第十話 『皇帝と宮中伯』
「急に呼び出して済まなかったな。メアリム」
「いえ。このメアリム、陛下の御召しなら地の果てまで駆け付ける所存ですので」
「はははっ! よく言うわ」
ヴェスト城の宮廷と宮殿の間にある陛下の書斎。そこで行われた私的な謁見に、俺もイスターリ宮中伯の従者として同席を許されていた。
白を基調にした、落ち着いた雰囲気の書斎。その中央に据えられた革張りのソファーに座った男性は、メアリム老人の言葉に豪快に笑った。
白髪混じりの太い眉と鷹のような鋭い目付き、骨太でがっちりした体躯をした壮年の男性。
……オスデニア帝国、第十六代皇帝ジムクント。
彼は厳しい闘争の世界に生きてきた権力者がもつ独特のオーラを漂わせている。顔には笑っていてもいつ牙を剥いてくるかわからない凄みがあり、迂闊に踏み込ませない風格が内面から滲み出ていた。
書斎の隅で控える俺は、初めて出会う陛下の威圧感に、胃が縮こまるような感覚を覚えた。
……これが皇帝か。
「実は少々困った事になってな」
陛下はそこで言葉を切り、ソファから立ち上がると窓際に立った。
「この者が卿言っていた『新しい家族』か?」
ジムクント帝は俺を横目で見て笑う。皮肉げでも、嘲りでもない、素直で優しい笑顔。
厳つい顔が優しく笑うと、これ程までに印象的なんだな。俺はその笑顔を見てそう思った。
「さて、そんな事を言いましたかな」
ぶっきらぼうに答えるメアリム老人にジムクント帝は肩を竦めて苦笑する。
「そこの者、名は」
「はっ……カズマ・アジムと申します」
「面を上げよ」
陛下に直に命じられ、俺は恐る恐る顔をあげる。一瞬陛下と目が絡んだ。
「ふむ。良い顔だ。先日のブルヒアルト伯の夜会では活躍だったようだな」
陛下は口の端を歪めて笑うと、何かを納得したように頷いた。
「畏れ多い事です」
……何てこった。あの騒動、既に陛下の耳に入っているのか。
何故俺のような者が謁見を許されたのか不思議だったが、成程な。
「カズマよ。イスターリ宮中伯はこう見えて何かと気苦労が多い。側にあり、支えるように」
「はっ!」
陛下の言葉に、俺は深く頭を下げた。
宮中伯、しかも皇帝の相談役となれば苦労も多いだろう。先日聞いた派閥の件もある……でも、爺さんはそう言った面倒をどこか楽しんでいるようにも見える。
この爺さんには、それ以外の部分ーー日常生活とか、仕事以外の部分の支援が必要だ。何たってもう歳だからな。
「さてメアリム……『銀狼』は知っておるな」
「……よく存じております」
今までと打って変わって低く、重みのある声で問う陛下に、メアリム老人は表情を厳しくする。
『銀狼』? 中学二年生を拗らせた何かか?
「かつて帝都を騒がせた『銀狼団』と同じ名を名乗り、不逞の狼人を集めて帝都に品を運ぶ商隊を襲っている盗賊ですな……奴がどうかしましたか」
そんな事があっていたのか。
故郷と違い、テレビもスマホも無いから帝都の外の情報は直ぐに届かない。
瓦版みたいな新聞のはしりみたいなのはあるが、帝都の外の事は伝聞情報なので信頼性もあまり高くない。
爺さんは職務上、屋敷で仕事の話はしないからな。
「お主の読み通りじゃ。討伐に手子摺る間に、各地の居住区を脱走した狼人を吸収し急激に力を増しておる。やはり、『誇り高き抵抗者』銀狼の名は伊達ではないわ。しかも、神出鬼没にして必ず我が騎士団の裏をかいてくる……あれだけ派手に暴れていながら、尻尾の先ほども正体を見せぬとは、恐ろしい奴よ」
「陛下は……我が家の者を疑っておられますか?」
ギロリ、とメアリム老人が陛下の背中を睨む。帝は『まさか』と苦笑いを浮かべると、ソファに戻った。
「あれは15年も前の話だ。だが、お主の執事と銀狼の繋がりを疑い、儂にあれこれ言う者がおるのは事実」
「……全く迷惑な話ですな」
陛下の言葉に、メアリム老人は憤然として吐き捨てた。
メアリム老人を快く思わない人々にとって、帝室に仕え、身近に狼人を置いている老人の状況は格好の攻撃材料なのだろう。
勿論、クリフトさんが盗賊と繋がっているなんて、そんな事があるわけがない。
しかし、さっき陛下が言った『15年前』というのは気になる。一体何があったんだろうか。
