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第二十三話 『燃える狼神(ヴァナルガンド)と吼える戦士』

 時間は少し遡る。


 カズマがシャルロットに振り回されていた頃。





 祭りの喧騒から離れた馬繋場に竜巻号(トロンベ)を繋いだ私は、彼の鼻から垂れる鼻水を脱ぐってやると小さく溜め息をついた。


 『狼追いの夏祭り』。


 帝国が我ら狼人(ハウド)からシュテルハイムを奪った事を歓び、それを成し遂げた帝王と英雄を讃えて忘れない為の祭り。


 昔はこの祭りを憎んで止まなかったものだが、今は『豊穣を願う祭り』として受け入れ、楽しむ事ができるようになった。


 ……ビアンカもステラも、この祭りをとても楽しみにしていましたからね。


 微かに聞こえる祭りの喧騒と楽しげな音楽に、私はふと昔を思い出して自然と微笑みを浮かべる。


 ステラが幼い頃は、旦那様と三人でよく遊びに行ったものです。


 久し振りに来てみましたが……変わっていませんねぇ。


 さて、そろそろカズマ様に合流しましょうか……できればあまり無粋な事はしたくないのですが。


 と、私は鼻腔に違和感のある臭いを感じて眉間に皺を寄せた。


 ……この臭いは。


 私は耳をそばだて、周囲に目を凝らす。


 この臭いは狼人(ハウド)の……? しかし、帝都の狼人(ハウド)では無いようだ。


 しかも……一人や二人じゃない。これは穏やかじゃ無いですね。


 狼人(ハウド)は特別な許可がない限り居住地のある領地を出ることが許されていない。


 つまり、帝都でバルバ狼人居住地以外のしるし(マーキング)の臭いがする狼人は十中八九脱走者。


 ……まさかとは思いますが。


 私は馬車の御者台の下からサーベルを取り出すと、不安げに嘶く竜巻号(トロンベ)の首筋を撫でて安心させ、臭いのする方に歩き始めた。


 



 「御大将は……そうか……ならば……」


 「では……に……で」


 「分かった。お……い、……なく」


 建物の影に潜み、私は息を潜める。


 身を隠し、気配を殺して相手の様子を窺おうとするが、相手も相当警戒しているのか、会話の内容は殆ど聞き取れない。


 相手も同じ狼人(ハウド)である以上、必要以上に近付いては感付かれてしまう。


 やはり、同胞同士はやりづらいですね。


 その時、相手が動いた。どうやらそれぞれ別々の場所に散って行ったらしい。


 私は彼等の気配が遠ざかったのを確認すると、気配を抑えたまま彼等が何やら打ち合わせをしていた場所に向かった。


 その場に残る臭いの残滓(ざんし)を嗅ぎ取る……少なくとも五人。全て違うしるし(マーキング)の臭いがする。


 やはり、彼等は……しかし、何故?


