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第二十六話 『カズマと灰銀の狼人』

 ーー時間は少し遡る。





 雲間から照らす月の明かりと、空を焦がす炎の光が地上の惨劇の跡を照らしていた。


 焼けた屋台の柱が、まるで林立する墓標のように光に浮かび上がる光景は、恐ろしくもあり美しくもある。


 俺はテントの切れ端で鼻と口を覆い、前を走るクリフトさんの背中を必死に追った。


 不意に、何か柔らかい物を踏みつけてバランスを崩す。


 なんとか踏み留まるが、石畳のあちこちに転がる黒々とした塊が目に入ってしまった。


 背中をざっくり斬られ、血で赤く染まった少女。


 首を斬られた男と、顔の半分が陥没した女。


 恋人だろうか、互いに抱き合ったまま槍で刺し貫かれた若い男女……


 みな、祭りのために思い思いに着飾っている。それが逆に生々しい。


 濃い血の臭いと、炎で炙られた死体の焼ける臭いが布で鼻を覆っても染み込むように入り込んでくる。


 俺は堪らず嘔吐した。だが、既に胃液しか吐き出せず、口に広がる酷い苦味に顔を顰める。


 「恐ろしい光景です。まさにアルマの再現。あの時は多くの狼人(ハウド)の屍が街を覆い、地獄のような光景でした」


 少し先で立ち止まったクリフトさんが周囲を見渡しながら表情を暗くした。


 「……カズマ様、何か近付いて来ます」


 「うぅっ……何かって、まさか」


 俺は胃液で汚れた口許を布で拭って問うた。


 クリフトさんの嗅覚で狼人の臭いを察知し、接触を避けてこられたが、ついにぶつかったか?


