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帰還

 通路に僕は一人立ちすくんでいる。

 周りには一枚のカードと、倒れた二人の女の子。

 一人はすでに息荒く、もう一人もかなりつらそうだ。

 いろんなドアを開けようとしたけど、どれもロックされているみたいでびくともしない。

 どうしたらいいんだ。そもそも、何が起きているんだ。

 「ねえ、何が起きてるの?」

 僕はしゃがみこんでミルに話しかけた。レミは、もう話しかけるのさえためらわれるほど衰弱していた。

 「魔素が、なんでか分かんないけど、極端に薄い。私はまだ抑えられるけど、お師匠様は。」

 レミは、最後の力を振り絞るように、病気の子供が安心毛布を探るみたいに落ちていたカードに手を伸ばして、今だ赤く光るペンダントとともに大事そうにぎゅっと抱える。

 そういえばレミの魔力はめちゃくちゃ体の外に出て行くって話だった。

 と、ミルが体を引きずるようにレミに近付いて手を当てる。

 「おね、がい。お師匠様。お師匠様。」

 しかし、突っ伏したままレミがその手をとって、首を弱弱しく振る。

 愕然とするミル。

 「やっぱり、だめ。魔素がないと魔法がつかえない。たぶん、お姉様もそれで。」

 なるほど。魔法が駄目だから、召喚(サモン)もって訳か。いや、それより。

 「どうすればいいの?」

 しかし、ミルは首を振るばかりだった。

 「魔素があれば。どうとでも。」

 でも、それがないっていうんだからどうしようもない。


 ふと、誰かの足音が響く。

 「やあ、『最強』とその一行。」

 声の主の方を向くと、白衣姿の男が目に入った。

 「ドクター、マネット。」

 「えーっと、何て名前だったかな。まあいいか。君は人間だから問題ないのか。」

 ドクターは何てことのないようにこちらに近づいてくる。

 しかし、全てのドアはまるで壁にノブがついていたみたいにびくともしなかったはずだ。

 「いったいどこから。」

 「そんなことはどうでもいいだろう。それより他に聞きたいことがあるんじゃないか。」

 まあ、それはそうだ。僕は本題に話を移す。

 「これは、あなたがやったんですか。」

 「これ、というのが、魔素に関することであるなら、そうだ。」

 ドクターがクックッと笑う。

 「しかし、ここまで効果てきめんだったとは。少々計算違いだよ。これなら人質を取ろうとする必要も無かったかな。」

 「今すぐ止めてください。」

 僕は立ち上がってドクターと正対する。

 「なぜ。そこに倒れている奴らは君を襲った者だろう?」

 「でも、僕の命の恩人でもあります。」

 僕だけじゃない。アキだって、この二人、いや三人に助けてもらったんだ。

 しかし、ドクターはため息をついて首を振った。

 「なるほど、しかし駄目だ。奴らはここを三度も襲撃した。それだけで、ここから無事に帰さない理由には十分だろう。」

 確かに、ドクターからすれば僕たちは平和を脅かす者達なわけだ。

 「でも、この世界にだって警察があるんじゃないんですか。それなら、犯罪者は警察に渡すべきなんじゃないんですか。」

 「あんな無能集団に任せたりしたら、折角のチャンスがふいになるじゃないか。」

 「チャンス?」

 どうも、単に警備を重くしたってわけではないらしい。そもそも、人質の話からして『最強』狙い撃ちって感じだった。

 ドクターは頭をポリポリとかいて、鼻を鳴らした。

 「君は、二十年前にあった戦争のことを知っているかい?」

