第十四話 『長老と家庭料理』
土剥き出しの道を馬車が進む。
前方を先導するように、茶褐色の毛並みを持ったウィルギルが、左右の少し後方を彼の取り巻きの若者が距離を保ちながら歩いている。
監視する、とウィルギルは言っていたが、どっちかと言えば尾行だ。
街には煉瓦を積み重ねた簡素な建物が並んでいる。舗装されていない土剥き出しの道路は埃っぽいがゴミなどはなく、人通りも多い。
街を往く人々が全て狼人だということ以外は帝都郊外の街と変わらないように見える。
だが、道行く人々の間や建物の窓から敵意や警戒心が籠った、刺すような鋭い視線を感じた。
やはりこの街では人間は歓迎されないのだろう。
「カズマ様、あまり気になさらないでください。全てのヒトが狼人を憎んでいないように、狼人の全てがヒトを憎んでいるわけではありません」
俺が居住地の雰囲気に戸惑っていると感じたのか、クリフトさんはそう言って寂しげに微笑んだ。
「ありがとうございます。大丈夫です」
俺はクリフトさんに笑顔で答え、話ついでにさっき気になったことを聞いてみた。
「そういえば、さっき彼等がクリフトさんを『ギーゼルベルト』と呼んでいましたが、何ですか」
小声で問うた俺に、クリフトさんは少し言いにくそうな表情をする。
「『ギーゼルベルト・ベッカー』は私の本名です。今名乗っている名前は居住地の外で私が生きるために旦那様が付けてくださった名前なんです」
「つまり、偽名ですか?」
「申し訳ございません。カズマ様にはいつか話さねば、と思っていたのですが」
クリフトさんが申し訳なさそうに俺に頭を下げる。俺は慌てて頭を振った。
「そんな……謝らないで下さい。別に悪いことをしている訳じゃ無いんですから」
爺さんの名前もこの世界で生きるための偽名だからな。芸能人だって芸名と本名が別なんて当たり前だし。
しかし、クリフトさんが10年以上故郷の土を踏むことを躊躇い、名を変えなければ生きられないほど追い詰められた15年前の悲劇って、何があったんだろう……?
「あっ! 先生だっ!」
「ギーゼルベルト先生っ!」
ん? ギーゼルベルト先生……?
突然の元気な子供の声に振り向くと、狼人の子供が二人、馬車に駆け寄ってきた。クリフトさんは竜巻号の歩みを緩めて微笑みを浮かべる。
「やあ、ダニーとディモ。元気ですか?」
「うん! 元気だよ!」
「元気だよ!」
優しい声で子供たちに声を掛けるクリフトさんに、少年たちは元気な声で答える。
「ギーゼルベルト先生、今日は何しに来たの? また勉強教えてくれる?」
「今日は皆さんに美味しいご飯をご馳走しますよ。そうですね……時間があれば勉強しましょう」
「おおっ! 美味いメシを食わせてくれるのか? やたっ!」
「ご飯かぁ……楽しみだな。勉強する時間もあるといいなぁ」
クリフトさんの言葉に、ダニー少年は拳を握って飛び上がり、ディモ少年も嬉しそうに尻尾を振る。
そんな子供たちの様子にクリフトさんはにっこりと笑うと、トロンベに軽く鞭を入れた。
「では、私達は長老様の所に御挨拶に行きます。また後で会いましょう」
「終わったら遊びに来てよ!」
子供たちは手を振り、馬車が通りの角を曲がるまで見送っていた。
「人気者ですね。でも、なんで『先生』なんですか?」
俺の問いに、クリフトさんは肩を竦める。
「先生なんて言われるほどの事ではないんですが、仕事の合間に、子供たちに簡単な読み書きと算術を教えているんです」
「へえ……そんなことまでしてるんですか。やっぱり凄いですね。クリフトさんは」
俺の言葉に、クリフトさんは黙って自嘲気味な微笑みを浮かべた。
……
……
……
……
