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陽だまりの夢

 だいたいこんな仕事をするために公務員になったんじゃないわ、と思わずにはいられない島村エリカだ。

 彼女の手元にある書類に貼られた二枚の写真をあらためて眺める。

『 浅野ハルト  十三歳  男 』

『 浅野タリー  七歳  女 』

 写真の二人は兄妹だが、兄の方がセルタイプだと記載されている。

 セルタイプとは突然変異種のヒトのことだ。

 体内で発電する能力を持ち、過去には瞬間的に雷にも匹敵するエネルギーを放出したという記録が残されている。外見的な特徴としてはシルバーに近い白髪に虹彩と瞳孔がオレンジ色の(サンセットアイ)を持つということ以外、発生の原因はまだ解明されていない。

 日々、地球規模で枯渇してゆくエネルギー資源の代用に考えられたのが、このセルタイプが作り出す「EP(エレメンタリーパワー)」と名付けられたエネルギーだ。

 しかし発電体がヒトということもあり倫理的に問題視されるのは間違いないことから、この突然変異種のことは公にされてはいなかった。

 国際エネルギー機関は各国に「EP研究開発センター」を設立。

 セルタイプは国の監視の下、そのすべての能力を研究開発に提供しなくてはならないことになった。

 初期の記録によると始めは任意の協力だったが、研究が進むにつれセルタイプからEPを採取する方法が「虐待」もしくは「拷問」に近い苦痛を与えることによってのみ可能だということがわかってから、一時プロジェクトは頓挫することになる。

 だが、どんなことをしてでもEP(エレメンタリーパワー)を手に入れたい国は「EP採取蓄電開発プロジェクト」を国家機密として進行させる決定をした。

 秘密裏にEP研究開発センター直属の国家公務員事務官によって構成された班により、セルタイプの確保が行われることとなった……と言えば聞こえはいいが、これは国が認めた「拉致」に他ならない。

 誘拐されセンターに連れてこられたセルタイプは戸籍が抹消され、研究開発センターのものとなる。

 エリカは、今まさにその「誘拐犯」になろうとしていたのだ。

 実行予定日は一年後に決まった。

 

 二年前に両親を事故で亡くしたハルトとタリーは、現在養護施設に預けられている。父親の浅野拓郎は新聞記者という職業を生かし、セルタイプとEP(エレメンタリーパワー)についてかなり執拗に調査していたとみられる。

 そして二人の身元保証人になっているのは、拓郎の友人でロボット工学博士の吉見良太郎。ロボテクの技術を生かし精密なカラーコンタクトレンズを製作しハルトに提供しているらしい。その吉見は研究に追われ、めったに施設へは面会に訪れない。

 エリカとペアを組むことになったのは、昨年配置転換になったばかりの二つ年上の男性職員だったが、この部署ではエリカのほうが先輩なので今回の誘拐計画は彼女ひとりで立てたといってもいい。

 この一年間、施設に気づかれないよう慎重に彼ら兄妹の身辺を調べ、兄のハルトが警戒を解くころを見計らってエリカたちは行動に出た。

 児童養護施設に赴き、養子縁組を希望する養父母になりすましハルトに近づいたのだ。

 こちらの思惑通り両親が亡くなってから三年が過ぎた今、ハルトはすっかり警戒心を解いて妹タリーの幸せを願っている。

 そうなれば後は畳み掛けるように自分たちの子供になれば幸せになること間違いなしと、優しさと信頼の大安売りである。あらかじめリサーチしておいたプレゼントも甲を制したのか二人はすっかりエリカたち偽夫婦を受け入れた。

 逸る気持ちを抑え一ケ月後に養子縁組の手続きを済ませたハルトたちを迎えに行く時は、さすがに後ろめたい気持ちになったが、これも仕事だと割り切らなければやってられない。

