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初めの三日―脱出―

 暗い暗い暗闇の中、僕はどれだけ寝かされているんだろう。

 どれだけ大きな声を出しても、自分の声が響きかえってくるだけ。

 どれだけ激しく動いても、自分の手足が痛むだけ。

 それでも、動かないでいると、どうしようもなく怖くなる。

 この暗闇に溶けてしまいそうで、この先にあるものが消えてなくなりそうで。

 でも、そもそも何があったっていうんだろう。

 動くのを止めると、遠くから足音が聞こえてきた。

 僕の未来が近づいてきたようだ。


 「やあ。起きてたかい。」

 ランタンを持ちながら、ドクターが声をかけてきた。ドクターが、連れてきた人に合図を送る。

 その人たちは、鎖につながれた僕にさらによくわからないものをどんどんつける。

 「ドクター。なんなんですか、これ。」

 縋るように聞く。何かの間違いで、というか勘違いで、この世界に居つく為の必要な処置であってほしいと。

 でも、その淡い希望は、たった二言で打ち崩された。

 「実験だよ、モルモット。」

 「もる……え?」

 周りの人たちの動きが止まった。別にドクターの発言に驚いたわけではなく、準備を終えただけのようだ。

 ドクターが周囲の人に合図をすると、ゆっくりと体の中がかき混ぜられる。

 「うぇ。あ、あああああああああああああああああ!」

 ゆっくりだった回転は、だんだんと速度を増し、泡立ち始める。渦は大きくなって、身体全体が円錐形に凹む。

 もちろん実際の話ではない。しかし、まるで足に脳が、頭に胃が、胴に爪や髪の毛があるような錯覚に襲われ、僕は叫びを止められず、そして叫びながら吐いた。


 体の感覚がもとに戻っていく。口の中がすっぱい。顔中生暖かい。鼻で息するとまた胃液が漏れそうだ。

 「う……う。」

 「おや、起きてたのかい。」

 霞む視界の隅で、ドクターがこっちをちらりと見ながらほかの人に指示を出している。

 「まあ、ある意味才能だね。おい、MFコンバータ早く。スタビライズが切れる。」

 頭がうまく動かない。その上吐瀉物の刺激臭が頭をぐるぐるさせる。

 「じん……けん。」

 ぎりぎり思い浮かんだのは、人権がどうとか、そんなのだった。

 ドクターはこちらをちらりと見た後、紙を一枚こっちに見せてきた。

 でも、文字を読む余裕はない。目が文字の上をすべる。

 「ああ、読んであげよう。」

 ドクターは、僕の目が虚ろなのを見てか、自分の元に紙を戻し、読み始める。

 「帰還証明書。私はこの世界に召喚されたものの、自らの世界に戻ることを決意し、またその通り行動を起こす、あるいは起こしたことをここに証明する。自らの世界へ帰るためのあらゆる援助を受ける代わりに、ここで受けられるはずの一切の権利を放棄する。で、ここに君のサイン。」

