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初めの三日 その一

 高層ビルの最上階まで、魔法の力で登っているというエレベータに乗りながら、僕は完全に気力を失っていた。

 どうしてこんなことになったのか。放心状態のついでに思い出してみよう。


*****


 あれは、ある暑い夏の日だった。

 まあ、あれと言っても僕にとっては今日の事のつもりなんだけど、ともあれ僕は面白くもない授業を黙って受け、今日発売される新作のラノベを買いに行くのを楽しみに放課後を待っていた。

 そして放課後。

 「おい、牧草(まきぐさ)、一緒に帰ろうぜ。」

 「悪い、今日寄るとこあるから。」

 会えば世間話をし、下校時には一緒に帰る程度の友人の誘いを断り、自転車まで一直線に歩き、そのまま助走をつけて高校を飛び出す。

 いつもは右に曲がる所を左に曲がる。多少上り坂になるが仕方がない。

 そのまま大通りまでまっすぐ行くつもりだったのだが、間が悪いことにそこに至る橋は工事中だった。

 「くそ、こういうのは年度末にでもしとけばいいんだよ。」

 軽く悪態をついて、ルートを再構築する。左には、河川敷の道なりの先やや遠くに橋があった。右を見れば、河川敷からは繋がっていないが、少し行ったところにまた橋が見えた。目的の本屋は大通りに出て右にあったはずだ。住宅街を通ることにはなるが、右の橋を渡ればそれほどのロスにはなるまい。そう考え、僕は住宅街に自転車を向けた。

 しかし、住宅街はなかなか思うように進ませてくれない。まっすぐ進めばすぐに袋小路に当たるし、左右に曲がったからといってもすぐに道が開けるわけではない。完全に失敗だった。なんだかラノベもどうでもいい。疲れたしもう帰ろう。

 そう考えるが、最後の望みをかけて家と家の間の細い道に視線をやると、そこには『穴』があった。

 いや、穴というのは正確ではない。少なくとも、僕は空間に空いた穴は見たことがない。

 ソレは、科学館で見たことのある、「人が中に入れるシャボン玉」みたいな感じだった。

 シャボン玉と違うのは、どこにもシャボン玉を作る輪っかが無くて大きな卵みたいな形をしている事と、どう見ても割れそうにない事、そして全くの不透明なことだ。表面に作られる、虹色の文様だけを残して、ベースだけミルクみたいに真っ白になっている。

 大きさは小学生くらいだろうか。まあまあの大きさだ。

 この展開を僕は知っていた。昔読んだラノベの始まりを思い出す。

 自転車を置いて、軽く手をかざしてみると、なんとなく風を感じた。何かを吸い込んでいるようだった。

 試しに石を投げ入れてみる。石はミルクの中で渦を巻きながらだんだんと小さくなり、やがて見えなくなった。音は全く聞こえてこない。

 周りを見渡す。誰もいない。僕はごくりと唾をのんだ。

 これはチャンスだ。千載一遇の、これを逃せば二度と僕の人生には現れない。そして、一生後悔するような、そんな機会。

 この穴に入れば、きっと本で読んだような、剣と魔法の世界に行けるに違いない。

 恐る恐る『穴』に手を入れてみる。なんの感触もない。

 足も入れてみる。特に変わりない。

 そのまま足を踏み下ろそうとするが、そこに地面はなかった。

 僕はバランスを崩して、そのまま体全体が『穴』に入り、そして回転しながら落ちていった。


*****


 次におぼろげに記憶があるのは、霞む視界の中、ローブ姿の人が僕を囲むように立って、その後ろを、竜巻の中みたいに色んなものが飛び回っていた。

 僕を支えていた力がなくなり、そのまま下に視界が向くと、そこには石畳の上に描かれた文様。何重もの円の中に描かれたなにか。そして、僕は石畳の冷たさを感じながら、自分の意思で動く間もなく意識を落とした。


