第二話
「つきちゃ───んっ! 今日は登校日だから五時に起こしてって言ったじゃん! もー間に合わないよぉ」
レイが起きたのは六時半。学校は九時までに登校すればいいので一時間もあれば間に合わない距離ではない。
「ごめ~ん………目覚まし鳴ったの聞こえなかった」
レイにつきちゃんと呼ばれた月子は少女漫画家でレイの母親だ。コミックス発売前の原稿に手直しやら描き下ろしやらカラー表紙の追加やらで、昨夜もほとんど徹夜に近い状態だった。
「レイ、朝ごはんは?」
「いらない。食べてる時間あったらメイクする」
レイは十六歳、高校二年生。春まで通っていた公立高校を辞めて通信制の高校へ転校した。レイ曰く、前の学校は「合わなかった」から。転校が決まったその日に髪を茶髪に染めてカラコンを入れた。
いわゆる『ギャル』の誕生である。
授業は教科書を見ながらレポートを作成して登校日に提出するか電子メールで送るかは本人の自由だが、週一度の登校日は必ず出席しなければ単位が取れない仕組みになっていた。
そんなレイだが、けっして成績が悪いわけではない。むしろ出来る部類に入るのだが、本人には考えがあって「そこそこしか出来ない」生徒を演じていた。
「ヨッちゃん昨日も帰ってこなかったみたいだね。浮気でもしてんじゃね? つきちゃんドンマイ!」
「バーカ、仕事が忙しいだけですよーだ」
ヨッちゃんと呼ばれた父、与一は一ヶ月ほど前からほとんど家に帰らなくなった。ここ一週間は一度も帰宅していない。
「つきちゃん、ヨッちゃんにラブラブだもんね~♡ じゃ、行って来まーす」
本心ではレイも与一が浮気などしていないことくらいわかっている。与一の助手をしている姉も一緒なのだから。ただ、父と母をからかってみたい年頃なのだ。
それに、レイには「なんとなく人の考えていることがわかる」という能力があった。そのせいで人間のイヤな部分をこれまで散々見てきた。高校を転校したのもそのせいだと言っていい。
レイは物心ついた頃から人の心を感じることが出来る子だった。たとえば、隣のおばさんは向かいのおばさんのことが嫌いなのに、どうして笑顔でお話できるのだろう。ケンタくんはあかりちゃんが好きなのにいじわるばかりするし、ピアノの先生は自分の子供のあすかちゃんが世界一のピアニストになると信じているけど、あすかちゃんはそのピアノとお母さんがだいっ嫌いで、将来はケーキ屋さんになりたいと思っている。けいこちゃんが大切にしていた小鳥のバッチを隠したのはユリちゃん。ユリちゃんは一緒になって探してあげながら本当は困っているけいこちゃんが面白くて仕方がない。
そして幼稚園のマリ先生は、お漏らししてパンツを洗ってくれるたびにあたしのことを………殺したいと思っている。
「レイちゃん、気にしない気にしない。次は間に合うようにおトイレ行こうね~」と、笑顔で言いながら。
信じられるのは両親と姉だけだった。この三人には裏表がなく、思っていることがまっすぐレイの心に伝わってくる。それが何より心地よい。
なので、できるだけ他人と関わりを持たないようにしていたレイが、ついにストレスで倒れたのは小学校三年生の運動会の時、親たちの声援が自分へ向けられた怒号に聞こえ、突然クラスメイトの顔がツルンとしたのっぺらぼうにしか見えなくなった。恐怖で今にも破裂しそうな心臓は、スタートのピストルの音に撃ち抜かれ気を失ったのだ。
レイは学んだ。バカになろう、と。そしたら大体の事がスルーできた。他人のことが気にならなくなり、相手も「どーせ、こいつバカだから」と深い話題は振ってこなくなった。
よりわかりやすいのは女子より男子だ。高校生にもなると女子の考えることは友達関係がほとんどで、あとは部活や勉強や恋愛なのに対し、男子の場合は脳内九十パーセント以上がHな内容で満たされる。もちろん全員がそうではないが、レイに近づいてくるヤツは前者の下心丸見え男子がほとんどだったので扱いやすかった。
