合建祭
単に『首都』と呼ばれるその街は、ただただ人でごった返していた。
空には縦横無尽に飛び回る車がひしめき合い、枝のように伸びる高層ビルが狭くしている空を更に見えなくしている。
クルマが空を飛ぶ時代になっても、人間はいつまでも地面を歩くものらしい。地面は地面で人、人、人。車道がない分多少は広いが、それでもめちゃくちゃに人が歩き回っている。
今日はそれが特別多いらしい。祭だからっていうのもある。
でも、もう一つ、理由がある。
「……ねぇ、この風景。どうにかならないの?」
前を歩く三人組に話しかける。エレノラさんとミルはちょっと浮足立っている。レミは、浮いている。深い青に光りながら。
でも、そんなレミにさほど注目が集まってはいない。
周りを見れば、同じように深青色に光りながら浮いているレミがちらほらいる。
「どうにかって……いいじゃない。可愛いんだし。」
エレノラさんはレミの手を引きながら、器用に人込みをかき分けながら進んでいる。
「お師匠様がお一人、お師匠様がお二人。お師匠様が……」
ミルの目はちょっと血走っている。耳が出ていれば、ぴょこぴょこと動いていたことだろう。
振り返ると、アキがエーリャさんの腕にしがみついている。やっぱり、まだちょっと怖いみたいだ。
というか、僕だってこの光景はちょっと怖い。
さて、混乱を避けるため、一度話を出発前に戻そう。
*****
出発の朝。僕は特に準備することもないので、自分で淹れたお茶を飲んでいた。苦い。
「お待たせ。」
エレノラさん、レミ、ミルの三人が、階段を降りて来る。ミルは猫の耳とひげをしまっていた。
しかし、それ以外は特に変化らしい変化は見えなかった。
「何の準備してたの?」
「色々ですが……まあ、基本的には魔力を隠すことですね。」
魔女は魔力を出し続けている関係上、しっかり隠しておかないと身元がすぐにばれてしまうらしい。
ミルがティーポットのふたを開け、ひと嗅ぎすると苦い顔をしてお茶を流しに捨てた。
まあ、確かにおいしくはなかったし仕方がない。睨まれなかっただけ良しとしよう。
ミルが代わりのお茶を淹れている間に、アキとエーリャさんも降りてきた。
「さて、今日のおさらいをしよう。」
エーリャさんがミルからもらったお茶を飲みながら、話を始める。
「まず、エレノラの召喚獣で首都に行ってもらう。そこで、レミが魔法を使う。」
ふんふん。いや待て。
「どうして杖で飛んでかないの?」
「簡単な話だ。魔法を使えば、欺瞞が解ける。」
「じゃあなんでレミは魔法を使うの?」
「それも簡単な話だ。レミは欺瞞魔術をかけていない。というよりも、かけられない。」
「なんでレミには掛けられないの?」
そう聞くと、エーリャさんはため息をついた。しまった。次々聞いて失礼だったか。
しかし、ため息の理由は違ったらしい。
「むしろ私が欺瞞魔術をかけられたのは猫娘だけだ。エレノラはレミの召喚獣だから勝手が違うようだ。レミは、出て行く魔力の量が桁違いに過ぎる。欺瞞できるほどの量ではない。」
そういうものなのか。しかし、レミは少し恥ずかしそうにしている。
エレノラさんはレミの頭にポンと手を置いた。
「まあ、レミの場合は魔力自体が桁外れだし、それに悪い事ばかりでもないよ。大きい魔法だってかけやすい訳だし。」
「でもそれだったら、どうやってレミを隠すの?」
そう言うと、エーリャさんはにやりと笑った。
「隠さない。ただでさえレミの魔力はとても目立つ。だから、首都中にレミの魔力を張る。エレノラの魔力もレミのものにすげかえる。これで、奴らはお前たちがどこにいるか分からない。」
とりあえず、スケールは大きそうだ。首都ってどのくらいの大きさなのかは分からないけど。
「とにかく、街はただでさえお祭の混乱があるのに、それに加えて魔力もしっちゃかめっちゃかになる。これでとりあえずはお祭を楽しめるってわけ。」
エレノラさんがまとめ上げた。
「そういうわけだ。さあ行くぞ。」
よく見ればエーリャさんも外出しそうな格好だった。
「あれ、エーリャさんも行くんですか。」
「ああ。久しぶりに首都の様子でも見ようと思ってね。」
「アキは?」
「付いてく。……見送りたいから。」
そう言いながらもアキはエーリャさんの腕をぎゅっと握っていた。
そんなこんなで、僕たちはドラゴンの背中に乗って首都の近くまで飛んでいくことになった。
ドラゴンの背中は、お世辞にも乗り心地がいいとは言えなかった。
ごつごつした背中もそうだが、何よりも風がすごい。
なんだかんだミルの杖に乗っていた時はその辺の加減がされていたようで、今は肌を切り裂くように風がぶち当たってくる。
「この風、どうにかならないの!?」
隣のミルに叫ぶが、
「無理!我慢して!」
無情な答えしか返ってこない。まあ、魔法が使えないんだもんな。仕方がない。
耐えること三十分ほど。ドラゴンはだんだん高度を落とし、遂に森の入り口に降り立った。