 ここは帝都の城壁の中。手配中の『彼等』が城門の検問を抜けるのは困難な筈。


 しかも今日は『狼追いの夏祭り』。城門の警備はかなり厳重になっているのに。


 「鼠が彷徨いているから引き返してみれば……ここで何をしている? ギーゼルベルト」


 突然背中に投げ掛けられた声に、私はハッとして振り向いた。


 咄嗟にサーベルの柄に手を掛ける。


 「……貴方は」


 そこには、翠の瞳と赤毛の体毛を持つ狼人が立っていた。長身痩軀(そうく)。だが、体は筋肉で引き締まっている。


 その身を、まるで戦にでも行くかのように鎖帷子(リングメイル)で固めた狼人に、私は顔を顰めた。


 「ロート……貴方まで帝都(ここ)に来ているとは思いませんでしたよ」


 「我等がこの大地の何処に居ようが、誰も咎める事はできぬ。元よりこの大地は我等の物だからな」


 「変わりませんね、貴方は。いえ、貴方も……ですか」


 苦笑いを浮かべる私の言葉に、ロートは眉間に皺を寄せて口許を歪めた。


 「我らは誓いを違えぬ。貴様と違ってな」


 「私は誓いを違えたつもりなどありませんよ、ロート……それで、貴方がたは祭りの夜に何をしようとしているんですか? 昔の(よしみ)で教えてくれると嬉しいのですが」


 私はそう問いながらサーベルを何時でも抜刀できるように構えた。


 先程からロートは殺気を隠していない。


 「……昔の誼なら、問わずにそのまま去れ。それが貴様の為だ」


 「残念ですが……祭りには私がお仕えしている方が行っておられるのです」


 「変節し、我らを裏切りるに飽き足らず、人間に牙を抜かれ誇りまで売り渡したか……その名が泣くぞ、ギーゼルベルトっ!」


 静かだが、威圧の籠った声でロートが唸る。彼は腰に佩いた二本の手斧を抜き、吼えた。


 「神託は成就させる。貴様に邪魔はさせぬ……共に誓いを立てた盟友の情けだ。ここでその命脈を断ってやろう!」


 「それもできぬ相談ですっ! 私はまだ為さねばならぬ事がありますからねっ!」


 ロートの咆哮に、私は抜剣して応える。


 やれやれ、面倒な事になりましたね。


 カズマ様、申し訳ございません。合流には今少し時間がかかりそうです。


 ……


 ……


 ……


 ……


 帝都中央公園、『英雄広場』。


 そこには白亜の凱旋門が建てられている。


 凱旋門はシュテルハイムに遷都した十数年後、ノブリス大帝の子が帝都の完成を祝って建てたもの。


 そこには大帝と彼と共に戦った英雄達の姿と、彼等の伝説的な活躍がレリーフで刻まれている。


 『狼追いの夏祭り』はクライマックスを迎えようとしていた。


 幾つもの篝火で昼間のように照らされた英雄広場に巨大な魔狼(ヴァナルガンド)の像が据えられ、それを囲むように六英雄の山車が並んでいる。


 それはまるで、魔狼が英雄達に包囲され追い詰められているように見えた。


 「いよいよね。魔狼(ヴァナルガンド)に火が放たれる瞬間に立ち会わなきゃ、この祭りに来た意味無いもの。間に合ってよかったわ」


 声は抑えているが、興奮気味の口調でシャルロット嬢が言った。


 その言葉を聞いて、ステラが複雑な表情を浮かべる。


 俺達は英雄広場から少し離れた場所に陣取っていた。ここから見ても魔狼像の姿は迫力がある。


 因みに二人とも屋台で買った、細切りにした馬鈴薯(ジャガイモ)を油で揚げた物を食べている。


 国が変わっても、ジャンクフードはそう変わらないんだな。


 先程までの喧騒が嘘のように静まり返った静寂と共に人々が見守るなか、白い法衣を纏ったマリナ教の司祭が魔狼の前に組まれた櫓に登った。


 櫓の下には、同じように白い法衣を纏った若者達が手に松明を持って並んでいる。


 「父と子と聖霊、天にまします我等の神よ、地に満ちた罪と穢れをその身に纏いし邪なる狼をあなた様の炎で祓い給い、清め給え。あなた様より賜りしこの沃野に、豊穣と安寧を与え給え。アーメン」