 読んでいた紙をまたこちらに見せる。指さされた所には、ぼんやりした頭でもはっきりわかる。自分の文字で、自分の名前が書かれていた。

 「どう、して。」

 「なぜかはさして重要ではないだろう?重要なのは、この書類によると、君はあらゆる権利を放棄したことになっている。」

 訳が分からない。そんな書類にサインした覚えはない。僕がサインしたのはここに残る書類だったはずだ。

 「あ……ちが……」

 なんとか口にしようとしたが、声が出て来ない。

 しかし、ドクターには通じたようだ。ため息をついた。

 「あまりバカの振りをするものではない。いや、もしかして本気で言っているのか?」

 そしてもう一度ため息をついた。

 「それも魔術だよ。君は自分で文字を読んでいるわけでないのに、どうして自分の見ているものが正しいと思っていられるのかね。」

 どういうことかはよくわからないが、どうも認識を変えられていたようだ。

 と、不意に視界が落ちる。

 しかし、気絶したようではないようだ。どんどん足が遠くに行っていく。頭も、どんどん上に伸びていく。

 まるで立ちくらみのような感覚。視界は元に戻ったが、ぐるぐるとして、不安定で。息が苦しい。どれだけ息を吸っても肺にたどり着かない。

 「現在析出量、750エキベキトル。」

 「まだいける。1.5メグキトルまで取りだせ。」

 声が遠くから聞こえる。そしてまた体が伸びていく。

 でも、さっきよりはましだ。

 どれだけ胃酸が逆流したって口元まで来ない。


 実際には、肺に空気はたどり着いていたし、胃酸だって口まで来ていたようだ。

 いっそ気絶でも出来た方がましだったかもしれない。体が伸びるのと同じで、時間の感覚も伸びていたように感じる。

 何も動かせる気がしない。非常な怠惰感。

 ぎりぎり横目に入ったのは、どうも僕がまき散らしたものを掃除している人のようだ。

 しかし、こちらの視線に気づくとさっと目を逸らした。

 大変なことだと、他人事のように思った。

 その人も、掃除を済ませたようで、さっさと視界から出て行った。

 静寂。暗闇。何もない。体も。感覚も。心も。

 未来も。


 また人がやってくる。灯りを持って。僕に全てを返してくる。未来以外の、全部を。

 またも何やら訳の分からないことを話しながら、僕の体を混ぜ返し、こね回し、引き延ばしてまた縮める。

 なんだかクッキーでも作るみたいだ。薄れゆく、しかし消えることのない思考の中でそう思った。

 そのうち、型を取って焼くのかもしれない。穴ぼこだらけの自分の体。

 「……死なせて。」

 虚ろな声が、骨を通じて耳に届く。一度聞こえて、それを自覚すると、もう止まらなくなった。


 自分の声が聞こえる。

 死を願う声。

 安らぎを求める声。

 救いを欲する声。

 そのうち、身体にチクリとしたものが刺さった。

 これでようやく死ねる。

 僕は、意識を失った。


 目覚めると、そこは暗闇だった。

 これが地獄の一丁目か。いや、そこまで悪いことはしていないはずだ。

 倦怠感。それでも右腕を動かそうとする。じゃらりと、音が鳴って、ここが現実だということを教える。

 死にたい。でも、地獄に行くのもイヤだ。

 こんと、咳が出た。


 目を開けても、目を閉じても、入ってくる情報に差は出ない。

 自分が寝ているのかも、起きているのかもわからない。

 あれからどれだけ時間が経ったのかだってわからない。自分が寝たのかさえ。

 お腹が空いたかもしれない。でも、そんなの分からないくらい体はぐちゃぐちゃしている。

 また、人の来る音が聞こえる。こつこつこつと。

 青い光が入ってくる。灯りを変えたんだろうか。

 また、僕が帰ってきてしまう。僕に苦しみを与えるだけの僕が。

 「殺して……。」

 僕の所まで来た人につぶやく。

 その人は、青く光るナイフを取り出し、僕の腕に振り下ろす。

 キャインと、小さく金属音が鳴り響く。

 腕にあった異物感が無くなる。

 目の前には、青い光に照らされた、全身黒ずくめの人影。

 「……全く、殺しに来れば『死にたくない』、助けに来たら『殺してくれ』って。」

 黒ずくめは、顔の頭巾を取る。

 長い髪の毛がはためく。

 青い光が映したのは、この三日ずっと見た顔。

 「み……る。」

 それで、僕は意識を「落ちるな!」

 光る拳で思い切りお腹を殴られてむせる。

 「な、何するんだよ!」

 僕は体を起こし、殴ってきたミルに文句を言う。

 「元気になりましたね。」

 黒ずくめの服を着ているミルはこっちにミサンガと指輪を投げてくる。

 言われてみれば、不思議と体に力が入る。

 「さあ、さっさとここを出ますよ。」

 「ていうか、その恰好……。」

 ミルは自分の服を軽くつまむ。どう見ても、初日に夜襲をかけてきた人に見える。

 「ああ、言ってませんでしたっけ。初日の夜にあなたにアドバイスしたのも私です。」

 いや、アドバイスというか。

 「それで、今度こそ殺しに来たの?」

 なんだか、この前よりは余裕がある。二度目となればってことかもしれない。

 しかし、ミルは不満そうだ。

 「何を聞いてたんですか?助けに来たって言ったじゃないですか。」

 そういえばそんなこともいっていたかもしれない。

 「助けに来たって言われても、ついこの前には『殺す』って言ってたのに。」

 「ああもう!助かりたくないんですか!?」

 そう言われて手を出されると、握るしかない。

 どうせ死にたいと思っていたんだ。ここに居るよりはましになるかもしれない。

 手を握ると、またちょっと元気が出てきた。

 「そうは言っても、軽くトラウマになりそうだったんだけど。」

 「自己責任です。あなたがあそこで頷きさえすれば、ここに来ることもなかっただろうに。」

 そんなもんだったんだろうか。ドクターのあの感じだと、どうしようもなさそうだったけど。

 「とにかく、どうなってんの?」

 ミルは軽くため息をつく。

 「いいですか?あなたは……というか、ここは実験材料にされるために異世界人を召喚している施設で、あなたはそこに呼ばれた可哀そうな人。で、私はそんなあなたを助けに来たってわけ。」

 ミルが早口でまくし立てる。

 「実験材料……ってアキも!?」

 だんだん頭が冴えてくる。

 「アキ?……ああ、イグニスの。多分そうなんじゃないですか?時々、言い訳の代わりか希望通りにすることもあるらしいですが、イグニスノアの様子だと、そうなんじゃないですかね。」