 「いえ。これは人間です。二人ですね」


 クリフトさんがそう答えた時、燃えるテントの向こうから女性が飛び出してくる。


 見ると、腕には幼い子供を抱いていた。そうか、だから『二人』か。


 「……あっ!!」


 いきなり目の前に現れた俺達に驚いた女性は、足元に転がる死体の腕を踏みつけてしまい、バランスを崩す。


 それを、クリフトさんが咄嗟に抱き止めた。


 「おっと……っ! 大事ありませんか? 御婦人」


 「……!! 犬っ!? ひ、ひぃ!」


 女性はクリフトさんの顔を見るなり、彼を突き飛ばして半狂乱で叫ぶ。


 狼人(ハウド)の襲撃から命からがら逃げ出してきたのだろう。その反応も無理はない……が。


 クリフトさんは少し寂しげに微笑むと、俺を振り向いて肩を竦める。


 俺は無言で頷いて、子供を抱き締め震える女性に手を差し伸べた。


 「奥さん、大丈夫です。彼は敵ではありません」


 「そ、そんなの分かるわけない! 人殺しっ! 魔狼の手先めっ!」


 女性は俺の手を叩くと、慌てて立ち上がりそのまま振り向きもせず駆けていった。


 「待ってくださいっ! そっちは……って、ああ……」


 慌てて呼び止めようとしたが、あの様子では俺の声は聞こえていないだろう。


 あのまま無事に逃げられればいいが。


 「カズマ様、あの御婦人の来た方からステラの匂いが……それと、()の臭いも」


 「彼……ゲルルフ、ですか」


 「……このままここで待っていて下さい、とお願い申し上げても、聞いては下さりませんか」


 「すみません。我儘なのは分かっていますが」


 俺の言葉に、クリフトさんは苦笑いを浮かべて『わかりました』と答えた。





 「……あんたは私に十五年前の悲劇を教えてくれた。あんな悲劇は二度とあってはならないって」


 風に流れて声が聞こえる。


 感情を抑えた少女の声……ステラだ。


 クリフトさんの後をついて、声のする方の風下になるよう慎重に近付いていく。


 「……でも、今あんたたちがやっている事は、十五年前にアルマで人間がやった事とどう違うの」


 ステラが哀しげな声で問いかけた。


 相手の狼人(ハウド)……ゲルルフは腕を組み、少女を睨み付けたまま答えない。


 と、クリフトさんが仕草で『止まって』と合図した。そして自分を指差し、俺に両の掌を見せる。


 ーー『相手の狼人(ハウド)は十人程』、と言ったところだろうか。


 俺は頷くと、腰の半月刀(シャムシール)の柄を握り、いつでも抜けるように構えた。


 では、打合せ通りに、とクリフトさんの口が動いた。俺は黙って頷く。


 「……我々の行いは神より下された大義によるものだ。大義なき人間の暴挙とは違う。それを何故同じと思うのだ?」


 ゲルルフの声。


 ……例え卑劣な暴力(テロ)であっても、神の名のもとに行われれば、それは正義だ。彼はそう言っているのだ。


 俺の故郷にも同じことを叫ぶ奴がいる。決まってそんな奴等は碌でもない連中だ。


 その時、少し離れた場所に移動していたクリフトさんが徐に立ち上がって口を開いた。


 「同じですよ、ゲルルフ。いや、神の名を持ち出して大義を騙る貴殿方の方が悪質かもしれません」


 「ギーゼルベルト……」


 「……パパ」


 前触れもなく現れたクリフトさんに、ゲルルフは険しい表情で呻き、ステラは驚いたように目を見開く。


 「 ……何をしに来た?」


 「貴方の義兄として、義弟の暴挙を止めに」


 静かな口調で問うゲルルフに、クリフトさんはサーベルを抜きながら答えた。


 ゲルルフは僅かに口許を歪め、クリフトさんの言葉を鼻で笑う。


 「何を言うかと思えば、寝言は寝て言うものだ……なあ、紅狼(クリムゾン)


 「をおおっ!」


 刹那、真っ赤な毛並みの狼人(ハウド)が闇を突き抜けて、背後からクリフトさんに踊り掛かった。


 「……くっ!?」


 雄叫びと共に降り下ろされる手斧を、クリフトさんは地面に身を投げ出すようにして躱した。


 手斧は轟音と共にクリフトさんが立っていた石畳を砕き、激しい火花を散らす。


 ……なんて馬鹿力だ。


 「ロート……もう前線に出たと思ったのですが」


 「お主の臭いがしたのでな。舞い戻って来たのだ。ギーゼルベルト」


 「銀狼団随一の鼻利きは健在と言うわけですか」


 「ふん。まだまだ若い者には敗けぬ……さあ、さっきの続きといこうではないか」


 「……今は貴方と昔話をしている暇は無いのです。残念ながら」


 「問答無用!」


 赤い狼人(ハウド)、ロートは咆哮を上げると、両手に手斧を握ってクリフトさんに襲い掛かった。


 クリフトさんも鋭い気を吐くと、ロートに刃を振るう。


 斧とサーベルが激しくぶつかる激しい金属音が断続的に広場に響いた。


 しかし、不味いな。


 クリフトさんがゲルルフ一味の注意を惹き付けているうちに限界まで近付き、隙を見て一気にステラを引き離す計画だったが。


 こうも早々と戦闘が始まってしまっては迂闊に動けない。


 かといって、このまま傍観するなんてできないし……くそっ! どうする?!


 一瞬クリフトさんと目線が絡み合った。その直後、クリフトさんがサーベルで力任せにロートの斧を打ち払う。


 ひときは激しい金属音と火花が弾ける。


 『これだけ血の臭いと煙の臭いがが充満していると、狼人(ハウド)の鼻も鈍っているはずです』


 ここに来る前にクリフトさんが言った言葉だ。


 それに加え、クリフトさんとロートの激闘に狼人(ハウド)達の目が集中している。


 今なら……行けるか!