 「「アーメン」」


 司祭の祷りに合わせ、広場に集まった群衆が胸に十字を切り神に祷りを捧げる。


 僅かな沈黙のあと、司祭は両手を天に掲げて叫んだ。


 「火を放てよっ! 清めの火をっ!」


 それを合図に、並んでいた若者達が巨大な狼の像に手にした松明を投げつける。


 炎は像の周りに積まれた枝の束や藁の束に燃え移り、瞬く間に像を炎で包んだ。


 その様子に観衆から歓声が上がる。


 「凄いわね……屋敷で毎年やるやつも凄いけと、本物の迫力は段違いだわ。炎の熱がここまできて……なんか、悪いもの全部持っていってくれそう」


 「……確かに、凄い迫力だな。こんな火柱、見たことない」


 シャルロット嬢が呆然と呟き、俺もそれに頷く。


 魔狼(ヴァナルガンド)が燃える火柱はまるで星空を焦がすかのように高く立ち上がっていた。


 凄く壮大な光景だ。


 「狼神(ヴァナルガンド)は、私達狼人(ハウド)の命と誇りを護る神様なのよ……それをまるで悪魔みたいに」


 ステラが眉間に皺を寄せ、小さく呟く。


 俺は彼女の頭に軽く手を置き笑いかけた。


 「あれは悪い魔狼(ヴァナルガンド)狼人(ハウド)神様(ヴァナルガンド)とは別物さ」


 「……そんな理屈」


 『そんな子供騙しの理屈で納得しない』とでも言うかのように憮然とするステラに、俺は肩を竦める。


 「まあ、確かにね。でも、あの魔狼(ヴァナルガンド)はこの国の人々の、一年の穢れや罪を一身に引き受けて燃えるんだ。そう考えたら、凄い神様だと思わないか?」


 「そうよ。魔狼(あれ)を燃やさないと、前の年の穢れが禍して不作になるとか、疫病が流行るとか……兎に角よくない一年になるんですって」


 シャルロット嬢が馬鈴薯(ジャガイモ)の揚げ物の最後のひと欠けを食べ、指についた塩を舐めながら笑う。


 ……お行儀悪いな。お嬢様は。それにあまりフォローになってないし。


 「なんか見た後ろ姿があると思ったら、お前か、カズマ」


 「ん? ……あ」


 聞き覚えのある声に呼び掛けられ、振り向いた俺は思わず声を上げた。


 黒い詰め襟を着た、琥珀色の髪の人懐こそうな青年がにっこり笑って手を振っている。


 ルーファス……そう言えば今日は仕事だったな。


 「……誰?」


 「知り合い……かな」


 ジト目でルーファスを睨むステラに、俺は苦笑いを浮かべて答えた。


 「ってお前、何だよ。俺が一人寂しく仕事してるのに女の子を連れて祭り? しかも二人? 羨ましすぎるぞ」


 「アンタは相変わらず五月蝿いわね。少しは空気読みなさいよ」


 「げっ……シャルロットお嬢様? これはこれは……ははっ! ははは……」


 軽口を叩きながら側に寄ったところを、シャルロット嬢に睨まれ、ルーファスは乾いた声で笑いながら俺を見た。


 その瞳が『何で?』と説明を求めている。


 ……ルーファスお前、この前酒場で一緒だったろ? 話聞いてなかったのか。


 「それにしても、アンタ、ちゃんと仕事してるのね」


 「まあ、これでも騎士団ですからね。それで……このような場で恐縮ですが、先日の夜会ではご迷惑をお掛けしました」


 そう言ってシャルロット嬢に跪き頭を下げるルーファス。シャルロット嬢は彼を一瞥すると、燃え盛る狼の像に視線を移した。


 「お酒の席の事ですし、女性に声を掛けるのは殿方の性分。あの日の事は魔狼(ヴァナルガンド)の炎に乗せて忘れましょう」


 「有り難き幸せ」


 シャルロット嬢の言葉にルーファスが芝居がかった仕草で答える。ただ、彼の表情が心底ホッとしていたから謝罪は本気だったのだろう。


 「しかしカズマ。シャルロット嬢をエスコートできるなんて羨ましい……俺も仕事が急に入らなかったらなぁ」


 立ち上がり、膝の土を払いながらおどけた風に言うルーファス。俺はその言葉にちょっと引っ掛かりを覚えて問うた。


 「『急に』? そう言えば、ロベルト卿も『急遽』警備任務が入ったって言ってたな」


 「ああ。四日前な。騎士団中央本庁(ツェントルム)に匿名の投書があったのさ。お陰でこの様だ。全く宮仕えは辛いよ」


 参った表情で笑いながら肩を落とすルーファスに俺は眉を顰める。


 「……匿名の投書? なんて?」


 「そりゃ、口外無用ってやつさ。臣民を徒に不安にさせるからな」


 いや、言わなくてもそれで十分だ。しかし、確かに穏やかじゃないな。


 「ま、でも、それも取り越し苦労って奴だ。祭りもこうやって無事に終わろうとしているしな」


 ルーファスが天を焦がす魔狼の像を顎で指し示した、その時、ステラが俺の袖を握り締める。


 「どうした? ステラ」


 「凄く……嫌な臭いがする。あの像の中から……」


 酷く怯え、声を震わせるステラ。彼女はハッと目を見開くと、俺の腕を引いた。


 「ステラ?! 一体……」


 「逃げてっ!」


 「え? 突然何?」


 悲痛に叫ぶステラ。戸惑うシャルロット嬢。


 背筋に悪寒が走る。俺は咄嗟にステラとシャルロット嬢を両手に抱き締め、覆い被さるように押し倒した。


 ……刹那。


 背後で光の塊が弾けた。



平成二十九年十一月十五日

今まで毎日更新でしたが、ストック切れのため更新スピードが遅れます。

なるべく早くアップするつもりですが、引き続きご愛読くださいますよう!よろしくお願いします。

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