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 「いやぁああああああああ!」

 朝陽の射すころ、僕の部屋に女の子の悲鳴が響いた。いや、二階中に、といった方が正しいだろうか。

 ドアから顔を出すと、四つのドアのうち、自分含めて三つのドアが開いているのが見える。

 そして、四人の姿。ミルにレナ、エレノラさん、そしてエーリャさん。誰も悲鳴を上げた後のようには見えない。

 と、いうことは。

 僕は慌てて開いてないドアを開け、アキのいるであろう部屋に入る。

 

 アキは、ベッドの上で目を見開いて、手をじたばたと暴れさせていた。

 「アキ、アキ!僕だよ!」

 「嫌!こないで!」

 アキの暴れる手を掴もうとするけど、アキは全くの手加減なしに暴れていて、うまく抑えられない。

 それに、拒絶の言葉が効いた。

 それでも止めようとするけど、アキは声にならないような声を上げ続ける。

 ふと、後ろからカンッ!と乾いた音が響いて、窓の戸が閉まり、部屋に入る光が無くなった。

 振り向けば、杖を持ったエーリャさんの前にレミが立っていて、深い青に光りながら近付いてくる。

 レミは僕の肩に手を置いて、優しく笑って、そして僕をそっと押しのけた。

 レミの光に照らされたアキは、さっきより落ち着いた風だけど、怯えながら首を振っている。

 「いや……だめ……。」

 両手を前に出して、レミが近づいてくるのを止めようとしているけど、レミはその腕を優しくつかんで、静かに下ろさせる。

 そして、ぎゅっと抱き寄せた。

 「大丈夫。落ち着いて。」

 「あ……あう。」

 アキは口をだらしなく開けっぱなしにしてなされるがままになっている。

 「さあ、あなたを見つけて。本当のあなたを取り戻して。あなたの名前を、私に教えて?」

 「わた、わたしの、なまえ。」

 レミの光がじんわりとアキの体に入っていく。

 「わたしのなまえ。」

 「そう。あなたのお名前。教えてくれる?」

 レミがアキと視線を合わせ、小首をかしげている。

 「わたし、アクェーミュン。ルッタールォのアクェーミュン。」

 「そう。いい名前。」

 そして、アキの頭を撫でる。アキのつつむ光が一層強くなる。

 「じゃあ、アクェーミュン。今はどうかゆっくり休んで。ここはあなたを拒まないから。あなたの中の、あなたをもう一度見つめて。」

 「う……ん、は……い。」

 アキの体は力を失った。その体をレミが支えて、ゆっくりとベッドに寝かせなおした。

 

 僕は、レミに促されるがままに部屋を出て、一階の食卓に着いた。

 「アクェーミュンの言ってたことは気にしないでいいと思いますよ。たぶん、何も見えてはなかったと思います。」

 レミはそう言って慰めてくれる。でも、やっぱり気にはなってしまう。

 アキの目には、僕の姿はどう映っていたんだろう。

 「……そういえば、アキに話しかけてた時、雰囲気違ったね。」

 ごまかす様に話を変える。と、思ったより効果があったようで、振り返ったレミは慌てたように手をバタバタさせる。

 「あ、あれはですね。その、お師匠様の影響で、つい固くなってしまうと言いますか。あと、普段は日本語で詠唱するんですけど、それだとどうせ分からないからちょっとくらいかっこつけてもいっかなー、なんて思って……って、あ。」