 確か、エレノラさんたちがそんなことを言っていた気がする。

 「二十年前にあった戦争、それをたった一人で止めた『最強』とその結界。あれがある限り、この大陸に戦争は起きえない。」

 戦争が起きえないって、

 「戦争が起きてほしいって言ってるのか。」

 「そう。そうだよ。私は戦争が起きてほしいと思っている。」

 何を言っているんだろう。戦争を望む人なんているのか。

 「戦時程に科学が発展する期間はない。当時、僕は目覚ましい速度で科学が発展していくのを経験した。」

 ドクターはポケットに手を入れてその場を歩きながら語る。

 「魔力に対する基礎理論、物理における各知見。そして、何よりこの魔術回路。」

 ドクターはポケットから例の赤い石を取り出す。

 「これによって我々はついに魔女どもに勝利する道筋を得た。事実、戦局は我々が優勢だったらしい。しかし、そこで、その『最強』が止めてしまった。」

 ドクターは突然歯を食いしばって、レミの頭を思い切り踏んづけた。

 「この!女が!あの蜜月を!止めやがったんだ!」

 唐突のことに一瞬体が動かなくなったが、慌ててドクターを止めに行く。

 「や、やめろぉ!」

 しかし、ドクターの持っていた石をこちらに向けられたと思ったら、その石が光り出して僕の体は通路の端まで吹き飛ばされてしまった。

 「っがぁ!」

 あまりの痛みに体がうまく動かない。何とか顔をあげてドクターの方を向く。

 「だが、それも終わりだ。この魔素操作の成果と『最強』討伐を合わせれば、あの慎重に慎重を重ねる上の連中も戦争に動くに違いない。」

 レミの頭をぐりぐりと踏んでいるところを、ミルが止めようとその足を掴んだ。

 ドクターは一瞬顔をゆがめると、ミルの腹を思い切り蹴り上げた。

 「ぅあ!」

 「生意気な、生意気な!ろくに魔法も使えない雑魚が、一人前に他人の魔力に干渉しやがって!」

 ドクターは白衣の内側から別の石を一つ取りだして、また光らせる。すると、ミルの体に火が付き、悶え苦しむ。

 「ううぅ、あああ!」

 「苦しいか?苦しいだろう?これこそ、我ら人類が貴様等魔女から受けてきた苦しみだ。しかし、この空間では力関係がまるで真逆になる。魔術を使えるのは我々で、蹂躙されるのが貴様等だ。」

 通路一杯にドクターの笑い声が響く。

 ミルの火はすぐに消えたが、それでもミルが立ち上がることはなかった。


 いや、でも何かおかしくないか?

 どうして、ドクターは魔法が使えるんだ。

 魔術回路を使っているから。でも、それが魔法であるなら、ミルの言う通り魔法は使えないんじゃないのか。

 酸素のないところでは、どんな炎だっておこりはしないように。

 「さて、おい、そこの君。」

 ドクターがこちらに近づいてくる。

 「君、元の世界に帰りたいんだろう?そこでじっとしてくれれば、私が元の世界に帰そう。」

 まだ少し背中が痛い。それでも、精一杯ドクターを睨みつける。

 「……どうして。」

 「今ここで動けるのは私と君だけだ。無論、君に何かができるとは思えないが、それでも万が一ということがある。その万が一を無くしたいんだよ。」

 つまり、二人を見殺しにすれば、身の安全を約束してくれるというのか。

 「もし、断ったら?」

 そう尋ねたら、ドクターは鼻で笑った。

 「断る理由なんてきみにはないと思うがね。元の世界に帰れば、ここでのことなど夢物語のようなものじゃないか。だがまあ、抵抗するようなら身柄を拘束したうえで、再度実験材料になってもらうことになるだろう。」

