第二十五話 『大義と暴挙』
「クリフトさん!」
俺はフライパンの構えを解いてほっと胸を撫で下ろした。
「随分遅かったですね。心配しましたよ」
「申し訳ございません。偶然昔の友人と再会いたしまして。旧交を温めておりました」
倒れたテントの天幕でサーベルについた血糊を拭いながら、クリフトさんはいつもと変わらぬ微笑みを浮かべる。
相手がテロリストとはいえ、背後から何の躊躇いもなく斬り殺し、平然としていられるなんて……命をやり取りする事がテレビやネットの向こう側の出来事でしかなかった俺にとって、結構ショックだ。
そういえば、前にクリフトさんが昔の自分を『粗暴で向こう見ず』だったと言っていたが……一体どんな青年時代を過ごしてきたんだろうか。
「それはそうと……カズマ様、なぜこのような場所にお一人で居られるのです? シャルロットお嬢様はご無事なのですか?」
「それは……」
訝しげな表情で問うクリフトさんに、俺は別れてから今までの事を搔い摘んで話した。
「……そうですか。ステラが」
「すいません。クリフトさん……彼女を引き留めることができませんでした」
頭を下げる俺に、クリフトさんは優しく微笑んで頭を振る。
「いえ。カズマ様が責任を感じる必要はありません……あれも、もう子供ではありませんから」
クリフトさんはそう言いながら、先程斬った狼人の手から彎刀と鞘を取り上げ、刀身の血糊を丁寧に拭って鞘に収める。
「それにしても……彼等は何者なんでしょうか? バルバ居住地の狼人じゃないでしょ? 彼は」
俺は地面に横たわる狼人の骸を見下ろした。
バルバ居住地の狼人はヨルク老がまとめている。ウィルギル達のヨルク老に対する態度を見れば、ヨルク老を無視してこんな短慮は起こさない筈だ。
俺の問いに、クリフトさんは小さなため息をついた。
「彼等は『銀狼団』です」
「『銀狼団』? ……最近、帝都近郊を荒らし回っている狼人の盗賊団ですか」
確か、各地の居住地を脱走した狼人を吸収して規模を急速に拡大している組織だ。帝都で食料などが不足し、物価が高騰しているのは彼等の盗賊行為の影響だという。
「ええ。彼等は過去に縛られた者達……十五年前のアルマの悲劇と『狼人の誇り』の呪縛が生んだ怨霊です」
「アルマの悲劇、ですか」
初めて聞く言葉に俺は思わず聞き返すが、クリフトさんは辛そうに微笑むだけで答えなかった。
しかし、また十五年前か。一体何があったんだ……
「兎に角カズマ様、既に『銀狼団』と祭りの警備をしていた騎士団が戦闘を始めています。巻き込まれる前にお逃げください」
「いえ……俺はステラを、こんな事をする連中からクリフトさんの所に連れ戻したいんです」
「しかし……」
戸惑いと困惑の表情を浮かべるクリフトさん。
確かにステラの事は父娘の問題だ。他人の俺が口出しすることじゃないかも知れない。
でも、シャルロット嬢にお辞儀の作法を誉められて照れたり、二人一緒に並んでポテトフライを食べて笑ったりする彼女が、あんな非道を行う連中と同じとは思えないんだ。
あのゲルルフとかいう奴と何があって一緒にいるのか分からないが……奴の側は彼女にとって良くない。
「お願いします……もう後悔はしないと決めたんです」
「……わかりました。なら私もご一緒いたしましょう」
クリフトさんは諦めたように苦笑して、先程取り上げた彎刀を俺に差し出した。
「鹵獲品ですが、お使いください。狼人が好んで使う剣なので、サーベルとは勝手が違うと思いますが、フライパンを使われるよりはよろしいかと」
言われて、俺は自分が未だにフライパンを握り締めていることに気付いた。