エレノラに頭を撫でられて、またドラゴンは一枚のカードに戻っていったのだが、岩山ほどの巨体が光の粒に変わっていく様は圧巻だった。
「それじゃあ、次は私の番ですね。」
レミは、どこから取り出したのか自分の身長ほどもある長い杖を振り回しながら魔法をかけ始める。
「さあ起きなさい。眠りの時間は今終わった。起き上がり、自らの姿をさらしなさい。そうして姿をさらした後は、あなたを手にした者たちと付かず離れず動きなさい。消えることなく、隠れることなく、いさかうことなく、脅かすこともなく。隣を歩き、喜び増して、悲しむ人のないように。」
その言葉は日本語だった。優しい響きと共に、レミの体から溢れるように青い光の粒が飛び出していき、そのまま遠くに見える巨大なビル群へと消えていった。
レミは、少し疲れたように肩を落とした。
「これで、起動しているはずです。」
「失敗していたら、その時点でわれわれは終わりだぞ。」
エーリャさんが脅かすが、エレノラさんやミルはどこ吹く風といった感じだった。
「お師匠様が失敗なさるわけありません。」
「いや、私だって時には失敗しますけど……。」
信頼過多がちょっとつらそうな感じでもあった。
ただまあ、首都に近づいたところで、すぐにエーリャさんの心配が杞憂だったことが分かった。
昼間だというのに、首都は深青に輝いていたのだった。
*****
それで、現在。
首都に入った僕たちは、人混みの中をかき分けて進んでいる。
「これって、どこに向かって進んでるの?」
ミルに聞くが、ミルはいまだ心ここにあらずといった風だった。
「ねぇ、ミル。」
とりあえず肩を揺らしてみると、ようやく自分を取り戻したようだった。
「あ、はい。何?」
「今ってどこに向かってるの?」
「パレード。」
パレ……へ?
「パレード。マモルはパレードは初めて?」
エレノラさんがにっこりとこっちを見る。レミも同じようににっこりとしているが、一言もしゃべらない。
「ええ、はい。こういう街中のは。遊園地のものくらいで。」
周りに浮いているレミの姿達も、大体がにっこりとして一言も話さない。ただ、ふよふよと誰かの後をついていっている。
やっぱり、正直なところ不気味な光景であるが、あまり騒ぎにはなっていない。時々すれ違う人たちが、「今年の合建祭は凝ってるね」みたいな会話が聞こえるくらいだ。
あと、時々青い顔をして走り回っている制服の人がいるくらいだ。制服と言っても、警官が着るようなそれだ。
「警官が着るようなというか、警官が着ている服だ。大方未登録の魔力が飛び回っているから緊急動員されているんだな。」
エーリャさんが仮面で顔を隠しながら教えてくれた。
「どうして顔を隠してるんですか?」
「私は指名手配されている。」
想像以上に物騒な答えが返って来て、怖くてそれ以上は聞けなかった。
アキがバッとエーリャさんから離れる。代わりに僕の左腕を取る。
なんというか、アキを託す人を間違えたのかもしれない。まあ、大丈夫だろう。多分。
しかし、仮面なんて付けて逆に怪しいまれないかと思うが、周りを見たらエーリャさんのものと似たような仮面をつけている人がちらほらいた。そういうお祭りなんだろう。
それで、パレードだった。
「パレードって、やっぱり、あのパレードだよね。」
「パレードというものがそう色々あるとは知らなかったけど。」
ミルは皮肉がましいが、パレードにもいろいろあると思う。仮装してたりとか、着ぐるみとか、ぴかぴか光ったり。まあ、どれも同じ遊園地で見たものだったけど。
「そうじゃなくて、何でパレードなんて見に行くの?」
「せっかくのお祭りだから。楽しまないとね。」
エレノラさんはレミとシンクロしながらウィンクを飛ばす。
いや、そういう場面だっけ。今。
進めば進むほどに人混みは厚くなっていく。
ついには一歩も前に進めないほどとなった。誰一人、前に進んではいない。そんな中、深青色のレミがぽつ、ぽつと頭の上に浮きあがっている。
やはり、異様だ。
ちなみにうちのレミ(本物)も浮いている。エレノラさんはちょっとうらやましそうだ。
「そこからだと、よく見えそうね。」
レミ(本物)はいたずらっぽく笑う。
といったところで、突然空が暗くなり、地響きが起こる。
「地震!?」
ファンタジー世界でも地震はあるもんなのかと思ったが、そういうわけではなかった。
断続的に怒る地響きの中、おどろおどろしいBGMとともに現れたのは怪獣だった。
それはもう、タワーを倒して放射線とか吐きそうな怪獣だ。まあ、厳密には少し違うが。
そんなのが、枝分かれするビルの隙間から顔を覗かせている。
湧き上がる歓声。
こちらに吹き出る火炎。
避けるレナ達。
喜び交じりの悲鳴。
炎はこちらにまで届きはしたものの、全く熱くはない。炎というよりは、光の渦のようだった。
「な、何?」
アキが怯えたように僕の手をぎゅっと握った。
僕と比べて頭半分ほど小さいアキには、この人混みで前が良く見えていないようだった。