*****


 そして、拘束された状態で目を覚まし、その後連れられるがままに、こうやって横向きに動いているエレベータの中で座っている。

 ふと気づくと、白衣の女性が顔を覗き飲んでいた。

 「うわっ。」

 思わず体をのけぞらせる。

 「室長。やはり話を聞いていなかったようです。」

 凛とした、無機質な声が響く。

 「あぁ、まあ、そういうこともあるだろうね。」

 室長と呼ばれた男が、僕の前に立って手を振ってくる。

 「私の名前はマネット・アンクドーフ。気軽にドクターマネットとでも呼んでくれ。こっちはルミン・エレモント。よろしく。」

 そして、振っていた手をそのままこちらに伸ばしてきた。一瞬意味が分からなかった。

 「おや?君は握手をしない文化圏の知的生命体だったのかな。」

 「あ、ああ。」

 言われてようやく僕も右手を伸ばし、ドクターの手を掴む。

 「えっと、牧草守(まきぐさまもる)です。よろしく、お願いします。」

 「それは、どっちが名前なんだい?」

 「あー、えっと。守の方ですけど。」

 自己紹介すると、怪訝そうな顔でルミンさんが見てきた。

 「あの、何かありました?」

 と、ドクターがルミンさんの横腹を肘で小突いた。

 「いや、何でもない。すまないね、この子はあまり異世界人と接触しないものだから。」

 見た目には特に違いがないつもりだけど、何か気を引く部分でもあるのだろうか。

 あるいは、やはり異世界人というだけでステータスになるのかもしれない。

 僕は、少し元気を取り戻した。

 「えっと、それで、お話というのは。」

 「あ、ああ、そうだそうだ。えーっと、どこまで聞いていたのかな?マモル。」

 とりあえず、ここが魔法の存在する異世界で、僕はここに住むか元の世界に戻るかを三日の内に決めなければならない、というところまでは聞いた。

 「なるほど。それなら、とりあえずはここで話すべきことはもうなさそうだ。あとはおいおい話していこう。」

 そう言うと、ドクターも椅子に座った。

 「何か今のうちに聞いておきたいことはあるかい?」

 顎に手を当てて少し考える。うーん、こういうときの気の利いた質問ってどんなのなんだろう。

 「あの――」

 ようやく思いついたところで、ポーンと間抜けな音が鳴った。ガラスの壁が開く。

 「お、どうやらついたようだ。すまないが質問は後だ。」

 なんというか、勢いをそがれて何を質問しようとしたか忘れてしまった。

 ともあれ、立ち上がってエレベータを降りるドクターについていく。


 エレベータから出ると、そこはリノリウムの敷かれた、やや開けた部屋に出た。長椅子が何列か置かれ、受付のカウンターもある。

 要するに、病院のようだった。奥の通路の先には入院患者用の部屋がありそうな雰囲気だ。

 そして、目の前にはナース服を着た、二人の女性。その、なんというか、かなりキワドイ格好に見える。これが普通なんだろうか。しかし、振りむいてルミンさんを見ると、普通の白衣を着ていて、特にそういう感じではなさそうだ。

 「ああ、この人たちが、君のお世話係だ。ほら、ご挨拶を。」

 どうもこの二人の正体が気になっていると思われたようで、ドクターが二人を示す。

 指された方のうち、胸の大きな女性が優雅にお辞儀をする。

 「どうも、エリーです。これからよろしく……といっても、私は厳密にはお世話係ではないんですけどね。」

 いわゆる日本風のお辞儀ではなくて、膝を曲げて首を傾けるお辞儀だったが、とても優雅で、なんというか、首を傾けた時に、短く切りそろえられた栗色の髪の隙間からちらりと見えるうなじとか、ボディラインのはっきりした服だからこそ見える細やかな動きとか、なんかもう見ていられない。

 視線を逸らしてもう一方を見る。と、なんだかものすごい睨んできている。ように見える。

 「ミル。」

 エリーさんが声をかけると、ミルと呼ばれた女性――というよりも、女の子か。僕よりは年上そうだけど。ともあれ、ミルさんも同じようにお辞儀をした。

 「すみません、目が悪いもので。どうも、ミルとお呼びください。えー、これから三日間、よろしくお願いします。ご不便がありましたら何なりとお申し付けください。」

 なんというか、棒読みだ。お辞儀もなんかそっけない。ついでに胸もつつましい。髪だけは豊かで、後ろでひとまとめにしている。

 そんなことを考えたらまた睨まれた。やっぱり目が悪いわけじゃないと思うんだけど。

 「さて」

 と、ドクターが声をかけてきた。

 「悪いんだけど、これからマモルには三日間ここから出てもらうわけにはいかないんだ。」

 「えぇ!」

 思わず声が出た。思っていた魔法世界ではないけど、それでもこの外の世界はとても気になる。

 「ど、どうしてですか?」

 「まあ、その、我々に抗体のない細菌とかを持っていないか、確認する必要があるからね。」

 なるほど。言われてみればその通りだろう。

 一人納得している間に、ドクターはエリーさんに小さな赤い石を渡していた。ミルさんはそれをぎゅっと握りしめた後、ミルさんに渡した。ミルさんも同じようにぎゅっと握っていた。

 「それじゃあ、後はよろしく頼むよ、ミル君、エリー君。」

 「はい。」

 「はい。」

 看護師の二人が挨拶をすると、ドクターはルミンさんと共にエレベータの方に戻った。

 ミルさんの方を見ると、エレベータの方を睨んでいる。と、エリーさんに小突かれた。

 目が悪いっていうのも、あながちウソじゃないのかもしれない。

 「それじゃあ、マモル。これからあなたの部屋に案内するわね。」

 あれ?

