第二十二話 『お兄ちゃんと使用人』
祭りで盛り上がる広場の片隅。
「駄目じゃないか、ステラ。こんな人混みの中一人でどっか行っちゃ。お兄ちゃん探したぞ?」
俺は半狼人の少女の輝くような銀髪に手を置き、優しく叱るように言った。
「お兄ちゃ……って、何を言って?!」
突然の俺の言葉に、ステラは戸惑いながら頬を朱に染めて抗議の声を上げる。
だが、俺は『任せとけ』と目配せすると、ステラを庇うように男達に向き直った。
「すいませんね……うちの妹がご迷惑をお掛けしたみたいで」
「妹だぁ? 兄ちゃん、馬鹿言っちゃいけねぇ……そいつは混血児だぞ?」
俺の言葉に酔っ払いの男は訝しい表情で俺を睨む。
「大体、何でぇ、いきなり割り込んで来やがって。この娘、どっちの犬の子か知らねぇが、気持ち悪りぃんだよっ! それを追っ払おうとしただけじゃねぇか。お前の妹ってんなら二度と外に出すんじゃねぇ」
「この……っ!!」
もう一人の男の暴言に、背後でステラが呻く。今にも飛び出しそうな少女を、俺は手で制した。
奴等は酔っ払って言動の歯止めが利かなくなっているだけだ。
悪酔いして言い掛かりをつけてくる奴はまともに相手しちゃいけない。こっちが感情的になったら相手がよりヒートアップして手が付けられなくなる。
こんなとき、俺の故郷ならさっさと警察に通報して引き離してもらうのだが、この国でそれは無理だ。
大声で助けを呼ぶ手もあるが、ステラがいる手前、徒に周囲の注目を集めるのは良くないな。
なにせ程度の差こそあれ、この祭りに来ている大人は大概酔っているのだから……
ここは、話をはぐらかしながら相手の勢いを削いで、隙を見てこの場を離れるのがベストか。
作戦を固めて俺が口を開いた、丁度その時。
「ちょっとあんたたちっ! 好き放題言って何様のつもり?」
苛立った声を上げながら大股で酔っ払いに詰め寄るお嬢様が俺の視界に割り込んできた。
……おいおい。刺激してくれるなよ。台無しじゃないか。
俺は小さく溜め息をついて頭を抱える。
「なっ……何だ小娘!?」
「大体、いい大人が酒に酔った勢いで年端もいかない女の子に手を上げるなんて、人として最悪じゃない! 恥ずかしくないわけ?」
男達の鼻先に人差し指を突き付け、一気に捲し立てるシャルロット嬢。
いや、言ってることは全くもって正論なんだけど、相手と場合を考えてください。
「てめぇ、馬鹿にしてんじゃねえぞ? 小娘が」
「こっちが黙ってりゃいい気になりやがって!」
シャルロット嬢に罵倒されて逆ギレした男が彼女の肩に触れた、その瞬間。
彼女は絹を割くような、悲痛な悲鳴を上げた。
「きゃぁぁっ!! 誰か助けて下さいっ! この人達に乱暴されるっ! 誰かっ! 早く助けて!」
先程詰め寄ったときの気勢は何処へやら。
必死の面持ちで酔っぱらいを指差し、胸元を庇いながら通りを行く客に助けを求めるシャルロット嬢。
「なっ!」
「くそっ! ヤバイぞっ!」
可憐な乙女の必死の訴えに、酔っ払いは急に酔いが覚めたのか、慌てて雑踏の中に走り去っていった。
……まあ、女を武器にされたら大概の男は退散するしかないか。酔っ払い撃退法としては悪くはないが。
「全く……楽しいお祭りが台無しだわ」
シャルロット嬢は男達が消えた雑踏をひと睨みすると、振り乱した髪を整えながら溜め息をつく。
全く、お嬢様は演技派でいらっしゃる。
……と、いけない。さっきの騒ぎで人が集まる前にここを離れなくては。
俺は、いきなりの展開に呆気に取られたままのステラに駆け寄ると、フードを深く被せ、乱れたマントを整えて耳と尻尾を隠す。
「二人とも、場所を変えますよ。人が集まったら厄介だ」
「厄介って何よ。っていうか、その娘、カズマの知り合い?」
「別に……あんたに関係ない。あんたこそ誰よ」
豊かな胸を突き出すように腕を組むいつものスタイルで、シャルロット嬢はステラを訝しげに睨み、ステラはステラで負けじとシャルロット嬢を睨み返す。
一瞬だが、場の温度がすぅっと下がった気がした。
なんで初対面でそんなに険悪な雰囲気になるのさ?!
