停まっていた。
その馬車の扉か勢いよく開き、中から向日葵色のドレスに身を包んだ赤毛の少女が飛び出してくる。
長いスカートの裾をもどかしげに掴み、俺に突っ込んでくる少女。
「シャルロットお嬢様……っ! 何故こんっ?!」
何故こんな場所に居るんですか? という俺の問いは、彼女が俺に抱き付いて来たため遮られた。
豊かで柔らかな双丘を胸に押し付けられた俺は、突然の事に言葉を失う。
体に感じる柔らかな肢体の感触と香水と少女特有の匂いが混ざった甘酸っぱい香りに不覚にも胸がざわついた。
「カズマのバカっ! 最後までエスコートするって約束した癖に……何も言わず行方知れずになるなんて最低よっ! 全く何様のつもりなの? ……すっごく心配したんだから」
そう詰りながら、俺の右胸に顔を埋め、拳で左胸を殴り付けるシャルロット嬢。
これが『ポカポカっ!』と可愛らしい感じだったら、しょうがないな、と笑いも出る。
でも、『ドスっ! ドスっ!』と割りと本気で殴り付けてくるので地味に痛い。
しかし、彼女が本当に俺を心配してくれていたのが伝わってきた。
……マジで悪いことをしたな。
「ご心配をお掛けして申し訳ございません。お嬢様」
「本当よ……馬鹿」
シャルロット嬢は拳の力を弱めて軽く俺の胸を叩くと泣きそうな声で呟く。
これがドラマとかなら優しく肩を抱いたりして盛り上がるんだが、生憎伯爵令嬢と無冠の平民。
しかも守備隊の騎士や詰め所の警備兵が見ている前だ。迂闊に触れることもできない。
このシチュエーション、どうしろっていうんだ……
「乙女をほったらかしにして泣かせるなんて、最悪ね。カズマって」
戸惑い途方にくれる俺を、ステラがジト目で睨む。
この……誰のせいだと思ってる?
「でも……本当に良かった。無事で」
そう、俺の胸元から顔を上げて微笑むシャルロット嬢。深い翠の瞳は揺れて潤み、真っ直ぐ俺を見詰めている。
澄んだ瞳と桜色に染まった頬……凄く綺麗だ。
そんな表情で見詰められたら勘違いしてしまう。
「それくらいにして差し上げなさい。シャルロット。カズマ君が困っているだろう? それに人前で殿方に抱き付くのは、伯爵令嬢として良くないな」
監獄の方からラファエルが苦笑しながらこちらに歩いてくる。兄の言葉に我に帰ったのか、シャルロット嬢は慌てて俺の胸から離れた。
「どうせやるなら、せめて兄の目の届かない場所でやりなさい」
「もう……お兄様の馬鹿」
肩を震わせて意味ありげに笑うラファエルを、シャルロット嬢は怒ったように唇を尖らせて睨み付けた。
って、場所の問題か? 抱き付くのは良いのかよ。
馬車を牽く馬の蹄がリズミカルな音を立てている。
車窓から見える通りの並木が夏の日差しを受けて青く光っていて見ていて気持ちがいい。
が、しかし……居心地は最悪だった。
ブルヒアルト侯爵家の馬車はサスペンションが効いていて、石畳を軽快に走っているのにあまり揺れを感じない。
座席は深い朱色の天鵞絨で仕上げられ、柔らかくて座り心地は最高だ。
乗り心地は文句なしにいい。
だが、イスターリ宮中伯家の粗末な軽馬車に慣れた身には、乗り心地が良すぎて落ち着かないのだ。
そして、居心地が悪い理由がもうひとつ。
俺は隣に座るステラを横目に見た。
彼女は俺にピタリと身を寄せて座り、膝の上で握り締めた拳をじっと見詰めている。
俯いているのでその表情は窺えないが、楽しげでないのは雰囲気でわかった。
斜向かいの席にはシャルロット嬢が同じように膝の上で手を組み、何故か不機嫌そうな目線を時おり俺に飛ばしてくる。
ステラはラファエルが苦手なようだから少し不機嫌そうなのも分かる。
でも、何故シャルロット嬢が馬車に乗った途端不機嫌になるのか。
うーん……何か気に障ることをしたかな? 俺。
そして俺の前に座るラファエルは、そんな妹の様子を横目に見て楽しそうに笑っている。
要塞監獄を発ってから暫く経つが、誰も一言も喋らない……明るい色調の馬車の中はとても重苦しい空気が漂っていた。
何だろう……この居づらさは。
重苦しい沈黙を振り払うように、俺はラファエルに声をかけた。
「……ラファエル、聞いていいですか」
「何だ? 改まって」
「何故、俺達にこんなに良くしてくれるんです? 監獄から出していただいただけでなく、屋敷まで送って下さるなんて」
「可笑しいかい?」
「はい」
正直に即答する俺に、ラファエルは一瞬固まり、すぐに破顔して肩を震わせ笑った。
「遠慮がないな、君は。まあ確かに自分の馬車に平民を同乗させる貴族は普通じゃないか」