見た目がケバいギャルの上に近づく男はチャラいとくれば、さぞかし男性経験も豊富かと思われがちなレイだったが、何をかくそう十六歳になる今日まで男性とまともに付き合ったことが一度も無いという嘘のような本当の話。まあ、ギャル系の少女漫画ネタには事欠かないと月子には重宝がられてるというのも本当の話。
帰宅すると、父と姉の姿があった。
「ヨッちゃん、リルリル~、久しぶりぶり~♪ 仕事、カタついたの?」
「お前は相変わらずだな。また化粧が濃くなったんじゃないか? 勉強の方はどうなんだ? おい、スカートの丈が短かすぎるぞ。月子も忙しいのはわかるが、ちゃんとレイを教育……」
「お父さん。レイちゃんは今、おしゃれがしたい年頃なのよ。そんなガミガミ言ったら伝わるものも伝わらないわ。ね、レイちゃん」
レイとは四つ違いで今年二十歳になる姉だが、レイが思い出す限り姉がおしゃれをした年頃なんて無かったと断言できる。いつも地味な色やデザインの服を着て、限りなくノーメイクに近いナチュラルメイクに肩までのストレートヘアーは、なんと自分でカットしているのだ(本人曰く、そろえるだけに美容院へ行くのは時間とお金がもったいない…そうだ)。レイにはすべてが考えられない二十歳仕様だったが、姉は気づいているのかいないのか、その地味目の服や薄いメイクが美人度をよりアップさせていることは間違いない、レイにとっては自慢の姉だった。
「お母さん、座ってて。夕飯の用意は私がするから」
締め切り前の月子はへろへろ状態で役に立たない。しかし、姉もずっと父の仕事のサポートで疲れているはずなのにもかかわらず、鼻歌まじりで料理を作り始めた。
しかし、レイがもっと驚いたのは、食事の用意ができるまでの間に与一が洗濯物にアイロンをかけている姿だった。家に帰ると横のものを縦にも動かさない父が、アイロンがけって !
「キャ───ッ ヨッちゃんヤダ! マジ、信じらんないっ、それあたしのブラ……アイロンなんかかけないでよ───ッ!」
何かヘンだ。帰った時から気づいてはいたが、確かにふたりから意味不明の「わくわく光線」が出ている。だが、そのわくわくの正体がレイには見えない。
「ね、ねぇねぇおふたりさん、何かいいことがあったのかな~? だったらレイちゃんもまぜてほしいなぁ」
姉が答えてくれるとばかり思っていたら、
「そりゃ嬉しいよねぇ、わくわくドキドキもするよねぇ。だって十二年来、想い続けてきた恋人と再会するんだもんね~」
……って、なんでつきちゃんが知ってんの?? 十二年ぶりに会う恋人って誰よ ! ってか、なんでつきちゃん冷静なの?? なに? なんで !?
「あの~、あたしには話が見えないんスけど」
「うーん、機密事項だから詳しいことは言えないんだけど、明日うちの研究所にずっと待っていた特別な人が来るの。それでお父さん緊張しちゃって、一ヶ月前からもう大変なんだからー。あ、でも男性だからレイちゃんヘンな勘ぐりしないでよ」
姉の説明によると、とにかくずっと待っていた仕事上のパートナーが来るらしい。
父の仕事にはまったくと言っていいほど興味の無いレイだったが、ふたりのハイテンションぶりを見ただけで、その人物がどれだけ重要なのかよくわかった。
レイは父に関して肩書きひとつ知らなかったが、物理学者で「教授」もしくは「博士」と呼ばれていることだけは知っていた。
三浦与一博士。けっして「ヨッちゃん」ではない。
◆ ◆ ◆
彼を乗せた車が三浦の研究所へ着いたのは、夕方のことだった。
まず車から降り立ったのは、スラリとした体に水色のツーピースがよく似合う四十歳前後の女性だった。 女性は出迎えた三浦と握手を交わすと、予定より遅くなったことを詫び後部座席のドアを開けた。
「ねぇ、着いたけど立てる?」
後部座席には、黒いジャケットのフードを頭からスッポリ被って顔の見えない人物が眠っていた。その人物は、女の声に反応する様子もなく寝息をたてている。
「勘弁してよぉ、だからストレッチャーに乗せて来たかったのに、遠藤博士が問題ないって言うからぁ。すみませんけど、車椅子とかってご用意できます?」
後の言葉は研究所のスタッフに向けて言ったものだ。