居住地を馬車でしばらく往くと、聖マリナの象徴である十字架が掲げられた教会と広場に出る。
広場の水場では、婦人達が洗濯をしているようだ。井戸端会議の賑やかな声が広場に響いている。
その片隅で、椅子に座ったくすんだ灰色の毛並みの狼人の老人が子供達に囲まれ、ナイフで何かを削っている。
「貴様らはここで待て。妙な動きはするなよ?」
ウィルギルはそう言うと老狼人の元に歩み寄っていく。
俺とクリフトさんも、馬車を降りて老人の様子を窺った。
よく見ると、老人が削っているものは竹蜻蛉のようだ。
「これでよし……見ておれ」
老狼人は削った羽根を軸に組むと、掌で回して竹蜻蛉を飛ばす。
竹蜻蛉は勢いよく空に舞い上がると、老人を囲んでいた子供達から歓声が上がった。
竹蜻蛉は風に乗って広場の奧に飛んで行く。それを子供達は元気な声を上げながら追いかけていった。
広場の向こうで竹蜻蛉を拾い、飛ばそうと苦戦している子供達の様子を微笑みを浮かべて見つめる老人に、ウィルギルが声をかける。
「長老、ギーゼルベルトが面会したいと来ております」
「……ほう、久しいな」
老狼人はそう言ってゆっくり振り向くと、物珍しそうに俺達を見た。
「ご無沙汰しております。ヨルク老……お元気そうで安心いたしました」
「ふん。歳は取ったが、若造に心配されるほど弱ってはおらぬ」
胸に手を当てて礼をするクリフトさんに、狼人の長老は少し不機嫌そうな表情で鼻を鳴らす。
この人がバルバ狼人居住地に住む狼人の長、ヨルク・アンダースか。
『長老』というからメアリム爺さんみたいな人を想像していたが、毛並みに白いものが混じっているものの、服から覗く二の腕や肩は筋肉で逞しく盛り上がっていて、体つきは壮年の狼人と変わらないように見える。
狼人は肉体的な歳を取らないんだろうか。
「……で? 今日は人間など連れて何をしに来た?」
ヨルク老が警戒心の込もった視線を俺に向けた。
さっきまでの優しい表情から一変。抜き身の刃物のような鋭い視線と、近寄りがたい圧迫感に、俺は身がすくみそうになる。
その時、メアリム爺さんの言葉が脳裏を過った。
ーー『恐れるな。目を逸らすな。蔑むな……狼人は誇り高き民。忘れるなよ』
俺は心の中で気合いを入れると、刃を正面から受ける気持ちで、老人の視線を真っ直ぐ見返した。
「この方はカズマ=アジム様。私と同じくイスターリ宮中伯家にお仕えてしております」
「イスターリ宮中伯……大賢者の。成程な」
そう言って頷くヨルク老の表情から威圧感と鋭さが消えた気がした。顔は相変わらず不機嫌そうだが……
俺はヨルク老の前に進み出ると、胸に手を当てて貴人に対する礼をする。
「初めて御目に掛かります。カズマ・アジムと申します」
「……ヨルクだ」
老はぶっきらぼうにそう言うと、『よいしょ』と唸りながら立ち上がり、側に控えるウィルギルとその取り巻きを一瞥する。
「ウィルギル」
「はい、長老」
「もうよい。下がれ」
ヨルク老の言葉にウィルギルは驚いた表情を浮かべる。
「しかし、長老をお一人にするわけには……」
「儂は何と言った?」
「……御意」
ヨルク老に睨まれたウィルギルは、渋々拳を胸に当てて頭を下げると手下を連れて広場を去っていく。
「……お主ら、居住地の入り口であやつらに絡まれたか」
「はい。以前はあのように物々しくは無かったと思いますが……何があったのですか?」
「銀狼に指嗾されたのよ。狼人の土地をヒトに穢されるな、とな」
クリフトさんの問いに、ヨルク老は渋面で吐き捨てるように答える。
それを聞いたクリフトさんは表情を曇らせて目を伏せた。
「そうですか。彼はまだそのような事を……」
『彼』?
クリフトさんは銀狼を知っているのか?