 レミは前を向いて、こちらを見ているエレノラさんと目を合わせた。

 「え、エレノラ。」

 エレノラさんは、凄いにやにやしている。

 「へぇー、ふーん。レミって、そういうこと考えてたんだ。」

 「ち、違いますよ、エレノラ。ちょっとだけ、ちょっとだけです。」

 「いいのよ?恥ずかしがらなくて。気分に乗せるのだって、魔法使うときには大事なことなんだし。」

 階段の途中でイチャイチャしている二人を抜かして降りると、紅茶のような香りが届いた。

 「お姫様のご様子はどうだった?」

 ミルが人数分のカップを用意しながら尋ねて来た。どうやら先に降りて準備していたようだ。

 「お姫様って、アキの事?」

 「ええ。今日も一番乗りで助けに行って。」

 ちょっと言葉に毒が混じっている気がする。ムッとして言葉を返す。

 「そう言うミルは、悲鳴を無視して優雅にティータイムの準備ってわけ?」

 「止められたの。病院の事を思い出すからって。」 

 誰にって聞く前に、自分のことを振り返る。僕も、そうだったのかもしれない。

 僕だって、病院のことを思い出すきっかけになってしまう。

 だから、レミが近づいた時は落ち着いていたんじゃないのか。

 「あ、ミル。守の事いじめてませんか?」

 イチャイチャし終わったのか、レミとエレノラさんがようやく降りてきた。

 「滅相もありませんよ、お師匠様。ただ、お話してただけですよ。ね?」

 ミルが目を細めてこっちを見てくる。笑っているつもりかもしれないけど、圧がすごい。

 「ね!?」

 「う、うん。」

 僕は、頷くことしかできなかった。

 そのやり取りを見てか、エレノラさんが笑っている。

 「すっかり仲良くなったみたい。」

 「お、お姉様!?」

 ミルが素っ頓狂なトーンを出す。僕としても、今のやり取りのどこに仲の良さを感じたのかぜひとも尋ねてみたい。

 しかし、すぐさまエレノラさんはレミに話を振る。

 「で、アキちゃんはどうだったの?レミ。」

 「はい。魔力はひどい状態でしたが、私の魔法をすんなり受け入れてもらえたので、たぶん次に目覚める頃には自分を取り戻してると思います。」

 「そう。良かったわね、マモル。」

 エレノラさんが僕に笑いかけてくる。

 「まあ、自分を取り戻すといっても、依然と同じようとは限らないけど。」

 ミルが喜びに水を差してくる。

 「ミル。」

 レミが咎めるが、ミルはびくっとしながらも、なんてこともないようにお茶をすする。

 「じ、事実ですから。」

 「ま、それはそうだ。」

 と、エーリャさんがパンとスープを持ってきて、パンをひとつ取って椅子に座る。

 「実験台にされて、人格が変わったなんて話は別に珍しくもない。むしろひどい目に遭って変わらない方がどうかしている。」

 エーリャさん以外が僕の方を見てくる。

 「確かに。」

 「守はあまり変わってなさそうですね。」

 「不感症なの?」

 エレノラさんの言葉に、ミルが吹き出しそうになったのをこらえている。

 「ぼ、僕だって。」

 続けようとしたけど、確かに今はそれほど何かを思っているわけではない。助けられるまでは、ひどいものだったけど。

 「さあ、考えてないでさっさと食べな。せっかくのスープが冷める。」

 言われて、慌ててミルがスープを人数分よそった。


 「それじゃあ、行ってきます。」

 「はい。お気をつけて。」

 朝食を終えた後、ローブをかぶったレミは革袋を持って、自分の身長ほどはある杖にまたがって飛びたっていった。

 「どこに行ったの?」

 ミルに聞くと、

 「首都。私たちが逃げてきたとこ。お師匠様は、そこでアクセサリーを売ってるから。」

 頭の中で、シートを引いて、そこに座り込んで客を待つレミの姿が思い浮かんだ。

 そういえば、エレノラさんがくれた指輪、レミの作ったものだったのかな。

 指輪を見ると、ついている石がもらった時より白っぽくなっているようだった。

 「首都って、二時間くらいかかったよね。」

 まあ、正確には二時間と半日ってところだったけど。

 「お師匠様なら、多分五度くらいだろうけど。荷物の差があるとはいえ、私とは比べ物にならないから。」

 一時間十五度だから、ニ十分程か。六倍は速いのか。そんなスピードで飛ぶなんてちょっと怖いな。

 と、後ろからエレノラさんがミルの両肩に手を置いた。

 「まあ、あの子も飛べるようになるまでは色々あったし、ミルもこれからこれから。」

 「はい、お姉様……。」

 ミルは自信なさそうに、エレノラさんの手をとった。

 魔法使いになる才能がないと突き付けられた僕にとっては、そもそも空を飛べるだけでも羨ましいものだけど、それはそれで悩みもあるようだ。


 家に戻って、椅子に座る。

 ミルは朝食の片づけをしているようだ。エレノラさんも手伝っている。

 エーリャさんはレミが出て行くちょっと前に上に戻っていった。多分、研究とやらだろう。

 僕は、何をしようか。

 決めなきゃいけないことがあるとはいえ、何もすることがないと暇でしょうがない。

 「あの、手伝いましょうか?」

 そう言って立ってはみるが、

 「いいのいいの。マモルはゆっくりしてて。」

 エレノラさんに遠慮される。そうしてまた椅子に座ってお茶をすする。

 なんというか、ゆっくりとしている。

 時計もない。遊び道具もない。ただ座って、部屋を見渡す。

 こうゆっくりしていると、自然と家のことが思い出される。

 そういえば、まだ新刊を読んでいなかった。というか買えなかったんだった。

 友達は元気だろうか。父さんや母さんは心配していないだろうか。

 「母さん……。」

 小さくつぶやいてみると、ちょうど片づけを終えたところらしく、二人がこちらを見ていた。

 「やっぱり帰りたい?」

 ミルが聞いてくる。

 「いや、ちょっと考えただけ。四日も居なくなって心配してないかって。」

 「それは大丈夫。だって、四日だと、マモルの世界だと、えーっと、十時間ほどしか経ってないわけだし。」

 そういえば、時間の流れが違うって話だったっけ。

 「いや、十時間は心配するでしょ。」

 「そう?」

 ミルは首をかしげていて、本気で心配していないと思っていそうだった。

 「まあ、捉え方は人それぞれ。私だったら、ちょっと心配ね。」

 エレノラさんがフォローする。

 そういえば、ミルは昨日酔った勢いで両親とうまくいってなさそうなことを言ってたっけ。それもあるのかもしれない。

 「帰らないといけないんですかね。」