 「えーっと、エリーさん、」

 「エリーでいいわよ。」

 「あ、私もミルさんなんてキ……、あー、気兼ねなく呼んでください。」

 また肘で小突かれている。どうも、エリーさんはミルさんの教育係のようだ。

 「えっと、エリー……さん。」

 ダメだ。なんか恥ずかしい。

 エリーさんは苦笑いを浮かべる。

 「まあ……いいでしょ。どうしましたか?」

 「あの、どうして僕の名前を。」

 エリーさんは、ああといった顔をした後に、ミルさんにドクターに渡されていた石をこちらに見せさせる。

 「これですね。ここにあなたの診察情報が登録されているんです。」

 なるほど。エレベータの時にそこに登録されたってわけか。

 ミルさんは、その淡く光っている石から糸を取り出し、ネックレスのように首に下げた。その様子を確認してから、エリーさんがまたこちらに向きなおした。

 「それでは、他の質問はお部屋で落ち着いてからでよろしいですか?」

 「あ、はい。」

 とにかく、部屋までついていくことにした。


 連れていかれた部屋は、病院の一室というよりは、ホテルの一室、といった感じだった。ベッドに机、一人用のソファ。大きな窓にシャワー室にトイレまでついている。

 ただ、点滴台とベッドに手すりがついているところが、ここが病院であることを思い出させる。

 「それで、こちらにナースコールがありますので、何かありましたらいつでもお呼びください。」

 ミルさんがぶっきらぼうに備え付けの機器の説明をしていく。エリーさんは部屋の位置まで連れてきたところで、別のナースに呼ばれたようで行ってしまった。

 「あの、ミルさ。」

 「ミルと……。」

 ミルさんは、部屋の外をきょろきょろと見まわした後、ドアの鍵を閉め、こちらに攻寄ってきた。

 あ、なんかいいにおいがする。

 「あ、あの。」

 「いい?私は業務上、仕方なく、これからあなたの世話をするわけだけど、あんまし調子に乗らないでよね。それで、『ミルさん』なんて気持ちの悪い呼び方、二度としないで。いい?分かった?」

 ミルさ……ミルは僕のことを何度も指さしながら、まくし立てた。

 「は、はい。」

 「よろしい。」

 ミルは、納得がいったところで、ため息をつきながらベッドに座り込んだ。

 「なんか疲れちゃった。あなたも楽にしたら?」

 自由な人だ。なんかいい返そうと思ったが、もう遅れてしまった感が強いし、多分僕はミルに口喧嘩では勝てない。諦めて、ソファに座ることにした。

 「それで、僕は何をすればいい?」

 「あー、えーっと。」

 ミルは、何か言おうとするが、何か言い淀んでいるようだった。

 「特に何も。」

 「なにも?」

 「何も。お好きにどうぞ。」

 言いきられてしまった。

 「それじゃあ、外に出るっていうのは……。」

 「ちゃんとドクターの話聞いてたの?」

 まあ、そうだよな。分かってはいたけど。頭上にため息を吐きながらひとりごつ。

 「じゃあ、何で呼んだんだよ。」

 「あー。それは。」

 と、ドアの方からガチャガチャと音が聞こえる。

 「鍵なんか閉めてどうしました?開けますよ?」

 「やば、おね……エリーだ。」

 と、またもこっちに近づいてくる。そして、小声で怒鳴りつけてくる。

 「いい?私はここでそつなく案内を済ませた。」

 すごい形相で睨んでくるので圧に押されて首を何度も縦に振った。

 やっぱり目が悪いわけではないんじゃないか?

 「復唱。」

 「ミルさんはそつなく案内を済ませました。」

 「さんはやめて。」

 と、ドアが開いた。そのとたんミルは僕の頭を掴んで、思い切り引き寄せた。座ってたので、ちょうどお腹の辺りに押し付けられる形だ。

 「えーっと、あ、取れました。ほら。」

 ミルは何も掴んでいない親指と人差し指をこっちに見せて、床の上で払うふりをした。

 「あ、エリー。ちょっと、ゴミがついていたようだったので、取っていたところです。」

 空笑いを見せながらミルはごまかそうとした。が、エリーは僕の方と、少しよれたベッドを見て、小さくため息をついた。

 「ミル。少し、お話があります。」

 ミルは落ち込んだ様子で返事をした。

 「そういうわけで、私たちは少し離れますが、その前に何か聞いておきたいことなどはありますか?」

 「あ、えーっと、それじゃあ。」

 ようやく話が聞けるみたいだ。

 「そもそも、僕、召喚、されたんですよね。どうして、ですか?」

 見たところ世界崩壊の危機に呼び出された勇者っていうのでもないみたいだし。

 「ああ。あれ?ミルから聞いてませんか?」

 そういってエリーさんはミルの方を見る。ミルは目を逸らしてる。そして、エリーさんがため息をついたところでこっちを睨んできた。そんなこと言われても。

 「そうですね……。召喚魔術というのは、現代においては特別な許可を得ない限り使ってはいけないこととなっていまして。ミル?」

 エリーさんがミルの方を見ると、慌てて首に下げていた石を握った。

 「はい。えっと、マモルの場合……『世界間での魔素と基礎魔力の相違に関する研究の為』、だそうです。」

 なるほど。分からない。

 「まあ、きっと後でドクターマネットが説明するとは思いますが。」

 なぜかミルが舌打ちをする。

 「それは……強制、なんですかね。」

 何をされるのかよくわからないが、正直よい予感はしない。

 少し不安そうな顔をすると、エリーさんが優しく微笑んでくれた。

 「いえ。もちろん、協力いただけた場合は種々の特権が与えられますが、望むのであれば私達と同様の生活も送ることができます。詳しいお話はおそらく明日辺りにドクターマネットから説明があるとは思いますが。」

 そういえばドクターも人権がどうとか言っていた気がする。ショックで曖昧になってるけど。

 「それじゃあ、今日はどうすれば。」

 「このフロア内であれば、ご自由に。もちろん、他の方のご迷惑にはならないよう、お願いしますよ?」

 エリーさんはそう言ってにっこりと笑った。


*****


 さて、二人がどこかに行ってしまった後、言われた通り自由にフロア内を歩き回っているが、ここには本当にいろんなものがある。

 入口こそ病院のようだったけど、奥に進むと、豪華客船のようになっていた。

 服屋、小物屋、美容院。パン屋にお菓子屋、レストラン。体育館に……カラオケルーム?