 何も知らない二人を乗せた車は、まっすぐ「EP研究開発センター」へ向けて走る。

途中怪しまれないように、これから彼らが暮らす家のことなどを想像を交えて話していたが、そのうち飼い犬の話題になったところで想像力も尽き、おとぎ話はジ・エンド。

「セルタイプ。ハルト、探したぞ」

 一瞬にして、ハルトは現状を理解したようだ。

「今度は逃げられないわよ。ねぇ、タリーちゃん」

 可哀想に、タリーはわけがわからずキョトンとしている。

「タリーには手を出すな! その子は普通の人間だ。セルタイプじゃない!」

 そんなことははじめから百も承知だわよ。

「タリーちゃんは、飼うんだったら大きな犬がいい? 小っちゃい犬がいい? それとも、どっちとも飼っちゃおうか!」

 幼いころ可愛がっていた飼い犬が死んで以来、生き物などさらさら飼う気はないエリカだったが、タリーを怯えさせないように犬の話をしながら、ハルトには遠まわしにタリーが人質であることをわからせるのだった。


 研究開発センターへ着くと、ハルトとタリーは別々の部屋へ連れて行かれた。部下がタリーの相手をしている間に今回のEPプロジェクトのブレイン方にハルトを引き合わせた。

 理学博士で主に遺伝子工学が専門分野の真山博士、四十四歳。

 西園寺博士は医学博士で六十歳。

 心理学が専門分野の袴田博士、六十三歳。

 物理学者で専門分野は素粒子物理学の遠藤博士、三十九歳。

 同じく物理学者の三浦博士、五十五歳。

 この五人が中心となったEPプロジェクトチームは、それぞれの専門分野で世界的に最も優れた能力と技術力とを兼ね備えた頭脳集団だ。

 その前に、ハルトにはもう一つ大切な仕事が残っていた。

 タリーに暗示をかけてハルト自身の記憶を消す仕事が。

 セルタイプの中には微弱電波を出すことで相手を催眠状態にして暗示をかけることができる者がいることがわかっていたが、まさにハルトがそれだった。

 暗示にかける相手が子供だとよりかかりやすいことも実証されている。ハルトがタリーの記憶の一部を消すことくらいたやすいことだった。 

「それじゃ、タリーちゃんにお別れを言わないとね」

「お別れ……?」

「当たり前じゃないの。あの子はこれから普通の子として生きていくのよ。君の戸籍は抹消したけど、タリーちゃんの養子縁組みは残っているんだから」

 ハルトには可哀そうだが二人のためでもある。

「タリーちゃんの将来のために、君は邪魔な存在なの。私の言ってる意味、わかるわよね?」

 エリカは自分でもなんて残酷なことを言っているのだろうと思った。ただひとりの肉親と別れるだけでもつらいのに、兄である自分を忘れさせろと。

 同情している暇はないエリカだったが、ハルトの決心がつくまで待ってあげても職務違反にはならないだろう。

 ハルトがタリーに暗示をかける様子は、さすがのエリカも見るに耐えなかった。

 呆然と立ち尽くすハルトの横をすり抜けていくタリーの後姿に、彼の記憶が削除されたことは明らかだった。

「おみごと。ステキな暗示がかかったみたいね」

 ハルトがどれだけショックを受けているかわからないわけではないが、ここからがエリカの仕事始まりと言ってもいい。

「それではSS(スーサイドストップ)プレートを埋め込むオペから始めてもよろしいでしょうかな」

 西園寺の言葉に、思わず口をはさみそうになった自分をかろうじて押しとどめたエリカだった。

 まだあんなものを使おうというのか。

「SSプレートって言うのは、早い話が自殺防止の安全装置のことね。それを頭に埋め込むと、自傷行為を考えただけで激しい頭痛に襲われる仕組みになっているのよ」

 何も知る由もないハルトにSSプレートの説明をしながら吐き気を覚える。

「僕の意志は尊重されないってこと?」