 二人に聞くと、二人とも唸り出した。

 「うーん、まあなんとも。」

 「そこはマモル次第としか。」

 まあそうだよな。

 帰るべきだって言ってくれたら、もうちょっと気が楽だったけど。

 「レミはどうなんだろう。」

 ふと気になって声に出すと、二人の動きが止まった。

 そして、ミルの方がおろおろとエレノラさんに尋ねる。

 「あの、やっぱりお師匠様も帰りたいんですか。」

 エレノラさんは、ため息をついた。

 「私に聞いてどうするのよ。」

 「あ、はい。そうですよね……。」

 ミルがますますしゅんとしている。エレノラさんが優しく笑って頭を撫でる。

 「大丈夫よ。あなたは、あの子にとっても大事な弟子なんだから、置いていったりしないわよ。」

 「お姉さま……。」

 ミルが潤んだ瞳をエレノラさんに向ける。僕は何を見せられているんだ。

 「それに、戻りたくても戻れないかもしれないわけだし。」

 と、気になる話が出てきた。

 「あの、戻れないって言うのは……?」

 思い出したかのようにこっちを見てくる。

 「あの子は魔女だから。マモルは大丈夫よ。」

 優しく微笑んでるのは、安心させようとしてくれているのかもしれない。

 「魔女だと戻れないのはなんでなんですか?」

 そう聞くと、エレノラさんは少し考えた後、手を緑色に光らせる。

 「私たち魔女は、本当はこうやっていつも魔力を外に出しているの。で、魔力を全部出し切れば死んじゃうから、出て行く以上の魔力を吸い込む。」

 エレノラさんは手を光らせるのをやめる。というより、本当は光っているのが通常なんだろう。

 「まあ呼吸みたいなものね。この世界は空気がたくさんあるから生きていける。でも、空気が極端に薄い所に行けば死んでしまう。」

 「その空気の薄いところというのが、僕の世界なんですか。」

 エレノラさんが片眉を上げて頷く。

 「ま、エーリャの推測だけどね。だから、ほんとはマモルの世界でも問題なく呼吸ができて、レミだって里帰りできるかもしれない。」

 なるほど。なんとなく話が見えてきた。

 「ひょっとしてエーリャさんが調べようとしているのが、その、さっきのたとえ話でいうところの空気量ですか。」

 「そういうこと。魔素とかエーテルとか呼ばれるけど。ともかく、それがないと、私たち魔女は生きていけない、と言われてる。」

 またちょっと話があいまいになってきた。

 「死なないかもしれないんですか?」

 ミルも気になったようだ。まあ、ミルの場合当事者なわけだから当然か。

 「まあ、一応。魔素が無くて死んだという人の話は聞いたことがないし。でも、まず死ぬでしょうね。」

 ミルが唾をのんだ。

 頭の中で、一昨日のミルの姿が思い浮かぶ。あんなに串刺しになっても死なずに済んだのに、それでも僕の世界では生きられない。なんだか、にわかには信じられない話だけど。

 「とにかく、私たちにとっては、レミが自分の世界に戻れるか確かめる為に、エーリャにとっては自分の研究を確かめる為に、それぞれあなたの世界の魔素量を調べたい。」

 そして、僕にとっては自分の世界に帰るため、ということか。お膳立はできているわけだ。

 「……私、ここに留まるためにエーリャの手助けしてると思ってたんですけど。やっぱり、お師匠様も帰りたいんだ……。」

 ミルが落ち込んでる風だ。

 「いや、それもあるから。私たちがエーリャにとって有用でなくなったら、すぐに追い出されるだろうし。」

 すかさずエレノラさんがフォローを入れる。

 「それに、今の話は私が勝手に思ってるだけ。レミは……あの子は、何も考えてなさそう。」

 そう言って困ったように笑うエレノラさん。


 *****


 さて、やることがないことは変わらない。家の外に出ても、すぐに深い森になって迷いそうだった。

 仕方がないので家の中を見て回る。よく見れば、木造の家の壁や床には様々な文様が描かれていた。

 特に二階は多く、よく見れば文様の間に、つぎはぎされたように木々が隙間をふさいでいる。

 「なにをしているんだ。」

 エーリャさんから声をかけられた。

 「あ、えーっと。その、探検、です。」

 なんとなく、悪いことをしている気持ちになった。

 エーリャさんは特に気にしていない様子だった。

 「こんな家、見て回るほどのものもないだろう。」

 「いや、まあそうなんですけど。」

 思わず本音が出たが、よく考えれば失礼な物言いになった。

 「あ、で、でも、この文様とか。面白いなーって。」

 すると、とたんにエーリャさんが目を輝かせてずいと寄ってきた。

 「そう思うか?」

 「あ、はい。」

 エーリャさんはそのまま乱暴に肩をバンバン叩いてくる。

 「そうかそうか。いい。いいな。なんかパッとしない奴だと思っていたが。それは佳い。」

 なんかよく分からないけど、褒められているようだ。

 よく考えれば、こっちに来てから褒められたのは初めてかもしれない。

 いや、ミルにも褒められてたかもしれない。「信頼できる」って言われたし。

 ともあれ、いい気分だ。

 そんな気分と関係なく、エーリャさんは話を続ける。

 「いいか、これは『構築』の魔法陣で、この魔法陣によってこの家ができている。お前やその連れの部屋も、この魔法陣を使って作った。」

 なるほど、昨夜突然この家にぽっこりと部屋ができたのは、この魔法のおかげなのか。

 「すごいですね。」

 本音を言うと、床が抜けるとそのまま地面に落ちるような構造は、ちょっと怖かったけど。

 「だろ?何よりも優れているのは、こうやって書いておけば、何度でも同じ結果を得られるということだ。魔法じゃそうはいかない。あれは感情に寄りすぎる。」

 「あれ、これは魔法じゃないんですか?」

 「厳密には違う。詠唱から発動させるのが魔法で、魔術ではこのような魔法陣を使う。」

 エーリャさんはどこか士らから布とペンを取り出し、布に模様を描き、円で閉じる。そして、書いた模様をとんとペンで叩く。すると、布から水が流れ出て、床に付く前に消えた。

 「模様を変えれば効果は変わる。だが、逆も然り。模様を変えなければ、効果は変わらない。これを渡して、あの子らに魔力を流させれば、同じように水が出て消える。」

 「なんだか、科学みたいですね。」

 「そうさ。魔術とは科学だ。研究するだけなら誰にでも門戸が開かれている。お前が書いた魔法陣でも、同じ模様なら同じ効果になる。作成者や使用者を問わない。今じゃ魔術回路で使用者が魔女かどうかすら問わなくなったわけだが。」