「気を付けよ。銀狼もそうだが、貴族どもも妙にざわついておる。今の儂はなかなか表立って動けぬ……こうやって個人的に忠告するのが精一杯だ。済まぬな」
「勿体無いお言葉。お心遣い、感謝申し上げます」
陛下の言葉にメアリム老人は深く頭を下げた。
「メアリム様、よろしいですか?」
謁見を終えた後、宮殿の廊下で俺はメアリム老人に声を掛けた。
「なんじゃ」
「15年前、何があったのですか?」
俺の問いに、老人は足を止めて俺を横目で見る。
「聞いておったのか……地獄耳め」
「すいません」
メアリム老人は溜め息をつくと、表情を厳しくした。
「……今は話せぬ」
「メアリム様、でも……」
「そうじゃ、カズマよ。折角城に来たのじゃから、ちと見物していけ。次はいつ来られるかわからんぞ?」
メアリム老人は俺の言葉を遮るように言った。この話題は時と場所を選ぶってことか。『今は』って事は時が来たら話してくれるんだろうか。
「メアリム様は?」
「ワシは色々と仕事があるのじゃ。当たり前のことを聞くでないわ」
メアリム老人は鞄の中からペンダントを取り出すと、俺に渡した。
ペンダントのトップには、一本の大樹の周りを飛ぶ二羽の渡鴉が刻まれたメダルが嵌められている。
メアリム老人の馬車に描かれている紋様と同じだ。
「これは?」
「帝より下賜されたイスターリ宮中伯家の紋章じゃ。それを身に付けていればイスターリ家の者かその関係者だと証明できる。ちょうどよい機会じゃ。それはお主にやる……大事にせよ」
言うが早いか、メアリム老人はさっさと廊下を歩いていってしまった。
……忙しい人だ。まったく。
ーー艶やかなるヴェストの薔薇。その白き御肌は舞い踊る妖精の如く。まさに楽土なりーー
オスデニアを代表する詩人、ヴォンテールはヴェスト城の美しさを、舞い踊る可憐な妖精に例え、『天上楽土』と評した。
とまあ、メアリム老人の授業内容を反芻しながら城の廊下を歩いているわけだが、辺りを見渡しながらぶらぶらするのも楽しい。
アーチで構成された廊下は天井が高く、窓も大きくて明るい。だが、壁に掛けられた大きな風景画や皇族などの人物画、壁や天井に施された細緻なレリーフが重厚な雰囲気を醸している。
その景色は写真やテレビの旅番組で見た欧州の城そのものだ。しかし、当然のことながら案内看板や全体図なんてものは無いから、下手にうろつこうものなら迷子になってしまう。
「ん?」
先ずは入り口に帰らねば……と、記憶をたどりつつ廊下を進み、何ヵ所目かの十字路を曲がったところで、俺はふと足を止めた。
クリフトさんの後ろ姿が廊下の奥に見えたのだ。
「クリフトさんっ!」
「……? ああ、カズマ様」
声を掛けて駆け寄るとクリフトさんは振り向いて小首を傾げた。
「旦那様とご一緒だったのでは?」
「メアリム様はお仕事があるからと宮廷の方へ行かれました。俺は城を見学していけと言われたのですが……」
「そうですか」
クリフトさんはにっこり笑って頷くと少し考えて言った。
「宜しければ一緒に来ませんか? 面白味は無いかもしれませんが……」
クリフトさんの後について一旦城の外に出る。
城壁に囲まれた細い曲がり角を何回か曲がり、石造りの門をくぐった俺は思わず立ち止って歓声をあげた。
「うわぁ……すげぇな」
狭い路地から一気に視界が開ける。そこは城の波止場になっていて、荷物を積んだ船が多く停泊し、多くの人で活気に溢れていた。
「城で使う物資は、帝都からこうやって船で運び込まれるのです。橋を馬車で運ぶより大量の物資をいっぺんに運べますから」
「へぇ……」
クリフトさんが対岸を指差してそう教えてくれた。
確かに船で運んだ方が効率がいいし、海と違って湖なら余程嵐でもない限り荒れないから安定して物資を運べる。
船着き場では多くの人が行き来していた。
船から布袋や木の箱を下ろす人、それを奥の大きな門のところまで運ぶ人、運び込まれた荷物を帳簿でチェックする人……どうやら届いた荷物の運び込みをしているようだ。
そこで働く人々を見て、俺はふとあることに気付いた。
力仕事の人足は皆狼人だ。人間は一人もいない。
逆に現場の監督や荷物のチェックをしている役人は皆人間だ。
人足の作業はみんな手仕事で、当然ながらフォークリフトのような作業機械は見えない。