その時、フードを被った頭がゆっくりと持ち上がった。そして、またゆっくりと今度は体を起こすと少しふらついてはいたが足下を確認するように後部座席から降り立った。
「ひとりで歩けそう?」
やはり女の問いには答えず、うつむいたままフードに隠れた頭を前のめりに、今にも倒れそうな状態で歩き出した。
気分が悪いのかそうではないのか、その表情を確かめることはできない。背丈は女と変わらないが、少し痩せ気味なのが気にかかる。そして、ふらふらと揺れるような歩き方は、まるで魂の抜けた夢遊病者か操り人形のようだった。
「遠藤博士のところで、かなりダメージを受けています。報告書にはペインレベル6までとありますが、どう見たってあれは10までやっちゃってますね。遠藤博士若いから歯止めがきかないんですよ。今日も午前中に引き渡しのはずがズルズル延びて結局こんな時間に……」
女の説明は続いていたが、三浦はほとんど女の話を聞いていなかった。彼の目はふらふらと歩くフードの人物の足下、ズボンの裾からはみ出た包帯に向けられていた。女の説明を聞くまでもなく、前の研究所でどれだけ酷い扱いを受けていたのかは、血で汚れた包帯を見ただけで容易に想像はついたからだ。
「三浦博士、今後の予定ですが本当にあれでよろしいんでしょうか?」
「はい、間違いなく」
不信気な表情でタブレットに何やら入力していく女の隣で、フードの人物はソファに座った時の格好のまま動く気配を見せない。しゃべり続けているのも女ばかりで、まだ一言も声を発してはいなかった。
「ようこそ。会えるのをずっと待っていたよ、ハルト」
三浦の言葉にはじめてフードがビクリと反応した。データ入力していた女も手の動きを止め、驚いた顔で三浦とフードの頭を交互に見る。
「やだ、名前で呼ばれるのなんて十二年ぶりじゃない。三浦博士、よく覚えてましたねぇ。私なんか十年以上も一緒にいるとEPシリアルの方が慣れちゃって、すっかり本名忘れてたわ~」
「ハルト、顔を見せてくれないか?」
ハルトと呼ばれた人物は、ぎこちない動きでジャケットのフードを頭からはずした。
その下から現れたのは、シルバーに近い白髪の髪。そして、静かに上げた顔はまだ幼さが残る少年だった。ただひとつ、この少年が違和感を与えるとしたら、サンセットアイとも呼ばれる夕日の様なオレンジ色をした瞳が、まっすぐに三浦を見つめていたことだろう。
「変わっていないようだね」
「EPを採取されることでE1(イーワン)…もとい、ハルトの成長は十二年前で止まっています。ですが、細胞年齢は実年齢の二十六歳だと思っていただいて結構ですわ」
「すみませんが、島村さん。ハルトとふたりだけにしてもらえませんか?」
「はい?」
三浦に島村と呼ばれた女は、これ見よがしに大きなため息をつくと「わかりました。終わったら呼んで下さい」と言い残し部屋を出て行った。
部屋の中には三浦とハルトのふたりが残ったが、ハルトはもう三浦を見ていない。ぼんやりとしたその眼からは何の感情も読みとることができなかった。
「まず、傷の手当てが先だな。医療室の者には君のことは伝えてあるから、処置してもらいなさい」
「……直して、また壊すの?」
ここへ来て、初めてしゃべった言葉は皮肉に満ちたものだった。
「ハルト、十二年間辛かったことだろう。だが、ここではもうそんな思いはさせないと約束する」
「それって、僕を人間扱いしてくれるってこと?」
「あたりまえだ。私たちのプロジェクトの内容は後で話すが、これだけは信じてほしい。もう苦痛は伴わないと」
しばらくハルトは三浦の言葉の意味が理解できない様子だったが、ニヤリと笑みを浮かべるとこう言った。
「じゃあ、SSプレートを摘出してもらおうかな」
SSプレート……自殺防止装置。大きさは数ミリほどのものだが、これを大脳に埋め込むことにより、自傷行為などを実行しようとすると激しい頭痛を伴い、それを防止することができる装置だった。だが近年では倫理的、人道的に問題有りとされ使用が禁止されていた。
「僕を人間として認めてくれるのなら、SSプレートを外してよ。今すぐに」