一頻り笑ったあと、ラファエルは頬杖をついて俺の顔を見据えた。
「卑しい打算だよ。今のうちに君に恩を売っておけば、君が大成した時に倍になって返ってくる。そう期待しているのさ」
「大成って……俺はただの平民ですよ? 侯爵家の御令息に返せるようなものなんてありません」
戸惑う俺に、ラファエルは意味ありげな笑みを浮かべて肩を竦めた。
「こう見えても人を見る目は確かな方だ。君は大きくなる……だから、この馬車代も出世払いなのしてやるよ」
「馬車代って……金取るんですか?」
「ふふっ……冗談だよ」
呆れてジト目で睨む俺に、ラファエルは肩を震わせて苦笑する。
一体この人の話のどこまでが本気で、どこまでが冗談なのか。分かりづらい人だ。
「……見たまえ。凱旋門だ」
唐突に、ラファエルの声の雰囲気が変わる。
馬車は大通りとの辻に差し掛かっていた。
彼が車窓の外を指差す先、真っ直ぐ伸びた大通りの向こうに大きな門が見える。
凱旋門。
あの日、魔狼の像が大爆発を起こした、あの場所。
あの夜の光景を思い出したのか、シャルロット嬢が息を呑む。
「……あの時使われた『爆弾』の影響で、英雄広場は立ち入りが固く禁じられているが、それでもあの場所に訪れる人は後を絶たないそうだ。皆、あそこで祈りを捧げて死者を悼み、献花で溢れている」
そうか。悲劇に対する悲しみの表し方はどこの世界も同じなんだな。
「たくさんの人が亡くなって……それ以上の人達が傷付いて。あんなのは……あんな気持ちはもう嫌だ」
そう言って、凱旋門から目を逸らすように、シャルロット嬢は俯いた。
あの場所で別れ、安全な場所に逃げるまでにお嬢様は色々なものを見たのだろう。
「そうだな……だが、喪失と悲しみの時は過ぎ、今あの場所は怒りと憎しみの場となりつつある。哀しいことに、な」
「怒りと憎しみ?」
「泰平の世の中が続いて薄れていた狼人に対する敵意が今回の事で刺激されたのさ。皮肉な事にね」
ああ……俺の故郷でもそうだった。
憎しみの対象は異教徒だったり、隣国の人々だったりしたけど……テロは受けた者に深い憎しみを遺す。
そしてそれは更なる暴力を生み出し、暴力は報復を招く。そうやって果てのない怒りと憎しみが刃の鎖となって双方を縛る。
それこそ、どちらかが死に絶えるまで。
全く。世界が変わっても同じなんだな。人間は。
「……私は」
不意に、ステラが呟くように言った。
「ゲルルフや銀狼団の皆がやった事を認めない。何も罪も無い人々に力を振るっても、あの人達の理想の世界は実現できない。それは間違ってる……でも」
ステラはふと瞳を揺らすと、表情を引き締めてラファエルを睨むように見詰めた。
「ゲルルフを追い詰めたのは、狼人を虐げてきた人間達よ」
「……ステラ」
「確かにゲルルフ達は間違いを犯したけど、自分達のやって来たことを忘れて狼人全てに憎しみを向けるのは間違ってる。ゲルルフも、その人達も……身勝手よ」
ラファエルはステラの言葉に深い溜め息をついた。
「人は他人の足を踏んでいる時は踏まれている方の痛みを感じない。しかし、自分が足を踏まれたは時はその痛みを忘れないものだ。さっきまで自分が他人の足を踏んでいたことを忘れてね……身勝手なんだよ。人間は」
「……うぅ」
ステラはラファエルの言葉に憮然とする。そんな彼女の表情に、ラファエルは苦笑いを浮かべて車窓の外に目をやった。
「まあ、自分達の事しか考えない止ん事無い方々は、彼等狼人の苦痛も、夏祭りで傷付いた人々の悲しみすら思いもしないさ。誇りに付けられた傷を癒すために、果たして足を踏み返すだけで済むか……」
……
……
……
……
「それで済ます訳にはいかぬ……我らの受けた屈辱を雪ぐにはまだ足りぬわ」
老人は吐き捨てるようにそう言ってテーブルに拳を打ち付けた。
顔に折り畳んだような深い皺が刻まれているが立派な鷲鼻と猛禽を思わせる鋭い眼光が印象的な人物だ。
エトムント=ドナ・フォン・マルコルフ公。
『戦いの猪』の紋章を掲げる公爵は齢八十。帝国四公爵の一角でありながら軍人として経歴を積み重ねてきた、タカ派の急先鋒である。
「マルコルフ公。陛下の御前ですぞ」
対面の席に座ったウラハ公が苛立ちを顕にする老公爵を嗜めた。
ーー時に帝国歴二六七七年、獅子月の二十九日。
ヴェスト城、鏡の間。
そこは高いドーム型の天井と、豪華なシャンデリア、立ち並ぶ歴代皇帝の大理石の胸像が荘厳な雰囲気を醸す、王城でもっとも絢爛な部屋である。
その鏡の間は現在、皇帝ジムクントはじめ、宰相メッテルニヒ侯、帝国四公爵家当主、宮中伯十家が集い、テーブルを囲んでいた。