 エーリャさんが、水の流れのようによどみなく話し続ける。が、ようやく止まった。

 「ああ、すまん。あの子らは魔術に興味がないようで、久しぶりに話せる相手ができたものだから。つまらないだろ、こんな話。」

 「あ、いえ。面白いと思います。多分。」

 エーリャさんがにっこりと笑う。

 「よし、それじゃあ魔法陣の書き方について教えてやろう。残念ながら、魔術回路はないから使わせることはできんが、簡単な魔法陣ならすぐ書ける。安心しろ。」

 手をとられて引きずられるように部屋に連れ込まれた。まあ、暇つぶしにはなるか。


 しかし、エーリャさんの指導はスパルタで、とても暇つぶしレベルではなかった。あと、布とかに書くからペンが引っかかる。


 *****


 僕がエーリャさんから解放されたのは、日が傾き出したころだった。

 ちなみに、昼食はなかった。それとなく聞いてみたのだが、

 「昼飯など、飽食の限りを尽くすため以外の何物でもない。本来不要のエネルギー摂取だ。それに、一食余分に食えば、その時間で一体正円が何個描ける?」

 もう、頷くしかなかった。そういえば、歴史の授業で一日二食の時代もあったとか聞いたっけ。

 解放されたのは、ミルがお茶に呼んでくれたからだった。正直、早くもペンだこができていた僕には、まるで天使のように見えた。

 ともあれ、席に着いてお茶をすする。今度のお茶はいい香りだが、正直味が薄い。まあ、落ち着く味だ。

 「これ、何ていうお茶なの?」

 「カミツレ。」

 ミルに聞くと、そっけない答えが返ってきた。

 エレノラさんは、お茶をすすりながら窓から入る日差しを灯りに本を読んでいるようだった。

 何の本か聞くと、魔術所の類らしい。

 「ここにはこんなのしかないからね。まあ、しょうがない。」

 エレノラさんは肩をすくめながら、また本の方に目を戻した。

 「そういえば、ミルは何してたの?」

 エレノラさんが本に集中しているようだったので、ミルの方に話を振る。

 「別に、掃除とか洗濯とか水汲みとか。まあ、いつも通り。」

 「へぇ。」

 ミルは、いつも家事全般をやっているのか。あ、でも料理はエーリャさんがやってたか。

 「後は……まあ修行かな。私、魔力の扱いもまだまだだし。」

 「なんか、すごいね。」

 元の世界にいた頃、僕はただ自堕落に過ごしていた。

 ミルなんてそんなに年は離れていなさそうなのに、家のことと、修行と、どっちもこなしているらしい。

 素直に出た言葉だったけど、ミルにはなんか微妙な顔をされた。眉間にしわを寄せ、頬を引きつらせている。

 「……それ、褒めてるの?」

 「いや、褒めてる褒めてる。僕は、何にもしてこなかったなと思って。」

 「それはマモルが駄目だっただけでしょ?」

 「う……。」

 そう言われると何も言えない。

 「私も、ミルはよくやってると思うわよ。」

 エレノラさんが本を読みながら合わせてくれる。

 と、今度は素直に受け取ったのかミルの顔がちょっと赤らむ。

 「ほ、本当ですか?」

 「ええ。そろそろ名前も変えないとね。」

 エレノラさんは本から目を離さないが、ミルはにやにやと笑いだした。

 「えへへ。そっか。私もいよいよ『幻獣』か。」

 なんかちょっと気持ちが悪い。というか、扱いに差がありすぎやしないだろうか。

 「ミルって、ほんとにエレノラさんとかレミの事好きなんだね。」

 ちょっとからかい半分でそう言うと、

 「うん、大好き。」

 と、あっさりと言われてしまって、逆にこっちが照れてしまった。

 「お姉様やお師匠様は私にとって家族同然だから、当然でしょ?」

 「あ、うん。そうだね。」

 エレノラさんの方をちらりと見ると、本で顔を隠して、こっちを睨んできた。多分、照れてるんだろう。

 「お姉様はどうなんですか?」

 ぐ、と言葉に詰まっているエレノラさん。

 「ま、まあ、そのひょこひょこ動いてる猫耳もキュートだと思うし、流石レミが選んだだけあって、魔法の才能もあるし。」

 「もっとはっきり言ってください。」

 ミルが甘えると、エレノラさんはため息をつき、本を閉じてミルの頭を撫でた。

 「あなたと同じよ。あなたもミルも、私にとって大事な妹みたいなものだもの。」

 ミルは、満足そうに笑った。ごちそうさまです。

 それにしても、家族か。両親の顔がまた浮かんできた。あれから十時間というと、今頃日本は真夜中か。ちゃんと寝られているだろうか。なんか連絡の一つでもあげられたらいいのに。