「君の意志なんてここでは存在しないわ。誰も君に同情する者などいないってことだけ教えといてあげる」

「ありがたくて涙が出るよ」

 真山がハルトを『素体変換装置』の中へ入れると、薬剤を含んだミストが装置の中を包みこんだ。

 しばらくして装置の中から出てきたハルトは、白髪とオレンジ色の瞳というセルタイプ本来の姿に戻っていた。

 資料では見ていたエリカだが、さすがに本物を見ると美しいと思わずにはいられなかった。博士たちも賛美の言葉を口にせずにはいられないようだ。

 自分の異変に気付いたハルトに、エリカは用意していた鏡を渡した。たぶん彼自身も久しぶりに対面する姿だと思ったからだ。

「今日から君は、三年ごとに博士たちの研究室を移動するのよ。トータルで十五年。なぜ十五年かと言うと、国から予算が下りるタイムリミットが十五年なの。それまでに君からEPを採取蓄電する最良の方法とそれを送電する技術を開発しなければならないの。そういうわけだから頑張ってね。ちなみに私は君の担当になった島村エリカ。簡単に言うとお世話係りみたいなもの? ま、これから十五年よろしくね」

 その十余年が、こんなに長いものになろうとは思いもしないエリカだった。


 一番最初の真山の研究所では、さすが遺伝子工学が専門分野だけあってEPの採取方法よりも、まず突然変異種であるセルタイプ誕生のシステムが徹底的に調べられた。

 研究内容がちょっと横道にズレてますよとも言えず、真山はセルタイプの細胞や血液を採取して研究に力を注いだため、あっという間に約束の三年が過ぎてしまった。

 結果、セルタイプ誕生の謎は解けずじまいのまま、最後にハルトから大量の血液を抜き取り個人的に研究を続けていくという。

 まったく、事務報告するこっちの身にもなってほしいものだわ。いつ、予算を削られてもおかしくない内容にヒヤヒヤものだったんだからと、しょっぱなから思いやられるエリカであった。そしてハルトはここで『E1(イーワン)』というサンプルネームが付けられ、三浦の研究所へ行くまでそう呼ばれることになる。

 二番目の西園寺は年齢的にも時間が少ないと思ったのか、初日からいきなりメディカルチェックもせずにEPの採取にとりかかったのには驚いた。

 医学博士とは思えない採取方法は、さすがのエリカも報告書を作成する際にどこまでオブラートに包んでよいものか悩んだが、ここでもEP採取後の開発に思った成果は上げられず、期限が迫ったある日「まだE1を手放したくない」とダダをこねる始末。延長分の研究費用は自腹で持つとか言って、E1はレンタルDVDじゃないっての ! ちなみにあれだけ反対されていたSS(スーサイドストップ)プレートは西園寺によって埋め込まれた。

 三番目の袴田は心理学の見地から精神的ダメージを与えEPを採取する方法を実行した。

 自分の中では科学者魂を注ぎこんで開発した最高傑作の導眠装置ということで、袴田自身はハイテンションだったが、悪夢しか見せない装置にハルトの精神は崩壊寸前にまで追いやられた。

 ハルトはここで一度、SSプレートを作動させている。

 突然のうめき声に袴田とエリカが駆け付けると、頭を抱えてハルトがのたうち回っていた。すぐに鎮静剤が打たれなんとか治まったが、袴田の「舌でも噛み切ろうとしたんじゃないの」という他人事のような言葉を聞いて、一発殴ってやるところだったと後に告白している。この時、エリカはハルトから「殺してほしい」と頼まれたことを報告書には記載していない。

 四番目の遠藤は物理学者。こいつはサディストに間違いないとエリカは確信した。

 ハルトに対するあまりの扱いにエリカは何度も抗議し、センターへも遠藤をプロジェクトのメンバーから外すよう要望を繰り返したが一事務官の意見など聞いてもらえるはずもなく、彼女は自分の職務を利用して遠藤の行った非人道的な虐待内容を正確に記録してやるほかなかった。