 アキも同じ思いをしたのか。いや、僕より一日長いから、その分苦しい思いも長かったはずだ。

 「アキも助けないと。」

 「無理ですよ。どこにいるかもわからないのに。」

 確かに……いや、まて。

 「じゃあなんで僕の場所は分かったの?」

 「その指輪です。ゆかりのある物に魔法をかけて持ち主の元まで道案内してもらったんです。」

 なるほど。それなら。

 僕はミサンガをミルに差し出す。

 「これで探して。アキにもらったから。」

 ミルはため息を付けながら、ミサンガを受け取って呟く。

 「さあさあ、あなたを身に付けた人を教えて。あなたが守った細い腕。あなたを大事に持っていた人。その人の元に私を連れて行って。」

 その呟きに応じるように、ミサンガは青く光って浮く。ふよふよと浮いて、僕の胸元で力を失ったようにポトリと落ちた。

 ミルは僕の手をとって思い切り引き、無理やり立ち上がらせる。

 「残念ながら、もうそのミサンガの所有者はあなたのようです。諦めて、さっさとここから出ますよ。」

 立ち上がったところでミサンガを付けて、ミサンガについている玉を撫でる。

 僕は、何もできないのか。

 後ろ髪を引かれる想いで、僕は部屋を出た。


 申し訳程度のろうそくが、こそこそと動く僕たちの輪郭を浮かび上がらせる。

 廊下を忍び歩きしながらも、しかしやはりアキのことが気になってしまう。

 何か見逃していることがあるんじゃないか。

 少し下を見て考えていると、ミルとぶつかってしまった。

 「いて。」

 ミルの方を見ると、ミルはミルで何か考えているようだ。

 「大丈夫?」

 ミルは、分かれ道の前で、右に左に視線を変える。

 「……もしかして迷った?」

 「迷ってません!」

 叫んだところで、口に手を当てる。

 見渡すが、特に物音は聞こえない。遠くの足音が響ているだけだ。歩くようなテンポ。たぶん、見回りか何かだろう。

 ミルはほっと肩を下ろして、きっと睨みつけてくる。

 「ただ、ちょっとどっちから来たか忘れただけです。」

 それを迷っているというはずだが……。ミルは爪を噛みながらもうしばらく迷っているようだったが、やがて遠くから足音が近付いてきて、慌てて左に向かう。

 「こっちであってるの?」

 ついていきながら尋ねる。

 「あってると言えばあってるし、あっていないと言えばあってない。要は上に行ければいいはず。」

 うーん、そんなものか。しかし、合ってないと言えば合ってない、か。何かひっかかる。

 「あ、ねぇ、ミル。」

 「なに?」

 ミルは振り向かないで答える。上を見ながら、とにかく足音から離れるように歩を進めているようだ。

 「さっき話してたのってさ。」

 「どの話?」

 「ミサンガ持ってた時の。ミサンガに話しかけてたのって、言葉を変えても意味ってない?」

 ミルは足を止めるが、しかし僕の問いかけには答えない。

 後ろから、いや前からも足音が聞こえる。さっきよりも早い。「おい、こっちだ。」なんて声も聞こえてきた。

 「マモル、運は良い方?」

 「え?どうだろ。」

 「じゃあ、無い運を振り絞って祈っといて。」

 ミルは上を見上げ、また話しかける。

 「落ちて、道を開いて。どうか頑ななその戒めを解いて。」

 ミルが天井に手を伸ばすと、天井が輝き出した。

 「マモル、危ないですよ。」

 いつの間にかミルが壁にぴったりとくっついている。天井からぱら、ぱらと砂が落ちてくる。慌てて僕もミルにならってぴったりとくっつく。

 直後、天井の石が轟音と共に崩れ出す。

 そうして開いた穴に、ミルは飛び上がってするりと入っていった。そして、こちらに手を伸ばしてくる。

 「さあ、早く。」

 前後を見ると、灯りがだんだんと大きくなってきている。慌ててミルの細い腕をつかむ。

 すると、足に力がみなぎってきた。今なら跳べる気がする。

 ミルと掛け声を合わせてぴょんと飛ぶと、思ったより飛び上がり、身体の半分が穴の上に出てきた。

 慌てて縁を掴んでよじ登る。

 「ありがとう。元に戻っていいよ。」

 ミルは床になった天井を撫でながらそう話しかける。と、組まれていた石や土がまた元に戻っていく。

 床はすっかり元通りで、穴なんて初めから開いていないかのようだ。

 「それで、なんでしたっけ。」

 ミルは一息ついてからこっちを見た。

 「ああ、その、アキを探そうとしたときなんだけど。アキは、このミサンガを付けてなかったかもしれない。」

 ミルはミサンガに「身に着けた」と言っていた。でも、アキは「作った」って言ってた。それに、僕の腕に合うってことは、アキにはちょっと大きい気がする。

 「だから、作った人を探してって、もう一度やり直してほしい。」

 「マモル……今の状況分かって言ってる?私たち、脱走しようとしてるんですよ?しかも、もうばれてるみたいだし。」

 足元からなんとなく人の声が聞こえる。さっき追いかけてきた人たちだろう。

 でも。それでも。

 「僕は、アキにまだ恩返しができてないから。」

 それに、別れの言葉。あの時、アキは「待ってる」って言おうとしたんじゃないだろうか。

 女の子を待たせっぱなしにしちゃいけないって、父親に言われてたっけ。

 ミルは、そんな僕の目をじっと見つめる。ちょっと恥ずかしいけど、でも、今度は逸らさない。

 やがてミルはため息をついた。

 「まあ、攪乱にはなる、か。分かりました。一回だけですよ。」

 ミルにミサンガを渡す。受け取ると、ミルはまたミサンガに話しかける。

 「さあさあ、今度はあなたを生み出した人を教えて。あなたの親の、女の子。あなたに心を込めた人。その人の元に私を連れて行って。」

 ミサンガはまたぽぅっと青く光り、フワフワと動き出した。

 しかし、今度は僕の方には来ない。もちろんミルの方でもない。

 通路の奥の方へとひとりでにぷかぷかと進み、まるで僕たちを待つかのように止まった。

 僕とミルは顔を見合わせる。そして頷き、青い光に導かれるままに進んだ。


 しばらく空飛ぶミサンガを追いかけていると、急にミルがミサンガを捕まえた。

 「ど、どうしたの?」

 ミルは口に出さず、あごで通路を曲がった先を見る。

 そこには階段があった。

 「私たちは下から来た。下には追いかけてくる人がいた。」

 あとは分かるでしょ、といった感じでこっちを見る。

 つまり、彼らはここから上がってくる。かもしれない。

 ミルは左右をきょろきょろ見て、まっすぐ行った先の扉を開けて、こっちにくいくいと合図を送ってくる。

 言われるがままにその部屋に入る。

 廊下から漏れる光を見ると、どうも箱やらなんやらが、今にも崩れ落ちそうなほど積み重ねられている。なんだかよくは分からないが、どうも倉庫のようだ。

 「せ、狭い。」

 「我慢して!」

 内側にドアがぎりぎり開くほどのスペースしかない。もっと整理しておくべきだろう。

 ミルはその辺にあるよく分からない箱に座りながら、ドアの隙間から外を見ている。

 「教えて……通った人を。誰が通って、誰が通っていないか。あなたを照らしたその光を。あなたが送り届けたその先を。あなたを踏んで先に進んだその人の姿を照らし出して。」

