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第一話 『黒の少年と契約者』

 今まで二十五年生きてきて、人の微笑みを見て苛立ちを覚えたのは初めてだ。


 なぜ苛立ちを覚えているのか分からない。だが、俺は今、この目の前の少年……のように見える男に異様な苛立ちを覚えていた。


 と、同時にそんな俺を冷静に認識している自分自身もいる。


 とても妙な気分だ。


「ふふふ……君は随分と苦労人だったみたいだね」


 ボックス席の対面に座る少年はそう言って笑みを浮かべると、女性のような細く白い足を見せ付けるように組み替えた。


 濡れたように艶やかな黒髪と輝くような白い肌。ゾッとするほど美しく整った顔立ち。服装は黒のシャツに黒のハーフパンツと黒ずくめだが、少年の妖艶な雰囲気によく合っている。


 だが、その雰囲気は少年というより齢を重ねた老人のそれに近く、どうにも現実離れしていて胡散臭うさんくさい。


 電車がレールの継ぎ目を刻む規則的な音と、車両の軋む音。車窓を飛ぶように流れる街の灯り。


 聞き慣れた音と見慣れた風景。


 確か、俺はついさっき家に帰りついて、そのまま布団に入った筈だ。


 何で子供と二人、通勤電車に揺られているんだ? 訳が分からない。


 少年は頬杖をついて、深い青と血のような紅をした切れ長の異色瞳オッドアイをスッと細めた。


「……両親が離婚して、部活も大学進学も諦めた。母親から独立するために都会に出たのはいいけれど、生活の為にアルバイト漬けの日々で青春を浪費し、そのせいで顔も性格も悪くないのに恋人もいない。しかも就職活動も失敗続き、か……なかなか希望の見えない人生だね……いや、だった(・・・)、かな?」


 背筋がゾクリとした。同時に、自分の部屋に土足で踏み込まれたような不快感が襲う。


 同時に、この『少年』に感じた苛立ちの正体が分かった気がした。


 自分の寝室に見ず知らずの男が我が物顔で居座ってくつろいでいる……そんな苛立ちだ。


 確かに彼の言う通り、両親が離婚してから色々苦労したし、色々諦めた。就職活動も上手くいっていない。


 夢や希望を抱く余裕なんて無かったかもしれない。


 それに、恋人は居なかったんじゃない。告白された経験だってある。ただ、恋愛事に使う時間が無くて彼女を作れなかっただけだ。


 でも、それは俺の個人的な事だ。高校の同級生ならいざ知らず、都会に出てきてからは誰にも言ってない。


 なんだ? この少年は……


「君は……誰だ? 何で知っている?」


「くくくっ……知っているよ。何もかも。何ならもっと覗いてあげようか?」


 少年はそう言って喉を鳴らして笑い、紅い眼を見開く。瞬間、俺の中に何かが入ってくるような嫌な感覚に襲われ、頭に激しい痛みが走った。


「やめろっ! 止めてくれ!!」


 まるで頭を割られ、脳を掻き回されているような痛みに、俺は思わず悲鳴じみた叫び声をあげる。


「無駄に抵抗するからだよ。まあ、ここで君を壊してもつまらないね」


 少年がそう言って軽く頭を振ると、さっきまでの頭痛が嘘のように引いていく。俺は額を濡らす冷や汗を拭い、少年を睨み付けた。


「ふぅん……君の人生には、深い後悔が刻まれているようだね。心的外傷(トラウマ)と言っていい……『あの時彼女を受け止めていれば』、『あの時逃げていなければ』……なかなか興味深い」


 少年は嘲るように笑うと大袈裟な仕草で肩を竦める。


 その『記憶』は、その『思い』だけは誰にも知られたくない、俺の痛みだ。


 それをこいつは無理矢理暴いて、嘲笑しやがった……!


 今までにない殺意に似た苛立ちが爆発寸前まで膨れ上がる。少年の細い首に手を伸ばしそうになるのを俺は必死に堪えた。


 もし、少年の姿をしていなければ首を絞めていたかもしれない。


「ふふ。心の深層に触れられ、掻き回されてなお、そんな目ができるんだ。いいね、実にいい……合格だよ! 君は選ばれた。これはそんな今までの人生を劇的に変えるチャンスだよ」


 なんだそれは。『あなたは選ばれました! 人生を変える大チャンスです』とか……フィッシング詐欺の台詞そのままじゃないか。


 俺は少年の怪しすぎる言葉に苛立ちを通り越して呆れた……いや、ついさっきまで感じていた怒りや殺意は綺麗になくなり、少年の話を聞いてやってもいい気になっている。


 何故だか分からない……何故こんな少年に苛立ちを感じていたのか。


 と、少年は頬杖を外して小さく頷いた。


「君は僕と契約して、契約者(テスタメント)となるんだ……新たな存在として今までとは違う君を手に入れる」


 少年はそう言うと、気障キザな仕草で指を鳴らした。


 すると俺の目の前に黒革のノートが現れ、真っ白なページを開く。


 何だ? 手品……ではないな。とても不自然な現象な筈なのに、俺は目の前の奇術めいた出来事を当然のように受け止め……次の瞬間には感じていた僅かな違和感をも忘れていた。


契約者(テスタメント)だと? いったい何言ってるんだ? 勝手に話を進めるな」


「ふふ……そう急かさないで。内容は簡単さ。僕は君の魂を新しい世界へ導く。君はその新しい世界で僕達(・・)を楽しませてよ。勿論、契約者として君に力を貸す。特別な力(チートスキル)でも何でも思いのままに」


