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第十五話 『語られる歴史とある狼人の夢』

 「はいはい、みんな並んで。スープはたっぷりあるからね」


 昼下がりの広場にご婦人方の声が響く。


 広場にはバルバ狼人居住地の子供達と老人達が続々と集まってきている。少なく見積もっても100人は居るだろうか。


 「一人につきスープ一杯とパン一つだよっ! 子供と老人だけだからね! 若いのは遠慮しとくれ」


 鍋から香るスープの匂いに釣られてきたのか、列に割り込もうとした中年の男性を、逞しい体格のおばちゃんが引き剥がすように連れ出すのが見える。


 ……国が変わってもおばちゃんは強いのだ。


 「はい、お婆ちゃん。パンは固いからしっかりふやかして食べてよ?」


 「ありがとう……こんなに暖かいスープは久しぶりに食べるよ」


 俺は老婆の差し出した椀にスープを注ぎ、切り分けたパンを添えて渡した。


 ライ麦の割合が多い混合パンは身がつまっている分日持ちがするが、あまり膨らまないので固い。


 だからスープでふやかさなければ食べられないのだ。


 元の世界(ふるさと)で食べていたような小麦の割合が多いふっくらしたパンは非常に高価で、それを毎朝食べられるのは貴族位なものだという。


 広場に集まった子供達は元気そうではあるが多くが痩せていて、老人達は皆何処か疲れた表情をしている。


 きっと毎日まともに食事をしていないのだろう。


 炊き出しの様子を見守る人達が複雑な表情で俺が食事を配るのを視界の隅に感じた。


 ……やはり、人間から施しを受ける事に抵抗を感じているのか。


 「次の方、はい、どうそ」


 俺は笑顔で次の老人の椀にスープを注ぎながら、クリフトさんの話を思い出した。


 ……


 ……


 ……


 ……


 「カズマ様には、この街の人々はどう見えますか?」


 「どう……って、言われても」


 クリフトさんに問われ、俺は答えに戸惑った。


 俺の目にこの街の人々がどう見えるか、か。難しいな。


 「ヒトに対して警戒心というか、苦手意識の様なものを抱いているように感じる以外は特に。子供達は元気ですし、ご婦人方も明るくて。普通にいい人達だと思いますよ」


 「そうですか」


 俺の側に腰掛けたクリフトさんは空を見上げ、流れる雲を見詰めながら続けた。


 「この街に限らず、狼人は『狼人(ハウド)の誇り』という呪縛に囚われています。その影響は今の若い世代に特に強い」


 「『狼人(ハウド)の誇り』という呪縛、ですか? それはどういう……」


 俺の問いに、クリフトさんは表情を曇らせる。


 「……長くてつまらない話になりますが」


 「はい」


 「かつて……我々狼人はこのシュテルハイムの地で大地の恵みと共に生きていました。しかし、この地を狙う帝国によって住む場所を脅かされたのです」


 この帝都の土地は元々狼人(ハウド)の国だったのか。


 「その時、先祖から受け継いだ土地と狼人(ハウド)の誇りを守るため、狼人(ハウド)の諸部族を束ねて帝国に抵抗したのが、神より銀狼(ズィルバー・ウォルフ)の名を与えられた狼人(ハウド)の戦士でした」


 戦士の名はグリエルモ。


 神託により銀狼(ズィルバー・ウォルフ)の名と共に、民を率いて沃野を守れとの使命を授けられたと訴えた彼は、それまでバラバラだった狼人(ハウド)諸部族をまとめ、帝国に抵抗した。


 その勢いは凄まじく、彼に率いられた狼人(ハウド)は帝国軍を大いに破り、寄せ付けなかったという。


 しかし、彼が部下の裏切りで捕らえられた事で狼人の同盟も瓦解。各部族は帝国軍により各個に撃ち破らた。


 そして狼人は土地を奪われ、帝国に支配されてしまうのだ。


 抵抗の末に敗れた狼人(ハウド)達は帝国によって家畜同然まで貶められた。狼人(ハウド)狩りが横行し、金銭で取引され、迫害や虐待で多くの狼人が命を落としたという。


 「その時から、『銀狼』の名は狼人(ハウド)にとって抵抗と民族の誇りの象徴となりました。そして、帝国への隷属を良しとしない人々は、銀狼を名乗る者を中心として度々叛乱を起こしたのです」


 「陛下は銀狼(ズィルバー・ウォルフ)を『誇り高き抵抗者』とも呼んでおられました。何故なのか分かりませんでしたが、そんな背景があったのですね」


 俺の言葉に、クリフトさんは小さく頷いて続けた。


 「頻発する叛乱に手を焼いた帝国は、各地に居住地を作り、そこに全ての狼人(ハウド)を強制的に移住させました。部族の繋がりを絶ち、監視をするためです。その代わり各居住地には自治を許し、狼人(ハウド)に臣民としての地位を与えて奴隷や家畜のように扱うことを禁じたのです」