 「知ってる歌なんてあるのか?」

 ともあれ、その他思いつく大抵のお店や施設が、回廊に置かれていた。

 不思議なようだけど、このフロアに居るのが召喚された人だって考えると、納得もいく。健康な人を三日間も閉じ込めるわけだし、娯楽は必要ということなのだろう。どこに行ってもお金は求められなかった。これも、『特権』ってやつなのかもしれない。


 一通り散策して、少し疲れた僕は中庭のベンチに座って、パンを一口かじる。

 「まさかこの世界にもメロンパンが存在するなんてなぁ。」

 空を見上げる。周りの壁が斜めになっている関係で、中庭のわりに空が広く感じる。周りに生えている緑が、足も竦むほどの高層ビルの最上階ということを忘れさせる。

 しばらくぼぉーっとしていると、顔に影が差した。周りを見ると、華憐という言葉がよく似合いそうな女の子こっちを見ていた。

 目が合うと、彼女はこちらを見て手を振ってきた。

 「こんにちは。いい天気だね。」

 「あ、どうも。」

 とりあえず手を振り返す。でも、こんな近距離で手を振り合うのも不思議な感じだ。

 「えっと、何か?」

 その、僕よりちょっと下に見える女の子は、そのまま隣に座った。

 「ううん?ただ、いい天気だなぁって。そう思って中庭に来たら先客がいたから。……もしかして、お邪魔だった?」

 首をぶんぶんと振る。気の利く一言を添えたかったけど、なんか気恥ずかしくなってそのままになってしまった。

 その女の子は、長い茶髪をかき分けながら、太陽のようににっこりと笑った。

 「良かった。あ、私、アクェーミュン。」

 「アケ―……?」

 「アクェーミュン。」

 「アクェームン?」

 うまく名前を呼べないでいると、アクェーミュンは小さく笑った。

 「こっちの人からしてもちょっと呼びにくいみたいだから……アキって呼ばれてるの。だから、呼びにくかったらそう呼んで。」

 「分かった。あ、僕は、守。」

 「マモル、ね。どういう意味なの?」

 アキがキラキラした目でこっちをじぃっと見つけてくる。

 「え、と。何かを守ったり、約束を、そう、約束を守れる、そんな男になれって、と……親父が。」

 なんとなく、父さんと呼びずらい、そんなお年頃なのだ。

 「ふぅん。いい名前だね。」

 アキはまたじぃっとこっちの顔を見てくる。なんだろう。ちょっと目線を逸らす。やがてアキも顔を下げた。

 「あ、そのパン。」

 食べかけのメロンパンを目線に上げると、アキの顔もついて上がった。

 「メロンパン?」

 「あ、メロンパンっていうんだ。……美味しいの?」

 そう言われて、ムッとして一口かじってみせる。ここのは少し味が違うが、メロンパンは好物だったのだ。そして、アキの方にメロンパンをさしだす。

 「美味しいよ。食べる?」

 アキは、そのまま僕の手から、メロンパンを一口かじった。

 こ、これは、つまるところ、「あーん」というやつではないだろうか。

 もう間接キッスなんてそれほど気になる年頃でもないが、「あーん」の方はちょっと、というか、かなり気になってしまう。耳が熱くなってくる。顔が赤くなってはいないだろうか。

 そんな僕などお構いなしに、アキは美味しそうに、幸せそうな笑みを浮かべている。

 「うーん、変な緑色したパンだと思ってたけど、案外おいしい。やっぱ食わず嫌いはダメだね。」

 アキは、一人納得したように首を何度も上下に動かした。

 「ここのご飯って、いろんな世界からレシピを取ってるらしいよ?だから、いろんな料理が食べられるんだって。イグニスが言ってた。」

 メロンパンを食べながら、生返事を返す。なるほど。このメロンパンも、以前僕の世界の誰かがこっちの世界に来て、そこで教えたものなのだろう。

 「アキは、ここの事よく知ってるの?」

 「うーん、私もまだ二日目でしかないし、そこまでだけど。マモルは?」

 「いや、僕も今日来たばっか。よくわからない。」

 「じゃあ、私の方が先輩だね。」

 アキは胸を張っている。

 「いや、そうは言っても年下に見えるけれど。」

 「あれ?先輩後輩って年が関係あるの?」

 そう言われてみると、無いかもしれない。

 次の言葉が出て来ない僕を見て、ほらねと満足そうに笑うアキは、なんというか、可愛かった。

 「いや、待って。やっぱり、こう、人生経験とか、そういうのが。」

 「ここでの経験は、私の方が長いでしょ?」

 なるほど。論破されるって、こういうことなのか。なんか納得がいってしまった。


 それから、しばらくアキと話していたが、そこに男がやってきた。

 「アキ、ここに居ましたか。」

 その男は、なんという服なのか、ゆったりとした一枚の布でできた服をまとっている。それをひもで縛って動かないようにしていた。言うなれば、浴衣を開いてきているような感じか。それでも、それは正装のように思えた。