ちょっと迷ったところで、僕は背中をアキに向け、少しかがむ。
振り向くと、アキは困惑した感じである。
「ほら。」
自分の背中をポンと叩く。意図が通じたのか、アキが背中に体重を預けてきた。
そのままアキを背負い上げる。が、ちょいと刺激が強い。
腿の柔らかさとか、背中にある感触とか匂いとか。
でも、振り返ったところにあったアキの顔は、目をキラキラと輝かせて炎を吐く怪獣を見ていた。
僕も一緒に前を向きなおすと、避けるように上に飛び上がっていたレミのうち何人かが顔を見合わせて、こくりと頷いて怪獣の元に飛びかかっていく。
怪獣は初めは気にも留めずに歩みを進めていたが、次第に羽虫に寄り付かれたように腕をぶんぶんと振りまわし始める。レミ達はその腕を避けるように動く。
しびれを切らしたのか、怪獣はついにレミ達に向かって炎を吐く。レミは一か所に集まって、光の壁で光の炎を防ぐ。
飛び散った火の粉が、まるで光のシャワーのように僕たちの元に降りかかる。
わぁっと感動の声が上がる。
ふとレミ(本物)の方を見ると、飛び回っている方のレミの動きに合わせて微妙に手を動かしているようだった。いや、逆か。
レミがあのレミの人型を動かしているんだ。
レミが僕の視線に気付くと、いたずらっぽい笑みを浮かべて、右手の人差し指を口に当てる。
レミの人型は二組に分かれ、一組は怪獣からコミカルに逃げ回り、もう一組はこちらに向かって手を振る。
それに合わせて観客たちが拍手や指笛を鳴らして、歓声を送る。
「すごいね!すごいね!」
アキも背中で大喜びの様子だ。
逃げるレミ達を追いかけていた怪獣の前に、何やら大きな……何かが立ちはだかる。
なんなんだろう。あの怪獣の半分くらいの大きさで、黒い体に大きな耳がある。阿修羅みたいな感じで三つ仮面をつけて、二本の手には石を二つ。
その石をカキンと打ち鳴らすと、石から赤い閃光が飛び出す。
怪獣はその仮面と対峙し、突っ込んで行く。
しかしその仮面は華麗に飛び上がり、低く突進してくる怪獣の背中に手を置いて見事な前転。そうして背中を取ったところで、再度、再々度石をカキカキンと打ち鳴らす。
すると石から出ていた閃光は稲妻となり、怪獣の体に突き刺さる。
そのまま怪獣はもだえ苦しみ、やがて黄色い光の粒になって爆発。視界が一瞬で真っ黄色になった。
「うわぁ……。」
まさに光の洪水だった。目の前を大小の黄色い光の粒々がものすごい勢いで通り過ぎていく。
アキが手を伸ばすと、その手を避けるように流れを変え、光を掴もうとすればさらに細かな輝きに変わって流れていった。
気が付けば空はまた明るくなって、さっきの仮面が踊りまわっていた。
その踊りにつられるように、仮面の仲間のようなものたちが列をなしてやってきた。
いろんな形が付いて回る。ウサギのように飛び跳ねるもの。羽ばたいて飛んでいるもの。大きいのや小さいの。みんなどこかしらに石を持って、時々そこから花火のような光の柱を打ち出している。
もう一つ、みんなそれぞれの仮面をつけている。少し小さいのが、エーリャさんの付けているのと同じ仮面を付けていた。
「このパレードは、共和国連邦の建国時の伝承を元にしているんだそうだ。強大な敵に立ち向かった三つの国。その後を追って仲間となった二十二の国。それぞれの仮面がその国を表している。」
エーリャさんの解説を聞きながらも、目はパレードの方から離せない。
どこで鳴らしているのか、場面場面に合わせてBGMや効果音がしっかり入っている。
踊りながら進む一行の前に、時々仮面をつけていない動物が襲い掛かっていく。しかし、それらに対し時々傷つきながらも互いに協力し合って打ち倒していく。中には仮面をつけて隊列に加わる動物もいた。
やがてエーリャさんの言った通り、二十五個の仮面がそろったところで、高笑いが聞こえてきた。
ザ・悪人といった風の女性の高笑いと共に、三角帽子をかぶった黒ローブの集団が立ちはだかる。
「異大陸人のお出ましだ。」
それからその二勢力は光を飛ばし合う。傷つき合いながらも両者引くことはなく、こちら側の仮面にひびが入れば、相手側のローブが裂け、まさに一進一退の攻防といった風だ。
そうして、だんだんとこちら側が押しているように見えた頃、一体のローブが空から降りてきた。
そのローブは他のローブと比べると少し小さかった。しかし、放っている光は他の何よりも強かった。
その紫色の輝きは、光源が一回りするのに合わせて即座に板状に広がった。その板はあらゆる光を弾き、触れるものを傷つけていた。もちろん、パレード中の僕たちには無害だけど。
ローブたちはしばらく板に向かって光を放っていたが、やがて諦めるように去って行った。
仮面をつけた側はおどけるように板の向こう側を探っていたが、その板の向こう側から何も来ないことを悟ると、みんな喜びだした。
その喜びに合わせて、観客たちも歓声を上げる。
