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第二話(仮) 『逃避行と白い夢』


 長い夢を見ていた。



 ふと目が覚めた俺は、妙な寝苦しさに呻きながら寝返りを打つ。その途端、全身を刺す痛みと鼻をつく草の匂いに頭の靄が一気に晴れた。


 っ!? この感覚には見覚えがある。


 学生時代牧場でバイトした時、興味本意で昔見たアニメの真似をして敷き藁に寝転がった事があったが、あのときの感覚と同じだ。


 しかし、敷き藁? 俺は家のベッドで寝ていたはず……


 慌てて身を起こし、周囲を見渡した俺は言葉を失った。


 何処かの小屋だろうか。暗い室内は壁の隙間から漏れる明かりにぼんやりと照らされている。


 床には藁が積まれ、壁には薪が積まれているようだ。どうやら倉庫らしい。


 だが……何でこんな場所に? まだ夢を見てるのか、それとも白昼夢か。


 やがて、目が闇に慣れたのか、微かな明かりに扉の輪郭が見える。


 ……どうする? いや、ここで頭を抱えていても何にもならないか。


 耳を澄ますと、壁の向こうから何か聞こえてきた。軽快なリズムのヨーロッパの民族音楽っぽい曲だ。


 音楽に混じって人のざわめきも聞こえてくる。何だろう。祭りか何かか?


 俺は藁の山から床……土が剥き出しになっているから土間か。兎に角地面に下りた俺は、服に付いた藁を払って扉に向かった。


 恐る恐る扉を開けた俺は、目の前に広がった光景に再び言葉を失う。


 そこにあったのは、一言で言えばレトロでアンティークな街並み。


 石積の建物が整然と並ぶ石畳の通りのあちこちで篝火が焚かれ、色とりどりのランタンが空に踊る。


 飲み屋と思われる建物の入り口にはビアジョッキを象った看板が下がり、店先のランプの下で酔いどれたオヤジ達が樽型のジョッキ片手に談笑しているのが見えた。


 店の中からは飲み屋独特の喧騒と、陽気で軽快な音楽が流れている。


 通りに並んだ露天からは、食欲をそそる香ばしい香りが漂い、客寄せの威勢のいい声が響く。


 道を歩く人々は老若男女皆、紅毛碧眼の西洋人。身に付けている服は洋画のファンタジーものでエキストラが着ているようなチュニックやワンピース……中には狼の頭を模した被り物を被っている人もいる。


 まるでファンタジー映画のワンシーンかハロウィンの仮装行列だが、完成度が高すぎて違和感が全くない。


 いや、違和感と言えば、ここには夜を煌々と照らすネオンサインも、アスファルトの道路を行き交う車の騒音も、ヘッドライトの明かりも……見慣れたものが全くなかった。


 それに、行き交う人々から漏れ聞こえる言葉も、酒場でオヤジ達が派手に笑いながら話す言葉も全く理解できない。聞いたことがない言葉だ。


 看板の文字も英語っぽいが初めて見る知らない言語だ。


 なんだ、ここは……?