 「イグニス!」

 「はい。おや、こちらの優しそうなお方は?」

 その男は、イグニスというらしい。

 「マモル。私の後輩なの。」

 僕は後輩という単語に引っかかったが、さっき論破されたところだったから、何も言い返せはしなかった。

 「マモル、イグニスは私のお世話係なの。」

 イグニスは人の好さそうな笑みを浮かべて手を振ってきた。

 「こんにちは。」

 「あ、どうも。」

 女の子がすると可愛いと思うけど、たとえイケメンでも男だと何とも言えない気持ちになる。

 「その、イグニスさんは、白衣とかじゃないんですか?」

 イグニスは服をつまんだ。

 「これですか?これは、アキの希望です。」

 「私、白い服ってあまり好きじゃないから。それに、こうしてるとなんだか執事様って感じでしょ?」

 まあ、僕からすると執事と言われればスーツだけど、確かに柔らかな物腰といいそんな感じはする。

 「その着替えって、僕のお世話係にも頼める?」

 「ええ。お世話係は、皆様が快適に過ごすためなら、如何様なご指示でも、可能な限り尽くします。」

 そう言ってイグニスは恭しく頭を下げた。

 なるほど。しかし、ミルが素直に言うことを聞くとは思えないけどな。

 「それで、イグニスはどうしたの?」

 アキはイグニスの方に寄っていった。

 「ああ、そうでした。アキ、ドクターマネットがお呼びです。」

 「そっか。……ねえ、マモル。」

 イグニスの隣で、アキがこっちを見る。なんとなく悔しい。

 「明日も会える?」

 「僕は大丈夫だけど……。」

 イグニスの方を見ると、首を振っている。

 「アキ、申し訳ありませんが、明日には。」

 「あ、そっか。」

 アキは昨日来たって言ってたから、たぶん明日にはここを去るのだろう。

 「でも、私はこの世界にずっといるつもりだから。また会えるよね?」

 「えっと、でも、僕はまだこっちにいるか分からないけど。」

 アキはちょっと寂しそうな顔をして、でもすぐに気を直した。

 「じゃあ、こっちに残るならでいいから。ね?いいでしょ?」

 「まあ、それなら。」

 知っている人が全くいないよりは、ちょっとでも知っている人がいた方が心強いし。

 そう答えたらアキは嬉しそうに笑った。

 「ねえ、イグニス。この辺りで待ち合わせにいい場所ってどこ?」

 「そうですね。ロータウンズビルの屋内公園などはいかがでしょうか。」

 「分かった。それじゃあ、そこで、三日だけ、三日だけ待ってるから。絶対来てね?あ、残ろんだったら、だけど。」

 アキは、だんだんとしょぼくれた様な顔になって、それでもいじらしく笑おうとした。

 僕は、イグニスに連れられて行くアキをただ手を振って見送ることしかできなかった。


*****


 それからしばらく、中庭で一人ぼぉっと黄昏ていた。

 日が落ち、暗くなった頃。ミルがやってきた。

 「こんなところにいましたか。」

 ミルは、やっぱりなんだか機嫌が悪そうだ。ひょっとすると、これが地なのかもしれない。

 「晩御飯はどうするんですか?マモル。」

 「うーん。」

 こう、うまく頭が動かない。

 「おすすめは何?」

 「おすすめですか。えー、そうですね。」

 ミルは顎に手を当てて考えている。

 「『猫のひたい』亭のミートパイ……はここにはありませんが、ここのミートパイも美味しいですね。」

 「じゃあそれで。」

 ぶっきらぼうに答えると、ミルは何か言いたげな顔になった。

 「どうしたの?」

 「えっと、おひとりで?」

 「……ミルも一緒に食べる?」

 そう言うと、ミルはすごく嬉しそうな顔になった。

 「是非。あ、ご自分のお部屋がいいですよね。その方が落ち着けますし。」

 またもずいっと寄ってくる。怖い顔ではないが、有無を言わさない勢いがあった。

 「え、あ、はい。」

 「分かりました。それでは、準備しますのでお部屋でお待ちください。」

 そう言って、ミルは上機嫌に去っていった。


 部屋に戻ると、すでにエリーさんがいた。

 「お帰りなさい。今日は楽しめましたか?」

 「あ、はい。ただいま。」

 「それは良かったです。」

 エリーさんはそのまま僕を部屋に招き入れ、ソファに座らせてくれた。いつの間にか、他に二つ、一人崖のソファが用意されていた。

 その一つにエリーさんも座った。

 と、ドアがノックされ、ミルが入ってきた。

 「マモル!ミートパイのお出……エリー、どうしてここに?」

 エリーさんは椅子に座ったまま手を振っている。

 「マモルが招待してくれたんです。お食事を共にどうですか?」

 エリーさんは確認を取るように、お姉さん特有の、有無を言わさない笑みを向けてきた。

 「え、あ、は、はい。」

 ミルはワゴンごとずかずかと部屋に入って来て、エリーさんに詰め寄る。

 「嘘ですよね。」

 「うん。嘘。」

 え、そんな簡単に白状しちゃうんだ。

 エリーさんさんは笑みを崩さずに続ける。

 「でも、さっき本当になった。マモルから許可はいただきましたから。」