その中、いっそう大きな花火を打ち上げて、一緒に紙吹雪も舞う。どうやらフィナーレのようだ。
そのまま仮面をつけたものたちは来た時と逆の方へ、こちらに手を振りながら去って行った。
パレードの興奮冷めやらぬまま、人の壁が動き始める。その動きに合わせるように僕たちも動き出した。
「すごかったね!」
背中でアキもひどく興奮している様子だった。
「こう、光がどーんってなって、音もがががって。」
「気に入ってもらえたみたいね。マモルはどうだった?」
エレノラさんが振り向きながら尋ねてきた。
「あ、はい。凄かったです。なんというか、ここでしか見れないなって感じで。」
「そう。だって、良かったね、ミル。」
話を振られたミルは、なんだかすごいびっくりしていた。
「な、何で私に振るんですか!?」
「だって、パレードを見せようって言いだしたのミルじゃない。ここでの最後の思い出に、ちょっとでも良い記憶を持って帰ってもらおうって。」
そうか。言われてみれば、僕はもう帰るんだから、これが魔法の見納め、ってことになるかもしれないんだ。
「……ありがとう。」
「そ、そんなことより、いつまでおんぶしてるの!」
言われてみれば確かにもうアキをおんぶしている必要はなかった。
降りるようアキを促してみるけど、逆に掴まれていた腕が強くなった。
「……もうちょっと、このままでもいい?」
「へ?いや、まあいいけど。」
ちょっと疲れてきてはいたけど、まあもう少しは頑張れる。
考えてみたら、アキともこれでお別れになるんだ。アキも、寂しがってくれているのかもしれない。
「さぁ、楽しんだ後はショッピングね。お土産だって買ってもらわないと。」
エレノラさんはレミの手を引いて、少しはしゃいでいる様子だ。
「それじゃあ、私は先に宿で待っている。」
エーリャさんはそう告げてさっさと消えてしまった。
「お土産って言っても、どんなものを持って帰れるんですか?」
「さあ?まあ、その服はあなたの世界のものなんでしょう?だから、身に付けれられるものだったら大丈夫なんじゃない?」
なんだか投げやりな感じだ。
「お姉様、一応言っておきますけど、お師匠様は――。」
「分かってるわよ。」
そう言いながらも、その辺の露店でアクセサリーを物色しては発光しているレミに合わせたりしている。それをされているレミの方は苦笑するばかりだった。
「お、姉ちゃんも例のアクセ買ったんか。」
「ええ、まあそんなところ。せっかくだから何か付けてあげようと思って。」
「物好きだねぇ。」
なんだか長くなりそうだったので、エレノラさんとレミはとりあえず置いておくことになった。お金をいくばくか受け取って宿で合流すると伝える。
アキを背負いながら、ミルの案内で街を散策する。
「なんか、上を見上げると近未来って感じなのに、こうやって道路歩いてるとあまり変わらないんだね。」
上を見ないようにすれば、歩行者天国のビル群といった感じだ。露店がこんな風に並んでいるのは見たことはないけど、祭りの出店と考えれば違和感もない。
「ま、どれだけ発展しても人間のやることなんてあまり変わらないってことでしょ。」
まあそんなものか。
「アキの世界はどうだったの?」
そう聞くと、アキは首をふるふると振った。
「……私、あまり外に出なかったから。」
そういえば、元々は病弱だったって言っていたっけ。
「でも、多分、同じ。人が歩いてて、集まってお買い物したり。あんな乗り物は見たこともないけど。」
「ま、そうだよね。それにしてもお土産か。何を買ったらいいのかな。」
定番として、こんな夢みたいな体験が夢じゃなかったことの証明になるものなわけだけど、実際のところそれはもうある。アキにもらったミサンガと、レミにもらった指輪が。
「そういえば、ミルからは何も貰ってないな。」
「は?なんで私がマモルに物をあげなきゃいけないわけ?」
まあ、確かに理由はない。
「いや、ただ、他のみんなからは何かしら貰ったりしてたなって思って。別に欲しくて言ってるわけじゃないけど。」
「お師匠様……はそっか。でもお姉様は?」
「豚汁。」
ミルはうっとなった。
「私だってお守りがんばってあげたよ。」
後ろでアキも同調してきた。
ミルはすごい苦虫を噛み潰したような顔をしている。よく考えたらエレノラさんの豚汁が良いなら、ミルからはお茶をずっともらってたんだけど、まあいいか。
「……分かったわよ。私がお土産を選んであげる。それでいい?」
うん。せっかくだからそうしよう。どの道、お土産を買うためのお金は出してもらうしかないわけだし、選んでもらうくらいは良いだろう。
ミルは唸りながらいくつか露店を見て回っていた。
「うーん……これはガラじゃないし、こっちはちょっと高すぎ……。」
「ねぇミル、そんなに拘んなくても。」
「うるさい!」
怒鳴られてしゅんとしてしまう。
「ミルさんって、意外と凝り性なんだね。」
「うーん、こう、ばって選んでもらいえるもんだと思ったんだけど。」