 状況の変化に頭が追い付かず、俺は目眩を覚えた。兎に角少しでも見知った場所を探さねば。


 俺は意を決して人混みの中に入り込む。こういうときは堂々としていた方が逆に怪しまれないものだ。


 人の流れに任せてしばらく歩くと広場のような場所に出る。


 大きな噴水のあるその広場では、きらびやかな衣装を身に付けた女の人が楽器の演奏に合わせて踊り、筋肉質のおっさんが上半身裸で口から火を噴き出したりしていた。


 やけに賑やかだと思ったが、やはり何かお祭りの真っ最中らしい。


 と、雑踏を掻き分けて何かが俺にぶつかってきた。踊り子のダンスに気を取られていた俺は、突然の衝撃に倒れそうになる。


 「うをっ! すいませ……」


 反射的に謝り、ぶつかった相手を見て俺は一瞬言葉を失った……本日三度目だ。


 ぶつかってきた相手は女の子。年の頃は十七、八くらいか。綺麗な亜麻色の髪と澄んだ青い瞳が印象的な少女で、街の篝火の光に照らされたその姿はとても幻想的で美しい。


 目があった一瞬で、俺はその女の子から目が離せなくなってしまった。


 「あの……何か」


 少女が戸惑いの表情を浮かべて何かを言う……やはり言葉が分からない。でも、彼女の目は俺を思いきり警戒していた。


 不味い。不審者扱いされてしまう。


 俺が誤魔化そうと口を開いたその時、人混みを掻き分けて数人の男達が現れた。


 ざっと五人。揃いも揃って金髪碧眼。暗青色に金の縁取りをした詰め襟を身につけ、爽やかな微笑みを張り付けている。


 「漸く追い付きましたよ、お嬢様(フロイライン)。さあ、大人しく付いてきてください」


 「……いやっ!」


 五人の真ん中に立つ男が、少女に何かを呼び掛けて手を差し出す。


 彫りが深く鼻が高い。背丈も雑誌のモデルみたいに高く、白馬の王子様然とした美形だ。微笑みを浮かべてはいるが、目は全く笑っていない。


 男の呼び掛けに少女は首を振ると男から後退さった。交わされる言葉はわからなくても、彼女の表情や仕草から嫌がっているのが分かる。


 もしかして、彼女は彼等から逃げてきた? そして俺にぶつかって追い付かれたのか。


 「お嬢様(フロイライン)、我儘言って余り私達を困らせないでくれ……さあ」


 「……っ!!」


 男の声が低くなり、張り付けた微笑みが消える。その雰囲気の変化と男の鋭い目線に、少女は居竦まる。


 ……どうも雰囲気がヤバイ。話している言葉が分からないが、ただ事じゃない。


 他の四人は然り気無く俺達を囲むように動いているし、周りの通行人は祭りの喧騒に浮かれて気付いていないか、気付いても面倒を怖れて見ぬ振りをしている。


 言葉が分からないし、ここが何処かも分からない。そもそも夢か現実か。そんな状況で面倒事に巻き込まれるなんて絶対避けるべきだ。


 幸い、周りは祭りで混雑している。このまま他人の振りをして雑踏に紛れれば難を逃れらるだろう。


 ……が。それでいいのか? 否。ここで逃げたら男が(すた)る。


 詳しくは分からないが状況は間違いない。ならば、俺がすべきは決まっている。


 「すいません。俺の彼女にちょっかい出さないで下さいますか?」


 「……むっ?!」


 俺は男と少女の間に割って入り、なるべくにこやかに話しかける。相手は奇妙な表情を浮かべて少女から俺に気を逸らした。


 どうやら今まで俺が視界に入っていなかったらしい。しかし、なら好都合!