「それは、自分を傷つけないと約束してくれるのならすぐにでも外そう」
沈黙。
三浦はこれを「否」と受け止めた。では、切り札を出すしかないだろう。
「ハルト、タリーに会いたいとは思わないかい?」
思いもよらない三浦の言葉にハルトの時間が一瞬止まって、十二年前に巻き戻された。
彼の記憶にある最後に見たタリーの姿は、暗示によってハルトの記憶だけが欠落してしまった彼女が、養父役の男に呼ばれて駆けだして行く後ろ姿。今まで兄だった自分の横を素通りして。
「あの子はどこにいたの !?」
「あの日から養女として私の家族と暮らしているよ。タリルという名前になってね」
ハルトの顔が一瞬、兄の顔になった。今日までタリーのことが心配で仕方なかったに違いない。近況は島村に伝えていたが、この様子だとどうせ余計な情報と判断され伝えられてはいなかったのだろう。
「四つ違いの妹がいるが仲良くやっている。タリルは君と同じ妹思いで素直な頭のいい子に育ったよ。おっと、それに誰が見ても振り返るほどの美人だ」
オレンジ色の瞳から涙がこぼれた。彼にすれば、もう枯れたとばかり思っていた久しぶりに流す涙だった。
「ありがとう……もう、これで思い残すことは無い」
「なにを縁起でもないこと言うんだ」
はじめて見せたハルトの笑顔に、もうひとつ伝えなければならない大切なことが三浦の頭をよぎったが言葉が出てこなかった。もしかすると、彼が今まで受けてきた肉体的苦痛より辛い宣告になるかも知れないからだ。
やはり私は間違っていた。あの子を巻き込むべきではなかったのだ。
「ハルト、タリルのことだが……」
「会わない」
きっぱりとした答えが返ってきた。
「だって、タリーは二十歳の美しい大人になったのに僕は十四歳の姿のまま、おまけに突然変異のバケモノで、今さらどんな顔して会えっていうんだ。それにあの子に僕の記憶が無いんだったらこのまま知らない方がいい」
だが、今言わなくてもいずれわかることだ。
「ハルト、本当にすまないと思っている。タリルは今この研究所でEPプロジェクトのメンバーとして働いているんだ。私の助手として………言いにくいことだが、君を研究する立場で参加してもらっている」
◆ ◆ ◆
気を失っている間に傷の手当が終わっていて、おかげで僕はミイラ男のようだ。まさか、あれぐらいの情報を聞いただけでブッ倒れるなんて情けないにもほどがある。
情けない………いったい、どんな顔してタリーに会えばいい。
この十二年の間、四人の博士の四つの研究所を渡り歩いた。
一番目は真山博士。理学博士で主に遺伝子工学が専門分野だ。ここではEPの採取方法よりも突然変異種である僕の誕生システムが徹底的に調べられた。クローンでも創るつもりでいたのだろうが、何せ三年という短期間では成果が出るはずもなく、凍結された細胞によって今も培養研究が行われているはずだ。
二番目は西園寺博士。医学博士だがEPの採取蓄電に異常な興味を持っており、SSプレートはここで埋め込まれた。年齢的にも最後のチャンスだと思っていたのか、かなり手酷い方法でEPを採取されたが、そこから先の技術がはかどらず結局、三年間痛い目に合わされEPの取られ損で終わってしまった。
三番目は袴田博士。心理学が専門分野だけあって、精神的にも追いつめられた。おかしな装置を頭に着けられ、人工的に見せられた夢の中で何度も絶叫し、何度も死んだ。やっと装置から解放された後、全身の震えが止まらないほどの悪夢を見せられた時に限って蓄電量が跳ね上がると喜んでいた袴田の顔が忘れられない。
そして四番目の遠藤博士。物理学者で専門分野は素粒子物理学。理論より実験を重視しており、初日からみごとにモルモット扱い。SSプレートが装着されているのをいいことに前三博士のデータを元にやりたい放題やってくれた。おかげで痛み止めも効かないありさまだ。採取したEPはあと少しのところで利用可能レベルにまで増幅させることに成功したが、やはり時間が足りず最後の三浦博士に託される事となった。
その最後の巡礼地で、まさか妹のタリーに会うことになるとは。