辺りを見渡すと、パラパラと騒ぎを聞き付けた野次馬が周りに集まってきている。
ああっ! もう。だから大事にしたくなかったのに。
……こうなっては仕方ない。俺はシャルロット嬢とステラの手を取ると、少し強引にこの場から離れるため駆け出した。
「ちょっ……! いきなり何よ!」
「突然走らないでよ!」
二人が口々に抗議の声をあげるが無視して走る。
……
……
……
……
祭りの喧騒から少し離れた広場。
噴水の水が篝火に照らされてキラキラと光っている。
少し遠くからパレードを先導する楽団の賑やかな曲が聞こえ、それが逆にこの場の静寂を際立たせているようだ。
帝都中央公園に百近くある噴水広場のひとつ。その噴水を囲むベンチに二人の少女が座っている。
赤い髪の少女と、灰色のフードを目深に被り、膝を抱えて座る少女……シャルロット嬢とステラだ。
「お待たせ。走って喉乾いたろ。はい、フレッシュフルーツのジュース。結構なみなみ入ってるから、こぼさないで下さいね」
俺は手にしたジュースの入れ物を二人の少女に渡す。
「ありがとう。カズマ……気が利くじゃない」
シャルロット嬢はジュースを受け取ると、一口飲んで『うーん。甘くて美味しい!』と満足げな笑顔を浮かべる。
だが、ステラはそっぽを向いたまま受け取ろうとしない。
「ステラ、甘いぞ?」
「……ヒトの施しは受けないわ」
冷たくそう言いい放って顔を背けるステラだが、チラチラ俺の手元に目をやっている。
素直じゃないな……ったく。
俺は苦笑いを浮かべて肩を竦めると、わざとらしい口調で言った。
「しょうがないな……じゃあ、これは俺がいただくか」
「……っ! 誰も要らないなんて言ってないわよ」
そう言って、ステラは俺からジュースを取り上げると、グッと飲んだ。と、その表情が途端にほころぶ。
「……あ、美味しい」
「だろ?」
「っ! ……ふん」
俺と目があったステラは、一瞬頬を赤くして慌てて目を反らす。
にしても、静かだ。祭りのメインイベントである英雄達と魔狼のパレードが始まって、祭りに来た客がみなそっちに行ったからか。
ここにいるのは、祭りの喧騒よりも静寂とロマンチックな雰囲気を求める恋人達くらい。
……俺達もそんな雰囲気に馴染んでいるかな? 随分歪ではあるが。
「で? ステラ……だっけ。何で酔っ払いに絡まれてたの?」
シャルロット嬢がステラの顔を覗き込むようにして問う。だが、ステラはそんな彼女を横目で睨んだ。
「名前も知らないヒトの問いには答えたくないわ」
「……ステラ」
この娘は、さっきから何でそんな棘のある言い方をするかな。
一瞬、ムッとしたシャルロット嬢は、しかしすぐにステラに向き直る。
「確かにそうね。私はシャルロット。シャルロット・フォン・ブルヒアルトよ」
シャルロット嬢が名乗ると、ステラは意外そうに目を丸くした。
「フォン・ブルヒアルト? 貴族のお嬢様がわざわざ街に出て祭りに? 随分物好きなのね」
「あなたこそ。まさか一人で夜の祭りに来たわけ? 両親は?」
シャルロット嬢の問いに、ステラは唇を結んで目を伏せる。
「ママは最初から居ないわ。パパは……居るけど居ない。勘違いしないで。私は子供じゃないんだから」
「俺から見たらまだ子供だよ」
俺がそう言うと、ステラは憮然とした表情をした。大体、十五歳ってまだ中学生だろ? 狼人では成人かも知れないが、人間ではまだ子供だ。
にしても、『パパは居るけど居ない』って……何だかな。クリフトさん可哀想に。
俺は髪を掻きながら溜め息をつくと、ステラに言い聞かせるように言った。
「……兎に角、ステラみたいな娘が一人で祭りの夜を彷徨いてたら、質の悪い酔っ払いに絡まれるのは当然だろ? 少し気を付けろよ。たまたま俺達が通り掛かったから良かったけどさ」
「あんたも……人間の祭りに混血児は来るなって言うの」
ジュースの入れ物を握る手にギュッと力を込め、ステラは低く言う。俺はムッとして少し睨むように彼女の瞳を見据えた。
「そんなわけあるかっ! ステラみたいな年頃の、可愛い女の子が一人で夜の祭りを歩くのは悪い奴等に絡んでくれって言ってるようなものだから、危ないって事だよ。俺が言いたいのは」
「なっ! か、可愛いって……面と向かってそんな事言う? ば、馬鹿じゃない?!」
俺の言葉に、ステラが顔を真っ赤にして叫ぶ。そして何故かシャルロット嬢もベンチから立ち上がり、形のよい眉を顰めて怒鳴った。
「カズマっ! 私がここにいるのにそんな事……あんた馬鹿?!」
ちょっと待て。なんでシャルロット嬢にまで怒鳴られなきゃならないんだっ! 俺は真面目な話をしてるんだ!