 この『狼人(ハウド)解放の勅令』が発布されるまでを『反抗と動乱の百年』と呼ぶ。


 だが臣民として認められた後も、狼人(ハウド)に対する差別や迫害が根深く残った。


 狼人(ハウド)が生業としてきた狩猟は禁じられ、就ける職も人足のような肉体労働や農業しか認められなかった。


 貧しさと満たされない狼人(ハウド)としての誇り、人間に対する憎しみや反発、羨望といった複雑な感情は狼人(ハウド)達の中に澱のように溜まり続け、時が経つにつれ入り雑じって歪んだ形になっている……そう、クリフトさんは言う。


 「今朝のウィルギル達のように、人間そのものを憎み、狼人(ハウド)の領域から人間を排除しなければならない、そして奪われた土地と狼人(ハウド)の誇りを奪い返さなければならないと叫ぶ人々が増えているのです」


 「それが、『狼人(ハウド)の誇り』という呪縛、ですか」


 「ええ。そして、今の銀狼(ズィルバー・ウォルフ)はその呪縛を煽り、利用しようとしている」


 夏の爽やかな風が教会の庭を渡り、白い雲が緑の地面に影を落としながらゆったりと流れる。


 静かで穏やかな昼下がり。


 教会の厨房からはご婦人方(おばちゃんたち)の賑やかな談笑が漏れ聞こえる。


 「何故、そんな事を?」


 「さあ、そこまでは……しかし、かつての銀狼のように力による反抗だけでは真実の誇りは取り戻せない。私はそう思うのです」


 そう、力強い表情で語るクリフトさん。彼は強く握った手を見詰めながら一言一言確かめるように続けた。


 「刻の流れは、遡ることのない大河のように未来へと流れて行く。過ぎ去った刻に囚われ、後ろ(過去)だけを見詰めていては(未来)を見ることはできない。そして人は今日から明日にしか生きることは出来ないのだ……旦那様は私にそう教えてくださいました」


 クリフトさんはそっと目を伏せた。きっとその時の事を思い出しているんだろうけど……


 なんか『終わったことは何時までもクヨクヨ悩むな。ワシは過去に囚われぬ男なのじゃ』なんて得意気に高笑いする爺さんの姿が浮かぶ。


 「そして確信したのです。教育こそが狼人(ハウド)が過去ではなく、未来を見据えて生きるために必要だと」


 「教育……ですか?」


 何故教育が狼人(ハウド)が未来を見据えて生きるために必要なのか、俺はピンと来なかった。


 クリフトさんも俺の表情から察したのか、少し考えて俺の顔を真っ直ぐ見詰める。


 「字が読め、計算ができれば力に頼らずとも生きる事ができます。そして本を読み、知識を蓄える事ができる。知識があれば自分達の現状を知り、変えるにはどうしたら良いか考えることができます」


 ああ、そうか。


 俺は、産まれてから幼稚園、小学校、中学校と義務教育の階段を何の疑問もなく上がってきた。


 だから、字が読めないとか簡単な足し算引き算が出来ないなんて想像すら出来ない。だが、ここではそれが当たり前なんだ。


 知識があれば物事の正しさや誤りを判断できる。それはとても大切な事だ。


 「それに、知識の量は人脈の広さにつながり、人脈の広さは生きる上であらゆる事に恩恵をもたらします。それは人間も狼人も同じ筈です」


 強い意志の籠った目で俺を見詰めるクリフトさん。彼の言葉は、俺がこの国の言葉を学びたいと爺さんに訴えたとき、爺さんが俺に言った言葉だ。


 あの時は特に感銘を受けなかったけど、今ならわかる。


 「私は子供達に狼人(ハウド)の歴史と伝統を正しく伝え、子供達や若い狼人(ハウド)達に学びを通じて狼人(ハウド)としての誇りを持ちながら人間社会の中で生きる力と、将来を考える力を持って欲しいと思っているのです」