彼は帝都近郊の街道を荒らす盗賊じゃなかったか。
「しかし、カズマと言ったか? ヒトの身で狼人居住地の奧に入ろうなど、大賢者に似てお主も変わり者よな」
そう言ってヨルク老はからかうような笑みを浮かべる。俺は少しムッとして顔を顰めた。
「……いけませんか?」
「いや。お主が半端な気持ちでここに来たのではない事は、目を見れば分かる。しかし、狼人相手に真摯になれる人間は『変わり者』なのだよ……このご時世な」
ヨルク老は一瞬寂しげな表情を浮かべると、クリフトさんに視線を飛ばした。
「それで? 二人で随分な大荷物を牽いて何をする」
「子供達やお年寄りに温かい食事を振る舞いたいと思いまして」
「……ほう?」
荷車に歩み寄ったヨルク老は、積まれた木箱の中身を確認すると興味深そうに目を細めた。
「馬鈴薯に人参、玉葱にレンズ豆、それに干し肉……『農夫のスープ』か。悪くない」
「宜しければ、厨房と人手を御貸し願いたいのですが」
クリフトさんの言葉にヨルク老は軽く頷く。
「よかろう。教会の厨房を使うとよい。女どもにも声をかけよう。手は多いほどよかろう?」
そう言うと、ヨルク老は立派な馬鈴薯を片手に水場で世間話に花を咲かせているご婦人達の元に歩いていった。
「さて、カズマ様。食材を教会の厨房に運びましょうか」
クリフトさんはシャツの袖を捲り上げ、嬉しそうに笑った。
そうだな。色々気になることもあるけど、今はこの食材を美味しく調理して、あの子供達に振る舞ってやろう。
でも……アイントプフって、どんな料理なんだろう。
……
……
……
……
「へぇ、あんた、なかなかの包丁捌きだね。人は見掛けに依らないもんだ」
人参を刻む俺の手元を覗き込んだオバさーーご婦人が目を丸くして感心する。
ふふん。伊達に18歳で独り暮らしを始めてから25歳まで独り身の自炊生活してないぜ。
大手全国チェーンの居酒屋でキッチンスタッフとしてアルバイトしてた事もあるし、自慢じゃないけど魚だって三枚に下ろせますよ?
などと心の中で自慢しながら、俺は婦人に『ありがとうございます』と笑顔で答えた。
……独身の自炊生活が自慢になるかどうかは別だけどな。
あれからすぐ。
ヨルク老が声を掛けてくれたお陰で、居住地のご婦人方がすぐに教会に集まってきてくれて、てきぱきと炊き出しの準備をしてくれた。
最初はヒトである俺を見て眉を顰める人もいたが、俺の手際が思ったより良かったのと共同作業の連帯感で仲間として受け入れてくれたようだ。
今回作るのは『農夫のスープ』。
干し肉をレンズ豆や大きめに切った人参や馬鈴薯と一緒に煮込んだ、ポトフに似たこの国の家庭料理らしい。
いわば『お袋の味』だ。
「人参切り終わりましたけど、次何します?」
食べやすい大きさに乱切りした人参を木のボールに入れ、竈の前にいる婦人に声をかけた。
あれだけ沢山あった人参や玉葱、馬鈴薯は既に下拵えが済んでいる。
流石下町のおかみさん。手際がいいや。
「ああ、ありがとね。あとは煮込むだけだから、あたしらに任せて。あんたはスープができるまでクリフトと休んでなよ」
竈の前で世間話に花を咲かせていたご婦人達が俺を振り向いて笑いながらそう言ってくれた。
「はい。では、お言葉に甘えて」
ただ野菜を切るだけだが、数が数だけになかなか疲れた。バイトしていた頃の大量の下拵え作業を思い出したよ。
ご婦人方に『お疲れ様です!』と声をかけて厨房を出ると、教会の庭先でクリフトさんが竜巻号にブラシを掛けていた。
「おや、カズマ様。調理の方は良いのですか?」
俺に気付いたクリフトさんが、ブラシの手を止めて首を傾げる。俺は肩を竦めて苦笑した。
「あとは自分達でできるから大丈夫だと言われました。それにしても賑やかな方々ですね。ずっと喋ってましたよ」
俺は近くの切り株に腰を下ろし、伸びをした。陽射しが気持ちいい。暦の上では真夏だが、晩秋の日向の心地よさだ。
「そうですか。確かにご婦人方は話が尽きませんね……このような狭い街でよく話すことがあるものだと感心しますよ」
クリフトさんは俺の言葉に微笑みを浮かべて頷きながら、鼻水が垂れ始めたトロンベの鼻を布で拭う。
井戸端のおばちゃんの話好きはどの世界も同じらしい。
「女性が元気な街は良い街だ……と何処かで聞いたことがあります」
「……良い街、ですか」
何気なく言った俺の言葉に、トロンベの首筋を撫でていたクリフトさんの表情が曇った。
「カズマ様には、この街の人々はどう見えますか?」