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第二十四話 『サーベルとフライパン』

 ーー光の塊が弾けた。


 直後、凄まじい爆音が衝撃となって空気を駆け抜け、地を揺らす。


 爆発?! 何が……!?


 背中を熱風が撫で、シャルロット嬢の悲鳴が耳元で響く。俺は胸の中の少女二人を抱き締める腕に力を込めた。


 ……どれくらいそうしていただろうか。


 ほんの僅かな時間だったような気もするし、かなりの時間伏せていたような気もする。


 俺はゆっくりと起き上がり辺りを見渡した。


 辺りは黒い煙が朦々(もうもう)と立ち込め、その合間から蛇の舌のように赤い炎が覗いている。


 嘆きの悲鳴、怒りの怒声、恐怖の叫び。様々な声を上げながら、人々が黒煙と炎の中を逃げ惑っている。


 さっきまで祭りの熱気に浮かれていた喧騒が嘘のようだ。


 炎は広場に並ぶあちこちの屋台のテントや建物上がっていて、すでに煙が辺りに充満していた。


 さっきの衝撃で篝火が倒れ、それがテントなどに燃え移ったのか。


 「何があったの? なんでこんな……」


 シャルロット嬢が上体を起こし、乱れた髪を押さえながら呆然と呟く。


 「狼神様(ヴァナルガンド)の像がっ!? ……ああ、何で……何でっ!」


 ステラの悲鳴に後ろを振り向いた俺は思わず息を飲んだ。


 英雄広場を囲むように立っていた英雄達の像は無惨に薙ぎ倒され、炎に包まれていた。そして中央に鎮座していた魔狼の像は吹き飛んで跡形もない。


 そして、その炎に照らされた光景。


 爆風や吹き飛ばされた破片で引き裂かれた何人かの(・・・・)身体。


 まるでインクをぶちまけたように石畳を濡らす鮮血。


 木の破片が身体に突き刺さり、悲痛な声で力なく助けを求める男性。


 炎を浴びて服や髪が燃えて火だるまになり、悲鳴をあげながら火を消そうともがく女性。


 全身血塗れになり、ショックのあまり虚ろに座り込む少年。


 薄暗がりの闇に折り重なるようにして倒れている無数の物言わぬ骸。


 焦げる肉の臭いと血の臭いに、胃の奥から込み上げて来るものを俺は必死に押さえた。


 口の中に苦い唾が広がり、涙が滲む。だが、今ここで俺が吐くわけにはいかない。


 俺は深呼吸して息を整えると、口に溜まった嫌な唾を吐き出した。


 しかし、魔狼像が爆発したのは確かだが、事故なのか……? まさかテロ?


 「ステラ……見ちゃダメだ」


 俺は目を見開いたまま青い顔で言葉を失うステラを胸に抱き締めた。彼女の細い肩が細かく震えている。


 「……こんなの……聞いてないっ! 私は知らないっ!」


 ステラの銀髪を優しく撫でてやると、少女は俺の胸の中でイヤイヤをするように首を振った。


 「酷い……一体誰がこんな酷いことを」


 よろよろと立ち上がり、凄惨な光景に声を震わせるシャルロット嬢。


 炎に浮かぶ地獄のような光景に言葉を失う少女の頬と髪を血の臭いの風が熱を纏って撫でた。


 途端に少女は地面に這いつくばると、口許を押さえて嘔吐(えず)く。


 「……お嬢様、ここを離れましょう。こんなに血の臭いのする場所に、お嬢様は居るべきじゃありません」


 シャルロット嬢の背中を擦りながら声を掛ける。彼女は力なく俯いたまま何も言わない。


 よほどショックだったのだろう。


 俺ですらトラウマになりそうな光景なのだ。多感な少女達にこの地獄は酷だ。


 それに、火は落ち着くどころか勢いが増しているように見える。


 早くここを立ち去らねば、最悪煙に巻かれて焼死体の仲間入りだ。


 「おいっ! みんな無事か?! 怪我は?」


 その時、黒煙を掻い潜りルーファスがこちらに駆け寄って来た。


 彼の琥珀色の髪は乱れ、人懐っこい童顔は煤で黒く汚れている。だが、見る限り怪我などは無いようだ。


 「ああ。こっちは何とかな。何があったんだ?」


 「魔狼(ヴァナルガンド)の像が突然爆発したんだ……今はそれしか分からん」


 「そうか。やはり……」


 あれだけの大きさの像が跡形もなく消し飛んだのだ。爆発の規模は相当だろう。


 しかし、魔狼(ヴァナルガンド)の像は藁や枝で作られている。いくら巨大でも、普通に燃やして爆発するのは考えにくい。


 だが、中に何か仕込まれて(・・・・・)いたなら? 例えば爆弾とか。


 でも、この国にあんな威力の爆弾があるのか……?