 クリフトさんはそう言って立ち上がると、遠い目をして空を見上げた。


 かつて向こう見ずな暴れ者だったと自分の事を言っていたクリフトさん。そんな彼を諭し、導いたあの言葉は、爺さんだから言えたんだろうな。


 三浪の苦学生は伊達じゃない。


 「過去は大切です。過去がなければ未来はないのですから。しかし、過去に囚われ未来を閉ざすことは許されません」


 「クリフトさん……」


 「……すいません。私ばかり……調子に乗って話し過ぎてしまいましたね。申し訳ありません」


 クリフトさんはハッとして自嘲気味に苦笑した。そんな彼に俺は慌てて頭を振る。


 「いえ。やっぱり凄いですよ、クリフトさんは。本当に先生みたいです。伝わればいいですね、クリフトさんの思い」


 「柄じゃありませんよ。身の丈に合わない夢だと、自分でも分かっているんですから。でも、少しでも伝われば……嬉しいですね」


 俺の言葉にクリフトさんは気恥ずかしそうに微笑みを浮かべた。


 ……


 ……


 ……


 ……


 気が付けば、いつの間にか空は薄く鉛色の雲に覆われていた。


 そう言えば、出掛ける前ベアトリクスさんが午後から天気が下り坂になるって言ってたな。


 日が陰ったら少し肌寒くなってきた。夏の盛りなのに……


 「人間のおじちゃん、スープとパンくれよ」


 「お腹ペコペコ。すごく美味しそう!」


 元気のいい声に見下ろすと、見たことがある子供が二人、両手で椀を抱えて突き出している。


 茶色い毛並みに黒い瞳。顔の周りがあの(・・)ネズミみたいな形で白い狼人と、濃い灰色で青い瞳、目の周りが白い狼人。


 確か……ダニーとディモ、だったか。どっちがダニーでどっちがディモかは分からないが。


 「よう。ダニーとディモ。言っとくが俺はまだおじちゃんじゃねぇぞ」


 「ははは。じゃあ兄ちゃん、早くスープくれよ」


 「はいはい。ったく。ほら、椀を寄越しな。えっと……」


 「ダニーだぜ! お兄ちゃん」


 黒い瞳をしたネズミ模様の方が得意気な顔で椀を突き出した。成る程、じゃあ、灰色の方がディモか。


 「元気がいいな。ほら」


 俺は苦笑しながらダニーの椀にスープを注いでパンを添えて渡し、すぐにディモの椀にも同じ量を注いでやった。


 たくさんの椀に目分量でほぼ同じ分量の汁物を注ぐ。某牛丼の全国チェーン店でのアルバイト経験が成せる技だ


 「パンは固いからな。慌てて食べるんじゃないぞ? 歯が折れるぜ」


 「俺の牙はそんなにヤワじゃないやいっ!」


 俺の冗談にダニーがニィっと牙を剥き出して笑う。


 と、その時ふと視線を感じ、俺は顔をあげた。


 広場の隅、建物の影から一人の少女がじっとこちらを窺っている。


 腰まで伸びた銀髪(シルバーブロンド)、遠目からでもよくわかる洋紅色(カーマイン)の瞳。髪から覗く三角の犬耳とゆらゆらと揺れる太くてしなやかな尻尾……


 彼女は……まさか。いや、あんな綺麗で特徴的な姿を見間違える筈がない。


 一年前、初めてこの国に来た俺が最初に出会った犬耳娘ーーもとい、半狼人(ハーフハウド)の少女で……クリフトさんの娘。


 確か、ステラだったか? バルバ居住地に住んでたのか?


 「そこの君、こっちにおいで! スープとパン、美味しいよ!」


 俺が少女に声を掛けると、少女の肩がピクリと震えた。急に声をかけてビックリさせちまったか。


 と、俺の声で少女に気付いたダニーが表情を歪めて、唸るように吐き捨てた。


 「ちぇっ……あいつ、ステラだぜ」


 「『混ざり者』のステラ? あ……ホントだ。どうしよう」


 ディモの怯えた声に、俺は眉を顰める。


 「『混ざり者』……って、なんだそりゃ」


 「良くわかんねぇけど、『はうどのちにヒトのちがまざったケガレモノ』って父ちゃんが言ってた」


「うん。僕のお父ちゃんも『みんぞくのほこりをけがすはじだ』って……意味はわからないけど……悪いものなんでしょ?」


 二人の言葉に、俺は心が重くなった。差別される側だって、別の誰かを差別しているんだ。


 『血の混ざった穢れ者』、『民族の誇りを汚す恥』か。二人の親は純血の狼人(ハウド)以外は同胞と認めていないのだろう。


 それは本人の考えだから俺がどうこう言うのは違う。でも、何も知らない子供に無用な偏見や大人の主義主張を刷り込むのは間違っている。


 ステラの方に目を移すと、彼女の姿は既に無かった。俺達に気付かれたから姿を隠したのか。


 「ダニー、ディモ」


 「なんだい? 兄ちゃん」


 俺は少年達の前地膝をついて目線を合わせると、二人の頭を撫でた。


 「大人の言うことはいつも正しい訳じゃない。特に他の誰かを悪く言うときはね」


 そう言って、俺は予備の椀にスープを注ぐと、パンを突っ込んで隣の列の配膳をしているクリフトさんに声をかけた。


 「すいません。クリフトさん……少し外します」


 クリフトさんは俺達のやり取りを見ていたらしい。小さく頷くと、なにも言わず俺からお玉を受け取る。


 「ステラを……よろしくお願いします」


 そう頭を下げるクリフトさんは、嬉しさと悲しみが混じったような複雑な顔をしていた。


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