 ミルは何やら呟いているが、扉から例の青い光が漏れることはなかった。

 ミルはほぅと息をつき、振り返る。

 「どうやらまだ通ってはいないようですね。あるいは別の階段から上がっているかもしれませんが。」

 目の前に、ミルの顔があるのだろう。光がないから全く分からないけれど、喋るたびに吐息がかかる。

 思わず顔をそむける。

 「でも、いつまでもここには。」

 「うん。足音は聞こえてこないし、たぶんだい――。」

 と、ミルが突然耳と頬を押さえてきた。なんで耳?

 ともかく、突然耳を触られたので体が反応して動いてしまう。動いた拍子でミルを押して、その拍子でドアが閉まる。

 「誰だ!」

 ドアの向こうから声が聞こえる。なるほど、口を押さえようとしたのか。

 ともかく、まずい。

 人が来るのもまずいが、今の格好もまずい。

 なんというか、まるで壁にミルを押し倒して密着しているみたいな。

 いや、押し倒してるは違うか。

 ばれないようにと無口なのもまずい。バクバク言ってる自分の心音と、心なしか早いミルの鼓動が、互いにリズムを刻んでいる。

 匂いもまずい。なんというか、良い香りがする。してしまうのだ。

 それまでの醜態を考えると、僕はひどい匂いを発していそうだ。

 とにかく、頭がぐるぐるしてきた。ぐるぐる。

 自分たちの心音の隙間を縫うように足音が近づいてくる。バクバクコツバクコツバク。

 ああ、どうしよう。叫びたい。叫んでうやむやにしたい。

 やがて、足音が止まり、こんこん、と、ドアがノックされる。

 え?何か返したほうがいいの?

 と、今度こそミルが口を押えてきた。

 「~~~~。」

 ミルの手の中で何か口走った気がするが、幸い綺麗に口を押えられていたので、口の外に出ることはなかった。

 やがて、ドアがこちら側に押される。

 もちろん、僕たちがつっかえ棒のようになっているので、ドアはうまく開かない。

 「あれ、おかしいな。」

 ヤバい。開けられるわけにはいかない。とはいえ、このまま開けられないで人を呼ばれるのもまずい。

 下を向くと、ミルの口がもごもご動いている。さっきの崩れた天井を思い出す。それはそれでまずいかもしれない。

 振り返ると、山積みになった箱。

 と、ひときわ強くドアが押された。

 「ふんっ!」

 「いざ――」

 何か話そうとするミルをぎゅっと抱き寄せて、ドアを開けさせる。

 と、同時に積みあがった山を蹴り飛ばす。

 その衝撃で、木箱はガラガラと大きな音を上げながら崩れ落ちた。

 「あっちゃぁ、やっちまった。」

 ドア一枚を隔てた先で、男の声が響く。

 「全く、だから片付けておけって言ってるんだ。」

 やがてドアが閉められ、足音が遠ざかって行く。

 「おい、そっちの方から何か来なかったか。」

 「は!いえ。特に何も。」

 「そうか。どこかに隠れているのか、もうさらに上に行ったか。ところで、物音が聞こえたが……」

 遠ざかっていく男は他の人、たぶん私たちを追いかけていた人たちと合流したらしい。声はそのまま遠ざかっていく。

 気が抜けて思わず座り込んでしまった。こんと咳が出る。

 そんな僕を青い光が照らした。見上げれば、ミルの背中。

 「さあ、行きましょう。今のうちに。」

 ミルがドアを開け、さっさと外に出て行った。慌てて立ち上がって、足音に気を付けながらミルを追いかける。

 よく見れば、耳が赤い、気がする。ろうそくの光かもしれないけど。

 

 ミサンガを追いかけて、階段を降りていく。よくよく耳を澄ますと、人のうめき声のようなものが聞こえてくる。

 「この辺りはまだ元気みたいですね。」

 まだ元気……声を出せるだけマシってことなのかもしれない。

 それでも、はっきりと意味の分かる声だったり、もう声を出しているだけになってたり、時々苦痛にもだえる声だったりと、いつまでも聞いていたいものではない。

 「ねえ、速くならないの?」

 「無理ですよ。これ以上速くしたら光だって強くなりますし、それに足音が鳴ります。」

 ミサンガを見ると、上の階にいた時よりも光が弱くなっている。

 聞くと、集中しているからあまり話しかけるなと言われた。

 とはいえ、黙っていると声が耳に入ってくる。

 男の声。女の声。子供の声。

 ごまかすように咳を出す。特に、女の子の声はやめてほしい。アキを思い出す。


 進むうちに、声がだんだんと聞こえなくなってきた。声がしなくなると、今度はミルのさっきの言葉を思い出す。

 あの辺りはまだ元気。しゃあ、この辺りは?