去る二十五日の夜に発生した銀狼団による虐殺事件を受けた御前会議である。
「しかし、マルコルフ公の仰る通り。これは皇国の沽券に関わる由々しき事態。ここは狼人どもに我々の威信を示すべきです」
マルコルフ公の斜向かいに座る肥満体の男が、老公爵の言葉に同調して拳を握る。
緑地に銀で、大樹の梢で翼を広げる鷲、『死を呑み込むもの』が描かれた紋章を背負うフォルカー・シモン・フォン・デーゲンハルト公である。
美食家として帝国に名を知られた公は、その酒樽を思わせる体型に反して健康的な顔色を興奮に赤く染めて、騎士団を動員した狼人の大規模討伐の必要性を訴えた。
デーゲンハルト公の言葉に耳を傾けていたウラハ公は、鷹揚に頷くと会議の出席者をゆっくりと見渡し口を開く。
「この度、不逞狼人が起こした事件は、帝都四百年の安寧を混乱に陥れた。我等は相応の報いを彼らに与えねばならない」
彼はそこで一旦言葉を切ると、騎士団中央本庁総帥、ヘルムート宮中伯を見据える。
「我々四公は、『銀狼団』を国家を乱す逆賊と定め、騎士団中央本庁所属全十二師団中六師団をもって討伐軍を編成することを提案する」
「十二師団中六師団……全軍の半分を?」
「たかだか数百の賊ごときに大袈裟ではないか」
ウラハ公の提案に、宮中伯十家の間からそんな声が漏れる。
六師団……約三万六千人の大部隊を盗賊狩りに動員しようと言うのだ。
「諸卿、これは帝国の沽券に関わる事なのだ。本朝開闢の祖が狼人どもに穢されたのだぞ? これは、『銀狼戦争』以来の暴挙である。未だ臣民として陛下に忠誠を誓わぬ輩に見せ付けねばならぬのだ」
今まで穏やかだったウラハ公の口調が次第に熱を帯び、宮中伯諸卿は圧倒されたように口をつぐむ。
「では、その討伐軍の指揮はどなたに執らせるおつもりか? ウラハ公」
宮中伯の席からの問いに、ウラハ公は一瞬顔を顰めた。
質問の主が立派な白髭を蓄えた白い法衣の老人……メアリム・フォン・イスターリだったからだ。
「この大任はマルコルフ公にお任せしたい。公は先のヴェステニアとの戦で華々しく活躍された。公ほどの適任はおらぬ」
「うむ。我々の力を狼人どもに見せ付けねばならぬ」
ウラハ公の言葉にマルコルフ公が腕組をして頷く。
帝都を守る精鋭、騎士団中央本庁所属全十二師団の半分を、タカ派で狼人嫌いで知られる公爵の指揮に任せる。
これは賊の討伐だけでは終わる筈がない……その場に居るものは皆、口には出さずともそう感じた。
「恐れながら……騎士団中央本庁所属全十二師団の半分というのは、規模が大きすぎるように思います」
「うむ。騎士団中央本庁総帥ヘルムート宮中伯、卿の意見を聞かせてもらいたい」
メアリム卿の意見に、宰相メッテルニヒ侯が同調するように頷くと、ヘルムート宮中伯に意見を求めた。
「……私もウラハ公のご意見に異存はありませぬ。我々騎士団は今まで銀狼団に誇りを傷付けられてきました。この機会に徹底的に殲滅しなければなりません」
彫りの深い、厳つい面構えに立派なカイゼル髭を生やした軍人然とした雰囲気のヘルムート宮中伯が宰相を見据え、低く通る声で答える。
彼は他の宮中伯が自分の領分である騎士団の事に首を突っ込むのを何より嫌う。
しかし、街道と周辺の町や村に対する盗賊行為により散々煮え湯を飲まされた銀狼団を殲滅するまたとない機会。四公と利害が一致したのだ。
「ウラハ」
「……はっ」
今まで黙って会議の成り行きを見詰めていたジムクント帝が口を開き、会議の出席者全てが頭を垂れる。
「卿の言うことには一理ある。逆賊認定の件と討伐軍編成の件は許可する……しかし、民を安んじるためには騎士団の力と存在が必要だ。討伐軍は三師団で十分ではないか」
「……仰せのままに」
皇帝の言葉にウラハ公は深く頭を下げた。
この国の最高権者は皇帝である。しかし、多くの貴族に影響力のある四公の意見を蔑ろにはできない。
ジムクント帝の言葉には、その苦渋が見てとれた。
如何に四公筆頭と言えど、皇帝の言葉には従わねばならない。いや、皇帝の抵抗は最初から織り込み済みであったか。
何れにしろ、皇帝のこの言葉で議論は決着した。
ーー時に帝国歴二六七七年、獅子月の二十九日。
この日、皇帝ジムクントの名において『銀狼団』は逆賊に指定され、討伐の勅命が発せらた。
同日、エトムント=ドナ・フォン・マルコルフ公を総指揮官とした銀狼団討伐軍が編成される。
三師団一万八千人という、一つの盗賊団を討伐するために派遣される討伐軍としては異例の規模であった。