「あ、これは……咄嗟に掴んだだけですよ」
俺は慌てて手にしたフライパンを近くの屋台に置くと、クリフトさんから彎刀を受け取った。
飾り気のない、実用性重視で無骨な印象の拵えの剣には、サーベルのような護拳はなく、柄が刀身と逆の方向に反っていて、束頭がカーブの先端で丸まった形になって突き出ている。
砂漠の民が使う半月刀によく似た彎刀。
狼人のサイズに合わせたのか、柄が一般的なサーベルより長い……これなら両手で構えられそうだ。
「……暫く借りるぜ」
俺は持ち主である狼人の遺体に手を合わせると、半月刀をベルトに挟んだ。
……
……
……
……
火事の残り火が燻る英雄広場。
魔狼の爆風で吹き倒されたテントの残骸や、狼人達に襲われ殺されたか、逃げ遅れて炎に巻かれたかして命を落とした老若男女の死体の間を縫うように、灰色のローブを纏った少女が駆ける。
理想の大人だと信じていた男に、この惨劇の真意を問い質すために。
「御大将、事は概ね計画通り進んでいる。既に一部の部隊が騎士団と交戦を開始したが、現在のところ我が方が優位だ」
男の声がして、私は思わず倒れたテントの影に隠れた。
……別に知らない相手じゃないんだから、慌てて隠れる必要は無い筈なんだけど……何で隠れるんだろ。
私はそう自問しながら、テントの影から声の方を覗き、様子を伺う。
さっきの声はトルゲだ。鼻の辺りに白い筋がある狼人。
「逃げる民を背負い、護るために盾に徹する用兵、敵将ながら見事よ」
トルゲの隣で、赤毛の狼人、ロートおじさんが腕組みしながら感心したように頷いている。
「ではその盾を食い破ってみせよ、ロート。遅参した分は働きで返せ」
「はっ。我が腕前、まだ若い者には劣らぬところを示して見せましょう」
ロートがそう言って、奥の方に座る大柄で灰銀の毛並みを持った狼人……ゲルルフに力瘤を作って見せる。
「頼もしいことだ。だが、此方は寡兵。此度の作戦は人間どもに我々の意思を示すことが目的だ……深追いはするなよ」
「……御意。心得ております。では者共、『狩り』に出るぞっ!」
ゲルルフの言葉に、ロートはニヤリと笑って答えると、腰に差した手斧を抜いて獰猛な吠え声をあげる。
その掛け声に、いくつもの雄叫びが応えた。私から見えない所にまだ何人もの狼人がいるみたいだ。
……一体何人いるんだろう?
私が知ってるゲルルフの一味は十数人の小さな集まり。時折怖いと感じるときもあったが、気のいい人達だった。
こんな獰猛な、軍隊みたいなのは知らない。
「うん? 妙に臭うな……人間の。どこだ?」
と、黒い毛並みをした若い狼人が鼻を鳴らしながらこっちを睨んた。
……しまった! 感付かれた?
私はハッと顔を引っ込め、身を固くした。風下に隠れたつもりだったが、臭いが流れたのか?
と、私が隠れるテントの近くで幕を取り払う音がし、女性の悲鳴が響く。
声の方を覗くと、人間の女性が蹲っている。逃げ遅れて、倒れたテントの幕の中に隠れていたのだろう。
彼女は幼い男の子を庇うようにきつく抱き締めている。
「人間の血の臭いが濃くて気付かなかったが……まだ生きていたか」
「お願いしますっ! 子供だけは! この子だけは助けてください!」
手にした槍を母子に向ける若い狼人に、母親は悲鳴のような声で懇願した。
それを聞いた狼人の表情が怒りに歪む。
「……『子供だけは』? お前達はアルマで、そうやって命乞いする親子を寄って集って切り刻んだ! 忘れたはとは言わせぬ」
「……ひぃ!」
小さな悲鳴をあげて子供に覆い被さる母親。その背中に槍を突き立てようと振り上げる狼人。
……危ないっ!