 「行こう」


 「……あ?!」


 俺は少女に声を掛けると、その白い手を取って走った。四人の男達の包囲が未完成なのは先程確認済みだ。


 「あっ! こら待て!!」


 後ろで男が何やら叫んでいるが、当然無視。そのまま少女の手を握って雑踏の中に飛び込む。


 俺の意図を察したのか、少女も俺の手を握り返し、はぐれないように身を寄せてきた。


 「あの……どうして? 貴方はいったい……」


 少女は戸惑いの表情を浮かべて何か俺に問い掛ける。でも、言わんとしている事は分かった。


 「詳しい事情は分からないけど、君が奴等に追われてるっぽかったから……迷惑だった?」


 「……?」


 やはり言葉が通じないのか、少女はキョトンとした表情で俺を見返した。


 しかし、改めてみると無茶苦茶可愛いな。


 手も柔らかいし……場の勢いとはいえ、手を握るなんて俺も大胆な事を。


 暫く雑踏に流されるようにして歩き、頃合いを見て少女を振り向く。


 「このまま人混みを行って、適当なお店に入ってやり過ごせば撒けると思うよ」


 「あ、あの……」


 俺の言葉を理解できない少女は、不安げに表情を曇らせる。俺は彼女の手を離すと、手を振って立ち去ろうとした。


 回りを見たらみんな金髪や赤毛や明るい茶髪。黒髪は俺しか居ない。いくら人混みでも目立つだろう。


 と、少女に背を向けた俺は、不意に腕を捕まれ引っ張られた。


 「彼等が近くまで追ってきています。まだ気付かれてないうちに!」


 「え? え?!」


 小声で鋭く呟く少女。彼女の目線を追うと、さっきの暗青色の詰襟が二人程周りを見渡しながらこっちに来ていた。


 逃げるなら一人の方がいいような気もするが……


 「さっきのお礼です。この街の事は私の方が詳しいですから、任せてください」


 少女はにっこり微笑むと、俺の腕を掴んだまま足を早めた。


 その先は人通りが少ない。出来ればこのまま人混みに紛れたいところだが……


 と、不意に嫌な予感を覚えた俺は、少女の腰に腕を回して強引に近くの建物の影に彼女を押し込んだ。


 「……なっ! 何を?!」


 驚き目を丸くする少女の唇に指を当て黙らせると、俺は彼女を隠すように覆い被さる。


 それから少ししたあと。


 「こっちに曲がったらしいぞ?」


 「……畜生。小娘風情が手間をかけさせるっ!」


 苛立たしげに言いながらさっきまで俺達がいた路地をあの詰襟二人組が駆け抜けていく。


 いや、危なかった。虫の知らせってやつか。


 「ごめん。ビックリさせて……でも危なかった」


 俺は大きく息をつくと、彼女から離れて頭を下げ、路地を確認する。


 「よし……行こう」


 「あ……っ! 待って」


 歩き出そうとした俺を引き留めるように、少女が俺の腕を掴んだ。


 俺は少女を振り向き、首を傾げてみせる。彼女は少し考えるような仕草をして、自分の胸に手を当てた。


 「……エリィ。私はエリィよ。貴方は?」


 ゆっくりと、噛んで含むようにそう言う少女。エリィ……自分の名前はエリィだ、そう言っているのか。


 俺は頷くと、彼女の真似をして自分の胸に手を当てる。


 「俺はカズマ……安心院 一馬だよ、エリィ」


 「アジム カズマ ? カズマ……」


 日本語の発音が難しいのか、エリィは口ごもりながら俺の名前を口にした。


 その表情が心なしか嬉しそうに見えたのは、気のせいか……?


 「居たぞっ! あいつら隠れてやがった!」


 その時、路地の奥から怒声が飛んできた。


 やべえ! 奴等、思ったより早く帰って来やがった!


 俺は舌打ちをすると、エリィの手を引いて路地から雑踏の中に駆け込む。


 「追えっ! 逃すんじゃない!」


 叫びながらすごい勢いで追ってくる男達。その内の一人が笛を鳴らした。甲高い音が祭りの喧騒を引き裂くように響く。


 ちぃっ! 仲間が来る前に奴等を撒かなきゃ


 俺とエリィは笛の音に何事かと立ち止まる人達を掻き分け、反対の路地に飛び込んだ。


 「カズマっ! 何処に逃げるの?!」


 息を切らしながら問うてくるエリィ。


 そう言えば俺はこの街を知らない。いま、自分がどこを走っているかも見当がつかない。


 ……不味いな。


 「居たぞ! 挟み込め!」


 俺の往く先、路地の出口から男の声。回り込まれた!?


 「カズマ! あそこから運河に出るわ! 船に乗れれば……!」


 エリィが近くの曲がり角を指差し何か叫ぶ。あそこを曲がれば何処に出るんだ?


 考える暇はないか!


 俺はエリィに頷くと、彼女の指した角を曲がって走る。


 追っ手は足音からして四人。残りが待ち伏せしていたとしても一人。できれば使いたくないが、親父から仕込まれた体術なら一人無力化するのにそう時間はかからない。


 あとは、この際ダンボールでいい。追っ手を遣り過ごすのに、どこか身を隠す場所があれば。


 だが。


 「残念でしたな。お嬢様(フロイライン)……おいかけっこはここまでですよ」


 路地を抜けた先に待っていたのは十人程の詰襟。彼等の中央であのモデル野郎がニヤリと口を歪めて笑っている。


 くそっ! 何てこった。人数が増えてやがる!