 ここで受けたことを思い出す。あの、言いようのない苦しみを。

 ドクターの言い分も一理ある。元の世界に戻れば、時々ここでのことを思い出しても、きっとそのうち現実味を無くしていく。あまりにも元の生活と違いすぎる。

 でも、それでも。

 指にはめた指輪を見る。

 手首に巻いたミサンガを撫でる。

 胸に付けてもらったブローチを握りしめる。

 そして僕は立ち上がった。

 「お断りだ!僕一人助かって、元の世界に戻ったって何の意味もない!」

 ドクターはまるでゴミを見るみたいにこちらを見下す。

 「そうか。哀れだな。それじゃあ、動けなくなってもらおう。」

 ドクターはまた新しい石を白衣から取り出した。

 僕は姿勢を低くして走り出す。少し上につよい風が吹いたけど、そんなことでひるんだりはしない。

 そのままドクターの脇をすり抜けて、胸のブローチを引きはがして、ミルの元に駆けつける。

 「ミル、ミル!」

 「……うる、さい。」

 よかった。まだ意識があった。

 ミルの手に無理やりブローチを押し付ける。

 「ミル、これで魔法を使うんだ。」

 「……無理。」」

 「無理でもやるんだ!」

 「!やめろ!」

 ドクターがこちらに向かおうとするので、思い切りタックルをして止める。

 「ミル、早くするんだ!」

 ミルは、体をゴロンと動かしてあおむけの姿勢になる。

 「まったく、ここの人はみんな馬鹿。そんな反応されたら、やらないわけにいかなく、なるのに。」

 ミルは自分の分のブローチも取りだして、震える両手を天井に向ける。

 「お願い、砕け散って。」

 「やめろおおお!」

 ブローチに付いた赤い石が青く輝いて、砕け散る。それと同時に天井の石組も一緒に崩れ落ちた。

 ミルは頬を緩ませ、そして腕の力を抜いた。


 ドクターマネットが僕を振り払って、崩れ落ちていく天井に近づく。

 「くそ、とまれ、とまれ。」

 いろんな石を取り出しては捨てることを繰り返すが、天井の崩れを止めることはできない。

 「砕け散れ(・・・・)。」

 その一言とともに、ドクターの白衣がひるがえって、中に会った石がすべてパキンと砂に変わっていった。

 いつの間にか、レミが立ち上がっていた。

 「よくも(・・・)……。」

 レミの髪の毛が広がっている。よく目を凝らすと、電撃が体を纏っているようだ。

 「よくも私の(・・・・・)弟子を傷つけたな(・・・・・・・・)。」

 「あ、ひ、ひ。」

 ドクターは腰を抜かしたように尻もちをついて、それでもずり下がる。

 レミがこっちを向いて、にっこりと笑う。

 「大丈夫です。私はちゃんと警察に任せますから。」

 そう言って口角を上げているけど、その体からバチバチという音がどんどん出ている。

 「け、警察に行ったところで、お前の話を誰が信じるものか。」

 「そこも問題ありません。あなたの発言は全て記録、放送されていますから。」

 ドクターが気の抜けた声を上げ、そしてその顔が青ざめていく。

 「そ、そのペンダントは。」

 「地下にずっといるあなたは知らないと思いますけど、今頃地上ではこれを通してここの様子が全て流されています。」

 そういえば、ビデオカメラだって言ってたっけ。まさか生放送だったとは。

 「だ、だがそんな映像誰が信じるというんだ。」

 「それを言ってしまえばむしろ信ぴょう性が上がる気がしますが。とにかく、この研究所の地下の状況を見れば信じざるを得ないと思います。」