 十二年の月日が流れ、最後の三浦与一の研究所にたどり着いた時にはエリカ自身ストレスでかなりの胃痛と肌荒れに悩まされていたので、三浦が行う研究内容を書類で見た時には半信半疑で怒りさえ湧いたのを覚えている。

 楽しい夢を見せてEPを採取するですって !? バカにするんじゃないわよ ! それじゃ今までの拷問はなんだったのよ! と、思わずにはいられない。

 しかも、ここにはハルトの妹タリー(タリル)がいるのだ。聞けば、三浦と同じ科学者になってプロジェクトに参加しているというではないか。それこそハルトにとっては今まで受けたどんなダメージよりキツイに決まってる。せめていきなり会わせるのではなく、ワンクッション置くことはできないものかとエリカは三浦に頼んだ。その結果、まずはハルトに遠距離からタリーの姿を見せた後、会わせようということで話はついた。

 

 その日は朝から可哀そうになるくらい緊張しているハルトに、かける言葉が見つからないエリカだったが、いつまでも彼の緊張に付き合ってはいられない。 

「十二年ぶりに妹さんに会うんだから緊張するのはわかるけど、ちゃんとセルタイプとしての仕事はしてちょうだいね。それから会う前に教えといてあげるけど、すんごい美人になってるわよタリーちゃん」

 するとハルトから思わぬ言葉が返ってきた。

「島村さん、あと三年の辛抱だね。僕のお守が終わったら自由だ。十二年も付き合ってくれてありがとう」

「な、なによ。なに言ってんのよ。まだ三年もあるんだからっ。その後だって、まだEPの研究は続いていくのよ。最後まで見届けるに決まってるじゃないっ!」

 立場上、セルタイプに感情移入してはいけないと日頃から自分に言い聞かせてきたエリカだったが、さすがにハルトの言葉は胸にくるものがあったと同時にこみあげてくる熱いものを抑えるのに苦労した。

 三浦は約束通りタリーの姿を遠くからハルトに見せると、彼が落ち着くまで待ってくれるという気の使いようだった。

 まずどの研究所でも被験体として人間以下の扱いしか受けたことがなかったので、ここでの思わぬ歓迎ぶりにハルトはフリーズ状態に……。

 そして十二年ぶりに妹と再会した彼は、見ているこっちにまで伝染しかねないほど緊張で震えているのがわかった。

 二十歳の美しい女性に成長したタリーに対し、EP(エレメンタリーパワー)を採取され続けた結果、成長が十四歳で止まっているハルトは、可哀そうだがどう見ても彼女の弟にしか見えない。それはハルト本人がいちばん思い知ったことだろう。


 異常事態が起こったのはハルトがタリーの開発した睡眠導入装置に入って一時間ほど経った時だった。突然苦しみ出した彼は心停止を起こしたのだ。

 何がダメージを与えない方法だ。ほ~ら、やっぱりこうなるんじゃないの! 

 エリカは心臓マッサージを受けるハルトを見つめ、心の中で悪態をついた。このまま死ぬことにでもなったらそれこそ彼の思うつぼではないか。

 ハルトは最後となるこの研究所へ死ぬ気で来たのだ。そこへまさかの妹との再会を果たし、彼にとっては思い残すことなど無くなったのだからなおさらである。

 数時間後、意識が戻ったハルトに装置の中で何が起こったのか聞いても「覚えていない」の一点張りだった。だが、あの反応は袴田の時と同じである。いや、もしかしたらそれ以上に悪いかも知れない。

 驚いたのはEPの採取量が過去最大であったことだ。計算で出ていた以上の数値だったこともエリカにはハルトが極限まで身を削った結果だと思えてならなかった。

 今回の結果をハルトに知らせると、

「でもさ、たくさんEPが取れたんだからよかったじゃん。今回はこんなことになっちゃったけど、次はきっと大丈夫だよ」と、爽やかな返事が返ってきたので二度びっくりである。