 ドアが軽くノックされ、レミが姿を現した。

 「ただいま帰りました。」

 「お師匠様!お帰りなさい。」

 ミルが元気よく飛び出して、レミから杖とローブと革袋を預かる。

 「なんか、猫というより犬みたい。」

 「私もよく思うわ。」

 エレノラさんと目が合って、ちょっと笑いあった。

 「あ、そうだ。お師匠様。」

 荷物をしまったミルが、レミにお茶を汲みながら尋ねる。

 「私の事、好きですか?」

 「はい。もちろん。」

 レミは即答した。そして胸を張る。

 「なんせ、私の一番弟子ですから。」

 「一番弟子って……そりゃそうだけど。」

 「レミって他にも弟子を取ってるの?」

 なんとなく察しはついたが、もらったお茶を熱がっているレミに一応聞いてみる。

 「いえ、ミルだけですよ。」

 一人しかいなくても『一番弟子』というのだろうか。まあ、いいか。

 ミルは嬉しそうにくるっと一回転してから椅子に座った。

 しかし、さらっと『好き』とかいうのは、なんか日本人っぽくない気がする。

 「ねぇ、レミ。その、『好き』とかって言って恥ずかしくないの?」

 レミは口を小さく開けて首を傾げた後、思い当たる所が出たように「ああ」と小さく漏らした。

 「確かに、昔はちょっと恥ずかしかったですけど、まあ、魔法と同じですよ。言葉にしたら固まるというか。」

 そう言ってほほ笑むレミは、年下と名乗るわりにひどく大人びて見えた。

 「なんか……大人だね。」

 「え?い、いえ、私なんて。こんな見た目ですし。」

 確かに、レミの言う通り、レミは僕より年下に見える。でも、そういうことじゃない。

 「なんだろう。うまく言えないけど……。大人だって思う。」

 レミは少し照れたように「ありがとうございます」と言って、お茶を勢いよく飲もうとしてまた熱がった。


 ようやくレミが落ち着いてお茶を飲めるようになった頃、エーリャさんが降りてきた。

 降りてきたエーリャさんに、レミが持って帰って来た革袋を渡す。

 エーリャさんは黙って受け取り、その中から食材を取り出し、料理を始める。

 「祭りには間に合ったか。」

 「はい。ぎりぎりでしたけど、口コミもあってなんとか。」

 レミとエーリャさんが何かを話している。

 「祭りって何の話?」

 困ったことをミルに聞くのが定例になってきた。

 「合建(ごうけん)祭。共和国連邦の……あー、マモルが召喚された国の建国記念日がもうすぐあって、そこで――。」

 「ミル。」

 エレノラさんが一言でミルを黙らせる。何か聞いちゃいけない事だったみたいだ。

 カップを置いて、そのままエレノラさんが引き継ぐ。

 「ま、みんなで楽しもうってお話。もしマモルが元の世界に帰るなら、一緒に行くことになるんだけどね。」

 そう言って、ぐいと顔を寄せてきながらウィンクするエレノラさん。

 やっぱり、ちょっとついていきたいかも。

 いや、こんなことで惹かれちゃだめだ。

 「誘惑してどうするんですか、エレノラ。」

 話を終えたレミが戻って来た。

 「誘惑なんて。ねぇ、マモル。」

 同意を求められても、目をそむけるしかない。と、横のミルと目が合う。で、ため息をつかれる。いや、仕方がないでしょ。

 「あ、そうだ。」

 ミルが声を上げ、ためらうように顔を動かしながらレミの方に顔を向ける。

 「お師匠様は、どうしてエーリャのお手伝いをされているんですか?」

 レミはきょとんとした後、少し考えて口を開いた。

 「帰りたいから……ですかね。」

 沈黙。エーリャさんの料理する歌声だけが響く。

 「や、やっぱり。」

 少し鼻声になりながらようやくミルが声を出した。

 と、レミは慌てるように両手をぶんぶんと振った。

 「あ、違います違います。私が帰りたい……というか、帰らないといけないのは、日本じゃなくてファクスパーナです。」

 「異大陸……ですか?」

 「はい。結界を越えて。私の友達が待ってますから。」

 エレノラさんが納得するように「ああ」と声を出した。

 そんなところでエーリャさんも食卓に着いた。

 「なんだお前達。ここまで来たのに帰り方も知らなかったのか。」

 ミルがエーリャさんの分のお茶をつぐ。

 「まあ、事故で来たもんだから。」

 「ああ、例の瞬間移動とやらか。まあやっぱり無理な話なんだろう。ところで。」

 エーリャさんがお茶をひと飲みしてこちらを向く。

 「元の世界に戻るか決めたか?」

 ぐ、と言葉に詰まる。

 「……あの、まだ……です。」

 「そうか。」

 お茶をまた一口すする。

 家に帰りたい気持ちもある。

 ここに居て生きていられる当てもない。

 それでも、何かひとつ。

 何かが、ここで帰っちゃいけない気持ちにさせている。

 どたん、と音が鳴った。上の方だ。


 階段が、ぎぃ、ぎぃ、音が鳴る。そろりと顔を見せたのは、アキだった。

 「アキ!」

 思い切り立ち上がると、アキはビクリと怯えるように体を縮こまらせた。それで、もう一歩も動けなくなる。

 代わりにエーリャさんとレミが近づいていく。

 「起きたか。」

 「体、変なところありませんか?」

 「え、あ、はい。……あの、いいにおいがして。」

 確かにトマトを煮込むようなにおいが香っていた。

 その言葉を聞いて、レミがにっこりと笑った。

 「食欲があるのは良いことですよ。さあ、どうぞ座ってください。」

 「椅子を出すのは私なんだが。まあいいか。」

 エーリャさんは僕の時と同じように椅子を用意する。アキは誘われるがままに座るが、伏目がちで弱った様子だ。体が、というより、心が。

 「あの、ここは……。」

 「ここは私の家だ。そこのらがお前をここまで連れてきた。」

 アキが顔をあげてこっちを見る。けど、エレノラさんを見たところでまた顔を引きつらせる。

 そんな様子を見てエレノラさんがため息をつく。

 「まあ、しょうがないけどね。イグニスの為にも言っておくけど、私たちお世話係は地下の事は何も知らされてないわ。あなた達異世界人を、この世界に留まるかを決めるまでお世話するっていうだけ。」

 そういわれても、アキの顔は晴れない。まあ、ミルに直接助けられた僕はともかく、あの時アキは意識がなかったわけだし、すぐに元気になれるわけもないだろう。

 それでも、あの中庭であった元気いっぱいのアキが、ここまでふさぎ込んでいるのを見ると、ひどく心が痛む。

 何かしてあげられないんだろうか。

 そう思ってミルの方を見るが、ミルも首を振っている。

 そうしてしばらく黙っていると、キッチンの方からコトコトと音が鳴り始める。

 「さ、飯の時間だ。」

 エーリャさんが立ち上がり、鍋とパンのカゴを持ってくる。


 昨日と同じように、ミルがみんなの分を取り分ける。

 今日のスープはミネストローネのようだった。一口すすると、さっぱりとしていておいしい。

 アキの方を見ると、恐る恐るパンをひとかけら取って、ちぎって口元に入れようとしている。が、レミにパンの欠片を持った手を掴まれた。

 そして、ゆっくりとスープに浸すようにさせる。

 「アキは久しぶりのご飯でしょうから、少しでも胃に優しくしてあげてください。」

 アキのパンはスープを吸って少し赤く染まっている。それをゆっくりと口元に持って行き、そのまま食べた。それから、焦るように口を動かして、そのまま飲み込み、またパンを口に運ぶ。