 すごい、なんだかドクターがどんどん墓穴を掘っている気がする。というか、どんどん情けなくなっている。

 「そういうわけで、あなたのことはここの法律にお任せします。が、それにしても逃げられないようにすることは必要ですよね。」

 「ひ、や、やめ。」

 レミがじりじりと寄っていくと、ドクターは声にならない声を上げて、そのまま気絶してしまった。

 「あれ?」

 「あら。」

 レミと目が合った。レミは残念そうに肩をすくめた。

 「ちょっと脅しすぎちゃいましたかね。」

 そうして、レミは首に下げていたペンダントの光を消して、しまい込んだ。


 ともあれドクターはふんじばっておいて、ミルを起こしに行く。

 「ていうか、レミは結構すぐに立ち上がったけど、ミルはまだしんどそうだね。」

 「……頼むから、お師匠様と比べないで。お師匠様は吸い込む量も膨大だから。」

 立ち上がらせてはみるけど、肩を貸さないとふらふらだ。

 と、なぜかレミがちょっと恥ずかしそうにもじもじしている。

 「わ、私だって、その、エレノラから魔力をもらってましたから、それもあるんですよ。」

 「そんなことできるの。」

 「普通は無理。あれはお師匠様とお姉さまの必殺技……というか、裏技。」

 そういうのもあるのか。というか、それって今度はエレノラさんは大丈夫なんだろうか。

 「エレノラさんは?」

 「大丈夫です。まだ召喚(サモン)できるほどではありませんけど、雲散霧消もしてませんし。」

 レミが手元のカードを確認するようにぎゅっと握りしめる。

 そして、少し寂しそうな笑みをこっちに向ける。

 「さあ、それよりも守の世界への扉を開きましょう。」

 「僕の世界って、レミの世界でもあるでしょ?」

 「それはそうですけど……ほら、きっとさっきみたいになりますし。」

 あ、そうだった。元の世界には魔素がほとんどないって話だった。さっきは図らずも帰省ができないってことを証明してしまったってことか。

 ミルに脇腹を肘で小突かれたけど、なんて声をかけたものか。そう考えていたら、レミがミルに声を上げる。

 「ミル、二番でしたっけ?」

 「え、ああ、はい。そうです。」

 レミはある扉に手を当てる。

 「開いて(・・・)。」

 すると、その扉はゆっくりと倒れ、大きな音を立てた。

 レミがこっちを見る。

 「えーっと、開きましたよ。」

 いや、まあ確かに開いたけど。


 部屋の中は、どこかのRPGで見たような、まさしく魔術の研究室といった風だった。

 床に描かれた魔法陣、わきに置かれている木の机。石壁に取り付けられた本棚には、いろんな本が置かれていた。

 今踏んでいる扉には、「使用後につき入室禁止」と書かれている。

 そして、目の前の空間には前に見た、全身を包むほどのシャボン玉のような卵型が浮いている。

 思わずつばを飲み込んだ。

 「さあ、これが召喚のゲート……ですよね?」

 レミに逆に聞かれた。

 「たぶん、そうだと思うけど。似たようなのに入ってきたわけだし。」

 「……よくこんな得体の知れないもんに入ろうと思うよね。」

 う、まあ、こうやって見ると確かによくは分からない。ミルクに洗剤をこぼしたみたいな色してるし、どこから何が出ているのかもよくわからないし。おまけに小石を入れればそのまま回りながら小さくなるって感じだったし。

