元公爵令嬢の告解 2
私という娘が悪神に取り憑かれ、父からは何の援助も無い。
救いを求めようとも聖神から応えは無く。
見捨てられた公爵夫人。
人の悪意に晒され、心労と苦痛の真っただ中にいたお母様が、外に助けを求めたとして何の罪があるというの。
けれどお父様は、それすら許さなかったわね。
お母様が若い下男と外へ出て、出先で死んだと伝えられた時、まずは事故だと聞かされたから私は悲しんだけれど本音でいえば、正直少しホッとしたりもしたの。
もう、苦しむ事は無いのだと思って。
神殿に仕える者たちから、お母様が苦労していらっしゃるのは私のせいなのだと婉曲的に教えられ、何とかできないかとカエルレウスに伝えても「益無い事」の一言で一蹴されてしまった母の人生は、とにかく不憫に尽きたといえるでしょう。
それも、生まれた時から決められていた『運命』であったと聞けば余計に。
あの日は、カエルレウスが珍しく終始しかめっ面だったのを憶えている。
後々になって、色々と試してはみたものの結局どうにもならず、あれでもお母様にとっては最上の終わりだったと聞かされた時には思わずその場で泣き叫んでしまったわ。だってあまりにも酷過ぎる!
しかもその母の死が、お父様の自己愛の……言ってしまえば身勝手な我儘によってもたらされた悲劇だと知らされたからには、私にはもうお父様の愛が信じられなくなってしまっていた。
身分違いの恋なんて言う醜聞、おまけに不倫。
それらが自身の経歴に傷を付けるから、そういう傷がある自分を許せないからと、お父様はお母様をご自分の目の前から永遠に消し去ったんだわ。とっても安易な手段でもって。
そうして自分は、亡くなった後になって知らされた妻の不貞に苦しむ、誠実で善良な夫という立場を手に入れたのよ!
原因の半分は間違いなく、子を神殿に取られ家庭に押し込めたられた孤独な妻に、悪妻との評判が立っていても放置し続け、ご自分は高貴な方々と浮名を流し、いずれは離婚後、その中のどなたかとご結婚される予定だなどと……そんな私にさえ届くような、現実とはまるで違う『真実』を訂正しようともなさらなかったお父様ご自身の癖に!
きっと私はこの時、世の中を信ずる気持を失ったんだと思う。
だからこそ、いくら周囲の思惑があったとしても言い訳できぬくらいにインディクムに対して歩み寄りの姿勢を持とうと思えなかったし、その後で起こった出来事に対しても他人事のようにしかとらえられなかったんじゃないかしら。
そして、『理不尽』に対する諦念の気持ちも同時に手に入れてしまったに違いない。
でなければ、こんなにあっさり今の生活に心を許している筈が無いと思うの。
父の、自分が信じる、自分が正しいと思う愛を貫く姿は、確かに厳格で男らしいと言えるのかもしれないわ。
でも「不器用な愛なのね」なんて他人から、それも「欲を満たす為だけに抱いただけで、彼はちゃんとご家族の事を愛していたのよ」とか、したり顔で自分に言わせるようなお妾さんに哀れな娘を見る目つきで諭す様に言われても、それは私が欲しかった愛では無いの。
だってお父様、私分かってしまったのよ。
私が愛していると言ったところで、貴方はその愛を決して受け取っては下さらないのでしょう?
受け取っては、下さらなかったわよね?
とどのつまり、お父様ったら女性に対して不誠実なんだわ。そして、子供にとっても。
ただ、自分の都合の良いように動くお人形を可愛がっていただけ、可愛がって愛していると言っているだけ。ねえ、そうでしょう?
背後にいる方が懇切丁寧に教えて下さったわ。
ええ、ええ、彼の方が望むとおりに絶望したわよ。これでよかったのでしょう?御両名。ねえ。
そういえば、お父様に最後の贈り物を送ったの、もう届いた頃かしら?
私の姿を模した、等身大のお人形。
お人形だから自分から動く事は出来ないけれど、きちんとお話する事は出来るようにしたわ。
機巧は、カエルレウスに教えてもらったの。
お父様に贈るものだもの、せっかくだから私の気持ちをうんと込めた手作り品にしたかったから。
ねえ、素敵でしょう?