 俺は半月刀(シャムシール)を鞘からゆっくり抜くと、身を潜めていたテントの影から一気に踊り出た。


 「……! なっ! 貴様、人間が何故?!」


 狼人(ハウド)の輪の中に飛び込んですぐ、鋭い誰何の声が飛ぶ。


 鼻の頭が白い狼人(ハウド)は一瞬驚いたものの、手にした槍を俺に突き出してくる。


 「ふっ!」


 俺は槍の穂先を体を捻って躱すと、サーベルで打ち払った。


 「くっ!?」


 「いやぁぁっ!」


 瞬時に刃を返し、半月刀(シャムシール)の峰を狼人(ハウド)の手首思いきり叩き込む。


 何かが潰れるような鈍い音がして、狼人(ハウド)は『ぎゃんっ!』と犬みたいな叫び声をあげて槍を取り落とす。


 その横を一気に駆け抜けた俺の前に、今度はサーベルを構えた狼人(ハウド)が立ち塞がった。


 「貴様っ!」


 「邪魔だっ!」


 俺目掛けて振り下ろされたサーベルを切り払い、狼人(ハウド)の鼻面を柄頭(ポンメル)で殴り付ける。


 相手が鼻血を噴きながら卒倒するのを横目に見ながら、俺は狼人(ハウド)達に囲まれるように立つ銀髪の少女に向かって叫んだ。


 「ステラっ!!」


 「カズマ……?! なんで……なんであんたが? シャルロットと一緒に逃げなかったの?」


 俺の姿を見たステラは愕然とした表情で問う。俺は半月刀(シャムシール)を構え直し、少女に笑いかけた。


 「お前を連れ戻しに来た」


 「『連れ戻す』? 馬鹿じゃない? 私は戻って来たのよ?」


 「……そこは、本当にお前の居場所なのか? ステラ」


 「……っ!」


 俺の問いにステラが動揺した表情を浮かべる。しかし、彼女はすぐに動揺を押さえ付けて俺を睨んだ。


 「そ、そうよっ! だからとっとと逃げなさいよ! 死にたいわけ?!」


 吐き出すように憎まれ口を叩くステラ。


 でも、今にも泣き出しそうな表情でそんな事を言っても説得力がない。


 俺が口を開こうとした、その時。


 叩き潰すような凄まじい殺気と圧迫感(プレッシャー)に、俺は慌てて飛び退る。


 刹那、空を引き裂く轟音と共に、大剣が石畳を抉った。


 ぐっ! やっぱり来たか! ゲルルフ!


 「『次に我が前に立てば殺す』。そう言った筈だ。人間!」


 「カズマだ!」


 「ぬっ!?」


 間合いを取り、半月刀(シャムシール)を構え直してゲルルフを睨む。


 「俺には『カズマ・アジム』って名前がある!」


 「猪口才(ちょこざい)な! 雑魚が吼えるか!」


 ゲルルフは俺を睨み付け、忌々しげに吐き捨てた。


 長剣(トゥーハンド・ソード)片手(・・)で易々と構え、俺の前に立ち塞がるその姿は、まるで巨大な大樹か荒々しい岩山を思わせる。


 その圧倒的な圧迫感(プレッシャー)に、俺の半月刀(シャムシール)を握る掌と背筋が汗ばむ。喉がカラカラに乾き、息が詰まる。


 ……だが、ここで気圧される訳にはいかない!