 昔読んだライトノベルのことがなかったら、見なかったふりをして通り過ぎていただろう。

 「でも、なんか惹かれちゃったんだよね。」

 その結果がこれだ。一世一代の大冒険。こんなに死ぬ思いをするのは、たぶんこの後ももうないだろう。

 それでも、憧れていた世界ではあった。ちょっと思ったよりSFな世界ではあったけど、杖で空を飛んだり、ドラゴンの背中に乗ったり、魔法を目の前で見たり。

 「うん、いい世界だったよ。」

 ミルの方を見ると、目が合った。

 と、肘でまた小突かれた。

 「な、何!」

 「いや、ゴメン。何となく。」

 なんとなくで小突かれては困るけど、まあ痛くはなかったし、いいか。

 もう、これも最後なわけだし。

 「しかし、まさか最後の最後で、逆にあんたの世話になるなんてね。」

 ミルの言葉になんとなくしんみりする。

 「結局、ミルにはお世話になりっぱなしだったからね。まあ、殺されかけたりもしたけど……。」

 「あ、あれは……その。」

 そういえば、こうやってレミのことを見ていると、どう考えてもミルに人殺しを支持するような正確には見えない。エーリャさんなありそうだけど。

 と思ってたら、レミが話に乗ってきた。

 「ミルに殺されかけたって、何があったんですか?」

 「え?初日にミルに襲われて、『元の世界に帰らなかったら殺す』って言われた――」

 「わ、わーわー!」

 レミに受けた仕打ちを伝えようとしたら、ミルに口をふさがれた。

 と、レミが笑った顔をミルに向ける。でも、目は笑ってなかった。

 「ミル、後で詳しいお話を聞かせてくださいね?」

 「あれ、レミの指示じゃなかったの?」

 「確かに、召喚された方に元の世界に戻ってもらうように説得するように言いましたし、逃げるのを手伝ったりはしましたけど、殺せとかそんなことは言ってません。」

 どうも、かなり怒っているらしい。が、ため息を一つついて、話を元に戻した。

 「さて、守。さっき白衣の人には言いましたけど、ここでのことは地上に放送されていました。ついでにここの実験のことも、ちゃんと撮っていましたので、たぶんもうすぐ警察の方がやってきます。ちょっと捕まるのも嫌なので、後一時間もしたら私たちはここを出ます。」

 頷いて返事を返す。ここでのことはともあれ、エーリャさんは指名手配犯らしいし、『最強』とも呼ばれるレミにも何か事情があるんだろう。

 「ですので、エーリャからの頼み事は五分以内にお願いします。」

 「そっか、向こうはこっちの十分の一しか時間が進まないんだっけ。」

 と、ミルが肩から離れる。

 「もし、心変わりしてこっちに戻りたくなったとしても、それまでの間ならちゃんと連れて帰ってあげるから。」

 ミルはそういいながらも目を合わせてはくれない。たぶん、照れくさいんだろう。

 「ありがとう。でも、」

 「あー、ううん。いいの。ただ、そういうのもあるってだけの話だから。」

 「ミル、そろそろ。」

 ミルはまた何か言おうとしているのか口をパクパクとさせた後、自分の手の中に石のなくなったブローチがあるのに気づいて、それを僕の胸にまたつけてくれる。

 「ほら、こんなになっちゃったけど、ちゃんと忘れないで。」

 そしてレミの隣に立って、卵型への道を開けた。

 「それじゃあ、二人ともこれまでありがとう。エレノラさんにもよろしく伝えておいて。」

 「はい、そちらでも、私のこともよろしく言っておいてくださいね。」

 「よろしくって誰に言えばいいかも分からないけど。」

 レミはその姿には似合わない、とっても大人な笑みを浮かべた。

 「そういう人が一人いるっていうことが大事なんです。」

 「まあ、うん、分かった。」

 僕は卵型に向かって歩いて、ポケットの中に例のシリンダーがあることを確かめる。

 「それじゃあ、元気で。」

 「はい。」

 「そっちもね。」

 そうして、僕はまたその卵型に飛び込んでいく。


*****


 目の前に見覚えのあるアスファルトの地面、それにブロック塀が見える。

 と、同時に頭がぐるぐる回る。

 『落ちるな!』

 そのまま内向きに倒れたところで、胸に付けていたブローチが気付けとばかりに僕を刺激する。

 「っう~。」

 こっちでも痛い思いをさせるわけか。まあ、いいか。もし意識を落としていたら、五分以内っていうのが守れなかったかもしれない。。

 ポケットからシリンダーを取り出す。両端を挟んで、そのまま力を入れるとシャコっと音が鳴って閉まった。

 「これでいいんだよな。」

 それをそのまま後ろの卵型に投げ込む。シリンダーは回転しながら小さくなっていき、そのまま消えていった。

 とりあえずホッと一息をつく。暑い日差しに灼けるアスファルトのにおい。風に乗って遠くからやってくる水のにおい。そういえば、向こうではこういうにおいはあまりなかったな。

 空には天高く太陽が昇っている。どこを見渡しても、昼間に出ている月はない。

 「っていうか、昼?」

 確かあっちで七日を過ごしていたわけだから、えーっと、十六時間ほどか。なんか少しずれがあるみたいだ。まあよく考えるとあっちの世界に着いたとたんに気絶したわけだから、その辺でずれがあるんだろう。