 思い浮かぶのは、目を虚ろに開けて、体を動かすことも出来なさそうなアキの姿。

 頼む。止まってくれ。まだ声が聞こえるうちに。

 前を歩いていたミルが、あるドアの前で立ち止まる。

 焦ってそのドアを開けようとしたところを止められた。

 「まずは状況確認です。この場であなたが急いでも状況は変わりません。」

 悔しいが、全くの正論だった。たとえ死の間際にいたとしたって、僕には何もできない。

 ミルはまずドアに耳を当てる。僕の方は何も聞こえない。うめき声でもいいから、生きている証拠が欲しかった。

 「お願い。頑なにならず、そのドアを開いて。」

 ミルがドアに話しかけると、がちりと音が鳴った。ドアを開けると、僕のいた部屋と同じような部屋になっていた。

 灯りはなく、ベッドが一つ。それと、よく分からない機械が少し。

 ミルが一直線にベッドに向かう。そしてこっちを手招きした。

 道があるのを確認して、ドアを閉めベッドの方に向かう。

 「光を。」

 部屋が青く照らされる。そして、ベッドで目を閉じて眠る人に向ける。

 そこにいたのは、まぎれもないアキだった。

 たった一日で、ひどくやつれた顔をしている。

 「アキ!アキ!僕だよ!」

 思わず大声を上げて体を揺らすが、反応がない。

 すぐにミルに引きはがされる。そのままむせた。

 「静かに!」

 そんなの無理とは思ったが、たぶんむせたことに対してではないな。

 ミルの手がアキの体を優しくなでる。

 「……眠っているだけですね。生きてはいます。が、いじられ過ぎて、回復には時間がいりますね。」

 「僕は魔法で元気になったんでしょ?同じようにできないの?」

 しかし、ミルは首を振った。

 「マモルは、まだそれほど時間が経っていなかったので。目を覚ますくらいならできるとは思いますが、きっと苦しむことになるでしょう。」

 それじゃあ意味がないどころじゃない。

 「分かった。それじゃあ、僕が背負う。」

 ミルは小さくうなづいて、僕の顔を掴んで無理やり目が合うようにしてくる。

 「動くな。」

 小さく、しかし真剣な様子で言われ、動けなくなる。

 ミルの手と目が青く光る。

  「喜びなさい。あなたの主人は、決意をした。人一人が、人一人を救う決意。さあ、主人の決意に応えなさい。主人の勇気を、あなたが力に変えなさい。」

 ミルの言葉に呼応するように、力がみなぎってくる。

 ミルは深くため息をついて、ドアの方へ向かう。

 「さあ、それで人一人くらいは簡単に持ち上げられると思いますよ。じゃ、行きましょ。」

 アキの体を起こし、細い腕を肩に乗せ、太ももを掴む。

 「ん……。」

 アキは小さく声を上げて、ぎゅっと体に抱き着いた。しかし、起きたわけではないみたいだ。

 「うん。大丈夫。行こう。」


 こつ、こつと降りてきた階段を走って上っていく。とりあえずは、上まではいけそうだ。

 「どこまで登るの?」

 「大体、五、六階くらいです。隠れようもないので、一気に上がりますよ。」

 アキを落とさないようにしっかり背負いながら走る。不思議と疲れを感じない。

 「これも、魔法の力か。」

 「まあ、そう、ですね。」

 ミルの方は少し息が上がっているようだった。魔法使いも疲れはするのか。

 階段を上がるのは割と早く終わった。

 「さあ、あと一つ階段を上がれば、地上のはずです。」

 振り返ってそれだけ言って、また進もうとするミルの手をとる。

 「えーと、あの。それなら、少し休まない?」

 しかし、ミルは僕の手を振りほどいた。

 「どうしてですか?これしきで疲れるような魔法をかけたつもりは無いんですが。」

 「あ、いや。僕じゃなくて。」

 ミルの為に言ったつもりだけど、そう言って素直に「分かりました」と帰ってきそうにない。

 しかし、視線を読まれたようだ。

 「私の事なら、構わなくて結構です。どうせもうすぐ出口なんですから、さっさとこんなとこ出て行きましょう。」

 そしてそのまま歩き出してしまった。

 「あ、うん。」

 やっぱり、そうなったか。仕方がないので、そのまま追いかける。


 最後の階段までの道は一本道で、割とすんなりだった。確かに、これなら休むのを惜しむ気持ちもわかる。

 そして、これまでよりもいっそう厳重そうな扉の前に着く。

 「着きました。ここを登れば、地上に出られます。地上に出てしまえば、あとは、まあ何とでもなりますよ。」

 つまり、ここが最後の門ということか。

 ミルが扉の前に立ってぶつぶつとつぶやくと、扉がガチガチと音を立てる。

 そして、ガチャリと最後の鍵が開いた。

 「さあ、行きましょうか。」

 そして、手をかける前に扉が開く。まるで自動ドアのように。

 「……ようやく来ましたが。待ちくたびれておりました。」

 扉を開けて迎え入れたのは、ルミンさんだった。


 ルミンさんに迎え入れられるがままに、僕たちは扉の向こうに入っていった。

 扉の中は、何もなかった。ただ、広い空間。扉が二つと、照明があるだけ。これまでの石造りの空間とはまるで違う、まっしろな空間だった。

 「……ルミンさん。どうしてここに。」

 「退院患者をお見送り……というわけではなさそうね。」

 ルミンさんは僕らを無視して、入ってきた扉に触れる。すると、黄色い光と共に扉から隙間と蝶番が消えた。よく見ると、奥にある扉も蝶番がなさそうに見える。

 「私に言い渡されたのは被検体2307の確保と侵入者の排除。確保は完了しましたので、残るは排除のみです。」

 ミルはため息をついて、肩をぐるぐると回す。

 「よし、分かりやすい話になってきた。マモルは隅に隠れててください。」

 そして、ミルの頭から猫みたいなひげと猫耳が生えてきた。って、え?

