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第十三話 『ヒトと狼人(ハウド)』

 「やあ、一年ぶりかな? 元気そうで何よりだよ。カズマ」


 深く、押し潰されそうな暗闇。


 その少年はその暗闇から浮き上がったように、仄かな光を纏って微笑みを浮かべていた。


 濡羽色の髪、透けるような白い肌。少女のように整った顔立ちに蒼と紅の異色眼(オッドアイ)


 「ヴォーダン……貴様っ!」


 舌打ちした俺は、頭の芯に走った鈍痛に眉を顰める。


 くそっ……こいつ。


 「言ったろう? この世界において、集合的無意識の欠片たる僕の意思はあらゆる意思より上位。君の意思は関係ない。拒絶しても無駄だよ」


 前髪を弄びながら厭らしい笑みを浮かべるヴォーダンに、俺は舌打ちをした。


 「ちっ……何をしに来た?」


 俺の問いに、ヴォーダンはいつの間にかそこにあったアンティーク調の椅子に腰掛け、足を組んで目を細める。


 「教えに来たのさ……もうすぐ幕が上がる。悲劇でも英雄譚でもない。喜劇(コメーッディエ)のね」


 「喜劇だと? 何を言っている? 何が起こるんだ?」


 まあ、あの苛つくにやけ面からして碌な事じゃないだろうが……


 「すぐに分かるよ。カズマ、この舞台で今度の君はどう踊ってくれるのかな? 楽しみにしているよ」


 何が『楽しみにしている』だ。何様だこのやろう!