もう何も感じなくなったはずの心が、かなり動揺している。
兄である僕の記憶だけを消す暗示をかけて、新しい人生を歩むこととなったタリー。三浦家の養女にむかえられ、十二年後に彼と同じEPの研究者となって兄と再会するなどという残酷なシナリオを誰が想像できただろう。
タリーはいい。研究者として被験体を「見る」だけなのだから。
でも僕は違う。ずっと、一日たりとも忘れたことのない妹だ。あの子に会えば、自分がどうなるかわからない恐怖で胸が痛い。絶対に許してもらえない絶望で心が血を流す。
「具合はどうだい?」
頭を抱えていると、三浦が入って来た。どうやらひとりらしい。あんな素敵な情報を聴いた後で具合がいいわけないよ。
「タリー……タリルには、いつから観察してもらえるの?」
「君の傷が完治してからだ。ハルト、どうかあの子を許してやってくれ。私と同じ学問を志すと決意した日から、私の右腕となることを望んだんだ。養女として育ててくれたことへの恩返しだと言って」
許す? タリーに許してもらわなければならないのは僕なのに。僕のせいで何もかもが壊れてしまったのに。
「まさか、記憶は戻ってないよね」
「ああ、今でも君の記憶だけが欠落したままだ」
「……よかった」
胸の痛みが、ほんの少し和らいだ気がした。そうだ、最初は慣れないかも知れないが、実験動物としてなら感情は殺せる。
「ハルト、これから君の能力を借りて行うEP採取に関する方法とスケジュールについてなんだが、説明しておこうと思う」
「説明? そっちの好きにすればいい。今までだってそうだったんだから。それに、拷問のやり方を説明するなんて悪趣味だよ」
「違う違う。最後まで聞きなさい」
三浦の話はこうだった。
僕を待っている十二年の間にさまざまなEPの採取方法を研究した結果、今までの物理的刺激による電気的シグナルの変換方法とは全く真逆の採取方法が候補に上げられ、この方法だと採取時間の短縮と蓄電量の倍増が期待できるのではないかという結果にたどり着いたらしい。らしいと言うのは、これはあくまでも机上の計算結果であって、本作動できるかどうかはすべて僕にかかっているのだという。
「つまり、セルタイプに痛みを与えることによってしか採取できなかったEPが、実は安静時や睡眠中に出るアルファ波という脳波に関係していることがわかったんだ。特に一般人に比べてセルタイプの脳波は振幅が大きく、ノンレム睡眠時のアルファ波が占める割合が高いとされている。私はこれをレム睡眠時に現れるアルファ波を電気的シグナルに変換させてEPを採取できないものかと考えたんだ」
「つまり、その方法って……僕は寝てるだけでいいってこと? ははっ、まさか」
まさか、そんな夢みたいな方法があるわけない。
「その通りだ、ハルト。もう痛みに耐えなくてもいいんだ」
彼はそう言うけど、きっと始めだけだ。そのうち失敗して、やっぱり最初のやり方に戻るに決まってる。
「ハルト、この方法を実現化したのはタリルなんだよ」
◆ ◆ ◆
最初のあしらい方がマズかったのだとレイは反省した。でなければ、よほどコイツがバカかKYかその両方だ。
「ね、ね、レイちゃん。今日オレ、きみンち遊びに行ってもいいっしょ?」
やっぱり、どっちも兼ね備えたボケナスに違いない。
「あんたナニ考えてんの? ウザいっつってんでしょ! ナンパすんならほかの女子あたりなっ」
「え~っ、オレっち最初っからレイちゃん狙いだしぃ~」
先週、転校してきたという徳馬久志は見た目もチャラかったが、中身もそれに負けず劣らずのチャラ男だった。机が隣になっただけのレイを早々と口説きにかかり、それをスルーしたレイがまた気に入ったと言って離れようとしない。
それでもなかなかのイケメンなので女子にはモテた。モテているのだから、ほかに可愛い子がいくらでもいる中で、なにもあたしをターゲットにしなくてよいものをと、そこがまたウザイと思わせる要因のひとつでもある。
しかしレイにはもうひとつ、久志を受け入れられない理由があった。