 目の前の光景に呆然としていると、しびれを切らしたようにミルが押してくる。

 「ほら、早く。守るのでしょう?」

 背中の暖かみを感じる。そうだ。僕にできるのは、それくらいなものだ。とりあえず、ぼーっとしている意味は無い。

 言われるがままに、部屋の隅で小さくなる。せめて、アキを隠すように。

 「賢明ですね。私も2307に危害を加えるつもりはありませんので。」

 ルミンさんはそう言って、手袋を何重にもつけ始める。こっちはこっちで不思議なことをするものだ。

 「それにしても驚きました。まさか亜人の魔女が病院に紛れ込んでいたとは。」

 ルミンさんの手が黄色く光ると、パッと燃え上がる。そして手を振って火の玉をミルに飛ばした。

 ミルは、飛んでくる火の粉を手で振り払う。

 「私の師匠はとってもすごいお方だから。チンケな鼻じゃかぎ分けられないのも当然。」

 そのまま手を地面に当てる。

 「お願い、浮き上がって。私を守る盾に、敵を封じる檻となって!」

 そして、地面がルミンさんを囲うように浮き上がり、そのまま天井と一体になる。

 しかし、新しくできた壁に無数の黄色い光の筋が通り、吹きあがる風と共にこま切れとなった。

 「なるほど、しかし、『鳥』風情が本気で勝てると思っているんでしょうか。」

 ミルは鳥というか、猫な気がするが、とにかくルミンさんはまた手を光らせ、空中に氷柱を出してミルに飛ばす。

 ミルは飛ぶように避け、そして呟く。

 「燃えよ。盛れよ。その手を焦がし、その口を閉ざせ。」

 途端、光っていたルミンさんの手、正確には手袋が燃え上がる。しかし、何のことはないようにすぐに手袋の火は消え、代わりに水が滴った。

 「加えて、準備の終わった魔術師に、詠唱のハンデのある魔法使いが勝てるはずもありません。」

 ミルは舌打ちをして、ルミンさんを睨みつける。

 「私は伸び盛りなの、おばさん。」

 「……低俗な挑発ですね。しかし、無駄です。」

 ルミンさんはこちらに向かって光る手袋を一枚投げる。よく見ると、光は文様を浮かび上がらせるように光っている。魔法陣のようだった。

 というか、どうしてこっちに?

 と、思っていたら、ミルが慌てるようにこっちに飛び込んできた。

 「壁を!盾を!どうか守って!」

 そのまま手を地面につける。勢いが余って足が上がった。そして、床が腰くらいまで盛り上がる。

 その盛り上がった床に光った手袋が当たった瞬間、手袋が爆発を起こす。

 幸い、小さく座っていた僕は、ミルの作り出した、床の盛り上がりが盾になって、無傷で済んだ。

 でも、ミルは飛び出ていた足が爆風をもろに受けたようで、一回転しながら思いっきり壁に叩きつけられた。

 「ミル!」

 「だい、丈夫です、これくらい。」

  ミルは熱で酷いことになった自分の足を撫でる。

 「お願い、動いて。まだいけるでしょう?」

 青い光を放ちながら、ミルの足はだんだんと元の肌色に戻っていく。

 そして、ルミンさんの方を睨みつける。

 「……信じられない。」

 「何がですか?被検体のことなら、危害を加えるつもりはありませんでしたが、挑発に丁度良いかと思いました。守りに行くのは、予想外でしたが。」

 ミルは右手を固く握りしめている。

 「信じられない!」

 そのまま一直線にルミンさんの方に向かう。挑発は、よく効いたみたいだった。

 ルミンさんは予想していたみたいに、氷柱を何本も飛ばす。ミルは何ということもないように避ける。けど、ミルは一直線に動いていたってことは、避けられた氷柱が向かう先は、つまるところ僕だ。