あまりにも時間がかかっているため、僕は遂に音を上げてアキを下ろしている。
「うん、決めた。」
「ほんと?」
ミルは自信満々の顔をこちらに向ける。
「ここじゃない。次の店に行くわよ。」
「あ、うん。分かった。」
まあ、頼んだのはこっちの方だし、今更断るのも失礼すぎる。
次に見た露店は、例の赤い石……魔術回路だっけ。それをアクセサリーにしているお店らしい。
「マモルの世界には、魔法がないんだっけ。」
「え?ああ。まあそうだね。」
「そっか。じゃあ、魔術回路買っても意味ないか。」
「あ、でも待って。せっかくだから欲しいかも。」
変な話、ミサンガとか指輪とかはどちらも一品物ではあるけど、僕の世界でもあり得ないものではない。
でも、魔術回路は違う。僕の世界に持っていくとどうなるかは分からないけど、もしそのまま持っていけたらまさしく「異世界のもの」になる。
でも、アキは変な顔をこっちに向ける。
「ほんとにこれで良いの?」
「うん。」
「そう。」
ミルは納得したようで、露店を物色し始める。僕もアキと一緒に並んでる商品を眺める。
どうも込められている魔術が色々と違うらしい。ただ、見る限りだと「発光する」だとか「音が鳴る」みたいに実用品というよりは、記念品のようなものらしい。
「あの、これって試したりできないんですか?」
アキが聞くと、露天商の兄ちゃんは人を小ばかにしたような笑いを浮かべる。
「嬢ちゃん、魔術回路は初めて?」
「えっと、はい。」
「じゃあ教えてやるよ。いいかい、ここの魔術回路は全部一回限り品なの。つまり、一回使ったら充魔しないといけないわけ。そんなの使われたらこっちが困っちゃうよ。」
電池の絶縁シート抜かれるみたいなもんか。しかし、お試し品みたいなのがあってもいいと思うんだけど。
ミルはまたうんうん唸りながら商品を手に取ったりしていたけど、やがて一つに決めたようだった。
「うん。これにする。おじさん、これ三つちょうだい。」
「お兄さん、な。毎度あり。」
商品を受け取ったミルは、僕とアキに一個ずつ渡す。
「これは……ブローチ?」
「ええ。ブレスレットも指輪ももうあるし、それぐらいがちょうどいいかなって。」
しかし、ブローチなんて付けたこともないからよく分からない。とりあえずポケットの中に入れておこう。
「私ももらっていいの……?」
アキがおずおずと尋ねると、ミルはちょっと目線を逸らしながらも小さくうなずいた。
「まあ、こうやって会えたのも何かの縁ってわけで。こういうのも悪くないでしょ?」
アキはそれを聞いてぱぁっと顔を明るくさせて大きくうなずいた。
「ありがとう、ミルさん。」
「あー、さんはやめて欲しいかな。」
「じゃあ、ミルおねえちゃん。」
「おね、」
予想外の答えだったのか、ミルはものすごい赤くなっている。というか、「さん」づけはダメといわれて「おねえちゃん」って返すのはどうなんだろう。
「ま、まあいいわ。えーっと。」
「アクェーミュン。でも、アキでいいよ。」
「アキ。まあ、これからもよろしくってわけで。」
うーん。仲良きことは美しきかな、なんて。
「そういえば、どういう魔術回路なの?」
「水が出る。」
「水が出る。」
ミルがこくりと頷いた。なんというか、地味だ。
「なんかもっとこう、ばばーっと光が出るとか、それっぽいのもあったんじゃない?」
「文句あるの?」
「いえ。すみません……。」
まずった、かな。でも、アキも少し思うところがあったのか、ちょっと言い訳がましく続ける。
「でも、水が出るって大事だから。どんな時でも水は必要不可欠なわけだし。」
「まあ、確かに実用的だね。」
でも、まさか実用面で選んでくるとは思わなかった。
と、突然の水音といっしょにアキが声を上げた。
「どうしたの?ってびしょ濡れじゃん!」
アキの体はいつのまにやら全身ずぶぬれになっていた。
「あの、もらった石から水が飛び出して……。」
なるほど。早速発動させちゃったわけか。
というか、よくよく見ればアキの着ていた服は水にぬれてぴったりと密着してしまい、その、ちょっぴり透けちゃったりしていた。
「何見てるのマモル!」
「ご、ゴメン!」
慌てて顔を逸らす。ミルはその辺で羽織り物を一枚ぱっと買ってすぐにアキに羽織らせた。
「ダサいのは我慢してね。ちょっと早いけど、もう家に行こ。」
「ごめんなさい。」
アキはやっぱり落ち込んだ様子だ。濡れた髪を梳くように頭を撫でる。
「大丈夫大丈夫。どんな魔法か見れたわけだし。丁度良かったって。」
「マモルは優しいね。」
「そうかな。」
アキはちょっと嬉しそうにそう言ってくれるけど、複雑な気持ちになる。
女の子に言われる「優しい」って、ね。
ミルに連れられて歩くが、どんどんビルが低くなり、心なしか暗くなっていく。
いわゆる、「スラム」って感じの、正直治安が良くなさそうなところだ。
「ねえミル、宿ってこんな所にあるの?」