 そしてこちらにウィンクを飛ばしてきた。でも許可なんて、といったところで気付いた。

 「さっきっていつ……あ。」

 ミルも気づいたらしい。エリーさんはニヤニヤとミルの方を見ている。

 「ね?さっき確かに私は一言目に嘘をついたけど、二言目は単なる確認でしたから。」

 「そんなの……そんなの無効です!」

 なぜかミルがむきになっている。それを受けてエリーさんが高笑いをする。

 「残念ね。まあ、年の……。」

 と、こっちを見て咳払いをした。

 「……申し訳ありません。お聞き苦しいところを。あと、マモルがもしミルと二人きりが良いと言うなら、もちろん私は立ち去りますよ。」

 そう言われると、断りにくい。ミルの方を見ると、睨まれた。

 「だ、大丈夫です。みなさんで仲良くいただきましょう。」

 ミルはあきらめたように、網の荒いミートパイをテーブルに並べ、自分も席に着いた。

 「ミル、私の分は?」

 「あるわけないじゃないですか。こんな突然来られても。」

 エリーさんがワゴンの上を指さすと、もう一皿乗っていた。

 「どうして?」

 ミルは尋ねながら、そのひと皿をエリーさんに渡す。

 「まあ、そういうこともあるわよ。いただきましょう。」

 僕は両手を合わせて、心の中でいただきますと唱える。と、二人がこちらをじぃっと見てくる。

 「あ、あの。」

 「あ、いえ、気にしないでください。」

 「ご挨拶ですよね。食事前の。」

 そうか、こっちの人はあまりこういうことをしないのかもしれない。

 「なんかすみません。」

 謝ると、「いやいや」といった感じで手をぶんぶんと振られた。

 「とてもいいことだと思います。食事への感謝は忘れてはいけないと思いますし。さあ、冷める前にいただきましょう。」

 エリーさんがそう言って、食べ始めたのを見て、僕たちも食べだした。


 ミルおすすめのミートパイは、確かにおいしかった。ミートパイは食べたことのないものだったけど、なるほどお腹にたまってとてもいい。ただ、少し食べにくい。

 「マモル、こぼしてますよ。」

 ミルがナプキンを渡してくれた。ちょっとだけ、拭いてくれないのかと思ってしまった。

 「マモルはミートパイ初めてですか?」

 「え、ええ。まあ。」

 こぼしたところを拭きながら答える。

 「でも、おいしいです。」

 「そう。良かったわね、ミル。」

 エリーさんはそう言うが、ミルはあまりうれしそうではない。というかむすっとしている。

 「何かありましたか?」

 「……エリーは、どうして一緒に食べたいなんて言ったんですか?」

 ミルが聞いた。確かに、用事もないのに普通あんな無理やりに来ないだろう。

 僕に惚れた……ってことはないだろう。きっと。そうだったらいいけど。

 「まあ、ミルが心配だったから。それとも、二人きりの方が良かった?」

 エリーさんは早々に食事を済ませ、いつの間にかお茶を飲んでいた。ミルの手が止まった。

 「そ、そういうわけでは。」

 「嘘。じゃなかったら別にお店で食べてもよかったじゃない。」

 今度は僕の手も止まった。ずっとにらまれてたし、ミルが僕と二人きりになりたいなんてありえないと思っていたけど、言われてみればちょっと変だ。

 「そ、それは……。」

 ミルは言いよどんでいる。僕はミートパイから目を離せない。これはひょっとして、ひょっとしているのか。

 と、エリーさんがため息をついた。

 「どうせマモルと二人きりだったらちょっと適当やっても脅したら黙ってもらえるとでも思っていたんでしょ?」

 顔をあげると、ミルは気まずそうに顔を背けていた。

 「なんだよそれ。」

 思わず口に出すと、つられるようにミルが勢いよく立ち上がってきた。

 「だってそうじゃない。あんた気よ――。」

 と、唐突に苦しそうな顔に変わって、そのまま椅子に座った。

 「ごめんなさいね、この子が。」

 エリーさんが頬に手を当ててため息をつきながらこっちに謝ってきた。どうやらテーブルの下で何かあったようだ。

 「あ、いえ。気にしてないです。ホント。」

 気弱って言おうとしたんだろうけど、まあ当たっているし。

 ただまあ、モテない人間は、異世界に来てもやっぱりモテないんだろうか……。


*****


 夜。僕は、ベッドにも就かず、ソファに座って窓から外を眺めていた。

 この街は、夜でも明かりが消えないらしい。もちろん、消えているところはある。僕の部屋だって、外から見れば暗い窓しか見えないだろう。

 でも、夜でもなお飛んでる車が、下を見れば流れている光の粒が、この街には眠ることがないことを教えてくれた。

 「こんなの、異世界じゃないよなぁ。」

 異世界って言ったら、やっぱり剣と魔法とか、中世とか、煉瓦と石畳の道とか。飛んでるものといったら帚に乗った魔法使いとか、火を吐くドラゴンとか。そういうものだろう。

 それでもなお、惹かれるものはあった。確かに僕の思う『異世界』ではなかったが、それでも異世界ではあるし、それに僕はSF物も好きだった。あの空飛ぶ車に乗ってみたくはあるし、横に動くエレベータも、今思うともうちょっと堪能すればよかったと思っている。