しゃべる言葉はね、
「はい、お父様」
「わかったわ、お父様」
「ありがとう、お父サマ」
「だいすき、オトウサマ」
とりあえず、この四つさえ言えれば大丈夫でしょう。
他になんて、いらないわよね?
例えば貴方を拒絶し、否定する言葉をしゃべる娘とか。
だからね、これを見た貴方はきっととっても喜んでくれるって、私信じてる。
そんなお父様に紹介されたインディとの間柄が、終始表面上のもので終わった事は先に述べたとおりだわ。
金髪碧眼、白磁の君。
まるで王子様のお人形の様だった彼は、幾度か教会までわざわざ足を運んで下さったけれど、常に周囲には耳目があった。
先日いらっしゃったあの方も、そのお1人。
あら、そういえばお名前をついぞ聞く機会が無かったわね。まあ今さらなのだけど。
今考えると……婚約者と言いながらも色恋に発展する様な何かなど、起こさないように注意がはらわれていたのでしょうね、彼らの視線の険しさから考えても。
神殿の奥深くに閉じ込められ、隔絶された世界で私はずっと育ってきたと言っていい。
なのに、周囲の目は歳を経るごとに厳しいものになって行った。
悪神憑きの娘、名前だけ聖女、後何だったかしら?
色々と言われたけれど、庇う人間が誰もいなかった―――お父様なんかその筆頭だ……から、仕方ないと放置していた部分はあったわね。
インディも、当初はそんな周囲に対して止めたり、良い顔をしていなかったようだけれど、カエルレウスの預言と悪戯(の範疇を人間基準ではとうに超えていた)で疲弊したんだろうと思う。そのうち周囲と同じような視線で見る様になった。
カエルレウスが時折面白半分に拾ってきていた噂は、やがてきこえよがしなものになっていった。
我儘なんて言った覚えも無いし、そもそも言うまでも無く言葉を発しただけで睨まれるのにどうやって?とは思ったものだわ……。
守護神の妻という事は、言いかえれば『彼が特別に個に向けた守護によって常に守られている』という事なのだけれど、封印されていたから何も出来ないと思ったのかしらね、かなり言われたい放題だった気がするわ。
体罰が無い事だけが救いのそれが幼い頃には物凄く苦痛で、冗談半分に天罰起こしてってカエルレウスに向かって癇癪起こした事もあったけれど……すぐに諦めたんだった。
だってそれは悪手だと、異界の記憶も言ってたから。
だから結局名前だけの聖女扱いで、何も出来ない上に力も無かった私は、ただ小さく縮こまって隅っこの方にいるしか無かった。
本当に心がただの子供だったら、きっと今頃どうなっていた事か。
グレた、ですめばよかったのかもしれないけれど、絶対精神に異常をきたしていたと思うわ。だって耐えられない、あんなの。
毒や暗殺などの身の危険もさることながら、成長するにつれて性的な意味合いが混じった視線で見られることもしばしばで。
ただ、そういうのからは絶対にカエルレウスが守ってくれたし報復もしてくれたから、そこだけは信頼していたし、安心していられたわね。
だからって、簡単に全てを許せるか、ほだされて何もかもに目をつぶれるかといえば、それも難しいと思うのだけれど。
環境が最悪だったのは、事実だし。
恨んでいるかといわれると、ちょっと微妙なところ。
せめて前向きに考えようとは思っているわ。
過去の事ばかり気にして、それだけで人生を消費してしまうのは惜しいと思うもの。
聖なる場所とは名ばかりのあの場所に放り込んだのが彼ならば、今の環境に連れ出してくれたのもまた彼なのだから。
いつからだったかしら?割と最近になってからだとは思うけれども。
インディが一方的に別れを―――「もう会う事は無い」ときっぱり言い切って、言葉通り神殿に姿を現さなくなってからしばらく。
日がな私に構って構い倒していたカエルレウスが、ぱったり姿を現さなくなった。
とはいえ、それまでも見える人間なんて私くらいしかいなかったけれど。
で、たまに姿を現したと思えば、辺境の話とか始めて。
市井の話、特に辺境農村部の話は珍しかったから、私も面白がって聞いていたのだけれど。
ただ、やけに機嫌が良いな、とは思っていたのよ。
聖女。
それも、真の聖女であるとか。
神殿でも噂が聞こえて来て、やがて悪神が滅ぼされたという話が伝わった。
……え?でもカエルレウス、私の後ろにいるんだけど?