「正確には、私とお姉様の仮住まいだけど。アキ、絶対私から離れないでね。この辺危ないから。」
アキはもらった羽織り物を深くかぶり、ミルの服の裾をぎゅっと握っている。
「ねえミル。僕は?」
一応聞いてみるが、
「男の子でしょ?」
冷ややかな目を向けてくる。まあ、なんとなく分かってたけど。はぐれないようにしておかないと。
「っと。」
と、こっちを見ていたミルが、何やらガラの悪そうな二人組の兄ちゃんの片割れにぶつかった。
「悪かったわね。」
「あぁん?舐めとんのか?」
「おどれぇ人様にぶつこっとってひと詫びいりゃあええんちゅうんか?」
ひどく訛っているのか、片側は正直何を言ってるのかよく分からない。
「だから悪かったって言ってるでしょ?急いでるの。」
「またんけぇ。」
訛りの方がミルの肩を掴むが、ミルは即座にその手を払った。
「あぁー、たたー。いんでぇ。おれっちょうよぉ。」
「おおー、ジンちゃん。大変じゃんか。おい、姉ちゃん。」
ミルと僕の間に二人が完全に割り込む。
ミルはため息をついて、彼らに正対した。
「何?急いでるって言ってるでしょ?」
「おいおいおいおい、人にケガさせといてその態度はないんじゃないの?」
「ケガって、ただぶつかっただけじゃない。」
「そっちじゃねぇよ!見ろよジンちゃんのこの腕。」
ジンちゃんと呼ばれた例の訛りの男の左腕は、しかし特に別状はなさそうだ。赤くもなっていない。
「あちゃーこれはひでぇ。イっちゃってんじゃん。」
「別に何ともなってないじゃん。」
つい口に出てしまった。ちょっと口調も写ってしまった。
「ああん?」
「あ、いえ。わーたいへんそうだなー。」
とりあえず無難に済ませようと同調してみると、今度はミルにため息をつかれた。
まあ、仕方がない。まだ穏便に済ませられるはずだ。
「分かった。で、いくら?」
ミルも面倒くさくなったのか交渉に入り始める。
「こいつは安くはないじゃん。万は行くに違いないよこれぇ。」
「ま、マンでぁえいんやぜ。」
ジンちゃんが下卑た笑い声とともに何やら言うが、ただでさえ分かりにくいのに笑い声まで混じって余計に分からなくなってしまっている。
「あっそ。じゃ、はいこれ。お釣りは要らないから。」
ミルはさっさと持っていた財布を渡して、踵を返して歩き出した。
「あ、待って待って。」
僕もあわててついていこうとする。
「ひぃのふぅの……おい待てや!」
が、ジンちゃんに腕を掴まれてしまった。
「あ、えと、なんでしょう。」
「足りんちゃうんけ?」
「え、たり?」
「きんすたりんちゃうんちゅうとんとんけ!?」
興奮あいまって巻き舌で全く分からん。
「ちゃんと一万はあったはずよ。全く、数も数えられないの?」
ミルがいらいらしたような雰囲気でまたこっちに近づいてくれた。アキはしっかり隠れている。
「あんだとごらぁ!?」
ジンちゃんに掴まれた腕をそのままグイッと背中に回された。
「み、ミル。」
「おい女ぁ!この男がどうなってもいいじゃんか!?」
あ、そういう展開か。ミルはため息を一つついて、手をひらひらと振ってまた背中を向ける。
「お好きにどうぞ。」
「え。」
「ちょ、ちょまてや!」
ジンちゃんは懐からナイフを取り出して僕の頬に当てる。
「おめぇええんかよ!ツレいんでまうぞごらぁ!?」
「み、ミル!」
「男の子でしょ?」
「いや、無理な時は無理だって!」
そう言いつつもできることを探す。
ミルは多分ニ対一でも負けそうにはない。でも、僕とアキで今は足手まといが二人もついている。僕が捕まるくらいならまあいいとしても、アキまで捕まるのは僕だっていやだ。
そうは言っても、今手に届きそうなのと言えばポケットにあるブローチ位。水を出して、どうしようか。
ミルの方は本気で僕のことを見捨てるように見えたけど、アキに止められて諦めてこっちに向かってくれそうだ。
「で、何が欲しいの。」
「ととと、とりあえず、脱げっちゃ。」
ミルはため息をついて上着を一枚脱ぐ。
「おぉー。」
ごろつきたちは声を合わせる。
「はい、これで良いの?」
「や、ま、まだだ。まだ足りねぇだろ。」
ミルはため息をついて、じらすように服の裾をゆっくりとあげる。
ごろつきたちはそのゆっくり上がる裾に集中しているようで、僕を掴む力が少し弱まっている。
今だ。
さっとブローチをポケットから取り出してジンちゃんの顔に向けて水を放つ。
「食らええ!」
「うわっぷ。なにしでからっちゃ。」
水の勢いは思ったよりも強く、完全に僕の拘束を剥がすことができた。
そのままミルの方に逃げると、同時にミルが二人に向かって駆けだした。
「でりゃあ!」
半周でジンちゃんの持っていたナイフを蹴り上げ、もう半周で顔に思いきりかかとを食らわせる。
吹き飛んでいくジンちゃんの左腕を逃がさず掴み、そのままさらに一回転してもう一人に向かって投げ飛ばした。
「あが!」
「ひで!」
そのままぐでっと二人は倒れこんだ。