 次の採取日までにはなんとしてもハルトから、あの時どんな夢を見たのか聞き出さなくてはならない。彼を心停止にまで追いやる夢とはいったいどれほど残酷な悪夢なのか。

「正直に答えなさいよ! こっちは記録を取って書類にまとめなきゃならないんだから。公務執行妨害しないでちょうだい」

「だって、覚えてないものは答えられないよ」

「あんたって、ほんっと強情よね」

 ひとまわり以上も歳の離れた子を相手に大人げないとは思いつつ、これ以上苦しい思いはさせたくないという思いとでエリカ自身も限界に近かったのだ。

 そう、ハルトは悪夢を墓の中まで持っていく気でいるらしい。

 そして二度目の採取実験の日。

 やはり、同じことが起きた。

「袴田博士のところでも夢を見させる装置を取り付けられて、悪夢にうなされてました。その時の資料とデータはご覧になってますよね?」

 エリカは三浦に詰め寄った。ほらほらほら、今度はどう説明する気よ?

 その時─────。

「お兄ちゃん! お兄ちゃん! 死んじゃいやだ―――――ッ!」

 研究室にタリーの声が響き渡った。そこにいた研究員たちは一斉にタリーを見、三浦とエリカはお互いの顔を見合わせて固まった。

「研究員のみなさんには私の方から説明しておきますから、三浦博士はタリル博士を連れて別室へ行っててください」

 あ~、もう。余計な仕事を増やさないでほしいわ。

 研究員たちにハルトとタリーの事情を説明しながら、困ったことになったなとエリカは思っていた。やはりEPを採取するには痛みを伴わなければならないのか。

 ハルト以降セルタイプが誕生したという報告はされていない。今は地球の次世代エネルギーが彼ひとりの身にかかっていると言ってもよかった。

 別室で合流し、タリーからハルトのことを知ることとなったいきさつを聞いて驚くばかりだった。

 ひたすら兄に会うためだけに血のにじむような勉強をしてきたというのか。いや、兄に会うという目的があったからこそなし得たことなのかも知れない。

 ハルトが他の研究所で苦しんでいる間、彼女も妹なりに苦しんでいたのかと思うと泣けてくる話である。 

「ちょっとォ、ヨッちゃんもリルリルもみずくさいじゃん!」

 研究室へ戻ると、突然派手なメイクのギャルが乱入してきたので何事かと思いきや、なんと三浦の娘だというではないか。研究員も知ってか知らずか、知ってはいるが以前はこんなじゃなかった的な対応である。

 三浦から娘であるレイの能力を聞いてエリカは考えた。これはもしかすると使えるかも知れない。

 エリカがいくつか提案した方法からタリーがさらに模索した結果、レイを媒体にしてハルトの夢の中へ入り実況中継させてみようというのだ。それこそ夢のような話だが、できることならエリカ自身がハルトの夢へ入って、彼を苦しめている悪の根源を退治してやりたい気持ちだったので今回はレイに託すことにした。 しかし三浦はレイの能力をそれほど信用してはいないらしい。