 「うわっ。」

 幸い当たらなかったが、思わず声を上げてしまう。反応してミルが振り向いてしまった。

 「マモル!」

 「よそ見なんてしていいんですか?」

 ルミンさんが黄色に輝く手をさっと振ると、何本もの氷柱が、まるでとげ付きの壁のような密度で飛んでくる。

 しかし、ミルは避けようとしない。そのまま走って向かう。

 「燃え盛る炎を!」

 そして、目の前に炎の壁を作って、その壁を突破した。氷柱はその炎で軌道が揺れ、僕の所まで届くことはなかった。

 でも、ミルの体には何本か刺さっていた。腕に、足に。

 幸い、胴や頭には刺さっていなさそうだったが、滴る血が痛々しい。

 それでもミルは止まらなかった。そのままルミンさんの元までたどり着いて、その両腕を握る。

 「崩れ落ちなさい。」

 握った手が青く輝く。すると、二人の手から、はらりと白い布が何枚も落ちる。光が消えると、ルミンさんの手袋は無くなって、素肌が見えていた。

 ミルはそのまま片手握ったまま背中側に回って、もう片手を自分の首の方に回してナイフを取り出した。

 「これで、終わり。さあ、出口を開けなさい。」

 ミルがルミンさんの首元にナイフを当てる。

 「嫌だと言えば?」

 「殺す。殺せば魔術も解けるでしょ?」

 ミルは手を震わせながら、ルミンさんの首筋にナイフを当てる。

 しかし、何てことはないようにルミンさんは小さくため息をついた。

 「驚きました。」

 「なに、こんなにやるとは思わなかった?」

 「いえ。その浅はかさに。」

 ミルは、予想外の言葉だったのか、驚いた顔をした。

 「何、強がり?あなたが準備したっていう魔術はこの手袋の魔法陣でしょ?」

 ミルは足元に落ちた布を踏みにじる。

 「そこが浅はかというのです。確かに、手袋には魔法陣を書いていますが、そんなものは準備とは言えません。準備とは、たとえばこういうものを言うのですよ。」

 すると、突然足元が光り出した。黄色い光、小さな丸がいくつも重なって、大きな円を作っていた。

 「これって……!」

 ミルは急いで飛び上がって、その円から抜けだそうとする。しかし、後一メートルといったところで、床が棘のように伸びあがり、ミルの体を傷つけていく。

 ルミンさんは淡々避けるミルの方へ近づく。足が地面に触れるたびに、連れて動くように新たな黄色い円が浮かび上がって、そこから地面の槍が伸びてミルを刺す。

 「こんなのあるなら、初めからやってなさいよ!」

 「初めから手の内をすべて晒すのは、脳の無い者のすることです。」

 ミルが壁に近づいたところで、ルミンさんも壁に寄って手をかける。すると、壁にも文様が、今度は大きく出る。

 すると、今度は壁から鞭のように氷が伸びあがり、ミルの両手足を氷漬けにした。

 「しまっ――」

 身動きが取れなくなったミルに、槍が何本も突き刺さる。

 ミルはビクビクと体を震わせたあと、血を吐いて動かなくなった。

 「ミル……?」

 静かになった部屋に、情けない声が響く。

 ミルは、震えながらもこちらを向いて、何やら口を動かした後、また動かなくなった。

 「ミルーーー!」

 叫んだ勢いで、激しくむせる。

 僕のせいで、目の前で人が死んだ。

 僕が、アキを助けようなんて言わなければ。

 僕が、元の世界に帰っていれば。

 僕が、この世界に来なければ。

 むせながらも、アキの方を見る。

 せめて、この子だけでも助けなきゃ。

 恐怖で震える手を握りしめて、立ち上がる。

 「……アキは、帰してやって。」

 ミルの様子を見ていたルミンが、こっちを向いた。

 「はい?」

 「目的は僕の確保だろ。じゃあ、アキは関係ない。」

 ルミンは少しだけ考えるように上を向いて、首を振った。

 「ダメです。確かに私に与えられた命令はあなたを確保するようなものでしたが、それはタイミングの問題でしょう。」

 と、バタンと奥の方から音が聞こえた。

 見れば、ミルの方から、倒れて開いた扉まで伸びた青い光が消えていった。

 「使わなかった魔法、一回分、です。」

 ルミンは小さくため息をついて、足を踏み鳴らす。そして、また一本、ミルに槍が刺さった。

 僕は、急いでアキを抱え上げ、ミルの開いてくれた出口に走る。ミルも助けたいけど、絶対に無理だ。

 しかし、いともたやすくルミンに止められる。たった一発、腹を殴られただけで僕は動けなくなった。

 「回路も持たないただの人間が、魔女にはかないませんよ。」

 腹を殴られた衝撃で息が止まる。

 ルミンの体の向こうには、出口が見える。

 あと何メートルもない。それなのに、そこにはたどり着けないのか。

 せめて、せめてアキだけでも。


 喉の異物感が強くなる。

 まるで、中で何かが大きくなるように。

 異物感はやがて嘔吐感に変わり、何かを吐き出すように口が大きく開く。

 閉じようとしても閉じられない、そんな感覚。

 そして、大きく咳き込んだ。


 口から出たのは、胃酸でも、液体ですらもなかった。

 口から出たのは深く深い青い石。

 そしてそれは、口から出たとたんに強く輝き出し、風の渦を巻き起こして、やがて人の形となった。

 その人は、少女の形をしていた。深青色に輝く女の子。

 二日目の夜に訪れて、口の中に消えた子だった。

 その子はにっこりと笑う。

 「また会いましたね。」

 そんな場合じゃないだろと、それだけ思った。


 ルミンの方を見れば、ひどく驚いた顔をしていた。

 口の中から人が出てきたんだから、驚くのも当然だが、どうも理由は違ったようだ。 

 「『最強』……!?」

 そして、足を踏み鳴らす。地面が黄色く輝くが、

 「地面よ蠢け(・・・・・)

 目の前の女の子がつぶやくと、地面がとたんに形を変え、というかズレて、黄色い光が作っていた円を崩した。

 そして、優しく微笑んで、周りをきょろきょろと見渡す。

 「って、ミル!大丈夫?」

 その女の子はミルの方へ近づいて、ミルを貫いていた槍を全部折って、ミルに話す。

 「もう大丈夫(・・・・・)元の姿を思い出して(・・・・・・・・・)受けた苦しみ(・・・・・・)を忘れなさい(・・・・・・)そうすれば(・・・・・)あなたは元の(・・・・・・)元気な女の子(・・・・・・)。」