「一昨日来なさいってなもんよ。」
ミルは倒れこんだ二人から自分の財布を回収して一発蹴りをかます。
「さ、逃げるわよ。」
「え、逃げるの?」
「こいつら、一匹出てきたら十匹で襲い掛かってくるから。面倒くさいったらありゃしない。」
ミルはアキをさっと抱え上げて、すたこらさっさと走り去っていく。
僕もあわてて追いかける。
「それにしても、ミルは強いね。」
「ま、まあ、魔法を使うだけが魔女じゃないってね。」
そういうものなのか。
そのまま僕たちは宿まで走ることになった。
宿と呼んでいるそれは、普通の2DKのマンションで、一室が居間、一室が寝室となっているらしい。清潔ながらも生活感のある女の子の部屋って感じだ。いや、女の子の部屋になんて入ったことないけど。
「お帰りー。」
「ただいま帰りました。」
「あれ、雨でも降りましたか?」
すでに三人は帰ってきていたようだ。三者三様にゆっくりとくつろいでいた。
「まあ、色々ありまして。私はアキをシャワーに連れて行きますね。」
「僕はどうすればいいの?」
頭から水をかぶったアキほどじゃないけど、僕もはねっ返りで結構水浸しになっていた。
ミルはまたため息をついた。
「すみません、お師匠様。よろしくお願いします。」
「はいはい。そんなにため息ついてたら幸せ逃げちゃいますよ。」
レミが僕の方に近づきながらなんだかお母さんみたいなことを言っているが、ミルには通じていないみたいだ。
「なんですか、それ。」
「え、聞いたことないんですか?」
レミが僕に触れると、一瞬で僕についていた水が蒸発していった。すごい。
でも少し体が冷えて、くしゃみを一発。
「守は知ってますよね?」
「え?ああ、うん。まあ。」
それを聞いてずいぶんとほっとしたようだ。
「こっちじゃあまり言わないんですかね。」
「私も聞いたことないわね。」
エレノラさんも首を振っている。それでますます満足そうな顔になった。
「良かった。遂に例のアレが出たのかと。」
「例のアレって?」
「あの、世代がどう的なアレです。」
ああ、ジェネレーションギャップか。何をそんなに言い淀んでいるのかと思ったけど。
ふと考えてみる。確かミルはエレノラさんと会ってから五年は経ってるって言っていた。
レミに西暦を聞かれたときは、一年くらい後とかなんとか言っていたっけ。
で、あっちでの一年はこっちの十年ってことだから……。
「何を考えているんですか?」
レミが睨むようにこっちを見てきていた。
いつのまにやらシャワー音が聞こえる。
「あ、い、いや。なんでもない。疲れたのかな。」
空笑いでごまかそうとするけど、レミはへそを曲げた顔をやめなかった。
ミルたちの後、僕もシャワーを借りた。
シャワー室から出ると、いつのまにやらベッドが用意されていた。
「あれ、これは?」
「守のベッドです。今日はここで寝てもらいますので。」
ほかにベッドがないところを見るところ、どうも僕一人がここで寝るらしい。まあ、他がみんな女の子と考えれば当然か。
「レミは私のベッドで寝てもらうから。ちょっと狭いけど。」
「あれ、アキとエーリャさんは?」
ミルは自分のベッドがあるだろうから、そこで寝るんだろうけど。
「私らは帰るよ。」
アキと一緒にエーリャさんの方を見る。
「私はちょいと有名すぎるし、この子はどう見ても荒事には向かん。私らはただの邪魔者なんだよ。」
エーリャさんがアキの頭をポンと撫でる。
そうだよな。あの施設の魔法陣を借りるってことは、あの施設に侵入するってことなんだ。
脱出しようとしたときのことを思い出す。できれば、あんな目にはもう二度と会いたくない。会わせたくもない。
アキは少ししょんぼりとしていたが、首を振って、寂しそうに笑った。
「それじゃあ、ここでお別れ、だね。」
そう。
もう、二度と会うこともない本当のお別れ。
たった数日。でも、それでも、こんなに切ない気持ちになる。
左手に付けたミサンガを撫でる。ミサンガに通された二つの玉をかつんと鳴らす。
「マモル?」
「僕、アキの事忘れないから。」
そう言うと、アキはにっこりと笑った。まるで、雲から顔を出した太陽みたいに。
「うん、お守り、大事にしてね。」
当然だ。このお守りは、僕に勇気をくれた。
「それじゃあ、元気で。」
「マモルも。」
それで手を振り合って、ちょっと笑った。
と、一息ついたところでエーリャさんが一つ咳をついた。
「そろそろいいか。街の外までは歩きなんでな。」
「あ、は、はい。」
アキは我に帰るようにぴょんと体が跳ねた。
「で、私からはこれだ。」
エーリャさんから渡されたのは、ミルに買ってもらったブローチだった。
「これって。」
「使用後だったから、魔力を込めておいた。」
確かに、折角のお土産がただの石になってたら残念極まりない。
「ありがとうございます。アキの事、お願いします。」
「ふん。こっちもよろしく頼むよ。」
もう一つ、例のシリンダーを渡してきた。