久志からは何も『感じ』られないのだ……何を考えているのかわからないだけでなく、感情的なものが何も伝わってこない。
だいたい人間は、考えていない時でも何かしら思っているものだということをレイは知っている。それは「お腹がすいた」とか「あの子可愛い」とか「飼ってるペット」のことだったり「読みかけの小説の続き」だったり「彼氏」「彼女」のことだったりいろいろだが、よほど修行を積んだ瞑想中の僧侶でないかぎり、まったく何も『感じ』ない人間に会ったことがないレイにとって久志は不気味な存在だった。
「レイ、たまにはひーくんとデートしてあげなよ。でないと、ほかの女子に取られちゃうぞ」
友達のアドバイスに取られて結構、のし付けてこっちからあげたいくらいだと本気で思う。
その友達からの「ひーくん情報」によると、両親の離婚をきっかけに市内の高級マンションでひとり暮らしを始めた久志は、父親からの仕送りだけでじゅうぶん生活できるためバイトなどはしていないらしい。以前通っていた私立高校は単位不足で進級できずそのまま中退後、一年留年してレイの通う通信制高校へ転校してきたというわけだ。久志は以外とおぼっちゃんだったのである。
だが、レイには何かが引っかかっていた。これだけの情報では得られない何かがレイの中に赤信号を点していた。
「レイちゃーん、一緒に帰ろ♪」
終礼とともに久志が声をかけてきた。
「ヤだ」
「レイちゃんさ、なんでオレのこと避けるの? オレそんな嫌なヤツ? 言ってくれたら直すからさぁ」
「あんたこそなんなのよ。ナニ考えてんだかさっぱりわかんないっつーの!」
レイはもううんざりだった。それでなくても二、三日前から父と姉の様子がおかしいのだ。
先日、あれだけハイテンションだった二人が、昨日など暗い顔でひとことも口をきかない。母も気づいているようだが、彼らの仕事には口出ししたくてもできないので見て見ぬふりをしている。
レイが遠回しに聞いても困ったような姉の作り笑顔が返ってくるだけで何も話してはくれなかったが、姉から『感じ』たのは仕事上重大な問題が発生し、その解決策が見つからないってことらしい。
それにしてもこのお通夜状態はいつまで続くのか、そちらの方がレイにとっては心配だった。
「ねぇ、つきちゃん。男のことで話あんだけど……」
鬱状態のふたりに反比例して、最近の月子は仕事の修羅場をくぐり抜け絶好調の日々を送っていた。
「なになになに?」
月子が食いついてきたところを見ると、どうやら次の漫画ネタを探しているらしい。
「─────っでさぁ、チョ~ウザなのそいつ。マジ嫌ってんのにダメージゼロでさ、ありゃぜっっったいMだわ」
月子に久志がどれだけ嫌なヤツかぶちまけると、
「ふむふむ。でもそれって、純粋にレイのことが好きなだけなんじゃないの? で、イケメンのチャラ男でしょ? スルーなんてもったいないよーっ」
おいおいそこかよ、といつもならツッコミを入れるレイだったが『感じ』のことについてはうまく説明する自信がなかったので、今回の相談内容はまったく核心に触れないまま、月子の創作魂に火を付けただけのグチに終わってしまった。
「レイ、また久志クンの情報待ってるからねン」
「つきちゃん、かわいい娘がチャラ男に言い寄られてんだよ。心配じゃないの?」
「大丈夫。もしレイになんかあったら、そいつの本名と悪行をコミックエッセイに描いてネットで流してやるから!」
って、やっぱり漫画ネタかよ。
レイの母、月子は「夢乃月世」という歌劇団ばりのペンネームで活躍する少女漫画家だ。
父とのなれそめも、当時月子が雑誌で連載していた漫画『生徒会長は物理学者!?』シリーズの取材が縁だと言うのだから、世の中どんな出会いが待っているかわからない。
だいだいレイの名前も月子が学生の頃ハマっていたアニメの主人公から取ったのものだ。これにはさすがに与一も苦言を呈したが、理由はそのアニキャラの正体がクローンだったからというのは三浦家では有名な話。
とにかく、徳馬久志には近づかないに越したことはないと思うレイだった。
~ つづく ~