 ミルの体に空いた穴が深い青に包まれて、やがて埋まっていった。

 ルミンがいつの間にか移動していて、壁に手を当て、また氷を巡らせようとするが、今度は触れただけで壁一面に亀裂が入って、黄色い光がそのひびから抜け出ていく。

 「お師匠様、どうしてこちらに。」

 ミルは、瀕死の状態から、もうまともに話せるようになったようだ。これまで見たものは、手品かなんかのように思えた。

 これが、魔法。

 「あれ?エレノラから聞いてないんですか?」

 そう言って、ため息をついた。

 「まあその辺は私から聞いて下さい。立てますか?」

 女の子が差し出した手を掴んで、ミルは立ち上がった。

 その様子を見て、にっこりと笑う。

 「うん、大丈夫そう。それじゃあ、待ってるから。」

 「はい。必ず送り届けます。」

 「ミルのことも、待ってるからね。」

 そして、その子はこっちを向いて、僕に小さな石を投げ渡した。

 「これを私じゃない私に渡してください。女の子を助けるなんて、本当にヒーローみたいでしたよ。」

 「え、えと、君は。」

 「行ってください。」

 何が何だか分からない。

 ルミンさんが黄色く光る布を出口の方に投げたけれど、少女が振り上げた手から出た風で、二つに切り裂かれる。

 と、女の子の姿がぶれ始める。

 「早く!時間がありません!」

 と、ミルがこっちに来ていて、僕の手を掴む。

 「行きますよ!」

 「ま、待って!」

 慌ててアキを抱き上げて、出口に走る。

 「待ちなさい!」

 「あなたのお相手は私です。」

 僕たちを止めようとするルミンを、女の子が止めてくれた。

 僕らはそのまま、倒れた扉を踏んで部屋の外に出た。


 「あの子は大丈夫なの!?」

 扉の向こうの階段をのぼりながらミルに聞く。

 「大丈夫ではないですけど、大丈夫です。人ではないので。」

 人じゃないって何だろう。言葉を発せないでいると、ミルが続けてくれた。

 「あれは、言うなれば魔力の塊です。お師匠様が得意とする魔法の一つですが、その魔力体が魔法を使えば、その内消えます。まあ、消えるといっても、元の体が無事なら何でもないですけど。」

 うーん、まあ、よく分からなかったが、とりあえず大丈夫らしい。

 と、階段を登りきった。ドアを開け、外に出る。

 そこは、普通だった。天井は高く、大学のエントランスみたいな感じだろうか。ゲートがあったりして、セキュリティ的には頑丈そうだけど。

 そして、そこを歩いていた人たちは僕たちを見てぎょっとした。

 まあ、ミルの服は血だらけで所々穴が開いているし、僕の方は薄汚れた格好で眠った女の子を抱えている。

 僕なら、通報する。警察か救急車かは迷うけど。

 と、ミルがまたうなじの辺りに手をやると、今度は長い杖が出てきた。

 ミルや僕よりも長い杖。ミルはそれを浮かび上がらせると、横向きに座って、僕からアキを受け取る。

 「さ、乗ってください。」

 言われるがままに杖にまたがると、杖は少し高度を上げて、人の背くらいの高さまで上がると急発進した。

 「うわわわわわ。」

 「しっかり捕まっていてください。」

 杖はそのままガラス張りになっていた建物の入り口側に突っ込む。

 「前、まえー!」

 「道を開けて!」

 ミルが杖を掴んでいた手を離してガラスに向けると、ガラスは簡単に砕け散って、キラキラと照明の光を浴びて輝く。

 そんなガラスのシャワーを浴びながら、僕たちは高速で建物を飛び出し、そのままビルの隙間を縫うように飛び、やがて夜の空の中に出た。

 アキも、ミルも、僕も無事。少し信じられないけれど、どうやら生き残ることができたらしい。


 「どこに向かうの?」

 「とりあえずお師匠様に会っていただきます。この方も、休めると思います。」

 さっきの子の本体に会うのか。手に持っていた小さな石を見る。

 ルミンには、『最強』と呼ばれていた。

 一日目の夜に、窓ガラスを割ったという人。

 二日目に、僕の所まで会いに来た人。

 そして、今日、助けてくれた人。

 一体、どんな人なのだろうか。

 「行ったみたいですね。」

 もう平らな部分があったことが信じられないくらい、ガタガタになった部屋の中で青く光る少女が笑った。

 ルミンは汗をぬぐう。

 「最悪です。」

 「大丈夫。あなたは死なないから、まだやりなおせますよ。」

 青く光る少女はにっこりと笑って、そして輪郭を無くしていく。

 体内の魔力を使い果たしたのだ。

 「敵に助言ですか。」

 「もう、敵じゃないですから。あなたも私も、戦う理由はもうないですよね。」

 確かにそうだった。もはや逃がした三人はルミンの力では追うことはできない。

 青い少女と戦っても、その本体には傷一つつかない上、どうせもうすぐ消える。

 ルミンはもう一度呟いた。誰に聞かせるわけでもなく。

 「……最悪です。」

 その言葉を聞いて、青い少女は口角だけ上げて、寂しそうに笑って、消えた。


 タイミングを計ったように、ドクターマネットが現れる。

 「ひどいな、これは。」

 その声に反応してルミンは振り返り、頭を下げる。

 「申し訳ありません。侵入者一名に脱走者二名、どちらも取り逃がしてしまいました。」

 ドクターマネットはルミンの謝罪を無視して、凸凹した床を撫でて何かのゲームに使えそうだと思った。

 「これは、侵入者が?」

 「いえ、被検体2307の体内に、『最強』の人形が隠されていました。それが。」

 ドクターマネットはふむと声を上げる。

 「それで、明日までに直せるか。」

 そう言われて、ルミンは怪訝そうに眉間にしわを寄せる。

 「……命令不履行への処罰は、無いのでしょうか。」

 「欲しいならやるが。」

 ルミンは首を振った。

 「寛大な処置に感謝いたします。」

 「まあ、ここの修繕が罰みたいなものだ。一人でやりなさい。」

 ルミンは返事をして、魔法陣を書く布を取りに自室に向かった。

 その途中、ドクターマネットが声をかける。

 「まあ、彼らはきっと帰ってくる。その時に捕獲すればいいさ。警備体制も見直す必要があるな。」

 「……どうしてそのように思われるのでしょうか。」

 「まあ、いくつは理由もあるが……」

 ドクターマネットは片眉を上げながら笑った。

 「勘だよ。結局のところはな。」

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