第十二話 『本気のお嬢様と夏の約束』
「始める前に約束して」
シャルロット嬢はグローブを嵌めながら真っ直ぐ俺を見据えた。
「何でしょう? お嬢様」
屋敷の庭。陽は既に高く上がっている。
俺とシャルロット嬢はメアリム老とベアトリクスさんが見守るなか、細剣を手に対峙していた。
「『どうせお嬢様のお遊びだろう』とか、『ワザと負けてお嬢様を喜ばせよう』とか、そんな気持ちで私の剣を受けないで。そんな事したら……絶対許さないから」
お嬢様は真剣な表情でそう言うと、細剣を構えた。
ああ、何となく分かった。
多分、彼女は今まで色々な人に試合を挑み、その度に、『お嬢様の遊戯』と軽くあしらわれたり、じゃじゃ馬の戯れ言と嘲笑われたりしたんだろう。
勝負を受けても、伯爵令嬢が相手だからと皆、手加減や手抜きをして、彼女は本気で剣を振るう機会すら無かったかもしれない。
……お嬢様が俺に勝負を挑んだのは、あの夜俺が、相手が貴族でも臆せず挑み、打ち負かしたから。
本気で剣を交わし合える相手を求めるなら……いいだろう。受けて立とうじゃないか。
俺は鞘から細剣を抜くと、シャルロット嬢に切っ先を向けた。
「分かっていますよ。その代わり、お嬢様も本気で来てください」
「……っ! 言われなくても!」
立会人兼救護班を務めてくれるベアトリクスさんがスッと手を上げた。
「では……構えっ! 」
俺とお嬢様、二人とも護拳を顔の前に持ってきて決闘の礼を交わすと、互いに剣の切っ先を触れ合わせる。
二人を包むチリチリと粟立つような緊迫感。
互いの得物はクリフトさんから借りた訓練用の細剣。刃が潰してあるとはいっても鋼の棒で殴りあうのだ。
出来ればシャルロット嬢に怪我はさせたくない。が……それでは彼女を裏切る事になる。
少しの沈黙のあと、その瞬間は突然やって来た。
「始めっ!」
「いやぁっ!!」
ベアトリクスさんの号令が響いた刹那、シャルロット嬢が低い体勢から一気に細剣を突き上げて来る。
狙いは……喉元っ?!
「ちぃっ!」
思った以上にキレのある刺突に、回避が僅かに遅れる。何とか体を捻って細剣を弾きはしたが、俺の体勢も崩れた。
シャルロット嬢はそれを見逃さず続けざまに剣を振るう。
首筋、籠手、腿と急所を正確に突いてくる斬撃に、俺は冷や汗をかいた。
それに、斬撃に込められた気迫……お嬢様の遊戯なんてものじゃない。
成程っ! 心配しなくても加減の必要はないなっ!
「なかなかっ!」
「甘く見ないでっ! まだ行くわ!」
細剣が風を切る音と鋼がぶつかる冴えた金属音が断続的に響く。
言うだけあって、お嬢様はかなり強い。鋭さ、速さはルーファスに及ばないが、剣に伸びがある。だが、攻撃が単調で剣閃が素直だ。
最初の一撃は吃驚して後手に回ったが、リズムを取り戻してからは危なげなくお嬢様の剣を捌くことができる。
逆に、シャルロット嬢の表情には焦りの色が滲み始めた。
攻撃が届かず苛立っているな。剣を通じて感情が伝わってくる。
と、シャルロット嬢が仕掛けてきた。間合いに飛び込んで突きを放ってくる。俺はそれを跳ね上げると、そのまま鍔迫り合いに持ち込んだ。
「最初から急所狙いとは、随分えげつない攻撃をなさりますね……っ! お嬢様?」
「女ですもの……力や体力では男に敵わないから、早々に決めないと……でしょ?!」
「……成程。道理ですねっ!」
俺は飛び退って間合いを取ると、細剣の切っ先を下に向けて構えた。剣道で言う下段の構えだ。
「やあぁっ!」
好機と見たのか、シャルロット嬢は再び下から喉を抉るような突き上げを放ってくる。
だが、甘い。誘いに食い付いたな?! お嬢様!