 それに、アキのこともある。今日出会ったばっかりだけど、明後日には、ひょっとすると色々あって明々後日になるかもだけど。とにかく再会する約束をした。まあ、「来なくてもいい」とは言われたけど、3日も4日も待ちぼうけにさせるのは申し訳なくも思う。

 結論を急ぐことはないけど、ここに居たいとは思う。ここなら、今までの僕が変わる気もするし。

 お茶を飲み干したら、ベッドで眠ろう。そう思ってソファに思いきり背を預け、

 「動くな。」

 そう、ソファから動かず……、

 「うゎ……」

 声を出そうとしたら、口をふさがれた。そして、首筋に冷たい感触。これって。

 「騒ぐな。騒いだら首を掻っ切る。」

 女の声だった。首を小さく振りながら、横目で何とか相手を確認しようとするが、ぎりぎり黒ずくめであることしかわからなかった。

 あとは、なんかいいにおい。ってそんな場合じゃなかった。

 「お前に許されているのは二つ。これからいう指示に従うか、ここで死ぬか。」

 女がナイフを喉元に当ててきながら耳元で小声で伝えてくる。

 「明日、お前の世話係に、『今すぐ元の世界に戻してくれ』というんだ。」

 「ふぁ、ふぁんでふぉんふぁふぉとふぉ?」

 無理やりしゃべろうとしたら、首に当てられていたナイフが少し動いた。冷たいナイフの下に、流れるものを感じる。

 「喋るな。お前ができるのは首を縦に振るか、ここでこのままナイフで首を裂かれるかだ。」

 その首から流れているものが、自分の血と分かったところで、僕はパニックになった。

 「わ、わ、わ。」

 そのまま暴れると、肘が良い所に当たったのかとりあえず黒ずくめの女から距離を取れた。そのまま立ち上がって正対する。

 「なんなん「喋るな。」

 黒ずくめの女に叫んでやろうとしたら、ナイフを向けられたとたんに声が出なくなった。ナイフが淡く発光して、女の顔を照らすが、黒い布で目以外が隠され、顔が分からない。

 「いいら頷け。明日、お前の世話係に『今すぐ元の世界に戻してくれ』という。いいな?」

 光るナイフが小刻みに揺れる。僕の膝も笑ってる。喉から声は出ず、歯がカタカタ音を鳴らす。

 「早く!」

 女が小声で怒鳴る。距離を詰めてくる。逃れようと後ろに下がる。何かに躓いた。そのまま尻もちをつく。

 女がナイフを突きつけてくる。

 「早く頷け!」

 首が勝手に横に振れる。体のどこも勝手に動く。

 なんだよ。

 なんなんだよぉ。

 目から、口から、いろんなところから勝手に体液が漏れる。

 ナイフが光るのを止めた。

 「そうか。それなら、仕方がない。」

 女がナイフを振り上げ、止める。

 振り下ろせば、きっと僕の心臓に来るんだろう。

 我ながら情けない最期だ。

 でも、仕方がないじゃないか。


 と、途端にどたどたと音が聞こえてきた。黒ずくめの女は、小さく舌打ちを打つと、大きな窓に手を当て、こちらを睨んできた。

 「いいか、忠告してやる。ここはお前の思っているようなところじゃない。誰も信じるな。」

 部屋のドアが開く音がする。同時に、窓ガラスが大きな音を立てて粉砕した。

 「待て!」

 誰かが大声を上げて走ってくる。しかし、女は長い髪をはためかせながら、ガラスの無くなった窓から落ちていった。

 ぼぅっとそのまま窓の外を見ていると、二つの月の影に、空飛ぶ帚を見た。気がした。


*****


 「マモル!大丈夫ですか?」

 女の人の声が聞こえ、抱き上げられる。部屋に明かりが付けられる。目の前にエリーさんの顔があった。

 「あ、エリーさん、さん。」

 エリーさんはほっとしたような顔をして、その後表情をまた硬くした。そして後ろに叫ぶ。

 「ちょっと、誰か包帯を!血が出てる。」

 しばらく放心状態で止血してもらっていると、ふと下半身の気持ち悪さに気が付いて、慌ててエリーさんから離れる。

 「あ、あの。ありがとうございます。でも、もう大丈夫です。」

 と、ミルが走って部屋に入ってきた。

 「すみません、遅れ、ました。」

 息も絶え絶えといった感じで、急いできたんだろう。と、エリーさんが肩をならしてみるの方に行き、そのまま平手打ちにした。

 「遅い!何やってたの!マモルが襲われていたっていうのに……。」

 ミルは打たれた頬に手を当てながら首を振る。

 「すみません。その、あの、お、お手洗いに。」

 ミルはそのまま意気消沈といった風に顔を下げた。エリーさんはすごい剣幕で、ミルを連れて廊下の方に向かい出した。

 「ドクターマネット。おあと、よろしく頼みます。」

 「え、ああ。その、お手柔らかにね。」

 ドクターも気圧されたか、そのまま手を振って二人を見送った。というか、いたんだ。

 どうやら最初に入ってきたのがドクターのようで、また割れた窓ガラスをじぃっと見ていた。