 俺はエリィを背後に庇い、モデル野郎を睨み付けた。


 「何だよお前らっ! 大の大人がそんな大勢で女の子を追い回して……恥ずかしくないのか!」


 「何を訳の分からない言葉を。しかし……その妙ななり(・・)といい、見慣れぬ髪色といい、貴様夷人(いじん)か? そうか。成程な」


 俺の言葉を無視し、男は何か企んでいるような厭らしい笑みを浮かべた。


 「騎士様、お願いします! 彼は関係ありません! もう逃げませんから、だから彼は見逃して下さい」


 エリィが俺の傍らに立って、男に何かを必死に訴える。だが、男は軽く肩を竦めるとスッと笑みを引いた。


 「エリザベート嬢フロイライン・エリザベート。貴女はもう逃げなくてもいい」


 「……え?」


 「『狼追いの夏祭り』の夜、不埒な夷人に美しい乙女が拐われ、抵抗むなしく陵辱される。偶然(・・)通り掛かった騎士(われわれ)が賊を斬るが、少女は憐れ惨殺された後だった……ああ、哀しいがよくある(・・・・)話だ」


 「な……っ!!」


 まるで詩でも朗読するような口調で語る男。意味は分からない。だが、彼の周りの男達が下卑な声で笑い、エリィの表情が凍りついている。


 碌でもない事を言っているのだろう。


 「じゃあ、それらしく(・・・・・)しますか?」


 「馬鹿が。そんな時間はないわ。やるなら後だよ……なあ、お嬢様(フロイライン)?」


 モデル野郎がニヤリと笑った、その時、俺の背後で気配が動く。


 前の連中のやり取りに気を取られていた俺は、その動きに気付くのが遅れた。


 「……エリィ! 逃げろっ!」


 「えっ?!」


 エリィが俺の声に振り向いた、その瞬間、男が彼女の口を背後から塞ぐ。


 「……んぐっ!? んふぅぅっ!!」


 くぐもったエリィの悲鳴。鈍い音。


 エリィは目を大きく見開き、体を仰け反らせた。塞がれた口許から赤い筋が流れ、彼女の服を汚す。


 少女は瞳をさ迷わせ、俺を視界に捉えると泣きそうな目をして震えた。


 一瞬の出来事。エリィが抵抗する間もなく、何が起こったかを俺が理解するより早く。


 男はエリィから離れ、解放された少女は石畳に崩れ落ちる。


 「エリィ?! エリィ!!」


 少女を抱き上げた腕に、ぬるりと温かな感触。腕を流れ、スラックスを濡らす鮮血に俺は震えた。


 「カ……ズ……マ」


 その時、エリィの唇が微かに俺の名を呟いて……彼女の瞳から光が消える。


 まさか……何故? 


 何で彼女が殺されなきゃならない?


 余りの衝撃に混乱する俺の耳元で、複数の金属が擦れる音が響いた。


 ……


 ……


 ……


 ……


 「あーあ、やっぱりダメだったね……悲劇的な結末は嫌いじゃないけど、悲劇は感動を呼んでこそ観客を惹き付ける。意味のないただの悲劇は観客を白けさせるだけだよ?」


 いつの間にか、視界が真っ白に染まっていた。


 全身の感覚が感じられない。ただ浮遊感だけが感覚としてある。


 そんな世界に響く若干の失望が混じった少年の言葉に、俺は舌打ちした。


 何が観客だ。ふざけやがって……あの娘の、エリィの死はそんなもんじゃない。


 「残念だけど、僕達(・・)が退屈だったからリセットだよ……今度はしっかり演じて見せてよ。くくく……っ!」


 喉を馴らすような不愉快な少年の笑い声。


 しっかり握った少女の手の温もりが、嬉しそうな笑顔が、流れる鮮血の感覚が消えていく。いや、俺の全てが白紙になって……

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