「お父さん、レイちゃんはお父さんが思っているよりずっと頭のいい子だから大丈夫。それに今度は三分二十一秒までに強制覚醒させれば兄の負担も軽く済むはずです」

「そんな言葉では簡単に言えるけど上手くいくのぉ? もし失敗したらハルト、本当に死んじゃうわよ」

 今度失敗したら次は無い。あるとしたらそれはハルトの死だ。そう思うとタリーに釘を刺すエリカだった。


 実行日は一ヶ月後と決まった。

 ハルトが警戒する恐れがあるため、当日までレイが夢の中に入ることは絶対本人に知られてはならないということになった。

 ハルトは今までと違う空気を感じたのだろう。エリカに次の実験内容をさりげなく聞いてきたが、悪夢の内容を思い出すことを条件にこれを切り抜けた。

 最初に二つ並んだ装置を見た時、警戒している風でもあったハルトだったが、レイの姿を見つけた時はさすがに怪しいと思ったに違いない。当のレイはノリノリである。

 ハルトが睡眠第二段階に入ったのを確認すると同時にレイがもう片方の装置に入った。

「れ、レイさん、睡眠第二段階に入りました」

 はやっ! 寝つきがいいにもほどがある。これもレイの能力のひとつなのだろうかと思うエリカだった。

 しばらくして、レイがハルトの夢とのリンクに成功したらしいという結果に室内は湧いた。

 さて、あのギャルっ子にどこまで実況ができるかだ。

「……あ……ハルちゃんみっけ……」

 レイがハルトを見つけたようだ。

「ハルトはひとりなのか?」

「……あれ~……すご~い……」

 突然レイが突拍子もない声をあげた。

「レイ、どうした? 何があった?」

「……お花畑……ずっと向こぉ~の方まで……マジきれい……」

「ハルトは? ハルトはどこにいるんだ?」

 レイの実況によると、そこは見渡す限り一面のお花畑で雲ひとつない空はどこまでも青く爽やかな風が吹いているらしい。って、まさか臨死体験じゃないわよね。

 そこから見える一本の樹の下にハルトを見つけたレイだが、どうやら彼にはレイの姿が見えていないという。

 例の緊急事態が起こるレム睡眠に入ってから三分二十一秒まであと二分を切ったあたりからレイの様子に異変が起きた。

 言葉に詰まったかと思うと、後はただ泣くばかりで実況どころではなくなったのだ。それと同時に異常事態を知らせる警報が鳴り出しハルトのまわりに医療班が駆け寄って行く。

 まったく! 今回もハルトにダメージを与えただけでやっぱりなんの役にも立たなかったじゃない!

「三浦博士、いったいどういうことです! あなたハルトを殺す気ですか!」

 エリカが三浦に抗議しに行くと、レイが何やら説明している。その表情から夢の中で良からぬものを見てしまったということが伝わってきた。

「何かわかったのね」

 レイから話を聞いたエリカは、予想していた以上に最悪のパターンだったにもかかわらず自分でも驚くほど冷静だった。それはたぶん、この十二年の間に知りたかったハルトが抱えている闇の一部が見えたような気がしたからだ。

「このプロジェクト、最初から仕切り直しですね」

 エリカはそう言うと、一日も早くEPプロジェクトが成功してハルトが自由になる日が来ることを願わずにはいられなかった。そのために彼女ができることは、憎まれ口をたたいて鬱陶しいと思われてでもプロジェクトを予定通り進めること。これまで一日も超過させることなく来たのは、いつの間にか仕事のためというよりハルトのためだということにエリカは気づいていた。

 

 ハルトが運ばれた病室に入ると、タリーがベッドのそばで泣いていた。

「タリル博士、あなたのせいじゃないわ。いつもハルトが見ている夢が装置によって増幅されただけなんだから」

「……原因は、わかったんでしょうか?」

「さ、さぁどうかしら。レイちゃん途中でこんがらがっちゃったみたいだし……」

 さすがにあんたがハルトの首を絞めたせいだよ、とも言えずエリカは核心をはぐらかした。

 その日はEP研究開発センターからのプロジェクトに対する警告メールに、なによ遠藤の時にはこっちの告発に知らん顔したくせに! とブチ切れるエリカだったが、正直に経過報告するんじゃなかったと後悔した。

 もしここでのプロジェクトにストップがかかったとしたら、手ぐすね引いて待っている四人のマッドサイエンティストに再びハルトを渡すことになりかねない。それだけは絶対に避けたいことだ。

「とにかく、タリル博士。今あなたがしっかりしなくてどうするの! お兄さんのために最善の方法を考えなさいよ」

 エリカがタリーを励ましている間に、レイの提案でタリーにハルトの存在を明かした吉見良太郎に話を聞くことになっていた。二人の両親の死がハルトの心の枷になっているかも知れないとみたのはレイだという。