私は咄嗟に手元の石を彼の背中に投げ付けた。
石は吸い込まれるように若い狼人の背中に命中。彼は『誰だっ!』と誰何の声をあげて私を振り向く。
「……お前は確か、御大将の?」
私は、低く唸って睨む狼人の槍の穂先に立ち塞がって彼を睨み返した。
「無抵抗な女子供を背中から刺し殺そうなんて、あんたはそれでも『戦士』なの?!」
「黙れっ! 俺の母と弟は、あの日泣き叫びながら切り刻まれ、烏の餌にされたのだ。狼人の命乞いを無視しておきながら、人間の命は助けろというのは筋が通らん!」
私の言葉に、彼は眼を剥き牙を露にして叫ぶ。
この人も十五年前のあの事件で全てを失ったのか。でも……だから許されるわけじゃない。
ちらと先程の母子の方に目を走らせる。だが、そこには既に人影はなかった。私が彼の注意を引き付けた隙に逃げたみたいだ。
誰かさんのお人好しが感染って飛び出しちゃったけど、取り敢えず嫌なものを見ずに済んでよかった。
私は今にも噛み付きそうな顔の狼人の鼻先に指を突き付け、胸を反らす。
「筋もなにも、あんたの母親と弟を殺したのはあの親子じゃないでしょ? それに、今自分がやろうとしてたのはあの時の人間と同じだって気付かないの?!」
「くっ……! おのれ混血種ごときが、純血を語るな!」
狼人の青年は、そう吼えると槍を持ち替え、柄を私めがけて振り上げた。
……殴られるっ!? でも、逃げるわけには!
私は狼人を睨み付けながら、唇を噛み締めて身構えた。
だが。
「そこまでだ、アネル。槍を引け」
低い、背筋が凍るようなゲルルフ声に、アネルと呼ばれた青年の手が止まる。
「御大将……! しかし!」
アネルはゲルルフに不服を訴えようとするが、ゲルルフに無言で睨まれて槍を引くと私から離れた。
「……何故ここにいる。近付くなと言った筈だ。ステラ」
そう問い掛けるゲルルフの声と圧力に、私は全身が粟立つのを感じた。
……この感覚は何時ぶりだろう。彼は怒っている。でも、今は簡単に捩じ伏せられる訳にはいかない。
「わ、私は、私よ。何時何処にいようと勝手じゃない。子供じゃないんだから」
「……」
私の憎まれ口に、ゲルルフはスッと眼を細めた。表情や雰囲気からは何も読み取れない。
でも、少なくとも問答無用で連れ戻される事は無さそうだ。
私は乾いた喉を湿らせるために唾を飲み込むと、真っ直ぐゲルルフを見据えて問うた。
「狼神の像が爆発してたくさんの人が死んだわ。そのあとに狼人の賊が襲ってきて……祭りを滅茶苦茶にした」
「……」
「ゲルルフがやったの?」
「……」
ゲルルフは答えない。でも、その沈黙は否定の意味じゃない。
……今までのロートやトルゲとのやり取りで、そんなこと聞くまでも無いんだけど……本人に目の前で肯定されるとやっぱりショックだ。
私は溜め息をついて頭を振ると、ゲルルフを睨み付けた。
「ねえ、ゲルルフ……あんたは私に十五年前の悲劇を教えてくれた。あんな悲劇は二度とあってはならないって、耳にタコが出来るくらい」
「……」
「でも、今あんたたちがやっている事は、十五年前にアルマで人間がやった事とどう違うの」
「わざわざ、そんなことを問いに来たか?」
黙って私の問いに耳を傾けていたゲルルフが、小さく溜め息をついてそう言った。
「……我々の行いは神より下された大義によるものだ。大義なき人間の暴挙とは違う。それを何故同じと思うのだ?」
「同じですよ、ゲルルフ。いや、神の名を持ち出して大義を騙る貴殿方の方が悪質かもしれません」
唐突に、聞き覚えのある声が私たちに割り込んできた。
驚いて振り向いた先に居たのは、黒の燕尾服を纏った、灰色の狼人。
「……パパ」
思わず漏れた呟きに、パパ……クリフト・フェーベルは場違いなほどにこやかな笑みを浮かべた。