いつもみたいにニヤニヤしている背後神を背負ったまま、私は首を傾げていた。
まさか、その聖女様が私と同じ『転生者』だなんてね。
しかも『この世界を舞台にした創作のヒロイン役として転生してて、その事をきちんと理解してたなんて。
全ては悪神の掌の上。
伯爵子息には意識を乗っ取るぞと脅し怯えさせ、聖女役の女の子には「お前こそ真の聖女」と吹き込んで。
挙句の果てに同族であるはずの聖神、しかも自身と同じく創世の四聖神の思考を巧みに誘導し、護るように仕向けた聖女役の少女に恋心を抱いたと思わせ(実際に恋したのかなんて、見て無い自分には判断付かない)人と聖神、命の時間の違う彼らがそばにいる為には『人』になるしかないなんて、その気にさせた。
なんて酷い自作自演。
そこまで全部お膳立てして、悪役演技を全力で楽しんで逃げ帰って来たらしい(その上ちゃっかり封印解いて実体取り戻した)彼が、断罪イベントまで発生させると面倒だからとっとと逃げるぞ、だなんて。
笑いながら言う話と違う!何『やり遂げた!』みたいな満足した笑顔で汗とかぬぐってんのよ!アンタ汗かかないでしょう!
まったく、毎度の事だけど勝手に巻き込むのとか本当に勘弁して欲しいわ!まったく!
全部の元凶アンタでしょ!?責任取るならアンタでしょ!?
なんで私が悪いみたいな空気になってるのよ!!知らないわよ!
インディの事!?何度も言うように契約上の関係だけで、微かに友情にも満たない様な感情を一方的に持っていただけだけれど、だからって聖女(真)に対して思うところなんて無いったら!
どっちかっていうと、彼のこれからに不安しか感じないわよ!
できれば何か一言とも思ったけれど、周囲がそれをさせてくれそうになくて。
このまま残ったら騎兵を連れたドヤ顔のお父様によって引っ立てられ、市中引き回しの上、民衆に唾吐きかけられ、ありとあらゆる暴行を受けた末に斬首ですって!?
いやいやいや、何そのデッドエンド!!このゲーム実は18禁だったとかいうオチ!?え、違う!?違うの!?嘘だと言ってよry
お母様が亡くなった時以来よ。久々に素で取り乱したわ。
コンシュマで、しかもせいぜいモブの端役に対してそのオチのでかさは、いくらなんでも後味悪過ぎてヒロインのハッピーエンドに全力で喜べなくない?と思うのは私だけかしら。
……いやでも案外むしろ全力でアリだったりするとか!?
乙女ゲー業界後期には、バリエも富んでいたはずだし、ありえないと言いきれないところが恐ろしい、いえ業が深すぎる……。
でもいつだか、映画のとある場面に対して何かコメントが出された事があったわよね?
私は読まずに流したっぽいけど、残酷シーン胸糞とかそういう記事だった気がするんですが!
救いは無いのかと、本気で神に祈りかけたわ。
で、これもうカエルレウスの手を取るしかないと悟って、しぶしぶその手を取ったんだったわ。
フッ……いくらか引っかかるものがあった様な気もするけれど、差し迫った命の危機に代えられるものなんて無い!