 後日、三浦の研究所へ来た吉見はハルトとタリーの両親の死は事故であって、絶対にハルトのせいではないと断言した。そうとわかれば、とっととハルトに説明して彼を納得させてちょうだい。

 エリカたちがハルトの病室へ向かうと何やら中が騒がしい。しばらくドアの外から様子をうかがっていると、レイと誰かが言い争っているようだ。

 何を思ったのか、三浦がいきなりドアを開けて中へ入って行った。

「そこまでだ。西園寺久志くん」

 病室へ入ると、そこにはレイと月子の他に見知らぬ男がベッドサイドに立っていた。しかもハルトに拳銃らしきものを突きつけて!

「君は西園寺博士のご子息、久志くんだろ? 博士に頼まれてハルトを誘拐しに来たのかい」

 西園寺の息子 !? ハルトを誘拐って……まだ諦めてなかったのか、あのジジイ。

「ああ、最初はそのはずだったが気が変わった。今は俺のためだ。このEPプロジェクトは親父には荷が重すぎる。だが俺ならできると確信したんだ。特にここでの研究には興味をそそられた。理論的には間違ってはいないからな。だが、問題はおまえだ。おまえ、なんであんな夢を見るんだ? 自分で自分の首絞めてどうすんだよ!」

「やめて! それ以上、兄を追い詰めないで!」

「タリー……いつから知って……」

 あっちゃ~! タリー、だめじゃん。あんたが兄ちゃんのこと知ってるって本人にバレちゃったじゃない。さすがのエリカもタリーのフェイントを防ぐことはできなかった。

「おいおい、なになに? この空気。まさかおまえら兄妹っての知らなかったってんじゃないだろーな?」

 そのまさかだよ、西園寺くん。よけい話をややこしくしてくれてありがとう!

「うっ……あああぁぁ────────────────っ!」

 突然ハルトの叫び声にエリカの血が凍りついた。袴田の時と同じSSプレートが作動したのだ。

「誰か、医師を呼んでくれ……鎮静剤を!」

 三浦と吉見とエリカで、苦しみ暴れるハルトを抑えつける。

 注射でなんとか落ち着いたハルトに西園寺の息子が死ぬなと諭した。エリカが今日まで、言いたくてたまらなかった言葉だ。

 この日のためにハルトについて来たのだ。

 十二年前、書類に貼られた幼い二人の写真を見た時から、エリカは事務的な態度をとることで職務に徹しようと努力して来た。だが、本当に助けてほしかったのはエリカ自身だということがわかったのだ。

 SSプレートを付けてほしかったのは、本当はエリカだったのだ。

 その想いが、今解かれていく。

 これでやっと、自分の任務が終わったと思った─────。


          ◆ ◆ ◆


「エリちゃん、また考え事?」

 パソコンを開いたまま、ぼーっとしているエリカにレイが声をかけた。

 あれから順調にEPプロジェクトは進み、ハルトから採取したEP(エレメンタリーパワー)の蓄電と培電の技術開発のメドもたった今、辞表を提出したエリカは三浦の秘書と月子のマネージメントをこなしている。

 ここにいれば少しずつではあるが体の成長を取り戻したハルトを見守ることができるという、三浦からの提案でもあった。

 時々、さっきのように昔のことを思い出してはレイに『感じ』られてしまうのだが、仕方がないと苦笑いするエリカだった。

 

 ふと、たまに花の香りがする時がある。それは本当にかすかなのでどこから香ってくるのかわからないが、確かなのは近くにハルトとタリーがいるときに限られているということだ。

 果たして二人も気づいているのだろうか。

 いつか、どこまでも続く花畑の夢が自分にも見られますようにと今夜も願うエリカだった。


~ 終わり ~

                                    


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