 「マモル、そんなにじっくり見て失礼だと思わないの?」

 と、ミルにくぎを刺された。確かに、ちょっと失礼だった。慌てて自分もパンを口に運ぶ。

 しかし、アキは気にしていないようだった。というか、そんな余裕もなくひたすらご飯を口に運んでいた。

 多分、ニ、三日ぶりのご飯だったんだろう。体験したことはないけど、それだけ何も食べないでいると、自分もこうなるかもしれない。

 「これだけ食べられたら、大丈夫そうですね。」

 レミに言われて気付いたのか、アキの顔が赤くなった。

 確かに、とりあえず元気にはなりそうだった。


*****


 夜、また僕は外の木の柵に座りながら、外に出て月を見上げていた。

 今日も今日とて二つの月が明るく外を照らしている。

 まあ、まだこの世界に来て五日しか経ってないわけだし、そう変わるわけもないか。

 後ろから扉の開く音が響く。

 振り返ると、アキの姿があった。

 「あ、アキ。」

 「えと、こんばんは。」

 今更ながら挨拶をされて、なんとなく気まずくも頭を下げた。

 「こ、こんばんは。」

 「隣、いい?」

 そう言われて、軽く脇にずれる。

 アキはすっと隣に座って、しばらく口を開かないでいた。

 「体、もう大丈夫?」

 「あ、うん……レミさん?に、見てもらって。」

 「そっか。良かった。」

 それから、また沈黙。仕方がないので、また夜空を見る。

 「……あの、ごめんなさい。」

 アキが突然謝って来た。

 「え、何が?」

 「あの……私が変なこといっちゃったから、マモルもひどい目に遭っちゃって。」

 「変なことって……もしかして、待ち合わせの約束の事?」

 アキは小さくこくりと頷いた。

 「そんな、アキのせいじゃないよ。ドクターの言い分だと、帰るって言ってたって地下に行くことになってたっぽいし。それに、この世界に残るって決めたのは僕だよ。」

 「でも……。」

 言葉を続けようとするアキの頭をポンと撫でる。なんだか妹みたいな気分だ。

 「気にしすぎだよ。」

 「うん……。」

 アキは、やっぱり元気がない。なんだか別人みたいだけど、それだけ憔悴しているということだろうか。

 「……びっくりしてる?こんな私で。」

 見透かしたかのようにアキが聞いてきた。

 「え、いや。しょうがないよ。あんなことされた後で、元気な方がおかしいと思うし。」

 言いながら何となく自分でダメージを受ける。いや、元気な方がいいだろう。うん。

 しかし、ミルは首を振る。

 「違うの。……これが、本当の私。本当は、体だって弱いし、引っ込みがちで、家に引きこもって本ばかり読んで。でも、そんな自分を変えたくて、この世界に来て、それで……。」

 アキが急に咳きこむ。

 「だ、大丈夫?」

 「……うん。体はこっちに来てから全然大丈夫なの。でも、やっぱり、私は元気な子じゃないんだよ。」

 声が震えている。さっき咳き込んだのは、泣いているから……?