 新しい世界? 特別な力(チートスキル)? 最近流行りのラノベじゃあるまいし。


 それに、何で俺がこいつを楽しませなきゃなないんだ? からからっているのか。


「からかうつもりはないんだけどね……まあ、いいや。どうせ君には拒否権はない」


「……は?」


「『神』に選ばれるということはそう言うことさ。(むし)ろ誇りに思うべきだよ」


 神ってなんだ。さっきから聞いてりゃ、こいつ、中学二年生がちょっと早めに暴走してるんじゃないのか。


 いい加減付き合いきれん。


 だが、少年はそんな俺を無視して話を進める。


「『我、ヴォーダンの名に於いて問う。契約を望む者よ、汝の名を告げよ』」


 今までとは一転、重々しく厳かな口調でそう告げる少年。


 ってか、この少年、ヴォーダンって名か。


 勝手言いやがって。俺はお前なんかとの契約なんて望んじゃいないぞ。誰が名乗るかよ。


 だが俺の意思とは裏腹に、俺の口は素直に自分の名を告げる。


「……安心院(アジム) 一馬(カズマ)


 その瞬間、目の前に浮かんでいたノートに文字が浮かび上がった。


 ――汝、己の思いを裏切る事なく、力を尽くして生きるべし。我、汝が定めを守り、我を楽しませる限りにおいて汝を守護し、その力となる。


 ただし、我が心満たされぬ時、汝の全ては奪われる――


 己の思いを裏切らず、力を尽くせ……後悔するな、全力で生きろって事か。それはいいが……『我を楽しませよ』って何だ。


 しかも、最後の一文、『我が心満たされぬ時、汝の全ては奪われる』って、無茶苦茶不穏なことが書いてあるんだが?


「くくくっ……これで君と僕は『契約者』という深い縁を得た。精々頑張って見せてよ」


 ヴォーダンがもう一度指を鳴らすと、黒革のノートは忽然と消える。


「貴様、何をしやがった……大体何を頑張るんだよ! それに、最後の『全ては奪われる』って何だ!? 意味わかんねえ」


「さっき言った通りさ。君は言わば役者。人生という戯曲を、新しい世界(ぶたい)で演じてくれればいい。でも、退屈な戯曲をだらだらされてもつまらないからね。その時は全部リセットしてやり直してもらう……当然、君に拒否権はない」


 何だよそりゃ。凄まじく理不尽極まりない話じゃないか。


「カズマ、君はこれから様々な人々に出会い、色々な経験をして、その度になにかを選択する。その選択全てに意味があり、選択は因果となって必然を産み、必然は結果を導く。今の君は、今までの君の選択の結果であり、必然なんだ。言い方を変えれば、君の選択次第で運命は変えられる……楽しみだよ。これから君がどんな選択をし、どんな生を生きるのか……くくくっ」


 青と紅の異色瞳オッドアイを細め、ヴォーダンが笑う。


「ちょっと待て! 何が楽しみだ。いい加減にしろよ?」


 叫ぶように問う俺。だが、ヴォーダンは涼しげな笑みを浮かべて席を立つと、胸に手を当てて優雅に一礼する。


「くくくっ! ……では、カズマ。君の道行きに幸あらんことを」


「なっ!? おま……っ!?」


 俺が何かを叫ぼうとした瞬間、電車が大きく揺れ、思わず目を閉じた。


僕達(・・)を退屈させたら、『永劫回帰エーヴィヒ・ヴィーダーケーレンの理』によってやり直し(リセット)される。忘れないで。素晴らしい人生を送って僕達を満足させてよ。期待しているよ……」


 闇の中、ヴォーダンの笑い声が耳に響いた。


 ……


 ……


 ……


 ……


 不愉快な目覚めに俺は呻きをあげる。目を開けると辺りはまだ真っ暗だ。


 嫌な夢を見たな。くそ……今何時だ?


 まとわりつくような不快感に顔を顰める。全身にまるでマラソンで全力疾走した直後のような汗をかいていた。


 俺はのろのろと体を起こすと、スマホを探してベッドをまさぐる。


 シーツの中に埋もれていたスマホに指が触れたとたん、スマホがけたたましいサイレンを鳴らす。


 なんだ!? こんな音、聞いたことないぞ?


 不安感をあおるサイレンが止んだ直後、小さな揺れを感じた。そして、低い地鳴りと共に部屋が小刻みに震えはじめる。


 これは……地震……!?


 揺れは徐々に強くなり、サッシや家具……アパート全体が軋むような音を立てている。俺は揺れる蛍光灯を見上げた。結構強い揺れ……こんなのは初めてだ。


 こんな時はどうすりゃよかったっけ?


 焦る俺を嘲笑あざわらうかのように、地鳴りが大きくなっていく。


 これはマズイ!


 そう思った瞬間、突き上げるような凄まじい揺れが体を襲い、俺はベッドから転げ落ちた。


 窓のサッシが歪み、窓ガラスが割れ、テレビが揺れに弾かれるように飛ばされる。


 なんなんだ……なんだってんだよ!


 激しい揺れに翻弄され、体を動かすこともできない。腕で頭を抱えながら、俺は揺れが収まるのを待った。しかし、揺れは収まるどころか激しさをましてゆく。


 恐怖と混乱で頭が真っ白になる。


 その時、さらに激しい衝撃が全身を襲う!


 雷が間近に落ちたような轟音。木が引き裂かれる音。地の底から沸き上がる地鳴り。何かが砕ける音。俺自身の悲鳴。


 それらがいっぺんに俺を包み……俺の意識は途切れた。


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