「『そんな事』って何よ? 大体、貴族のお嬢様が何でカズマなんかと一緒に祭りに来てるわけ? お忍びだったら普通侍女とかでしょ?」
「そ、それは……色々あるのよっ! 色々とっ!」
ステラの指摘に、耳まで顔を染めて動揺するシャルロット嬢。
おいおい……何だか話がずれてるぞ。
「それはそうと。ステラ、何か忘れてないか?」
「何かって……何よ」
訝しげな表情をするステラに、俺はわざとらしく溜め息をついた。
「お嬢様に、あの酔っ払い達から助けてもらった礼、まだだろ? それとも、狼人は相手がヒトだったら、例え身を挺して自分を救ってくれた相手でも礼は言わなくていいと教わるのか?」
「そんな事あるわけないでしょっ?! 受けた恩義に種族は関係ないわ……もう、分かったわよ」
ステラは憮然と俺を睨んで小さく溜め息をつくと、ワンピースの裾を摘まみ、腰を落としてシャルロット嬢に令嬢の礼をした。
「……この度は危ないところを助けていただき、ありがとうました。シャルロット様」
「その慇懃過ぎる態度が気に入らないけど……まあ、いいわ。当然の事をしたまでよ。でも貴女、カズマの言うことは素直に聞くのね」
シャルロット嬢は苦笑して頭を降ると、ステラの顔をまじまじと見詰めた。
「それに、すごく綺麗なお辞儀……礼儀作法、誰かに習ったの?」
「……誰だっていいでしょ」
誉められて恥ずかしかったのか、ステラは顰めっ面を真っ赤にしてシャルロット嬢から顔を背けた。
「で? ステラは本当に一人なのか? その、ゲルルフって厳つい狼人は?」
「ゲルルフは居ないわ。夕方、出て行ったきりよ。今日は帰らないって言ってた」
俺の問いに、ステラは残りのジュースを飲み干しながら答える。
ゲルルフが……? 何だろう。ちょっと気になるな。
「何処に行くとも聞いてないのか」
「さあ。ただ、『今夜は帝都に近付くな』って言ってた……何でそんな事聞くの?」
訝しげに問い返すステラ。
『今夜は帝都に近付くな』と言ったのか。ゲルルフが? この祭りの事を言ったのか、それとも……
「そのゲル何とかって人に近付くなって言われてるのに、何であんた来たのよ。よりによって一人で」
「それは……昔はよく、お爺様やパパと一緒に来てたし。久々に覗いてみたくなったのよ」
なるほど。久々に父親の顔を見て、昔の思い出が懐かしくなったか。
「しょうがないな。じゃあ、俺達が一緒に見て回ってやろう」
「……えっ?!」
驚いたように目を丸くするステラ。
「ちょっ……カズマ、あんた何勝手に……!」
「……お嬢様は」
シャルロット嬢は抗議の声をあげるが、俺はその抗議を押さえるように彼女に声を掛ける。
「彼女をこのまま一人にできますか?」
「うっ……それは……」
俺の問いに、シャルロット嬢は言葉を詰まらせた。そして苦笑を浮かべながら何時ものように胸を突き出すように腕を組む。
「しょうがないわね……許してあげる」
「ありがとうございます」
「……このまま置いていっても良いのに。カズマ、あんた本当にお人好しの馬鹿ね」
ステラはそう言って呆れたように俺を見る。
「五月蝿い……お前は良くても、俺が後悔するんだよ」
「ま、いいわ。じゃあ、お祭りが終わるまでしっかり面倒見てよね? 『お兄ちゃん』」
ステラはそう言うと、俺のシャツの袖を握って微笑みを浮かべた。
『お兄ちゃん』って……そういや、そんな事も言ったな。
「あっ! ちょっと何よそれ……じゃあ、私はカズマの何よ」
シャルロット嬢が反対の袖を握って俺を睨む。
いや、『何よ』って言われても、確か『お嬢様と使用人』の設定でしたよね?
……まあ、ステラには『置いていったら俺が後悔する』と言ったが、彼女と一緒にいればクリフトさんが合流したあと、父娘二人で話をする時間も作れるだろう……という思惑もあったりする。
しかし、遅いな、クリフトさん。そろそろ来てくれないと……何してるんだろ?