「ふッ!」
「つぅっ?!」
俺は下段から一気に剣を振り上げてシャルロット嬢の細剣を弾き、手首を返して剣の腹で彼女の右腿を強く打ち据える。
「あうっ!」
呻き声を上げて膝を突いた彼女の細く白い首筋に俺は細剣の刃を添えた。
「詰みです。お嬢様」
俺の言葉に、シャルロット嬢は一瞬悔しそうに唇を噛み締め、肩を落として苦笑を浮かべた。
「……やっぱり強いな。カズマは。でも、本当に全く容赦しないわね」
「ええ。『真摯な剣には真摯な思いで応えよ』と師に教わりましたから」
俺は彼女の言葉にそう答えると、剣を引いて手を差し出した。
シャルロット嬢は一瞬驚いたように俺の顔と手を見詰め、やがて頬を朱に染めて目を逸らす。
「なんで、そんなにいちいち格好いいのよ……全く」
彼女は俺の手を取り立ち上がると、晴れやかな表情をして微笑みを浮かべた。
その時、ベアトリクスさんがグラスに注いだ水をシャルロット嬢に差し出す。
「シャルロットお嬢様、お水をお持ちしました。あと、おみ足の怪我を治療しますね」
「いいわよ。これくらい……骨が折れた訳じゃないし」
そう笑って、シャルロット嬢はベアトリクスさんから受け取ったグラスの水を腰に手を当て一気にあおる。
「うーんっ! やっぱり運動の後の冷たい水は最高の贅沢よねっ!」
「お嬢様、放っておくと痣になって痕が残ります。治癒魔法を施しますから、こちらに」
苦笑いを浮かべてベアトリクスさんがシャルロット嬢を促す。少女は仕方なさそうにベアトリクスさんに連れられて行った。
……やれやれ。
シャルロット嬢の後ろ姿を見送りながら髪を掻く俺の頭を、メアリム老が突然杖で小突く。
「てっ! ……何するんです」
「全く……色男が。そろそろブルヒアルト家の使いがシャルロット嬢を迎えに来る頃じゃ。お見送りして差し上げろ」
メアリム爺はそう言って片目を瞑って屋敷に戻っていった。
なんだよ……思わせ振りな。
メアリム老の言う通り、それから暫くしてブルヒアルト家の使いがシャルロット嬢を迎えに来た。
どうやら伯爵家の方でも軽い騒ぎになっていたようだ。迎えに来た人達の中の、いかにも偉そうな女性がシャルロット嬢に何やら小言をいっていた。
まあ、屋敷を黙って抜け出し、家の人に心配を掛けたのだから当然だ。
「カズマ……ちょっといい?」
暫くして、玄関で待っている俺の所にシャルロット嬢が駆け寄ってきた。
「今日は……その、私を受け止めてくれて……ありがとう」
「どういたしまして」
顔を耳まで朱に染めて、モジモジしながらしおらしい事を言う伯爵令嬢。俺は苦笑して、少し大袈裟な仕草で胸を手を当てて一礼する。
「もう。茶化さないで。私は真面目なんだから……それに、ごめんね。我儘に付き合わせて」
シャルロット嬢は少しムッとしたが、すぐに済まなそうに微笑んだ。そして少し考えて、小首を傾げて俺に問う。
「ねえ、カズマ。獅子月の25日って、空いてる?」
「獅子月の25日? 特には……何かあるのですか?」
今の俺は、アルバイトで一週間の予定がほぼ埋まっていたあの頃と違い、日々の日課以外はほぼフリーだ。
しかし、その日に何があるか思い浮かばないな。
と、シャルロット嬢は腰に手を当ててわざとらしい溜め息をつくと、ジト目で俺を睨む。
「呆れた、知らないの? 『狼追いの夏祭り』がある日よ」
「『狼追いの夏祭り』……そう言えば、そうでしたね」
言われればそんな祭りがあったような気がする。
一年前の今頃は言葉を勉強したり、この国の風土に慣れるのに一生懸命で、屋敷の外の世界に意識を向ける暇がなかったからな。