 そこまで考えて、ふと自分がいつも以上に落ち着いていることに気付いた。


 シャルロット嬢の狼狽や嘔吐する姿、ステラの取り乱した様子を見たからだろうか。


 まあ、大の男が狼狽して、二人の少女を不安にさせるような醜態を晒さずに済むのはいいが……


 「爆発の衝撃で篝火が倒れてあちこちから火が出ている。いま、動ける騎士が避難の誘導に当たっているところだ。お嬢様方も早く避難を。さあ!」


 ルーファスがそう言ってシャルロット嬢に手を差し出した、その時。


 黒煙の向こうから長く甲高い鳴き声が響いた。


 最初はひとつ。


 少し間を置いて、周囲のあちこちから同じような鳴き声が聞こえてくる。


 「……遠吠え? どっかで犬が鳴いているのか」


 「違うわ。この声は狼人(ハウド)の遠吠えよ……戦に赴く戦士達が士気を高め、お互いの気持ちをひとつにするための……」


 俺の呟きに、ステラは耳をピクリと震わせて答える。


 「カズマ、シャルロット、早く逃げて。『彼ら』が来る……っ!」


 『彼ら』……それってまさか!?


 「『彼ら』? それは何だ?」


 訝しげに問うルーファスをステラは苛立たしげに一瞥し、俺の方を訴えるように見る。


 その時、絹を裂くような女性の悲鳴が響いた。


 続けざまに響く、助けを求める叫びと断末魔の絶叫。そしてそれを喰い破るように響く(とき)の雄叫び。


 周囲のざわめきは悲鳴と怒号に変わる。


 ……今度は何が起こった!?