 アキの方を見るけど、アキは顔を見せてくれない。

 「でも、僕はアキから元気をもらったよ。」

 アキからもらったミサンガを、月明かりに照らしだす。

 これは、二日目の朝にもらったものだった。殺されそうになって、ただ怯えるだけだった僕にくれた、僕の勇気の元。これがあったから、アキだって助けられた。

 「僕にとってアキは、元気な子で、それはまあ作ってたのかもしれないけど。でもまあ僕だって初めて会う人相手だったら自分を作ったりするし、だから、なんというか。」

 言葉にしようとするけど、うまく言葉にできない。

 「あー、つまり。別に気にしなくてもいいんじゃないかな。僕だったら、初対面の人に話しかけるなんてできないと思うし。それはやっぱり、すごいことだよ。」

 誰も知っている人がいない世界に、「知り合い」を作ってくれたのがアキだった。

 実際、それが一番心強かったように思う。

 アキの方を見れば、真っ赤な目でこっちを見ていた。

 「あ、えっと。」

 やっぱり、泣いてる顔を見たら何も言えない。情けない。

 「……ありがと。」

 アキが不器用そうな笑みを浮かべる。

 「『センパイ』なのに、ダメだよね、なんて。」

 そう言って、アキは僕の服の裾を掴んで思い切り泣いた。

 どうしたらいいか迷って、とりあえずアキの頭を撫でた。


 アキは、そのまま泣き疲れたのか眠ってしまったようだった。

 安定感のない柵の上で完全に体重を預けられ、転げ落ちそうになったところをミルに支えてもらった。

 「あ、ありがとう……いつからいたの?」

 「別にいつからでもいいでしょ?それより、お姫様をちゃんと寝かせてあげましょ。」

 ミルは軽々とアキを抱える。

 後ろからついていくと、入口の所でミルが立ち止まった。

 「……もし、この子のことで帰るのをためらってるなら、安心して。私たちが、絶対この子をほっとかない。酷い目にあわせたりなんかしないから。」

 そうか。確かに、アキのことが気になってたのかもしれない。そして、それは「気にしないでもいい」と言われた。

 「……ありがとう。」

 そう告げると、ミルはアキを片手で抱えながら頬を掻いた。

 でも、好意に甘えてばかりでもいけない、よな。


 *****


 朝、目が覚めるとほかの五人はもう起きていたようだった。

 「あ、おはよう。」

 エーリャさん以外の四人からそれぞれ返事が返ってくる。

 エーリャさんからは、挨拶の代わりに質問が飛んできた。

 「それで、決めたのかい。」

 僕はこくりと頷いた。

 「僕は、帰ります。」

 少し、ざわっとした。

 「そうか。それがいい。人にはいるべき所があるからな。」

 「ただ、一つ条件があります。」

 そう言うと、エーリャさんはムッとした顔をした。

 「自分の家に帰るってのに、条件を出すか。」

 「はい。エーリャさんの手伝いをする代わりです。」

 エーリャさんは少し考えて、それから口を開いた。

 「まあいい。言ってみな。」

 「アキをエーリャさんの手伝いにしてあげてください。」

 全員がこちらに驚いた顔を向ける。特に、アキとミルはそれこそ鳩が豆鉄砲を食ったって顔だ。

 「……それだけか。」

 「はい。あ、もちろんアキが望めば、ですけど。」

 エーリャさんはまた少し考えたところで、軽く何度か頷いた。

 「うん。アキは、それでいいのか。」

 「あ、えっと。」

 アキがこっちを見てきた。

 大丈夫。まだ二日ほどしか経ってないけど、少なくとも悪い人たちじゃない。

 アキも、こくりと頷いて、エーリャさんの方に向きなおした。

 「はい。よろしくお願いします。」

 「良し分かった。お前がお前の世界でこいつを閉めて、こっちの世界に運べば、この子の面倒を見よう。」

 エーリャさんはそう言って階段を昇って行った。いつの間にか朝食を終えていたようだ。

 「あ、そうだ。マモル、昨日の続きをするから食べ終わったら私の部屋に来るように。」

 あ、今日もするのか……。


 朝ご飯にパンを食べている間、ミルが猫ひげをぴくぴく動かしながらじぃっとこっちを見てくる。

 「何?」

 「別に。」

 そう言って今度はそっぽを向く。なんなんだ。

 と、その様子を見てかレミが笑い出した。