宅配の集積所でアルバイトを経験したから分かるが、あれを人の手だけでやるのはかなりの重労働だ。しかし、彼らは表情ひとつ変えず声を掛け合いながら仕事をこなしている。
「狼人は人間に比べると腕力や体格、体力に優れています。また、種の特性として協調性に優れているので皆で協力して作業をするのが得意なのですよ」
「成程」
確かに、人足として働く狼人達の肉体は人間より一回り大きく、皆逞しい。仕事の息もぴったりで無駄がない。
「しかし、それは肉体労働以外の仕事を与えられないという事にもなるのですが……」
「……え?」
そう、独り言のように呟くクリフトさんの表情はどこか辛そうだ。と、荷物運びの人足達に号令がかかり、作業が止まる。
どうやら休憩時間に入ったらしい。
「カズマ様、すいませんが、少し待っていていただけますか?」
人足が休憩に入るのを待っていたように、クリフトさんが彼らのもとに駆け寄っていく。
汗を拭い、体を休める狼人の人足達に水を注いで回りながら、クリフトさんは何やら話をしているようだった。
暫くして、少し落胆した表情でクリフトさんが戻ってきた。
「何を話しておられたんです?」
俺の問い掛けに、クリフトさんはちょっとだけ迷い、直ぐに自嘲的な笑みを浮かべて答えてくれた。
「娘の消息を知っているものが居ないか、聞いていたのです」
「……む、娘?」
予想の斜め上をいく答えに、俺は思わず素っ頓狂な声をあげる。
「……って、クリフトさん子供が居たんですか? 知らなかった。ずっと独り身かと」
「妻は……娘を産んでしばらく後に亡くなり居ないのです。娘は今年で15になるのですが、昨年家を飛び出したまま行方知れずで」
うっ……思ったより重い話だな。でも、飛び出したのが昨年って……
「俺がここに来る前ですか」
クリフトさんは俺の言葉に頷いて、寂しげに笑った。
「我々狼人の成人は15歳。独り立ちしてもおかしくはないのですが……男手ひとつで育てたためか、少々世間知らずのお転婆で……私は仕事柄娘を探し回る訳にはいかないので、こうやって度々他所の狼人から情報を聞いているのです」
「わかります。15歳ってまだ子供ですし、女の子なら尚更ですよ……」
15歳の狼人の女の子。クリフトさんの娘なら毛並みは銀色に近い灰色かな?
……ん? 待てよ。
そこまで考えて、俺の脳裏に一人の女の子が過った。特徴は合致する。でも、彼女は……
「クリフトさん、狼人の女性って……どんな感じです?」
「狼人は男性も女性も外見に大きな違いはありません。体格が人間の女性よりガッチリしているくらいで……でも、私の娘はヒトの血が強く出ているハーフですから……」
「……ヒトの女の子に狼の耳と尻尾が生えてる感じですか?」
「ええ……娘のステラは妻によく似ているんですよ。特に瞳は妻譲りの綺麗な洋紅色で……」
語りながら娘の顔を思い出したのか、クリフトさんの口許が弛む。これは可愛い娘の自慢をするときの親父の顔だ。
って、そんな問題じゃねえ。
「クリフトさん、すいません」
俺は取り敢えずクリフトさんに頭を下げた。
「カズマ様? 突然何をなさるのです?!」
「いえ……実は……」
俺はクリフトさんに、この国に来た時の事を搔い摘んで話した。
「そうですか。ステラが……」
クリフトさんは俺の話を黙って聞いていたが、話が終わると深く溜め息をついて肩を落とす。
そりゃ、家出した娘と擦れ違いだったと聞けば気落ちするよな……
「人狼混血の子は人間にも狼人にも快く迎え入れてもらえません。ですから、人間不振に陥っているのかも知れませんね……あれは純粋な娘ですから」
「すいません。クリフトさん」
頭を下げる俺に、クリフトさんは微笑みを浮かべてゆっくり頭を振る。
「貴方はなにも悪くありませんよ。カズマ様はステラの身を、体を張って守って下さったんです。逆に私がお礼を言わなければなりません……ありがとうございました」
「いえ……」
「しかし、最初にお会いしたとき、カズマ様からステラの匂いがしたので、何故かと訝しんだのですが……成程、納得しましたよ」
そう言ってクリフトさんはにっこりと笑顔を見せた。
初めて会ったとき、俺の事を鋭い目で睨んだのは、知らない男から愛娘の匂いがしたから……か。
もしかして、この一年ずっと疑われてた?