 でも、これからどうしよう。学校に行くって感じでもないし。

 「とりあえず、帰るか。」

 そんなわけで、ひとまず家に向けて歩き出した。


 家までの道は、当たり前だけど忘れていなかったみたいで、特に迷うこともなく家にたどり着いた。

 息を吸って、息を吐く。どうしよう。たった一週間とはいえ、何の連絡もなく家を空けたのは初めてで、どう帰ればいいものか。とりあえず、ドアのベルを鳴らしてみる。

 「……はい?」

 インターフォンから、よく知った声が聞こえてくる。

 「えと、守、だけど。」

 ガチャンとインターフォンが切れる音がして、ドアの方からどたどたと慌だたしい足音が聞こえる。

 そして、バタンと勢いよくドアが開かれる。

 「守!」

 「まーくん!」

 父さんと母さんが同時に顔を出した。

 「あれ?父さん、仕事は?」

 「何言ってるんだ。今日は土曜日だぞ。じゃなくて。」

 と、母さんが僕のことをぎゅっと抱きしめた。

 「ほんっとに、心配したんだからね。」

 その声を、そのぬくもりを受けたら、なんだか涙が出てきた。

 ほっとしたからじゃない。

 自分がほっとしたことに、気づいたからだ。

 二人を心配させて、それでも、何とかまた二人にこうして会えて。

 「どこで何やってたんだ。全く。」

 そうして、父さんも母さん事僕を抱きしめる。

 こっちに来る前にレミに言っていたことが、今わかった。

 例えば僕があっちの世界から帰れなくなったとしても、それだけだったら別に何とも思わなかったかもしれない。

 でも、こうやって触れ合って、たった一日だけでも本当に心配してくれる人がいるってことを知ってたら。

 そんな人たちに、自分が生きていて元気でやっているということを告げることができるなら。

 あの、お人よしの国から異世界へと旅立った少女は、そんなことを僕に託したに違いない。

 でも、それじゃだめだ。だって、僕に託してもその願いは叶わないことだって、きっと自分でもわかっていたんだから。

 「ねえ、父さん、母さん。」

 僕は抱きしめている二人を引き離し、目を見て告げる。

 「言いにくいんだけど、またちょっと行かなくちゃいけないんだ。」

 「行くって……どこに?すぐ帰ってくるんでしょ?」

 僕は何も答えられなかった。まさか異世界に行くなんて言えないし、いつ帰れるかもわからない。

 母さんはおろおろとしながらいろんなことを聞いてくるけど、答えられることはなかった。

 と、そんな風に詰め寄ってくる母さんを父さんがそっと離して、代わりに僕に尋ねる。

 「それは、何をしに行くんだ。」

 「ある人を助けに。」

 できるかもわからないけど、レミをこの世界に召喚できるようにするために。

 でも、魔素が少ない状態でも魔法を使うことができた。魔力を体の外に出さないことだってできる。それなら、何か方法はあるんじゃないだろうか。

 父さんは僕の目をじっと見て、放さない。

 「その人には、『余計なお世話』と思われるとしても?」

 「それでも、それをしなきゃいけないと思ったから。」

 「嫌われてもか?」

 ぐっと言葉に詰まったけど、それでも頷く。

 たとえなじられたとしても、やってやる。

 「分かった。ちょっと待ちなさい。」

 「あなた!」

 母さんは父さんを止めようとするけど、気にせず父さんはいったん家に入っていった。

 そして、手にリュックサックをもって戻ってくる。

 「持っていきなさい。」

 渡されたけど、結構重い。中身を見ると、百科事典と……ナイフ?