 「ふぅん。これは、魔法だね。」

 「魔法、ですか。」

 ドクターに聞くと、ゆっくりと頷いた。

 「うん。すぐに魔法犯罪捜査班を呼ぼう。」

 と、すぐにその辺で僕の粗相の跡片付けをしている看護師に声をかけた。

 なんというか、すみません。


 噂の魔法犯罪捜査班とやらはすぐに来た。すぐに来て、何やらよくわからない機械を取り出して割れた窓ガラスの破片だったり、窓枠だったり、僕だったりを調べ出した。

 と、エリーさんが戻って来た。ミルは一緒じゃないようだ。

 「あの、ドクターマネット。これから、マモルは取り調べを受けると思うんですけど、私も一緒ではいけませんか?」

 ドクターは魔法犯罪捜査班と話しているのを止め、エリーさんの方を向いた。

 「なぜ?」

 「その、初めて来た世界でこんな目に遭って、その上取り調べなんて心が休まらないと思うんです。なので、せめて多少なりとも話したことのある私が一緒の方が、マモルも少しは安心できるんじゃないかと思いまして。」

 ドクターは少し考えている様子だ。

 「なぜミルでなく君が?」

 エリーさんは気まずそうに視線を逸らす。

 「その、ミルは、ちょっと今手が離せないので。」

 ドクターはこっちをちらりと見る。

 「わかった。マモルも、それでいいかい?」

 僕は、とりあえず頷いた。まあ、確かに隣にだれかいてくれた方が嬉しい。

 と、ドクターの元にまた捜査班の人が近づいて耳打ちをする。と、ドクターが驚いたように声を上げた。

 「何、『最強』が……?間違いないのか。」

 「はい。欺瞞魔法がいくつかありましたが、間違いないかと。被害者にかけられていた魔法も、おそらくは欺瞞かと。」

 と、エリーさんも驚いた顔になっていた。というか、周りの人みんな口に手を当てたりして驚いている。

 「あの、エリーさん。『最強』って。」

 「え?ああ。えっと、この世界では魔法を使う人を魔女とか魔法使いとか呼ぶんですけど、その魔女の中で、最も強いとされる人を『最強』という称号で呼んでるんです。」

 「まあ正確に言うと二つ名だけどね。」

 と、ドクターが話に入ってきた。

 「魔女には固有の二つ名があってね、それがそれぞれの魔力にもついているんだ。だから、魔力を解析すればだれがその魔法を使ったかが分かるというわけだ。」

 「そして、それが『最強』のものだった。」

 ドクターはうなずく。

 「うん。過去の大戦を終わらせ、この世界を二つに分けた張本人。まさか、こっちの大陸にいるとは思ってなかった。」

 ドクターはポリポリと頭をかき、そのまま独り言のようにつづける。

 「だが、『最強』が相手ならここの耐魔法魔術が聞かないのも分かる。とはいえ、魔力検知器に引っかかるんだから、まあ何とかなるか。」

 「あの、ドクターマネット。そろそろ。」

 捜査班の人が声をかけると、我に返ったようにドクターはこっちに向きなおした。

 「ああ、そうか。それじゃあマモル。悪いが取り調べを受けてくれ。なに、そんなに時間はかからないよ。それと、部屋を窓のないところにしてもいいかな?その方が、君も安心できると思うんだが。もちろん、入り口には寝ずの番を置く。」

 僕はうなずいた。もうあんな思いはごめんだ。


 取り調べは、ごくごく簡単なものだった。犯人に何を聞かれたかとか、どんな顔だったかとか。ドラマとかで見たこともある、お決まりの奴だった。

 それも、ほとんど答えることはなかった。うまく答えられなかったというのもあるが、実際のところエリーさんが大体受け答えをしたのだった。

 取り調べが終わってから、新しい部屋に送ってもらっている間に、エリーさんに聞いてみた。

 「あの、何でそんなに色々答えられるんですか?」

 エリーさんは、あの黒ずくめの女が何を聞いてきたかさえ答えていた。まあ、合っているような、間違っているような曖昧なものだったが。

 「え?ああ、たまーにここに乗り込もうとして捕まる人がいるんですけど、そういう人たちは大体反召喚論者で、みんな同じようなことを言うものですから。」

 なるほど。なんとなく納得がいった。しかし、そういう人はどこにでもいるんだな。

 と、自分の部屋に着いたようだ。強そうなサングラスの男と黒いローブを羽織った男が立っているから分かりやすい。

 エリーさんは二人に挨拶をして、僕を部屋に入れてくれた。

 「それじゃあ、また明日。あまり眠れないかもしれませんが、ゆっくり休んでくださいね。」

 僕はこくりと頷いて、ベッドにもぐりこんだ。


 エリーさんの言う通り、あまりこの日は眠れなかった。 

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