 だが、俺の叫びは漆黒の闇に呑まれて消え……そして俺の意識も急速に薄れていくーー


 ……


 ……


 ……


 ……


 ……ま


 ……さま


 「カズマ様」


 「う……ん? おわっ!」


 クリフトさんの呼び声に意識が朧げに戻った瞬間、大きな突き上げが来て俺は慌てて飛び起きる。


 馬車から落ちそうになるのを必死にしがみついてこらえ、俺は安堵の溜め息をついた。


 ……死ぬかと思ったわ。


 野郎、ヴォーダン……次出てきたら一発ぶん殴ってやる。


 「大丈夫ですか? カズマ様。お疲れなのではないですか」


 隣で竜巻号(トロンベ)の手綱を握るクリフトさんが心配そうな顔で俺を見る。


 「大丈夫です。ちょっとふらっとなっただけですから」


 俺はクリフトさんを安心させるように笑いながら手をヒラヒラさせた。


 帝都シュテルハイム郊外。


 難攻不落と言われる巨大な城壁の外側には中層及び下層市民の街が広がっている。その西、運河を挟んだ一帯が、俺達が向かう貧民窟(スラム)なのだ。


 ……一体どんな場所なんだろうか。


 折角爺さんに休暇を貰って来たんだ。帝国(このくに)の影、この目で確かめなきゃな。


 ……


 ……


 ……


 ……


 「なんじゃと? 狼人居住地で炊き出しの手伝いをしたいから今日は休みたい?」


 「はい。クリフトさんにはお世話になってますし、何か手伝えればと思いまして」


 朝食を済ませた後。


 俺の申し出に、メアリム爺は手紙を書く手を止め、顔をあげて眉を顰めた。


 大小の何かわからない物が詰め込まれた老人の書斎。ガラスに濾過された朝の光が柔らかく照らすそこは、一見雑然としているようでまとまっている。


 ファンタジー小説を現実にしたような不思議な空間だ。


 古くどっしりとした木の事務机に肘をついて手を組んだメアリム爺はギロリと俺を睨んだ。


 「言っておくが、ヒトが義理やお節介な親切で軽々しくできることではないぞ?」


 「……義理やお節介でやろうなんて考えていませんよ」


 俺が少し憮然として言い返すと、メアリム爺は少し考えて溜め息をついた。


 「まあ、そろそろこの国の『影』を知るべき時期か……良かろう。許可する。勉強してこい」


 「ありがとうございます」


 この国の影……か。


 と、頭を下げて書斎を出ようとする俺に、メアリム爺が声を掛けた。


 「カズマ、ひとつ忠告じゃ。『恐れるな。目を逸らすな。蔑むな』。狼人(ハウド)は誇り高き民。忘れるなよ」


 ……


 ……


 ……


 ……


 「世を騒がせる『銀狼団』が今度は大商人アジッチの商隊が襲撃されたよ! 今回も派手に暴れて騎士団が来る前に雲隠れ! 事件の詳細はこれを読めばすぐわかるよっ! さあ、買った買った!」


 読売の売り子の威勢のいい声が朝の通りに響く。売り子の周りには既に人だかりができている。


 その脇をトロンベが牽く荷車がゆっくりと進む。


 銀狼団か。帝都周辺を荒らし回っている狼人の盗賊。


 確か、頭目は『銀狼(ズィルバー・ウォルフ)』とか言ったか。神出鬼没にして常に騎士団の裏をかき、決して正体を現さぬ『誇り高き抵抗者』。


 そう言えば……


 俺はふと、隣に座るクリフトさんの横顔を見た。


 ーー『あれは15年も前の話だ。だが、お主の執事と銀狼の繋がりを疑い、儂にあれこれ言う者がおるのは事実』


 陛下があのとき言っていた15年前、クリフトさんに何があったんだろうか。


「クリフトさん」


「……何でしょう」


手綱を握ったクリフトさんが俺を横目でちらと見る。


 15年前、何かあったんですか? ……とは流石に聞けないか。


 一瞬の逡巡の後、口を開いた。


 「クリフトさんは、何時からメアリム様に仕えているんですか?」


 俺の唐突な問いにクリフトさんは怪訝そうな表情をしたが、『そうですね』と応じてくれた。


 「もう15年になります……あの頃の私は、粗暴で向こう見ずな若者でした。ある日、私が起こした騒動が原因で、生まれ故郷の人々を悲劇に巻き込んでしまった」


 クリフトさんはそこまで言って言葉を切った。


 粗暴で向こう見ず……って、今のクリフトさんからは想像もできないな。


 少しの間無言だったクリフトさんは、竜巻号(トロンベ)に鞭を入れると遠くを見ながら再び口を開いた。


 「その事で自らを見失い、命すら捨てようとした私を、旦那様は救い導いて下さった……それからです。旦那様にお仕えしているのは」


 「そうなんですか……まさか、それからずっと炊き出しを?」


 俺の言葉にクリフトさんはゆっくりと頭を振る。


 「故郷の門をくぐる決意をしたのは5年くらい前です。それまでは近付く勇気すら持てなかった……でも、それからはずっと、故郷に償いをしています。まあ、自己満足なのですが」