 「これって?」

 「どこに行くにしても、知識と刃物は役に立つ。ただし、人を攻撃するのに使っては駄目だ。人を助けるために使いなさい。」

 ありがたく受け取る。しかし、もしも飛行機に乗るとかだったら没収されていたんじゃなかろうか。

 微妙に複雑な思いを持ちながらもリュックを背負ったら、父さんがもう一度抱きしめてきた。

 「もう一つ、約束しなさい。必ず、帰ってくると。私たちが生きているうちに。」

 「……うん、分かった。約束する。」

 本当にできるかはわからないけど、少なくともあっちでパッと死んだりなんかはできないな。

 父さんは僕を離し、母さんを促す。

 母さんも戸惑いながら、抱きしめてくれた。

 「ちゃんと食べられる当てとかはあるの?」

 「うん、何とかする。」

 母さんはひときわ強くぎゅっとした後、僕の頭を撫でて、そのまま後ろを向いてしまった。

 心は痛む。でも、もう決めたんだ。

 「それじゃあ、行ってきます。」

 「できたら、連絡とかも時々は入れてくれよ。」

 できるかはわからないけど、頷く。

 父さんは後ろを向いたままの母さんを片手に抱きしめたまま、僕を見送ってくれた。


 *****


 僕はアスファルトを駆け抜ける。

 一歩一歩蹴るたびに、背中に背負ったリュックが跳ねる。

 あのゲートがいつまで残っているのかはわからない。

 というか、あれって邪魔になってないんだろうか。まあ、いいか。

 もう一時間ほどたっている。レミやミルは待ってはいない。

 でも、何とかなる。

 あんないい人たちに助けられていたんだ。きっと僕は運がいい。

 例の細い通りに入るように曲がって、そのまま空間に開いた『穴』に飛び込んでいく。

 瞬間、僕の視界は真っ白に染まっていく。


*****


 視界がぼやけて見えてきたのは、たぶん例の部屋と、制服を着た人たち。

 力が入らない中、その人たちが近づいてくる。

 抱き上げて何か話してくるけど、正直遠くで叫ばれているみたいで、何を言われているか全くわからない。

 そして、そのまま僕は意識を失った。


*****


 目が覚めると、真っ白な天井が目に入った。

 とりあえず体を起こしてみると、三日ほど過ごした例の病院にいるようだった。

 そのままぼぉっとしていると、不意にドアが開いた。

 ナース服のような恰好をした女性が、僕を見て驚いたような顔をして急いで外に出て行った。

 「先生!患者が……。」

 何やら外で叫んでいる。

 次に入ってきたのは知った顔だった。

 「まさか戻ってくるとはな。」

 「エーリャさん。」

 ややあきれた風のエーリャさんが僕を見下ろす。

 魔法に関することでいうと、僕の唯一のコネと言える。だからこそ、僕はこの人に頼まないといけない。

 「お願いします。僕を、弟子にしてください。」

 エーリャさんは目を見開いてから、少し残念そうに首を振った。

 「残念だが、それはできない。」

 「魔女にしてくれっていう話じゃないんです。ただ、魔法に関して勉強させてほいんです。」

 「いや、そうじゃない。よく考えろ。なぜ、私はここにいると思う。」

 そういえば、エーリャさんは指名手配犯ではなかったっけ。

 ふと、エーリャさんの胸元を見ると、白衣に付けられたネームプレートに肩書が書かれていた。

 「国立魔法工学院魔素魔石研究室室長……?」

 よくは分からないけど、とっても偉そうだ。少なくとも、元犯罪者がつけそうな役職ではない。

 「まあ、そういうわけだから、私は忙しいうえに私的な弟子をとれない身なわけだ。まあ、どうしてもというなら工学院に入るんだな。」

 「……なんでそんな地位に?」

 そう尋ねると、あの後をこと細かに教えてくれた。


 僕が日本に戻ってから、すでに一週間は経っている。要は、一週間ほど僕は眠りこけていたわけだ。

 まあそれはいい。

 それから、レミたちの名がしていた映像から、警察が強制捜査に入ったらしく、ドクターマネットとその部下たちが、異世界人たちに対する扱いに関して、「知的存在に対する人権侵害」とやらで一斉検挙されたそうな。