 「ごめんなさい。ただ、ね。」

 レミがエレノラさんの方を見るのにつられて視線を動かすと、エレノラさんもなんかニヤついていた。

 「いや、アキのことは昨日ミルも私たちに相談してきてたから。多分そのことですねちゃってるのよ。」

 「すねてなんかいません!」

 ミルが興奮したように息を荒げながら立ち上がると、二人はまあまあと抑えるように手を出す。

 それで、とりあえずまた座った。

 エレノラさんはアキの方を向く。

 「良かったわね、アキちゃん。こんな所でも、あなたをちゃんと思ってくれてるのが二人も居るんだから。……まあ、二人ともあなたに相談なしなのは、ちょっぴり失礼だと思うけど。」

 そう言われて言葉に詰まる。ミルもそうなってはいるようだったが、アキは笑っていた。

 「確かに、ちょっと驚きました。でも、嬉しかったです。」

 そう言われて、ちょっと救われた。独断専行だったし。

 「まあ、ともあれ明日よろしくね。」

 そう言ってエレノラさんは立ち上がるが、ちょっとピンとこない。

 「明日がお祭りですから。」

 「祭りの日に、もう一度あの地下に乗り込んで、そこのどこかにある、召喚の魔法陣を借りるわけ。」

 ああ、なるほど。って、

 「でも、三日後にはもう門?も閉じて、不安定になるってドクターが。」

 「まあそうらしいけど、実際は十日くらいは開けとくもんなんだって、エーリャが言ってたから。」

 エーリャさんが?

 「何でエーリャさんがそんなこと知ってるの?」

 「言ってませんでしたっけ?エーリャは元々あそこで働いていたんですよ?」

 そうだったのか。まあ、それなら信頼はできる、のか。


 食卓に着くころには、アキを除いてみんな二階に上がっていた。

 とりあえず、パンをかじりながら、昨日の残りのスープに口を付ける。ちょっと冷たいけど、それはそれで美味しかった。

 「さっき、エーリャさんに呼ばれてたのって、何?」

 食事の合間に、お茶を飲んでいたアキが尋ねる。

 「魔法陣の書き方を教わってて。魔法は使えないけど、書くことならできるからって。」

 まあ、もうそれも今日でおしまいみたいだけど。話のタネくらいにはなるかな。

 アキは「ふぅん」と鼻を鳴らした。

 「ねえ、それって私も受けていいのかな。」

 「いい……んじゃない?お勧めしないけど。」

 昨日のエーリャさんの様子を見る限り、興味を持ってる人には熱心そうだったし、多分来るものは拒まないだろう。

 「それじゃ、私もついていくから。」

 「うん。」

 アキはお茶を飲んで、一息ついた。

 「……やっぱり、帰っちゃうの。」

 「……うん。」

 ちょっと聞かれる気はしていたけど、やっぱり聞かれた。

 「なんか、ゴメン。」

 「どうして謝るの?」

 「だって……。」

 なんとなく、アキを裏切るような気分だった。

 「そんなの、私の方が謝りたいよ。なんか、私の為に帰るみたいだし。」

 「そんなことない!」

 思わず大声で否定する。

 「どちらかっていうと、あれは言い訳みたいなもんだし。」

 本当は帰りたいし、帰らない理由もない。でも、直前になってやっぱり帰りたくないって思うかもしれない。そうならないためのものだった。

 そうなった時に、「アキの為に帰らないと」って思えるように。

 「だから、アキは気にしないでいいというか、むしろ怒ってもいいと思う。」

 「ほんとに、帰りたいって思ってるの?」

 僕は頷いた。

 「全部、自分の為だから。」

 そう言ったら、アキは大きくため息をついた。

 「なんだか、それはそれでちょっとな。」

 そう言ってアキは口を尖らせた。

 そして、椅子から立ち上がって手を引いた。

 「食べ終わったなら、エーリャさんの所、行こ?」

 ちょっと気乗りしないが、まあアキの為にも行こうか。

 「なんか、やっぱりアキは明るいよ。」

 「え?そ、そう?」

 「うん。多分、変われたんじゃないかな。」

 アキはちょっと髪を手で梳きながらはにかんだ。


 ところで、エーリャさんの魔法陣授業は、アキが加わってもやっぱりスパルタだった。


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