 「お願い、すぐに逃げて。でないと殺されるわ」


 「『逃げて』って、お前はどうするんだ? ステラ!」


 俺の問いに、ステラは悲しそうな表情で頭を振る。


 「私は……戻らなきゃ」


 「……戻るって、一体何処へ」


 まだ青い顔をしているが、いくらか気を持ち直したシャルロット嬢が訝しげに問うた。


 だが、ステラは何も言わず俺達に背を向ける。


 「私は……半分狼人(ハウド)だから。カズマ、シャルロット。今夜は楽しかった……さよなら」


 少女は俺たちに背を向けたままそう言うと、振り向く事なく英雄広場の方に駆け出した。


 「ちょっ……ステラっ?! 待って!」


 シャルロット嬢が慌てて呼び止めるが、少女の銀髪はみるみるうちに黒煙と逃げる人々の波に飲まれて消えていく。


 ステラのやつ……何が『楽しかった、さよなら』だ。あんなに肩を震わせて、今生の別れのつもりかよ。


 ……どうする? いや、迷う時間も、その必要もないな。


 「……ルーファス、シャルロット様を安全な場所までお連れしてくれ」


 「頼まれなくてもそのつもりだが……お前、まさか……?」


 俺の言葉に、ルーファスが胡乱げに眉を顰める。


 「……カズマ、ステラを追うの?」


 「はい。アイツは、ステラは祭りの間俺の『妹』ですから。連れ戻して叱ってやらないと」


 シャルロット嬢が複雑な表情で問う。俺は涙に潤んだ彼女の瞳を優しく見返した。


 「待てよカズマ、お前は民間人だ。騎士として、この状況で民間人を危険に晒すわけにはいかない。半狼人(ハーフハウド)の彼女は我々に任せて……」


 だが、ルーファスは言葉を言い切ることができなかった。


 血塗れの男が屋台を倒し、悲鳴を上げながら俺達の前に転び出て来たのだ。


 何事か叫びながら立ち上がろうと足をもつれさせもがく男。だが、彼を追うように現れた狼人(ハウド)に蹴り飛ばされ、尻餅をつくように倒れ込む。


 「ひっ! たっ……たすけっ……助けてくれ!」


 「『狼神(ヴァナルガンド)は偉大なり』っ!」


 神への祈りの言葉。それが、狼人(ハウド)の男の命乞いに対する答えだった。


 狼人(ハウド)は抜き身の彎刀(わんとう)を迷いなく振るい、血に濡れた刃は炎の光を鋭く反射しながら男の首を刎ねる。


 「なっ……」


 一瞬の出来事に、ルーファスもシャルロット嬢も言葉を失い固まってしまう。


 ステラの言う『彼ら』。まさかとは思ったが、やはり狼人(ハウド)か。


 ……くそっ! 最悪だ。


 返り血を浴び、灰色の毛並みを赤く染めた狼人は刃を振るって血糊を落とすと、ゆらりと俺達に顔を向けた。


 やはり見逃しちゃくれないか。


 「ルーファスっ! お嬢様を頼む」


 「何言ってんだ?! 素手で狼人(ハウド)とやるつもりかよ?!」


 抜剣し、身構えるルーファス。俺はシャルロット嬢を護るように狼人(ハウド)と対峙して叫んだ。


 「この場で一番に誰を護るべきか考えろ! 手遅れになる前に!」


 「ぐっ……!! ああ、わかったよ! お嬢様は任された! ……死ぬなよ?」


 背中にルーファスの自棄っぱちな声が聞こえ、俺は目の前の狼人(ハウド)を睨み付けたまま、軽く手を上げてそれに答える。


 「カズマっ! 約束して。必ず帰って来るって。祭りの間、私をエスコートするんでしょ? 途中で投げ出したりしたら承知しないんだからっ!」


 シャルロット嬢が悲痛な叫びが胸に刺さる。遠ざかる二人の足音を聞きながら俺は独り言ちた。


 「……わかっていますよ。お嬢様」


 さて、そう言って残っては見たが……素手で武器を手にした狼人(ハウド)相手にやれるのか。


 しかし……考えたら結構ベタなフラグ(・・・)だよな。こういうシチュエーションって。


 「別れは済んだか? 人間」


 どうやら二人を逃がすまで待っていてくれたらしい狼人(ハウド)が、大振りのサーベルの切っ先を俺に向けた。


 「……あんたも律儀だな」


 「勇敢なる戦士に相応の敬意を払っただけだ。貴様を我が神(ヴァナルガンド)に捧げ、あの二人を屠る。それは変わらん」


 成程、狼人(ハウド)の戦士の矜持ってやつか。だが……


 「殺しの理由に神の名を騙るような連中なんかには早々後れは取らないさ」


 俺の挑発に、狼人はカッと目を見開いた。


 「『狼神(ヴァナルガンド)の他に神はなく、銀狼は神の使徒なり!』 参るっ!」


 信仰告白を叫び、サーベルを振り上げて一気に間合いを詰める狼人(ハウド)


 「ちぃっ!」


 俺は体を投げ出すようにして斬撃を躱すと、地面を転がるように間合いを取る。


 起き上がったとき、右手に硬い何かが触れた。


 フライパン……? 屋台で調理に使ったものか。


 「らぁぁあっ!!」


 「くっ!」


 続けて放たれる狼人(ハウド)の斬撃。俺は咄嗟にフライパンを手に取り、面の部分で白刃を弾く。


 激しい火花と金属が打ち合う鈍い音。斬撃の衝撃に手が痺れる。


 くそっ! なんて力だ!


 飛び退って間合いを取り、フライパンを正眼に構える。鉄でできたフライパンは見掛けに寄らず重いが、振れない事はなさそうだ。


 これも日々の鍛練の賜物だな。


 「巫山戯(ふざけ)ているのか? 人間」


 フライパンを真面目に構える姿が滑稽に見えたか、狼人(ハウド)が眉間に皺を寄せ唸る。


 まあ、確かに端から見ても巫山戯(ふざけ)ている様に見られるか。俺は肩を竦めて苦笑した。


 「……『戦士』を相手に素手よりか失礼はないと思うけどね。まさか、丸腰で逃げ回る人間しか斬れない……とか?」


 「抜かせっ!」


 狼人(ハウド)が吼え、最上段から一気に間合いを詰めてくる。


 乗ったな!? 誇りに拘り過ぎて煽り耐性が低い……典型的な猪突猛進(イノシシ)型だっ!


 俺はフライパンの面で狼人(ハウド)の剣を受け流し、そのまま体を回転させるように一気に懐に飛び込むと、フライパンの()を狼人の横っ面……顎の付け根にフルスイングで叩き込んだ。


 重く、鈍い音が響く。


 フライパンとはいえ鉄の塊。いくら頑丈な狼人(ハウド)でも脳が揺れる程度では済まない筈。


 だが、狼人(ハウド)は大きくよろめいたものの、倒れず踏み留まった。


 くっ!? 狼人(こいつ)は化け物か!


 怒りの唸りを上げ、サーベルを振り上げる狼人。だが、次の瞬間、背後から斬り付けられ、体を痙攣させて膝から崩れ落ちる。


 「な……」


 突然の事に絶句する俺に、狼人(ハウド)を斬り捨てた男……泥で汚れた燕尾服を着た灰色の狼人(ハウド)が優しく笑い掛けた。


 「狼人(ハウド)を殴り倒す時は鼻先か眉間を狙うべきですよ、カズマ様」


 「クリフトさん……っ!」


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