 そのついでにエーリャさんに掛けられていた指名手配はうやむやになった。

 曰く、「もともと研究室の秘密を守るためにでっち上げられた罪だ」ったらしく、その秘密が公になったところでもう捕まえる理由もなくなったらしい。

 そのうえ、魔素魔石研究室のトップだったらしいドクターマネットが検挙され、その上その研究室の優秀だった人たちはみんなマネットと一緒に捕まってしまったため、その後釜に、異世界の魔素量に関する調査結果を持ったエーリャさんが即座に選ばれたそうな。

 「まあ、私もこのスピード感で決まるとは思ってもいなかったがな。まあ、一大スキャンダル故に自浄作用をアピールしたかったんだろうな。」

 まあそんな感じでエーリャさんは見事栄転、レミたち三人衆はエーリャさんの家をそのまま譲り受けたらしい。


 「それで、その……アキは?」

 正直なところ、レミたちの心配は特にしていなかった。あれだけ強いんだから、なんだかんだして暮らしていると思っていたし。

 でも、アキは違う。それに、エーリャさんとは約束のこともある。

 「安心しろ。実験動物扱いされた異世界人たちを一斉に表に上げたから、その世話をするこの病院はまさに猫の手も借りたいといった感じでな。」

 エーリャさんが入口の方に顔を向けると、ひょっこりとナースキャップを被ったアキが姿を見せた。

 目が合ったと思ったら、そのままこっちに向かってダッシュしてきて、僕のベッドにダイブしてきた。

 そして、力強く抱きしめられる。

 「苦しいよ、アキ。」

 「もう、会えないと思ったから。」

 そう言われては何も言えない。されるがままにして、頭を撫でてあげる。

 と、エーリャさんが咳払いをすると、アキは慌てて居を正してエーリャさんの方に向く。

 「とりあえずアキは仕事に戻りなさい。」

 いわれた通り、アキは時々こっちを見ながらも部屋の外へ出て行った。

 それを見送ってから、エーリャさんはこっちに向きなおした。

 「さて、マキグサマモル。君は他の異世界人と違って、今この世界に召喚された。つまるところ、知っていることだとは思うが、三日をここで過ごしてもらい、ある決断をしてもらう。わかるだろう?」

 僕はこくりとうなづいた。

 それに、その決断はもう済ましていることだ。


*****


 ある晴れた昼下がり。

 僕はローグタウンズヒルの二十五階、屋内公園に来ている。

 屋内であるにもかかわらず、太陽光が入ってきたり、風が緑を揺らしている、不思議な公演だ。

 子供たちのはしゃぐ声が公園を彩る。

 そんな風景を横目に見ながら、僕は噴水に向かう。

 そこには、女の子が一人、時々周りを見渡している。

 と、僕を見つけたようで、手を振りながらこっちに近づいてくる。

 「覚えてくれてたんだ、約束。」

 僕は手を振り返す。近づいてきたアキは、僕の手を握った。

 ちょっと照れくさいけど、拒否をするほどじゃない。

 「まあ、ね。」

 「でも、戻ってきたのは私のためじゃないんだよね。」

 ちょっと寂しそうに言うので、ぐっと言葉に詰まる。まあ、そうなんだけど。

 でも、困っている姿を見て満足したのか、また太陽みたいな笑顔に戻った。

 「冗談。来ると思ってなかったから、ちょっと意地悪言っちゃった。」

 「まさかとは思うけど、いつもここにいたの?」

 「お休みの日は。でも、マモルが病院を出てからだけだけど。」

 うーん、それならもうちょっと早く来ればよかった。まあ、入学手続きとかいろいろあったから仕方がないと思いたい。

 「それじゃあ、どこに行く?」

 「あ、あのね、この前見つけたパン屋さんなんだけど、」

 僕たちはそのまま手をつないで、屋内公園を後にした。

 

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