「カズマ、その……暇だったらさ、私の我儘を聞いてくれたお礼に、お祭りに一緒に行ってあげる!」
「え? 行って『あげる』って……」
自己主張が過ぎる胸を突き出してにっこり微笑むシャルロット嬢に俺は戸惑った。
普通の男女なら夏祭りデートの誘いだが、伯爵令嬢がただの家人に言うとなると意味合いが違ってくる。
「それって、俺にお嬢様の祭り見物に付き合えって事ですか……」
「……じゃあね。また、顔出すわ……その、ここのメイドが淹れる紅茶、美味しいから。祭りに行くの、忘れないでよ? 約束よっ!?」
シャルロット嬢は俺の問い掛けを聞く素振りも見せずに早口ぎみにそう言うと、クルリと踵を返して迎えの人達が待つ屋敷の外に駆けていく。
「ちょっ……シャルロット」
その背中を呼び止めるが、彼女の姿は伯爵家の人達に囲まれて見えなくなった。
ああ……行っちまった。
シャルロット嬢か……嵐のようなお嬢様だったな。
……
……
……
……
シャルロット嬢がやって来た嵐のような日の翌日。
朝の素振りを終えた俺は、クリフトさんが馬小屋の前で荷車に何やら積み込んでいるのを見掛けた。
「クリフトさん、こんなに朝早くからお仕事ですか?」
俺が声を掛けると、クリフトさんは俺を振り向いてタオルで汗を拭う。
「これはカズマ様、おはようございます。これは仕事ではありませんよ。まあ、趣味みたいなもので」
そう言って笑う彼は、いつものビシッとした燕尾服ではなく、ラフなシャツにズボン姿だ。
城でクリフトさんに彼の娘ーーステラの話をして以来、クリフトさんは俺にとても親しく接してくれる。
口調は変わらず丁寧だけど、前は一線引いた感じだった。本人は何も言わないけど、やっぱり何か疑われていたんだろうな。
思い切って話して良かった。
「趣味……ですか?」
荷車には既に大きな寸胴に似た鍋や大量の薪、水が入った木樽が積まれている。他には人参や馬鈴薯に似た野菜、そして干し肉の塊が入った木箱が数個。
まだ積まれていない樽や木箱も沢山有る。趣味、と言ってもキャンプにしては大袈裟だな。
「大変ですね……手伝いましょうか」
「それは有り難いですが……」
クリフトさんは少し困った表情で地面に積み上げられた木箱を見た。
「大丈夫ですよ。これくらい。故郷ではこの手の仕事もやってましたから」
「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えて。そこの野菜の木箱を荷台に積んでくれますか?」
俺は野菜の詰まった木箱を荷車に積みながら聞いてみる。大丈夫とは言ったが、なかなか重い。
重い荷物を扱うのは引っ越しのアルバイトで慣れているが、馬鈴薯満載の木箱は初めてだ。
「これだけの食材……どこかで振る舞いでもするんですか?」
「振る舞い……そうですね。私が生まれ育った街で皆さんが日々の食べ物を買えずに困っていると聞いたので、栄養のあるものを食べてもらおうと思いまして」
「へえ……」
日々の食事にも事欠くほど困窮している街の人々に食べ物を振る舞う……つまり『炊き出し』ってやつか。
「そう言えば、クリフトさんが生まれ育った街って何処ですか?」
「貧民窟の一角にあるバルバ狼人居住地です」
俺の問いに、クリフトさんが少し寂しげな顔で答えた。
彼の話し振りから普通の街では無いだろうとは思ったが……貧民窟か。
クリフトさんにはお世話になっているし、俺が出来ることは無いだろうか。
「クリフトさん、それ、俺にも手伝わせて下さい」
俺の言葉に、クリフトさんは意外そうな表情で俺を見た。