クリフトさんはそう言うと自嘲の笑いを浮かべた。


 「そんなこと無いです。例え小さな事でも、故郷の為に頑張るってことはなかなかできることじゃありませんから」


 俺なんか、都会の大学に進学してからこっち、爺さんの葬式くらいしか地元に帰ってないし、思い出すこともあまり無い。


 ……まあ、帰ったところで、帰る家も出迎える家族も居やしないんだが。


 馬車は住宅地を抜け、運河沿いの道を行く。


 母なる大河ラーヌから水を引き、帝都を縦横に走る運河。その運河の支流の一本が貧民窟(スラム)と中層地区の境界となっていた。


 運河といっても広めの用水路のようなものだ。


 川幅のわりに水は少なく、おまけにゴミやヘドロが溜まって流れが澱んでいる。そのせいかドブのような嫌な臭いが辺りに漂っていて不愉快極まりない。


 運河の対岸に犇めく黒々としたバラックが貧民窟(スラム)だ。


 「カズマさま、居住地の入り口が見えてきました」


 クリフトさんが指差す先に、運河を渡る石橋が見えた。


 橋は馬車1台分の幅を空けて木製の拒馬きょばで封鎖されていて、『バルバ狼人居住地。許可無き者の立ち入りを禁じる』と書かれた立て札が立てられている。


 「……なんか、物々しいですね」


 俺の言葉に、クリフトさんは何も言わず拒馬の間に馬車を進ませた。


 拒馬を過ぎて石橋を渡ると、石畳の舗装が崩れて道が悪くなり、やがて土が剥き出しになった。


 それでも貧民窟(スラム)と違って粗末ながら煉瓦積みの家が連なっている。


 「なんか、今まで見えてた貧民窟(スラム)と雰囲気が違いますね」


 「元々、運河西岸の辺境地域には、バルバ狼人居住地しかなかったのです。というより、帝都の狼人はわずかな例外を除いてこの地以外に住むことを禁じられています」


 大きく揺れる馬車をうまく操りながら、クリフトさんが俺の言葉に答える。


 その例外というのはクリフトさんのような人々だろうか。


 「しかし、戦乱や飢饉が起きる度に、難民や住む場所を棄てた人々が帝都に流れ、運河西岸地域に住み着き始めました。彼等の集落は貧民窟(スラム)となって徐々に規模を拡大させ、狼人居住地(ふるさと)を飲み込もうとしているのです」


 そこまで言って、クリフトさんは手綱を引いて馬車を止めた。


 通りの向こうや建物の陰から狼人の男達が5人ほど現れ、こちらに近付いて来る。


 「やれやれ、本当に物々しいですね」


 クリフトさんは手に槍や鉈を持った彼等に苦笑いを浮かべた。


 狼人達は、馬車の前に立ち塞がると誰何の声をあげる。


 「そこの馬車、何しにここに来た?」


 「ギーゼルベルト、何故人間を連れてきた? ここは我等バルバの狼人(ハウド)の縄張りだ。人間は通す訳にはいかぬ」


 警戒心剥き出しでこちらを睨み付ける狼人達。後ろの男は弓に矢をつがえ、いつでも引けるように身構えている。


 ……こりゃ、物々しいなんてレベルじゃないな。


 「こちらはイスターリ宮中伯の家人カズマ=アジム殿です。本日は二人で居住地の方々に食事の振る舞いをするために参りました。通していただけないでしょうか?」


 彼等の警戒を和らげるためか、クリフトさんが柔らかな物腰で微笑みながら俺を紹介してくれた。


 「イスターリ宮中伯……?  大賢者様の付き人か」


 メアリム爺の名を聞いて、狼人達に動揺が走る。どうやら爺さんの悪名はここにも轟いているらしい。全く何やったんだか。


 と、近くの建物から二人の狼人(ハウド)を引き連れた大柄の狼人(ハウド)が出てきて、道を遮っている男達を睨み付けた。


 「何をやっている。さっさと追い払え」


 「ウィルギル、彼等は貴方の群れですか」


 ウィルギルと呼ばれた茶褐色の狼人(ハウド)は、クリフトさんを睨め上げると、傷跡の残る眉間に皺を寄せた。


 「……ギーゼルベルトか。聞いた通りだ。今、居住地(なわばり)に人間を入れるわけにはいかん。その男を置いてゆけ」


 「それはできません。カズマ様は私の助手として来ているのです……疑うなら荷を改めてください」


 クリフトさんはさっきまでの柔らかい物腰を一変させ、鋭くウィルギルを睨み付ける。


 暫く睨み合っていた二人だが、ウィルギルの方が根負けしたように舌打ちして目を逸らした。


 「ふん。今回は貴様に免じて通してやる。ただし、長老の元まで監視させてもらう」


 「……構いません」


 クリフトさんの答えにウィルギルは厳しい表情で頷くと、それを合図に狼人(ハウド)達が道を開ける。


 去り際、彼等の鋭い視線が俺に刺さった。成程、爺さんが『ヒトが義理やお節介な親切で軽々しくできることではない』と言った訳が分かった気がする。


 ここでは人間は招かれざる者なんだな。



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