 「やあぁぁぁっ!!」


 俺は自分を叱咤するように気合いを入れると、迫る圧迫感(プレッシャー)を切り裂くように真正面から半月刀(シャムシール)を打ち込んだ。


 「ふんっ!」


 「くぅっ?!」


 鼻面目掛けて降り下ろした渾身の刀を、ゲルルフは片手で受け止める。


 「刃を返すか……刃に命を懸ける覚悟の無い者が俺に挑むなど!」


 ゲルルフは一喝して刃を跳ね上げ、前蹴りを放った。


 間合いが近すぎて回避が間に合わず、蹴りを胸にまともに浴びる。胸を丸太で突かれたような衝撃を受けた俺は背中から石畳に倒れ込んだ。


 そこにゲルルフが長剣(トゥーハンド・ソード)を振り降ろして追撃。俺は慌てて石畳を転がって避ける。


 そのまま間合いを取り、起き上がり様に奇襲気味の刺突を放つが、ゲルルフは長剣を軽々と振るって俺の剣を受け流す。


 ならばと振り向き様にゲルルフの腿を斬り付ける。が、長剣に阻まれ半月刀(シャムシール)を弾かれてしまう。


 「ちぃっ!」


 飛び退って間合いを取ったところに、長剣(トゥーハンド・ソード)の横薙ぎの一撃が飛ぶ。


 何とか受け止めるが、凄まじい衝撃に体が飛ばされそうになった。何とか踏み留まったが、支えるので精一杯。反撃の余裕がない。


 一撃が速く、鋭く、重い。こちらの攻撃に対する反応も早く、あんなに重厚な武器を軽々と振り回す。


 彼は強い。間違いなく強い。


 今までも強敵と呼べる相手と手合わせしてきたが、相手はあくまで『人間』だった。だが、ゲルルフの強さは人間を越えている。


 いくら『先読み』で手の内を読めても、体がついていかなければ同じことだ。正直、まともにやって勝てる気がしない。


 「どうした。足が止まったぞ! 人間!」


 「ぐ……っ!」


 ゲルルフの力が強まる。刃と刃、鋼と鋼がせめぎあう耳障りな音が耳元に迫った。


 このままでは圧し斬られる……!


 「……だが、まだだっ!」


 俺は、ゲルルフの長剣を受ける力を敢えて緩め、刃を滑らせるように受け流す。


 そして体を沈めながら大きく左に踏み出し、振り降ろされるゲルルフの剣を潜るようにして一気に懐に飛び込んだ。


 「なんと!!」


 「……これでっ!」


 俺は低い体勢のまま、ゲルルフの横を駆け抜けるようにして半月刀(シャムシール)を横薙ぎに振り抜く。


 刃の切っ先が狼人の脇腹を切り裂き、鮮血が飛んだ。


 ……が。


 しかし、浅い! 鎖帷子ごと狼人の岩のような腹筋を切り裂くには踏み込みが足りないか!


 だが、ゲルルフも渾身の一撃を撃ち込んだ直後。背後に回った俺に反応できない。


 つまり、背中ががら空きだ。


 ……獲った!


 俺が振り返り様に背中に一撃を加えようと構えた瞬間。ゲルルフが咆哮を上げて体を捻った。


 石畳を抉りながら強引に振り上げられる長剣(トゥーハンド・ソード)が、降り下ろした俺の半月刀(シャムシール)を弾き、切っ先が俺の体を切り裂く。


 焼け付くような熱が右胸から肩にかけて走った。肩から腕に痺れが走る。


 斬られた……のか!?


 斬られた衝撃にバランスを崩し、背中から石畳に倒れる。手に力が入らず、半月刀(シャムシール)が手から離れた。


 傷口を押さえる。血が止まらない……!


 遅れて激しい痛みが熱を帯びて全身に広がる。痛みの余り俺は短い悲鳴をあげた。


 「……俺に傷を付けるとはな。見縊(みくび)っていた。だが、ここまでだ」


 ゆっくりと歩み寄り、俺を見下ろすゲルルフ。俺はその面を睨み付ける。


 何とかしなければ。まだ何か……! 体が動けば……


 「戦士への情けだ。苦しまず戦死者の王宮(ワルハラ)へ送ってやる」


 ゲルルフはそう言うと、長剣(トゥーハンド・ソード)を逆手に持ち替えて、大きく振り上げた。


 狙いは……首。喉に剣を突き立てるつもりだ。


 ちくしょう! まだだ! まだ終わるわけには……!!



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