「ふたを閉じて、門に投げ入れる。それだけでいい。」
「はい。」
それで、アキとエーリャさんは部屋を出て……。
「あ、ちょっと待って。」
アキがこっちに小走りで向かってくる。
そして、アキの顔が僕の顔に近づいて、
*****
「……ル!マモル!」
体をゆっさゆっさと揺り動かされて、正気に戻った。
「あ、ミル。なんだっけ。」
周りを見ると、もうアキとエーリャさんはいなかった。
目の前のミルは呆れたような顔をしていた。
「あ、そうか。もう二人は帰っちゃったんだ。」
「全く、高々キスされたくらいで。」
「キ、キ、」
やっぱり、夢じゃ、無かったのか。口元に手を当てる。
やわらかかったなぁ。いや、どうだっけ。
あまりの衝撃に覚えてない。なんと勿体ない。
頑張って思い出そうとしていたらアキがため息をついた。
「話進めたいんだけど。」
「あ、うん。ゴメン。」
ミルがもう一度、大きなため息をついたところで、レミが少し笑いながら話を始める。
「えーっと、それでですね。明日のことですが。」
僕はたたずまいを正して話を聞く姿勢を取る。
「とりあえず、研究所自体は開放日になっているそうですので、施設内にはそれで入ります。」
「レミは大丈夫なの?」
確か、魔力が出っぱなしって話だったけど。
「そこは、出たとこ勝負ね。レミの人形はまだ残ってるけど、『入らないで』って言われたら入らないだろうし。」
『人形』っていうのは、あのフワフワ浮いていた青いレミのことだろう。
「そういうものなの?」
「そういうものですね。」
もっと融通利かない感じにすればいいのに。そういえば、魔法を唱えてた時邪魔にはなるなみたいなことを言ってたっけ。
「まあその時は、施設外から穴を掘ってもらうしかないわね。だから一応、はいソバディゴ。」
エレノラさんがレミに一枚のカードを渡す。
「アレは?」
「お姉様の召喚獣ですね。確か……土竜ですね。」
「ふーん。」
穴を掘るから土竜か。分かりやすい。
「それで、マモルだけど。」
今度は僕の話か。
「マモルは、戦闘になった時は私達の誰かから離れないで。」
僕も戦う、とか言えたらいいんだけど、どう考えてもお荷物でしかないんだ。
要するに今回のミッションは、荷運びなわけだ。
「分かった。すぐに二人の後ろに行く。」
「ずいぶん聞き分けが良いみたいだけど。」
ミルはなんだか不満そうな声を上げる。
「まあ、僕だって死にたくはないし、それに僕のせいで誰かが傷ついてほしくない。邪魔だって言うなら、邪魔にならないところには行くよ。」
ミルは鼻を鳴らして答える。
「ま、いーけど。」
エレノラさんは、そんなミルを見て大きくうなずいた。
「それじゃあ、明日頑張りましょう。おやすみなさい。」
「え、これだけ?」
なんというか、ずさん過ぎないか?
「まあ、基本は出たとこ勝負だから。ちゃんと頭動くようにしておいてね。」
エレノラさんはあくびをしながら部屋を出て行った。ミルとレミもそれについていく。
なんというか、不安だ。本当に明日ちゃんと帰れるんだろうか。
*****
不安からか、寂しさからか、なんだかうまく寝付けない。
大きな窓からは、月明かりが漏れていた。
それを遮るように人影が一つ、いや二つあった。
「誰?」
声を上げると、その人影はこちらに振り返った。
「あ、ごめんなさい。起こしちゃいましたか?」
レミの声が聞こえて安心する。とすると、隣にいるのはエレノラさんか。
「いや、眠れなかっただけ。そっちは?」
「私は日課です。こうやって、夜空を見に。寝室の窓はビルが邪魔であまり見えないんです。」
「へぇ。」
ベッドを降りて、一緒に空を見上げる。
「マモルもよく外に出てたわよね。好きなの?」
エレノラさんが尋ねてきた。
「どちらかというと、嫌いでした。」
自分はよそ者だって、たった一人なんだってどうしようもなく伝えてくるようで。
でも、今は違う。むしろ、帰る場所があるってことを教えてくれていた気がする。
「今は?」
エレノラさんがまた尋ねる。
「今は……レミが『動き月から来た』って言った意味が、分かる気がします。」
あの月は、まるで僕の知る月のように満ち、動いている。それが何だか余計に郷愁を誘う。
月明かりに照らされたレミは微笑むばかりだった。
「『動き月から来た人』の話はね、異世界人が夜空ばっかり見上げるからそういう風に言うようになったんだって。ちょうど二人みたいに。」
エレノラさんも空を見上げて、独り言のようにつづける。
「不思議よね。レミの話だと、ほんとに変わってるのは留まり月の方なのに、昼間のそれは見向きもされないのよね。」
「当たり前ですよ。だって、月は夜に見るものですから。」
レミがそっけなく答えると、エレノラさんはぷっと吹き出した。
「そっかそっか。それじゃあ仕方ない。」
僕は朝に名残惜しそうに出ている月も好きだけど、言葉にはしないでもう一度空を見上げた。
二つ目の月を見ることも、もうないのだろう。