ここから出れば田舎暮らしで農家の嫁って言われても、いいわよ、こうなったら行きつくとこまで行ってやるわーーー!!!って叫んだっけね。ちょっと懐かしい。
とまあ、そんなこんなでウェルマーデ修道院経由でチンリュまで、はるばるやって来た訳で。
修道院経由なのは、高位の貴族が都……というか社交界落ちするための常套手段だから。
もう国の中枢には関わりませんよって言う意思表示みたいなもので、そこから先は本人次第ってとこかしらね。かつては女性の避難所的な意味合いもあったそうだし。
現在だと、ごく普通のお貴族様的には修道院行き=野垂れ死に、なイメージがあるみたいで、まあそれも分からなくないなと思ったわ。
だって実際に見た修道院の、質素を通り越したボロっぷりには「ここまでくるとさすがに、高位の方ほどイイ感じに心折れるでしょうね」と思ったもの。
ただ、あいにく自己主張の強い背後神がそれだけで済ませてくれそうにないというか。
私的意見だけど、修道院で供されたチーズとミルクだけは美味しかったから、部屋には心折れても食事で保つ……あっ、内なる日本人が『食のジャンルとバリエの貧しさに、将来的に心が折れる』って(以下略)
お父様には、修道院に着いてから「こんな状況だから見捨てて下さい、不出来で役立たずな娘で申し訳ありません(意訳)」って手紙を送ったらホントにあっさり手放してくれたわよ。
カエルレウス……修道院を出てから共に暮らし始め、今となっては旦那様な彼に「アレは『愛しているのに手放さなければならない自分マジけなげ』などと思っているようだな」とかイイ笑顔で言われて「ああ、安定の」とか思いつつ、私は心配するのを止めた。
どうでもいいですけど、お父様の声再現するのはまあいいとして、せめて「マジけなげ」とかいうの止めてもらえませんか。キモ笑えてくるので。
彼の事、何故嫌いにならないのかって、自分でも考える時があるわ。
でもそうね、嫌い……にはなれないみたい。
正直に言えば、腹立たしく思う時はあるの。無責任だし勝手だし、いろんな事があったもの。
でもね、それでも、私の話をきちんと聞いてくれるのは、彼だけだったから。
私の家は、あんな事が起こるまでは良きにつけ悪しきにつけ、ごく一般的な貴族家庭だったと思うわ。
きっと表向きは、なんてついてしまうんでしょうけれど、情より誇りを取る、そんな家だったはずよ。
というかそもそも、普段から家族といえばお母様と私しかいなかったし。お母様も、ごく普通の貴族令嬢だったみたいだし。
お母様と一緒にいた記憶はあるけれど、思い出というほどのものも無いのよね、思い返してみても。
ただじっとお母様を見つめていた、そんな記憶しかないの。どうやっても、それ以上が思い出せなくて。
そんなだから、もしかしたら情というものに飢えていたっぽい私にとって、彼が、彼だけが、ほとんど唯一本当の所を本音で相談できる相手だった。
まあ、そのほとんどが話を聞くだけで、手を出すとしても完全には解決してくれない、それが出来ないって経過をたどった訳だけれども。
それでも、彼との会話の中で色々と得たものはあったと思っている。
父の本心を知れた事、神殿や国の在り方を知った時、市井の人々の生活ぶりについて触れ、国や世界が辿った歴史を教えてもらった。
他にも、様々に。
多くを望めない私にとって、教師だった人たちや神殿の図書室に治められた蔵書だけが、情報を手に入れる唯一の手段だったと言っていい。
それすらも、後年になってからは下手に知恵を付けられてはたまらないからと、取り上げられてしまったけれど。
周囲の大人は私を、『悪神に感化された我儘な娘』すなわち『悪の手先』としか見ていなかったから。
同情も共感も、少なくとも常に身近に無いものだったのは確か。
そんな中で、彼の中から引き出される『生きた情報』が、良い事も悪い事も全てを楽しい事の様に生き生きと語るその姿が、私にとってどれだけ宝物みたいにキラキラ輝いて見えた事か。
ある意味で、良い教師についてもらったとも言えるのかもしれない。学ぶ事が苦にならなかったという点では。
何より田舎の農村部の暮らしを詳しく教えてもらったからこそ、今こうして懸命にクワを振るう生活が楽しいと思えるのかもしれないわ。
あるいはそれも、『農業育成ゲーム』とやらに傾倒していた過去の自分がいたからこそ、だったりするのかしら?